新装版 苦海浄土 (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062748155

作品紹介・あらすじ

工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴った。本作は、世に出て三十数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき"いのちの文学"の新装版。

感想・レビュー・書評

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  • 水俣湾周辺の漁村で水俣湾からとれた魚を食べた猫たちが多数死んでいっていることが分かったのが1953年のことである。後にチッソ水俣工場から排出される廃液に含まれる有機水銀が原因であると分かるが、当時は、原因不明の中枢神経系疾患とされた。そして、患者には猫だけではなく人間も含まれるようになる。1956年の5月1日に、5歳と2歳の姉妹が水俣病と最初に診断される。これが水俣病の正式発見の日である。
    その後、原因をめぐって、また、補償をめぐって闘争が繰り広げられていく。1968年になって政府が水俣病を公害病と認定し、この年に、水俣工場からの有機水銀の流出が止まる。法廷闘争の方は、初の判決が1973年に熊本地裁で下され原告・患者側が勝利する。
    闘争は順調に進んだわけではない。会社側・国・行政との闘いに加え、市民からの差別や、市民の一部は、町唯一の大企業であるチッソがなくなると困るために患者側の闘争を支持せず、時に妨害をしようとした。また、患者側も一枚岩ではなく、6派に分かれており、患者を支援する団体の間でも対立があった。
    そして、闘いは今も続いている。2021年8月末現在、認定患者は2283人(うち死亡1988人)。約1400人が認定申請中。また、約1700人による損害賠償訴訟なども各地で継続中である。

    私が読んで感想を書いているのは、2004年第1版発行の、講談社文庫の「新装版 苦海浄土 わが水俣病」である。本書の来歴として、「本書は、1972年12月に刊行された講談社文庫"苦海浄土-わが水俣病"の新装版です。新装版刊行にあたり、原田正純氏の解説"水俣病の50年"を加えました」と補足説明が加えられている。また、1972年の講談社文庫版のオリジナル版の「あとがき」を石牟礼道子は1968年12月に書いている。従って、本書が扱っているのは、1968年の政府による水俣病の公害病認定までということになる。「苦海浄土」は、第2部、第3部と続いているが、それらは、公害病認定以降を扱っているのだろう(実際に読んでいないので推測で書いているが)。

    本書は有名な本であり、以前から読んでみたいと思っていたが、なかなか読む機会を得なかった。今回、読み始めて、一気に読むこととなり、また、内容にも圧倒された。水俣病に関しての本としては、米本浩二著「水俣病闘争史」という本を読んだことがあるが、「水俣病闘争史」が、水俣病の全体像を客観的に記録しようとして書かれたのに対して、本書「苦海浄土」は、水俣の地元に住んでいた主婦である石牟礼道子が、水俣病を自分事として、やむにやまれず書いたという風な本である。正確な記録を残そうということではなく、石牟礼道子が、水俣病をどう見たのかが徹底的に石牟礼道子の視点で記されている。

    全編、圧倒的な内容の本であるが、私が最も心を動かされたのは、「第三章 ゆき女きき書」「第四章 天の魚」であった。
    第三章は、坂上ゆきという水俣市立病院に入院している水俣病患者について書かれている。坂上ゆきは、天草出身で、水俣の漁師である、坂上茂平のところに嫁いできて、水俣病に罹患する。
    第四章は、水俣の漁師一家である、江津野家について書かれている。江津野家は、老夫婦と、水俣病に罹患している息子、そして、老夫婦からみた幼い孫3人の6人家族である。孫のうちの1人である杢太郎少年9歳も水俣病に罹患している。老夫婦の息子は働くことが出来ず、一家は、老夫婦に対しての生活保護をあてにして暮らしている。息子の妻は離婚して、この一家を出ている。貧しく悲惨な一家である。
    第三章、第四章ともに、中心は「聞き書き」である。第三章は、坂上ゆきに対して、第四章は、江津野家の老父に対して(「聞き書き」と言えば、インタビューのようなものを思い浮かべるかもしれない。実際、本書には2人の「問わず語り」的なモノローグが描かれているが、実際には、これらは、石牟礼道子の「創作」であるらしい)。
    モノローグの中で2人は色々なことを語っているが、私が最も心を動かされたのは、現実の悲惨さについて語っている部分ではなく、過去、漁に出た時に、それが如何に美しいものであり、如何に幸せな経験だったかを語っている部分である。ここに全てを引用したいが、そういう訳にもいかないので、第四章の老父のモノローグの一部を紹介したい。方言で書かれているので、少し読みにくいかもしれない。かなり長い引用になることをお許しいただきたい。このモノローグは、老父が石牟礼道子に対して、焼酎を飲みながら語ったとされている。焼酎の酔いが廻るにつれて饒舌になっていく様を想像しながら読んでいただきたい。漁に奥さんと一緒に出た時の様子である。文中の「あねさん」は石牟礼道子のこと。

