コッペリア (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062754453

感想・レビュー・書評

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  • 幻の人形、まゆらドールをとりまく物語。
    まゆら人形に魅せられた了。
    まゆらドールを生み出させる創也。
    人形のような美貌の女優、聖。
    人形を作り続ける、まゆら。
    それぞれの視点と時間軸が交差して、悲劇が起きる。

    バレエの「コッペリア」を題材にしている。
    このごろバレエついているのでなんだかうれしくて手にとったけれど。
    あまりにも入り組んで絡まるので、だんだんと混乱してくる。
    そこが罠なわけだけど、絡まりすぎかなあ。
    とにかく聖が可愛いかった。
    最後は彼女のがんばりのおかげか納まるところにおさまった。

    「みーんなそうなんだから。恋愛ごっこ、恋人ごっこ、家族ごっこ、仲良しごっこ…みんなそうやって、観客をだましているだけなのよ。」
    だとすれば、これまでの僕はルールをしらないままでゲームに参加していたことになる。

  • 非常におもしろかった。
    これまで読んだことのない感覚。

    人形に恋した男の話。見る者を魅了する人形と、それを作った人形師、そしてその人形にそっくりな女と、それに魅せられたら男。

    不思議な空気間で進む話。読み進めるに連れて徐々に引き込まれていく。

    人形という欠点を持たない理想の形に、所有者の自己を投影し、想像力から個性を持たせる。

    人と人形の関わり合いを通じて、他者に対する人の心の奥深くを垣間見ることができる。

  • 加納さんの作品にしては、暗い雰囲気の本作でした。

    人形作家の女性と、その人形作家の作った人形に生き写しの女性、
    そして人形に恋してしまう男性・・・が2人。

    正直、
    だーまされたー
    まさか登場人物がもう一人いたとは・・・

    ですが、トリックよりも良かったのは、ストーリー。

    この作品に出てくる男の人は、
    人形や女性に夢を持っているのに対して、
    女性は、常に現実を見ている。

    人形に魅入る人たちはかなしいですね。
    高橋克彦さんのドールズや
    藤田和日郎さんのからくりサーカスを思い出しました。
    また機会があったら読みたいなぁ・・・

  • 今頃お気に入りになったこの作者、4冊目。
    初めての長編だが、作者としても初めての長編だった由。

    天才的な人形作家、人形に惹かれる青年、人形とそっくりの女優、そのパトロン。
    青年と女優が交互に語るパートで進められ、第2章からはパトロンのパートも加わって進む話は、読み終えてしまえば結構凝った作りだったことも知れるが、そのトリックよりも寧ろ雰囲気の良さやヒロインのある種のかわいらしさのほうに惹かれた。
    これまで読んだ話とは多少テイストが異なっていたが、ほのぼのしたエピローグも含め、重苦しい話の割にはあまり暗くならなかったところは、この作者ならではか。

  • 子供の頃の愛読書に、タイトルうろ覚えながら「バレエ物語」というような本があって、要は有名なバレエの題目を少女むけに物語として読めるようにしたアンソロ的なものだったんですが、収録されていたのは「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「ジゼル」「コッペリア」「くるみ割り人形」等、今にして思えばどれもある意味幻想文学ですよね。その中でもとくに好きだったのが「コッペリア」。どうやら子供の頃から人形ものに惹かれる傾向があったようで、大人になってから元ネタのホフマン『砂男』も読みました。

    そんなわけで、タイトルに惹かれて手にとったのがこの『コッペリア』。タイトル通り、人形に恋した人間たちが繰り広げるミステリーです。アングラ劇団、球体関節人形作家と、わりと得意ジャンル(笑)が設定されていたので場面のイメージはしやすく、最後まで面白くは読めたんですが、これ一応、叙述トリックに分類しちゃっていいのかなあ、途中ちょっとした仕掛けがあって、それがイマイチ上手く機能してないというか、話を複雑というか煩雑に、判り難くしただけで、あまり必然性を感じられなかったのがちょっと残念だったかも。ストレートに書いても、十分面白い題材だと思ったのですが。

    ミステリーですが実は殺人は一つも起こらず、ゴシックな題材のわりにはハッピーエンドだったりして、読後感は良かったです。この作者の他の作品を読んだことがないのでよくわからないですが、本来ゴシック系でもダーク系でもない作家さんぽいので、これはこれで気持ちよく読めて良い反面、作家の持ち味とか関係なく題材に惹かれて読んだ身としては、若干の物足りなさも残ったかな。

