1973年のピンボール (講談社文庫)

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著者 : 村上春樹
  • 講談社 (2004年11月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062749114

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1973年のピンボール (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

  • 人間が出てこない。
    人間が書かれているはずなのに、人間がいない気がする。稀薄。
    特に女性はいない、軽い、特徴的な双子だって、人間じゃない。
    男女の関係を自然なもののように扱おうとしているけれど、とても薄っぺらく、そもそも人間じゃない。
    人間がいないのに、人間の心を語っているようで違和感。

  • 鼠の感じてる焦りとか不安とか悲しさとか息苦しさとかわかるようなわかんないような
    彼女に何も言わずにさよならしちゃうような心境なんだろうね

    双子ちゃんがなごみでした
    配電盤のお葬式とかかわいいなー
    僕は相変わらずですね
    朝起きたらベッドに双子の女の子がいたら!いいなぁー

    20140102

  • デビュー作『風の歌を聴け』と、二作目の本作はまだ未熟だった頃の作品だから、と海外での刊行が一切されていないそうですが、その理由が分かった気がする。未熟というよりも、書きたいものとか今までの人生で考え続けてきたものがたまりに溜まって、それをなんとか形にして出さなきゃって思って、様々な表現を取りながら溢れ出ている、そんな感じ。物語として成立しているよりも、どっちかっていうと本当に真摯な告白のような、そんな気がする。これからの創作に向けてのパワーみたいなものがひしひしと感じられて、でも途方もない行き場のなさ(それも一種の今後のテーマとなっていくでしょうが)もあって、原点みたいなものを感じてわたしは好きだなあ。それにしても、わたしは女で、なんていうか、まあそれなりに一生懸命生きていて、悩んでいることに突き刺さるようなものが書いてあって、ほんとうになんだかなにが可能なのか分からない悲しさ、ほんとうに悲しくて眩暈がするような切実な悲しさを感じて、胸が痛かった。

  • 雰囲気が、とてつもなく好き。
    この小説の時代に行ってみたい。

    流れていく時代と、
    おいつけない自分。

    まだ捉えきれない、すべて。
    ただ、雰囲気が、凄く良い。

  • デビュー作「風の歌を聴け」から「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」までの初期三部作は語り手である<僕>と友人の<鼠>の 『三部作』および「ダンス・ダンス・ダンス」を加えて『四部作』と呼ばれている。
    この本では<僕>の話しと友人の<鼠>話しがパラレルに進行している。
    <僕>のガールフレンドの直子は3年前に自殺した。
    『スペースシップ』で<僕>がハイスコアを出して3年。
    『スペースシップ』はなくなり、<僕>は直子の死に捉えられている。

  • 作者を隠して読んでも村上さんの作品と当てられそうなほど濃い世界観のある作品。
    日常には起こらなさそうなことばかりだけど読んでいるとなぜか日常を感じる。
    また読もう。

  • 筆者の言葉を借りれば、この作品は出口のない物語かもしれない。俊逸なテーマ性や出来事が起こるわけではない。静謐でただ少し投げやりな退廃な世界が綴られる。小説としては良作とは言いにくい。

    しかし本作で使われる文章は美しい。小刻みで軽やかだけど深淵で哲学に富んでいる。一番にはならないがふとしたときに読みたくなる作品だ。

  • 内容紹介
    僕たちの終章はピンボールで始まった
    雨の匂い、古いスタン・ゲッツ、そしてピンボール……。青春の彷徨は、いま、終わりの時を迎える

    さようなら、3(スリー)フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との<僕>の日々。女の温もりに沈む<鼠>の渇き。やがて来る1つの季節の終り――デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く3部作のうち、大いなる予感に満ちた第2弾。

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    前作1970年から少し時間のたった世界。
    冒頭で、「僕」は29歳、「鼠」30歳と言うくだりがあるけれど、本文内ではたぶん「僕」24歳で「鼠」は25歳。

    この作品では「鼠」が自分の今後に立ち止まってしまっていて、もう25歳なのに、みたいな思いを巡らせるシーンもあるし。

    それに比べて「僕」は至極順調な生活を送っている。
    得体の知れない双子の女性を飼い(って表現はおかしいけどたぶんそのものだと思う)、翻訳の仕事をし、毎日淡々とながらやるべきことのある日常を送っている。

    双子と彼の会話がまた意味不明...
    まーったくかみ合ってないよね(苦笑
    いやもう、春樹さんじゃなかったら本投げてるわ(笑
    「なんじゃそりゃー」ってw

    メモってないのでどこって聞かないでねw
    読めば分かります、たぶんw

    にしても、前作が村上春樹の中でのご挨拶的作品とすると、今作はそこからいろいろと派生して今後のテーマやメタファーになりうるものがたくさん出て来たように思います。

    ノルウェイの森に出てくる「直子」さんも、ちら見せ。
    いや、この本でもすでにもう亡くなってるようなんです。
    ちゃんと読まないと因果関係がまだちょっと分からないのですが。

    「沼」とか「海」とか「川」とか水のメタファー、
    ピンボールに象徴される旧時代の輝き、
    出会いと別れ...