    【引用】
    そら海の上はよかもね。
    海の上におればわがひとりの天下じゃもね。
    魚釣っとるときゃ、自分が殿さまじゃもね。銭出して行こうごとあろ。
    舟に乗りさえすれば、夢みておっても魚はかかってくるとでござすばい。ただ冬の寒か間だけはそういうわけにもゆかんとでござすが。
    魚は舟の上で食うとがいちばん、うもうござす。
    舟にゃこまんか鍋釜のせて、七輪ものせて、茶わんと皿といっちょずつ、味噌も醤油ものせてゆく。そしてあねさん、焼酎びんも忘れずにのせてゆく。
    (中略)
    さあ、そういうときが焼酎ののみごろで。
    いつ風が来ても上げられるように帆綱をゆるめておいて。
    かかよい、飯炊け、おるが刺身とる。ちゅうわけで、かかは米とぐ海の水で。
    沖のうつくしか潮で炊いた米の飯のどげんうまかもんか、あねさんあんた食うたことのあるかな。そりゃ、うもうござすばい。
    (中略)
    そこで鯛の刺身を山盛りに盛りあげて、飯の蒸るるあいだに、かかさま、いっちょ、やろうかいちゅうて、まず、かかにさす。
    あねさん、魚は天のくれらすもんでござす。天のくれらすもんを、ただで、わが要ると思うしことって、その日を暮らす。
    これより上の栄華のどこにゆけばあろうかい。
    寒うもなか、まだ灼け焦げるように暑うもなか夏のはじめの朝の、海の上でござすで。
    (中略)
    かかさまよい、こうしてみれば空ちゅうもんは、つくづく広かもんじゃある。
    空は唐天竺までにも広がっとるげな。この舟も流されるままにゆけば、南洋までも、ルソンまでも、流されてゆくげなかが、唐じゃろと天竺じゃろと流れてゆけばよい。
    いまは舟一艘の上だけが、極楽世界じゃのい。
    そういうふうに語りおうて、海と空の間に漂うておれば、よんべの働きにくたぶれて、とろーりとろーりとなってくる。
    (中略)
    婆さまよい、あん頃は、若かときゃほんとによかったのい。
    【引用おわり】

    本書のタイトルは「苦海浄土」である。「苦海」とは、「くかい、くがいとも。仏語。苦しみの絶えないこの世のことを海にたとえていう語。苦界(くがい)」ということ。一方、「浄土」とは、「仏語。一切の煩悩やけがれを離れた、清浄な国土。仏の住む世界」ということである。調べてみても、「苦海浄土」という言葉はないようであり、「苦海浄土」は石牟礼道子の造語なのであろう。水俣病によって引き起こされた「苦しみの絶えないこの世」、特に水俣湾という「海」は「苦海」である。しかし、そのような「苦海」を、この江津野老父のように、以前は「極楽浄土」として考えていた人たちがいる。逆に言えば、水俣病が「浄土」を「苦海」に変えてしまった、そのような意味だろうか。
    私自身は、水俣には1回だけ仕事で行ったことがある。水俣の前に宮崎で用事があり、日豊本線、鹿児島本線経由で水俣に入ったように記憶している。20年以上前のことなので、記憶は曖昧であるが、水俣に向かう列車の窓から見える海はとてもきれいで、ここが、あの水俣病の起こった場所とは思えない、と感じたことを覚えている。
    水俣病に関しての歴史的事実、そこに関係した方々の苦しみは、簡単な解釈を許さないものがあるが、本書は石牟礼道子が、あくまでも「自分の視点」では、どのように水俣病が見えたかを書いたものである。最初に書いたが、内容・読後感は「圧倒される」ものであった。このような本を読むことが出来て良かったと素直に思える。

  • 凡人の自分にはやはり筆舌しがたい。

    リアルな描写が真に迫るとか、公害について考えさせられるとか、さまざまな人間の利害が見られ、複雑な現代社会を描写しているとか、そういうことではなく、これらの全てを包み込んで、筆者の表現力によって、芸術として昇華された、悲しすぎる美しい世界を感じた。