  • 加納朋子のコッペリアを読みました。
    コッペリアという機械人形に恋した男のエピソードをモチーフにした小説でした。

    加納朋子の小説というと、等身大の若い女性がさわやかに描かれている物語が多いのですが、この物語のヒロインは美人で男を渡り歩く悪女なのでした。
    それに、精神を病んでいる人形作家、お金持ちの宝石商二代目、ヒロインをつけ回すストーカーなどがからんで物語が進んでいきます。

    このヒロインは天性の悪女ではなく自分が何をしているか自覚して行動している、というのが加納朋子らしい設定だと思いました。
    読後感はそれほど悪くありませんでした。

  • 人形が怖いのに、またもや人形のお話を読んでしまった。。。
    そして、ミステリーでは久しぶりに、見事に騙されました!

    家族を捨てた父の、「理想の家族への幻想」を打ち砕くことだけに
    生き甲斐を感じているアングラ劇団の女優、聖。
    自分が創り上げた人形に愛情の欠片も感じていないのに
    人がみな魅入られてしまうような人形を生み出す人形作家、まゆら。
    人形にしか興味がなく、人間の感情には無頓着な創也や、了。

    暗い過去を抱えた歪んだ登場人物のオンパレードで、
    「ん?加納さん、ダークサイドに走っちゃった?!」と思いましたが
    エピローグに、加納さんらしい温かさがしっかり加えられていて
    ほっとしました。

    ちょっと癖のある役者さんを揃えて、映像化してほしい作品です。

  • 恋をした相手は人形だった。
    完璧な『人形』に恋をした青年と、その人形とまるで同じ顔の劇団女優。
    彼女のパトロン、そして、人形を作り上げた人形師、まゆら。
    交錯する人々、ちりばめられた伏線がやがてゆっくりと一本になり、気付いた時にはやられてます。これは小説だからこそ成し得るトリック。完全なミステリーでした。
    初めて加納さんの作品を知ったのが本作だったから、後々これが加納さんの作品にしては異色であることに気付きました。
    でもこの巧妙なトリックと、最後はどこか爽快感のある結末は、やっぱり加納さんだと思います。脱帽でした。
    再読してより深くわかる作品。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「恋をした相手は人形だった」
      人形は空洞だから、音の響きが深くなるんだと思う。捕らえた魂を閉じ込めるために空洞なのかも知れない、、、だから人...
      「恋をした相手は人形だった」
      人形は空洞だから、音の響きが深くなるんだと思う。捕らえた魂を閉じ込めるために空洞なのかも知れない、、、だから人形に恋したら後戻り出来なくなる。フェリーニのカサノヴァのように///
      2012/03/21
  • エキセントリックな女人形師

    女人形師を見出して育てたパトロン

    母親から引き離された女人形師の息子

    人形を愛してしまった男

    そして

    人形と生き写しのように似ている女


    最初は怖かった。

    誰にも感情移入できなかったから。

    ただ、なぜそんな行動を取るのか理由を知りたかった。

    そして、一見関係なさそうな人たちをつなぐ糸を懸命に捜していた。

    その糸を探したい一心で読み進めた。

    読後は、怖かったはずなのに、希望の光がそこにあるという印象を受けた。

    パンドラの箱を空けたら、
    希望以外はみんな出て行ってしまったという光景があったとき、
    その「希望が残った」様子を、
    だから「希望がある」という見方もできれば、
    だから「世の中は希望以外のもので満ち満ちていて希望だけがない」という見方もできる。