    この後の村上作品に通じるたくさんのものを見ることができる作品のように思います。

    双子の素性が気になるな~。
    どこかでまた出会うことがあるのでしょうか。

    物語の後半で、やっと?ピンボールの話が出てきます。
    この作品では「僕」と「鼠」の直接の関わりはなく、ピンボールの思い出として少し語られるくらい。

    ピンボールって正直パチンコ様のものしか浮かばないんですけどそれで正解ですかね?不安。

    でもピンボールと言う遊具が、このほんの少し前の時代のキラキラ感を象徴するアイテムだったんだろうな、と。

    そしてやっと求めたピンボールに出会えたとき、
    彼女らは暗く大きな倉庫にしまわれている...

    そのピンボールの行方も、作品に共通する退廃感と混じり合って全体の雰囲気を強調してる気がします。

    さて、次は大作と言われる「羊たちの冒険」。

    ピンボールを見つけた僕、旅に出た鼠。
    彼らがどのようになっているのか、再会を楽しみにしています^^

  • 物語としてはよくわからないけれど、僕も鼠も過去の思い出を失って、また新たな道を歩き始めたのかなと思う。
    こんな意味のわからない話を読ませられるのが、さすが村上春樹、という印象だった。

    僕とか鼠とかジェイに近い歳になれば、もっとわかるかも。

  • 追憶のピンボール1973

    なんとなく本屋さんで時間を潰さなくてはいけなくなり、色々と立ち読みした末に辿りついたのが、1973年のピンボール(文庫版)

    もちろん今までに数え切れないくらい読み返してきた一冊。

    最近久しく読んでなかったので、なんだか新鮮でした。

    ちなみにぼくはハードカバーでしか村上春樹を読んでこなかったので、文庫で立ち読みするというのがまたよかったです。

    ハードカバーのピンボールはまだ印刷も活版でなんだかいい感じです。

    もちろん立ち読みで全て読み切れるわけもなく、もちろん帰宅後本棚からひっぱりだして立ち読みの続きを読みました。

    何度読み返しても新しい感触があってじんわりします。

    初めてこの本を読んだとき、ぼくはまだ会社員でただただ毎日仕事終わりに村上春樹の小説をむさぼるように読むのが楽しくて。

    そんな時代のことも小説の内容とオーバーラップして、二重で心に染み入るものがありました。

    時を越えて、変わるもの。変わらないこと。

    忘れること。思い出すこと。

    そんな感情の揺れを味わいながら。

  •  私の中にある、漠然とした村上春樹のイメージにもっとも近い作品のように感じました。

     何がどうしたというほどのストーリーはないように思うのですが、ついつい引き込まれて読んでしまいます。

     私が思っているよりも深い中身があるのだと思いますが、そういうことを考えなくても、たっぷり楽しめる1冊です。

  • 登場人物同士の関係性がきわめて希薄な物語だった。「僕」と「鼠」とが、ほぼ交互に描かれるが、ほんのわずかな回想シーンで時間を共有するだけで、それ以外には全く交点を持っていない。また、「僕」が一緒に暮らしていた双子には名前がないし、208,209などと記号化してしまっている。「鼠」の相手にもやはり名前はなく、単に「彼女」と呼ばれるだけだ。表題にもとられたピンボールの無機質感や空虚感もあいまって、物語全体を一種のニヒリズムが覆うかのようだ。

  • 立て続けに村上作品読んでたときはだいぶ慣れて大丈夫だったけど…。
    久々に読んだら、読み進めるのが正直苦痛でした(笑)
    短いお話でよかったー。長かったら挫折してたかも。
    そんなわけで、むっちゃ流し読みしたせいか、意味をまったく理解できないで終わってしまった。
    「僕と鼠」シリーズ(?)の1作目なのに最後に読んだのが悪かったのか。
    でも「羊をめぐる~」に続く感じはわかったのでよかったかも。
    「羊を~」は内容覚えてるくらいおもしろかったんだけど、この作品は忘れると思う(-_-;)