  • 『ここは、奈落の底でござすばい、
    墜ちてきてみろ、みんな。』

    水俣病の患者たちを描いた作品が辛くないわけがない、と覚悟をして読んだのだけど、そして思っていたよりずっとしんどかったのだけど、同時にぽかんとした不思議な明るさや、ひたひた胸に沁み込むような潤いもあり、こう表現することにためらいもあるが、非常な美しさを持つ作品だった。
    石牟礼さんが巫女となって、患者の心を纏って歌っているよう。
    患者の話として書かれている部分には、柔らかく心臓を握られるような痛みを覚えた。
    それと並行して、患者の診断であったり、社会的な動きであったりも述べられていて、こちらには硬いもので頭をガツンと殴られるような痛みばかり。
    加害者である会社も、国や県の対応も震えるほど怒りを覚えるが、周囲の市民も黙っていろという空気だったというのが本当に辛い。
    第二部、第三部も読みたいと思う。

  • 作家の池澤夏樹さんが個人編集した「世界文学全集」(河出書房新社、全30巻)の中に、日本の文学作品の中から唯一選ばれたのが本作。
    先日、作家の池澤さんの講演を岩見沢で聴く機会に恵まれましたが、その際、池澤さんは本作のことを
    「日本文学史上の最重要作品」
    と、紹介していました。
    読まないわけにはいかないじゃないですか。
    何かと忙しかったのと、とにかく最高度に集中して読むことを意識したため1か月ほどかかりましたが、夕べ読了しました。
    大変に打ちのめされました。
    これまでそれなりに文学に親しんできたつもりですが、なぜ、こんな大事な作品をこれまで読まずにきたのか、己の不明を恥じる思いもしました。
    本書は、水俣病を材に取った記録文学作品です。
    工場廃水の水銀によって生活を破壊され、生命を奪われた水俣病患者とその家族らの声を余すところなくすくいとり、読む者の心をとらえて離しません。
    私は熊本弁で語られる水俣病患者とその家族らの独白を読みながら、それが祈りにも似た響きがあると終始感じていました。
    渡辺京二さんの「解説」を読んで驚愕しました。
    実在するE家の老婆について石牟礼さんが書いた、「苦海浄土」とは別の文章について渡辺さんが本人にただすと、この文章に登場するような言葉を老婆は語っていないことが判明したそうです。
    そこで渡辺さんは「じゃあ、あなたは『苦海浄土』でも……」と本人に問います。
    石牟礼さんは「いたずらを見つけられた女の子みたいな顔になっ」て答えたそうです。
    「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」
    何ということでしょう。
    聞き書きなどではないのです、石牟礼さん自身が、まるで水俣病患者(およびその家族)が憑依したように語った言葉なのです(!)。
    私はこの事実を知った瞬間、「巫女」という言葉が思い浮かびました(実際、「解説」には後の方で「石牟礼道子巫女説」なるものがあることに触れています)。
    本書の終盤に出てくる、この部分はどうなのでしょうか。
    これも石牟礼さんの言葉なのかどうか、調べようもないわけですが、とにかく大変な熱を帯びて読者の心を鷲掴みにするような文章が出てきます。
    両親を水俣病で失い、やはり水俣病の弟の看病を続ける茨木妙子さんが、水俣病の原因を作ったチッソ社長の来訪を受けて、こう言います。
    「よう来てくれなはりましたな。待っとりましたばい、十五年間!」
    そして、この後、こう続きます。
    水俣病患者とその家族の、苦難といえばあまりにも酷い苦難と、水俣病の構図が要約されていると思われますので、長いですが引用します。
    「『今日はあやまりにきてくれなったげなですな。
    あやまるちゅうその口であんたたち、会社ばよそに持ってゆくちゅうたげな。今すぐたったいま、持っていってもらいまっしゅ。ようもようも、水俣の人間にこの上威しを噛ませなはりました。あのよな恐ろしか人間殺す毒ば作りだす機会全部、水銀も全部、針金ひとすじ釘一本、水俣に残らんごと、地ながら持っていってもらいまっしょ。東京あたりにでも大阪あたりにでも。
    水俣が潰るるか潰れんか。天草でも長島でも、まだからいもや麦食うて、人間な生きとるばい。麦食うて生きてきた者の子孫ですばいわたしどもは。親ば死なせてしもうてからは、親ば死なせるまでの貧乏は辛かったが、自分たちだけの貧乏はいっちょも困りゃせん。会社あっての人間じゃと、思うとりゃせんかいな、あんたたちは。会社あって生まれた人間なら、会社から生まれたその人間たちも、全部連れていってもらいまっしゅ。会社の廃液じゃ死んだが、麦とからいも食うて死んだ話はきかんばい。このことを、いまわたしがいうことを、ききちがえてもろうては困るばい。いまいうことは、わたしがいうことと違うばい。これは、あんたたちが、会社がいわせることじゃ。間違わんごつしてもらいまっしゅ』
    滂沱と涙があふれおちる。さらに自分を叱咤するようにいう。
    『さあ! 何しに来なはりましたか。上んならんですか。両親が、仏様が、待っとりましたて。突っ立っとらんで、拝んでいきなはらんですか。拝んでもバチはあたるみゃ。線香は用意してありますばい』」
    書き写していて目頭が熱くなりました。
    池澤さんが講演で指摘していましたが、貧しくとも平穏な生活を送っていた近代の庶民と文明との相克という普遍的なテーマが本書に通底しています。
    人間の尊厳を根こそぎ奪い去るような資本の論理を許していいのかと問うてもいます。
    それは東日本大震災以降、前景化した原発問題を抱える現代にも通じる問題提起でしょう。
    貴重な読書体験となりました。

