凍りのくじら (講談社文庫)

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著者 : 辻村深月
  • 講談社 (2008年11月14日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062762007

凍りのくじら (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

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  • なぜ、自分はこの世に生まれてきたのだろうか。

    高校生の芦沢理帆子は尊敬する漫画家、藤子・F・不二雄先生の創作姿勢

    SF。Sukoshi Fushigi(少し・不思議)

    に、なぞらえて周囲の人間たちを「スコシ・ナントカ」で分類している。
    どこのグループにも所属でき、どんな場所や友達にも対応可。
    しかし心から他人とふれあうことはなく、自分自身を(少し・不在)と捉えている理帆子。
    そんな理帆子に昔の自分を重ねながら読んだ僕は(少し・不健全)だろう。

    生まれて初めて買った漫画は『ドラえもん』の5巻か8巻だったと思う。
    収録作品は覚えていないが、巻末に「ひみつ道具図鑑」が載っていて、それが目当てだった。
    小学校一年生のとき、母親に児童書を買うという名目で初めて小遣いをねだり本屋へ向かったが、目的の物が品切れで出来心で漫画を買ってしまった。
    後ろめたさもあり机の下に隠していたが、それが母に見つかり尋常じゃないくらい怒られた。

    欲しいひみつ道具は特になかった。
    僕はタイムマシンそのものよりも、そこにつながる机の引き出しに魅力を感じていた。
    「コーヤコーヤ星」に通じる畳の裏側や、単純に、ドラえもんが眠る押し入れの二段目に入りたかった。
    「どこでもドア」ではダメだった。
    現実に連なるどこかではない、ここではない夢の世界に行きたかった。

    (少し・不機嫌)な母と(少し・浮遊)な父は、おそらくその頃から(少し・不仲)で、僕らは(少し・フェイク)な家族だった。

    親の不仲や家族の断絶で、子供は自分の存在意義の危機に直面する。
    具体的に言語化できなくても、あるいはそうであると意識できなくても、深層心理で確実に感じるはずだ。

    なぜ、自分はこの世に生まれてきたのだろうか。

    (少し・不健全)な僕は、理帆子の「元カレ」若尾大紀にも少し気持ちが入ってしまった。
    理帆子に藤子先生がいたように、若尾にも『ドラえもん』がいてくれたら良かったのに。
    楽しい空想の世界に逃げ込めた僕は幸せだった。
    もし自分に『ドラえもん』がいなかったらと考えると、ぞっとする。

    美也のような存在に憧れる。

    一年に一度あるかないかくらいの飲み会で出会った、ひとつ年上の兄貴分がいる。
    何事にもまっすぐで、大いに笑い、大いに怒り、大いに泣く。
    いうなれば「きれいなジャイアン」だ。
    ある時、僕は酔いにまかせてこう言った。
    「◯◯さんと僕は全然タイプが違う。うらやましいですよ。◯◯さんと友達になれたらなぁ」
    そうしたら彼は何のてらいもなくこう言った。
    「あれ、俺たち友達だろ?」

    友達の定義についてあれこれ考え「自分には本当の友達はいない」と思っていた人間には、かなりの衝撃だった。
    こういう人にはやっぱりかなわない。
    僕が結婚する際には、友人知人をかき集め店を貸し切り、盛大なパーティーまで開いてもらった。
    みんなの前で一発芸をムチャぶりされ、もぞもぞやっていたら「なにやってんだ」と回し蹴りを喰らった。
    あとで「ちょっと盛り上げようと思っただけだから、ゴメンな」と謝られた。
    ジャイアンだった。

    『ドラえもん』で一番好きなエピソードは、昔から変わらず『のび太の結婚前夜』だ。
    この話を読んだり観たりするだけで目頭が熱くなる。
    未来の高層ビル群の狭間に残る「剛田雑貨店」の二階で酒を酌み交わす悪友たちの友情がいい。
    ちゃんと出来杉君がいるのもいい。
    そして、なんといっても普段は影の薄いしずかちゃんのパパが、娘に語りかける言葉にぐっとくるのだ。

    『凍りのくじら』は、父から娘へと「光」が受け継がれる物語でもあった。
    芦沢理帆子が浴びた光と同じものを、僕もいつの間にかいろんな人から照射され、いまここに存在している。

    この本は、もうすぐ三歳になる娘が昼寝をしている横で読み終えた。
    あどけなく、少し、いや「Sugoku・Fairy」な顔で寝息をたてているのを眺めていると、幼い頃から抱いていたあの疑問の答えを垣間見た気がした。