  • きょう読了。村上春樹の初期作品?
    カフカがだめだったので、初期ならいけるか?と思っていたのだけど、こちらの方がもっとだめだった…。独り善がりさが、無自覚にさらけ出されていすぎる感じ。鼠の描写が短すぎる気がしたのだけど、これは意図したものかしら?
    私には、ハルキはやっぱりだめなのかなぁ。

  • この本を読む前は必ず「風の歌を聴け」を読み、この本の後は必ず「羊を巡る冒険」を読んできた。だから何度もこの本を読んでいるのに、印象が薄かった。
    そして10数年ぶりに読んで、やっとこの本の面白さが分かった気がする。この本にはその後の村上春樹作品をかたち作るするすべの要素が凝縮して収められている。二つの世界が同時並行で進む構成、無駄な位冗長な日常生活と風景の描写、そしてそこから感じられる風景、匂い、空気感、そして主人公の思い。自分探しのモラトリアムをずっと続けているだけの甘ったれに見えるのかもしれない。でも、やっぱり本当にやりたいことも見つけれず、今いる自分の立ち位置が世間的に認められているものなのに、酷く居心地が悪い。そして出て行ってしまう。突然欲しい物、やりたいことが見つかると行動してしまう。こんな価値観もひょっとしたらもう時代遅れなのかもしれない。
    ひょっとすると、この作品は村上春樹の最高傑作なのかもしれない。

  • この、村上春樹の二作目である「1973年のピンボール」がボクにとって今まで読んだ全ての本の中で一番好きな作品なわけだけど、まず第一に他の人に「これいいから読んでみ」とはあまりすすめない。この作品を読んだ人でも、「え?どんなんだっけ?」「そんなによかった?」という感想がほとんど。第二に自分でも、「ここがいい!」とはっきり言えない。

    ただ、いい。

    一作目の「風の歌を聴け」に続く、青春三部作といわれる作品の第二部な訳だけれど、一作目の設定を引き継ぎつつ、春樹ちんの作品として一作目から、一気に清澄している。(成長じゃなくて清澄。)一作目は処女作として、春樹ちんのそれまでの人生が一気にあふれ出したようなカオスを感じるのだけれど、二作目はそれが晴れてすっきりとしている。その分、せつな的な物悲しさをヒシヒシと感じることが出来る。

    鼠、双子の女の子、配電盤、ジェイズバー、コーヒークリームビスケット、ゴルフ場、スペイン語講師、そしてピンボール。。。
    全てが隠喩的で何かを問いかけてくる。自分にとっての鼠とは、双子の女の子とは、配電盤とは。。。つい考えてしまう。答がうすぼんやり見えているようではっきり分からないまま20年以上経ってしまった。
    そして、また再読してしまう。

    しかし、こうやって読み返してみてつくづく思うのは、村上春樹は初期から圧倒的に、比喩表現のうまい作家だったんだなあということ。一文いちぶんが美しく、それでいて流れがさらさらしているのに、読後におおきな澱が心に残る。

  • 実家に無造作に置いてあったのでつい手にとってしまった。
    そして読んでしまった。

    村上春樹の初期3部作(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」)の中ではこれが一番好きです。

    ちなみに、某大学院入試の面接時に、「村上春樹の初期3部作が~」というような話をしたら某教授に、「そうかー、若い人達の間ではあれはもう初期なのかー。」というような嫌味(?)を言われた思い出があります笑

    それはさておき、僕はあまり村上春樹について詳しくないので偉そうなことは言えませんが、この作品の何が良いと言われたら、双子が良いとしか言いようがないですね。

    僕も24年間生きてきたはずなんですが、双子と同棲できたことはまだ一度もありません。そして今後もないと思います。


    うーん、やっぱりそういう意味では、特に昔の春樹作品は、今で言う中二病の極地って感じなんでしょうかね。

    解説や分析を踏まえて作品を読めば感想は変わるのかもしれませんが、何かそれをやっちゃうと純粋に楽しめないような気がして・・・。
    頭からっぽにして、「こういうの良いな~」と読むものだと思います。少なくともこの3部作とダンスダンスダンスは。