    私は、基本的に、前者の見方をする。

    なにがあっても。

    それが、今まで私を支えてきた、と言っていい。

    だから、途中何があっても、そこが徹底的に奈落の底でなければ、希望を見る。

    いや、奈落の底でも、希望を見るかもしれない。

    生きていける。

    日常の中の小さな不思議がミステリーになるという普段の作風と違うとか、
    現実離れした設定が怖いとか、そういう途中は最後には気にならなくなっていた。

    彼女の作品は、いつも、生きていける、と思わせてくれるし、本作品もそうだった。


    最初は、自分とは無縁の世界だと思っていた。

    私は人形を作る者でもなければ、
    それに魅入られることもないし、
    人形を演じる者でもない。

    何かを表現することにかけて
    特に秀でた才能があるわけでもない。

    だからどこか壊れた人たち、
    何かに取り憑かれたような人たちの遠い世界のお話に思えた。

    だが、不思議なことに、読後から少しずつ少しずつ
    お話は、私のほうに近寄ってきた。

    私は、作品との距離感が近いタイプだと思う。

    その中の誰かに感情移入ができれば、
    設定がどんなにかけ離れていても、「私のお話」だと思うくらいに。

    その感情移入が、読んでいる間はなかなかできなかったのに、
    読後に少しずつ少しずつ進んでいったような不思議な感覚。

    人形や演劇といったものを表現という大きなくくりで見つめたとき、
    まゆらや聖の気持ちが私なりにわかるような気がしたのだ。

    一見対極にあったはずのまゆらのことを聖が誰よりも理解したのも説得力があった。

    何かを創造する/表現するとき、
    その創造物/表現を認めて欲しいと思うと同時に、
    根っこのところでは、「私自身を見て」という気持ちがある。

    かといって、簡単に誰にも彼にも
    核心に至りつかれるのはいやなような気もする。

    簡単にわかったなどとは言われたくない、
    わかる人がわかればいい。

    だけど、わかってほしいと願った人には、
    創造物/表現だけじゃなくて、
    「私ごと」わかってほしいのである。

    だが、人がどうにかできるのは自分だけである。

    相手に期待をして、その期待が外れることほどつらいことはない。

    たとえ互いに思いあっていたとしても、
    その思いの表現の仕方が望みどおりではなかったとき、
    相手への役割期待がお互いにずれていたとき、
    相手の役割期待に応えることでしか側にいられず、
    しかもどんなに頑張っても望むようには愛されないと気づいたとき、
    そして、自分が望むポジションを他の者に易々と奪われたとき。

    読後になって、最初に「この人、嫌い」と思った
    まゆらに最も感情移入できる自分に気づいてしまった。


    私にとって、加納作品は7冊目なのだが、
    共通して流れているものとして好きな特徴がいくつかある。

    それは、言霊や名づけを大切にすること。

    登場人物の名前はいつもとても大切に名付けられている。

    本作でも、了も聖子も自分の本名が嫌いという設定になっている。

    それにはちゃんと理由があって、
    背景として、自分を愛していないことや、
    親を許していないことなどがある。

    でも、それはストーリーの中で解消されるのだ。

    主人公たちが思っていた思い込みを、ひっくり返す。

    そうだったのかと気づいたときの彼らは、
    名前を愛し、自分や親を許せるようになっている。

    それがいつも共通のメッセージとして入っているように、私には思えるのだ。

    また、著者は、言葉や表現に思いを込めるとき、
    それが現実を動かしうることを信じているのだと思う。

    その言霊現象がネガティブに働いた場合、主人公たちは、
    自分の口に出した思いや、口に出さなかった深い思いが、
    現実を動かし、人を殺しさえしたのではないかと、慄く。

    子どもであればあるほど自分のせいなのではないかという気持ちを持ってしまうし、
    それがトラウマになれば心にも大きく影響する。

    その根っこに持ってしまった、
    自分は誰かを殺してしまったのではないか、
    生きていていいのかという
    根源的な存在に関する問いに大きな肯定で答えてくれるのだ。

    存在の根源的な問いを肯定するのもまた、言葉である。

    生きていていいんだよというメッセージを返してくれるのだ。

    エキセントリックなような行動だって
    こんな意味があったんだとわかると
    いとおしくさえなってくる。

    お互いの思いの底にあるものに気づけたとき、
    新しい関係を築こうとお互いが思いさえすれば修復可能であること。

    パンドラの箱の底に残っていた希望は、
    やり直そうと思えばやり直せるという希望だったのだ。

  • タイトルで買った本だったけど大正解でした。これは面白い。入り組んだ物語が収束していく様が最高に面白い。だからミステリは素敵で止められない、と思う。ラストが凄い好き。人形の存在が際だってこの物語の存在感をくっきりとそれでいて幻想的に仕上げている。すごいよー。

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著者プロフィール

1966年福岡県生まれ。’92年『ななつのこ』で第3回鮎川哲也賞を受賞して作家デビュー。’95年に『ガラスの麒麟』で第48回日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)、2008年『レインレイン・ボウ』で第1回京都水無月大賞を受賞。著書に『掌の中の小鳥』『ささら さや』『モノレールねこ』『ぐるぐる猿と歌う鳥』『少年少女飛行倶楽部』『七人の敵がいる』『トオリヌケ キンシ』『カーテンコール!』『いつかの岸辺に跳ねていく』『二百十番館にようこそ』などがある。

「2021年 『ガラスの麒麟 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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