  • もっとも恐ろしい言葉が「あとがき」にある。
    「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」
    「もはやそれは、死霊あるいは生霊たちの言葉というべきである」
    これに引っ張られるようにして読んだ。

    作者が「白状すればこの作品は、誰よりも自分自身に語り聞かせる、浄瑠璃のごときもの、である」といい、解説者渡辺京二が「聞き書きなぞではないし、ルポルタージュですらない。私小説である」という意味が、了解できた。
    一読のあとに獲得したものとしては、まずはこれだけで上々だろう。
    というのも、熟読前はやたらと難解でとっつきづらい印象で手を伸ばしかねていたのだ。
    地の文、方言による語り言葉、報告書などの固い言葉づかい、が混在しているため。

    ところで小説を読み終わった時に、美味しかったとか食べづらかったとか比喩することがある。
    本書は咀嚼しても噛み切れず呑み込んだのに重くて吐き出さざるをえなかった「それ」を、食べねばといま思っている。
    繰り返すようだが、初読でここまで味わえれば、上々だ。
    これは「小説で」「重い美味しさがある」とわかっただけでも。
    あとは多方面から読んで「小刻みに腹に納めていく」だけだ。
    永遠に腹からはみ出し続けるであろう記述を、少しずつ食べていく。

    私なりにまとめてみれば。
    作者の巫女的な性質。(手をつなぐことで、相手のすべてが流れ込み、自分の中で生きる)
    ルポではなく創造的真実が生み出す人々……患者、患者の家族、遺族……の声が、幾度も反芻される。
    反芻を繰り返すことで洗練さていく言葉と、生(き)の言葉と、の混在。
    各章ごとに「わたくし」が直面している現在がまず提示され、思い返される過去が各々患者の言葉として思い出され(だからルポではない)、また現在刻まれていく政治的事実や研究報告書などが差し挟まれていく、この繰り返しで本書は構成されていく。「転ー起ー承ー転ー(本来存在しない結は先送りされていく)」そのため、割と時間は前後する。
    主な患者は、山中九平少年ー野球の稽古。仙助老人ー村のごついネジすなわち柱。釜鶴松ー苦痛よりも怒り、肋骨に漫画本。坂上ゆきー海が好き、流産したややが食卓の魚。杢太郎少年の爺さまー棚に乗せたものはすべて神。杉原彦次の娘ゆりーミルクのみ人形。

    ちなみに石牟礼道子さんの写真や映像を見て……ややスイーツ(笑)な雰囲気も感じ。
    かんっぺきに感受性ばっかりの書き手が、幸運にも時代的題材を得て生き生きと書いている、とでもいうような。
    いまにひきつけてみれば、「川上未映子が本腰入れてフクシマに取り組んでみました」とか。笑
    その違いは要は継続性にあるのだと思うのだけれど。
    (フクシマヲズットミテイルティーヴィーの醜悪さ(たとえば熊本はすっかり忘れているじゃん!)とはまた違う、人生を賭けた継続的アプローチ)
    感動一辺倒に水を差すような感想も、きちんと示しておこうと思って、この嫌な一説を書き足した。