  • ほんとに雰囲気小説だなあ。薄暗い閑散とした部屋で、古いシーリングファンの回る音だけが聞こえてくるような感じは嫌いじゃないけど。

  • ひんやりとした空気、リアルな温度が胸に届く。読むことで、別の世界に潜っていけるから好き

  • 物事には、入り口と出口、始まりと終わりがある。入り口は、何時の間にか通過しているもの。つまり、気が付くと、既にある世界の中に入っているのだ。その世界では、全てのものがすれ違って行く。虚しい。でも、出口を出る時は、この世界に対する懐かしさが襲ってくる。

    現実の閉塞感と、慣れから来る愛着。虚無感。
    独り立ちしたい気持ちと、寂しい気持ち。

  • 村上春樹初期三部作の第二弾。
    『風の歌を聴け』も『羊をめぐる冒険』も、学生時代に読んでいながら、この作品だけずっと読まずに今まで来ていました。
    著者の、まだ青さの残るノスタルジックな文章は久しぶり。

    タイトルに『1999年の夏休み』を連想しますが、当然ながら、全く違うストーリーでした。
    静かな悲しみと喪失感に満ちた物語。

    井戸や双子の女の子が象徴的に作中に登場し、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が、この小説の発展形となっていたことを知りました。
    この作品では、まだ象徴の兆しのような程度でしかありませんが、長い時間をかけて、イメージを膨らませ、彼の作品を語る上での重要なファクターとしての命を与え、大きく育てていったことがわかります。

    東京で過ごす僕と、故郷の港町に暮らす親友の鼠の二人を並行させて、話は進みます。
    恋人を失った僕と、恋人から離れる孤独感に苦しむ鼠、二人のメロウでアンニュイな感情が流れていきます。

    恋人を、おそらく彼女の死によって失った僕は、心の穴を埋めるように、憑かれたようにピンボールマシンに熱中しますが、そのマシンも、ある日突然失われてしまいます。
    再び別れを経験し、消えたピンボールマシンを探し回る僕。

    それは、出口の見えない閉塞した現在から脱出しようとしているようにも見えます。
    マシンとの思わぬ再会。異世界への入り口のような描写が印象的です。

    僕が、そうした出会い、別れ、再会、再別を体験している間、遠く離れた場所にいる鼠は、彼女の元を去り、なじんだ世界を離れることへの計り知れないおそれにおびえています。

    どちらも、今いる場所からどこか出口を探して、向かっていこうとしていますが、その先に明かりは見えず、全てが曖昧。
    なんとか変わっていかなくてはという焦燥感もあるのでしょう。
    見えない明日が闇にまぎれて忍び寄るよっていくなよるべなさも、文章から伝わってきます。

    癒えぬ喪失体験を抱えたまま、都会に暮らす二人。
    この初期三部作が、後に『ノルウェイの森』につながっていくのも、わかります。
    結論があるわけではなく、どこか未消化な感じで終了するのはいつものこと。

    『風の歌』と同じジェイズ・バーも登場します。オーナーのジェイは中国人だそう。
    『風の歌』にも記述があったか、もう忘れてしまったのか、思い出せません。
    さらに、バーをやっているのに一滴もお酒が飲めないと語られており、これは『風の歌』にはなかった記述です。

    最近の彼の物語を読んでから、初期作品に立ちもどると、文章はバランスに欠け、かなり荒削りで、方向性を決めあぐねているといった印象を受けますが、私は、まだ暴力的な気配が出ていない、やるせなさに満ちた初期作品の雰囲気の方が気に入っています。
    『風の歌』と『羊』を、久しぶりにまた読み返してみようと思いました。

  • 村上春樹の作品の中で一番初めに読んだ作品で、一番好きな作品。

    こういう空気の流れている小説を読んだことがなかったから、とても衝撃的だった。
    この本を読むまで、同じ本を何回も読むという習慣がなかったけれど、これはもう何回も読んでいる。

    ただ、この本が好きっていうのはなんとなく恥ずかしいんだよな。
    かんか、こう、「お前、アンニュイに浸る自分に、酔ってるだけだろ?」みたいな感じがして。

  • 心の隙間をうめてくれるような懐かしい匂いのする文章。

    過去の思い出が、映画のワンシーンのように描かれている。

    「配電盤のお葬式」と、3フリッパーのスペースシップに再会する場面がよかった。

  • ゲームをやるためにはゲームセンターか飲食店に出向いていかなければならない
    そういう時代の話だ
    引きこもりたくても引きこもれない時代の話である
    昔はまったピンボールが、昔の女みたいに語られる

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1973年のピンボール (講談社文庫)の作品紹介

さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との"僕"の日々。女の温もりに沈む"鼠"の渇き。やがて来る一つの季節の終り-デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾。

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