- Amazon.co.jp ・本 (480ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062754699
感想・レビュー・書評
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「週刊秀峰」に大手新聞社である東西新聞に『誘拐犯の娘を記者にする大東西の「公正と良識」』という衝撃的な見出しでスクープ記事が載ったことから、この物語は始まります。
その誘拐事件は、20年前に発生し、犯人2人が身代金を受け取りに来た所を追跡していたパトカーの前でガードレールを突き破って転落死を遂げて。犯人は死亡し、誘拐された当時生まれたばかりの男の子が見つからず、亡くなったと思われていた事件です。
その誘拐犯には当時2才になる女の子がおり、優秀な成績で東西新聞の最終テストである役員面接まで進んで内定が出ていました。その女の子・朝倉比呂子が、この週刊秀峰の記事で入社を辞退し、就職をあきらめて養親の焼き鳥屋で働くと言いだします。
東西新聞は、何としてもこの優秀な朝倉を入社させようと社長自ら説得しますが上手く行きません。そんな時に東西新聞社主から、この事件を調べるように指示が来ます。調べだすと驚愕の新事実が出てきます。
【読後】
あとから気が付くと、最初から誘拐犯の娘と誘拐された男の子が友人として登場していたのにはビックリしました。この誘拐事件は、驚くべきことに3組の犯人がいたのです。1組2人は、誘拐事件を知りそれを利用して病院から身代金を脅し取ろうとした者たち。
その指示で実際に身代金を受け取りに行って亡くなった2人。それとは別に、男の子を誘拐した妻とそれを知った夫、妻が死んだあと誘拐された男の子と知りつつ我が子として育てます。警察は、身代金を受け取りに来た1組しか見ていなかったですが、実際は3組が複雑に絡まっていたのです。
展開が早く、驚愕の組み立てで、次々とページを先に先にと読んで行くのが楽しくなる本でした。この本は、著者赤井三尋さんのデビュー作で第49回江戸川乱歩賞受賞作です。
赤井三尋さんの本を読むのは初めてです。
【音読】
2022年1月2日から1月15日まで、大活字本を音読で読みました。この大活字本の底本は、2006年08月発行の講談社文庫「翳りゆく夏」です。本の登録は、講談社文庫で行います。埼玉福祉会発行の大活字本は、上下巻からなっています。
翳りゆく夏
2016.12埼玉福祉会発行。字の大きさは…大活字本。2022.01.02~15音読で読了。★★★★☆
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【バックナンバー】
赤井三尋さんのバックナンバーは、私の本棚より「タグ」→「タグの一覧を絞り込む」に「赤井三尋」と入力。または、その中から赤井三尋を探してください。そうすると著者赤井三尋さんの本が一覧表示されます。私は、本を登録するときには、著者名と登録した年(2022)で登録しています。冊数が多いシリーズ本については、シリーズ名でも登録もします。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
江戸川乱歩賞受賞作という小説だったので買った一冊。
20年前の事件を再調査する話
登場人物が多く、話もちょっと複雑な話だなと思ったが、文章がわかりやすくよみやすかったので、理解力のない自分にも話の内容がよくわかった。
意外な人物が犯人だった
ただ残念なのは、事件の真実はわかったが、それに関わった人物のその後が書かれてないから気になる。
暗い物を持っている人物が多いなと思ったが、事件の真実がわかり、それぞれの人物がいい方向に人生が進むといいなとふと思った小説でした。 -
物語の本筋の前の段階が長くて、ちょっとしんどかったけれど主人公の梶が核心に近づくにつれて、読むスピードも加速した。いくつかの出来事が重なってあの様な結末を迎えたのは不幸でしかないし、真相を知ったところでスッキリはするけど、救われる人があまり居ない感じなのも悲しい。
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最後まで読んで「あぁ・・・!」となる作品。
過去に起きた誘拐事件の関係者が大手新聞社に新卒内定。
その事実が記事となって明るみになったことから過去にさかのぼって、事件の真相に近づいていく窓際社員。
単なる誘拐事件ではなかった、切ない人の心理が巧みに表現されており推理小説というジャンルを超えた楽しみが得られる作品。
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20年前に起きた誘拐事件。
容疑者は逃走中に死亡し、誘拐された子供の行方はわからないまま事件は終わった。
大手新聞社に容疑者の娘が内定したが、週刊誌にスクープ記事として掲載されてしまう。
内定を辞退しようとする娘に対して、新聞社の社主は思いとどまるように説得をする。
同時に、当時の誘拐事件の再調査を窓際記者である梶に命じる。
娘の入社に何故これほどまでにこだわるのか。
社主の思い入れがいまひとつ説得力に欠けてはいたけれど、張り巡らされた伏線と描写のリアル感がさすがに乱歩賞受賞作だと感じた。
忘れ物を取りに戻ったときに見かけた奇妙な光景。
交わされた会話に隠された真実、結末への助走はみごとだった。
最後のエピローグは必要だったのだろうか?
せっかくの余韻を乱されたような気がしてしまった。