  • 最初に『苦海浄土』という名前を知ったのは確か、風の谷のナウシカの評論か何かで「これが宮崎駿にとっての苦海浄土なのである」みたいな文章だったと思う。その後「100分de名著」で本のタイトルだったんだと知り、長らく積みっぱなしだったけどようやく読了。

    読みながら『沈黙の春』を思い出したり、宮沢賢治を思い出したりしていた。読み終わってから解説を読んで、ルポではない、聞き書きでもない、魂の文学とのことで驚いたり、宮沢賢治を思い出したのは合ってたんだと思ったり。まるで水俣病患者を憑依させて書いているような、シャーマンのようなところは宮沢賢治と重なると思う。

    いやしかし。単に、人権がどうとか、公害がどうとかというレベルじゃない。こんな作品なかなかない。読んでよかった。

  • 読みにくそうだな、との思い込みで、ずっと本棚にあったのに、読まなかった本。

    気合いを入れて、読み込んだ。なんと濃密な世界か。想像を絶する悲惨さを描きつつ、それぞれが生きている証を感じた。死もまた生きた証なのだ。右も左も、そして神も、医学も、さらには作者自身をも唾するような場面が見られ、深く考えこまされた。

    これがルポルタージュでないと、聞き書きでないと、文学なのだと「解説」で読んで知り、衝撃を受けた。文学として読むと、なんと人間の深部と崇高に迫った希有な書であろうか。

    ゆき女、杢太郎、ゆりと脳裏に焼き付いて離れない。

  • これが本当の聞き書きではないところに素晴らしさがある。そのままではなく、その人の話すことのできない被害者やその家族の思いなど、感じたことを的確な表現に変換して読者に迫ってくる。
    水俣病については知ってはいたが、一人一人の生き様が生活の匂いも含めて伝わってくる。
    自然の美しさ、温かさと、工業による汚染の醜さ、行政や企業の固く冷たい姿勢とが対照的だ。被害者の中でもさまざまな軋轢があったことも見えてくる。人、自然、地域を分断し、切り刻んだ公害。許し難いこのことを、風化させてはいけない。土地の人はそっとしておいて欲しいとは言うけれど、これは繰り返してはならないことである。

  • 題名通り、読むのは辛く苦しかった。哀れな漁村民に企業も行政も数十年応じなかった。数十年!だが全く過去の話ではない。だからしっかり肝に銘じなければならない。学生時代から関心を持ってきたが、改めて水俣を訪れてみたくなった。

  • 友人から、すごい本があると教えられて知った。
    主題からまず息苦しさを感じ、しばらく読まずにいたが、取り組まねばならない課題のような気持ちで読み始めた。
    かなり気構えて、心にある種の防御をしながら読み始めると、想像とは違う静かな表現に引き込まれ、防御が緩んだところにするりと入ってくるようだった。
    馴染みのない方言のはずが、何の阻害もなく、心情が雪崩れ込んでくる。語られる日常が、起きている凄まじい事態の中で、対比され、光のように感じられる。その間には、水俣病の症状等が細かく淡々と記され、またさらにその闇がより一層深くなる。
    公害という近現代の社会問題や、社会構造の在り方等、語るべきはいろいろあるとは思うが、それを超えた部分で自分の中に残り続ける作品だと思う。

    私たちがひとりひとりであること、人間であること、自然であること、それが当然として社会という曖昧なものより優先されねばならないことを改めて喚起させられた。

    読書なんだから楽しい気持ちになるものを読みたいと思う時も多々あるが、こういった本を読むと改めさせられる。
    読むことができてよかったと思う本のひとつ。

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著者プロフィール

1927年、熊本県天草郡(現天草市)生まれ。
1969年、『苦海浄土―わが水俣病』(講談社)の刊行により注目される。
1973年、季刊誌「暗河」を渡辺京二、松浦豊敏らと創刊。マグサイサイ賞受賞。
1993年、『十六夜橋』(径書房)で紫式部賞受賞。
1996年、第一回水俣・東京展で、緒方正人が回航した打瀬船日月丸を舞台とした「出魂儀」が感動を呼んだ。
2001年、朝日賞受賞。2003年、『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2014年、『石牟礼道子全集』全十七巻・別巻一(藤原書店)が完結。2018年二月、死去。

「2023年 『新装版 ヤポネシアの海辺から』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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