  • 私はことあるごとにいろんな人に言ってるんですけど、
    「この世の中のあらゆるフィクションに置いて、伏線の貼り方と回収の仕方が一番上手い話はドラえもん」だと思うんです。
    特に大長編の方。
    私が子供の頃一番初めに見た大長編ドラえもんは『魔界大冒険』でした。
    冒頭で、のび太やどらえもんそっくりの謎の石像が出てきて、動いてるようにみえたりもして、なにこれ…と思うのですが、のちにそれがぴったり話に絡んできたときの驚きといったらなかった。
    あとは『竜の騎士』も伏線と回収が見事な話だと思います。行方不明のスネ夫から始まり、謎の四角い空間のあたりとか。
    上げたらきりがないんですけど、『日本誕生』や『パラレル西遊記』なども大好きで何度も見ました。
    そして『天の川鉄道の夜』をミステリーと評していたように、ドラえもんは優れたミステリー作品でもあり、ギャグでもあり、童話のような訓示もあったり、家族や恋愛のことも書いてあるすごい話だと思うのです。
    ドラえもんはこんなにすごいぞ、ということが文中にこれでもかと書いてあって、いちいち納得。
    大長編といえば、もちろんこの話の中に出てきた『海底鬼岩城』も大好きです。子どもの頃はインパクトのあるキャラであるバギーちゃんに感情移入したのですが、この作品では触れられていませんでしたね。ストレートな魅力(バギーちゃん)を通り越した先の話をしてるあたりに、理帆子のドラえもんへの造詣の深さを感じたりしました。
    藤子先生を呼ぶ時に「先生」をつけたくなるという部分もまったく同じです。

    ドラえもんを抜きにした部分について。
    若尾のキャラが嫌だった。
    『鍵のない夢を見る』の『芹葉大学の夢と殺人』に出てきた雄大のような、悪いことはすべて世間のせいにして、自信過剰でそのくせ小心者のいやらしさ。
    しかし主人公の理帆子はこんなダメキャラに救いを求めてしまうところが切ない。
    そんな若尾を理帆子が吹っ切ろうとしてからの若尾の暴走は嫌だし怖かったです。
    第7章には『ツーカー錠』というタイトルが付けられており、このツーカー錠というのは『心が通じ合う薬』なんですけど、若尾の想いが一方的にメールで送られてきて、理帆子が取り合わないさまは皮肉なタイトルだなぁと思いました。

    別所あきらについて。
    実は『光』と書いて『あきら』と読む知り合いがいるので、中盤で彼の正体に気が付いてしまった。
    気が付いてから、二人がイタリアンレストランで食事したシーン(p89~)を読み直すとけっこう不気味ですよね。
    物を食べるシーンが一人分しか書かれていなかったり、隣の席のカップルがチラチラ見てたり…。
    プレゼントを買いに行くシーンがありますけど、あれは理帆子のお母さんへのプレゼントで、お父さんが北大に進学するときにお母さんに「付いてこないか」と頼んだとあり、その時にあげたのでしょうか(明示されてなかったように思いますが読み飛ばしてますかね?)。
    理帆子と母親の家族愛についてはおまけ要素のようなものだとは思いますが、最後に決着がついてよかったと思います。

    最後に郁也。
    理帆子が彼につけた「スコシ・ナントカ」は明示されていませんでした。
    いろんな方のレビューを拝見していてしっくりきたのは『スコシ・Family』と『スコシ・Flying』かなぁと思います。
    それ以外で自分で考えたのは『スコシ・Future』です。
    正解は何なんでしょうね。

    メフィスト賞を取られた方の作品はどれもそうなんですが、長くて読みごたえがあります。
    機会があれば次も読んでみたいと思います。

  • ブクログのどなたかのレビューを見て興味を持った、辻村深月の初読。
    藤子・F・不二雄へのオマージュ…大事なことは、全て『ドラえもん』と藤子先生から教わった…といえばいいか、
    現代女子高校生への応援歌…痛かったら泣いて、苦しかったら、助けてって言っちゃえばいいんだよ。きっと誰かがどうにか、力を貸してくれる。もう嫌だって、逃げちゃえば、いいんだよ。そうすることだって、できるんだよ…といえばいいのか。
    文庫本568頁も思いのほか、すんなりと読み終えた。
    少し、ファンタスティック!

  • 2005年の作品なんだけど、今出会ってよかったなと思えた本。
    解説で瀬名秀明さんが「主人公に共感する人は少ないかもしれないが、ドラえもんはみんな好きだよね」というようなことを書いていた。
    私は逆。実はドラえもんがあまり好きではないのだ。映画版ならまだいいんだけど、アニメのドラえもんはいつも見ていてイライラする。のび太があんまり好きじゃないんだな。コミックは読んだことがない。
    それよりも、理帆子の「回りから常に距離を置く」生き方に深く共感した。自分にもそういうところがある。
    だから、若尾との関係をきっぱり絶たなかったところは、わかるわかる、と思ってしまったんだなあ。
    たぶん、「どうでもいいんだ」と見下しているから、あんなふうに誰とでもあっさり付き合えるんだろう。
    でも、理帆子の本心は全然違ってた。だって、ドラえもんを愛し、藤子先生を敬愛しているんだから。そんな人が、心の底からあんなふうにドライに振る舞えるはずがない。なんだか無理してるよなあ、無理やり自分に言い聞かせてるよなあという痛々しさがずっとあった。
    だから、終盤、ようやく自分の本心に気づいてくれて、ほっとした。お母さんが亡くなるあたりの取り乱しぶりは、まるで自分のことのようで泣けてきた。
    他のレビューを読むと、かなり早い段階で「別所あきら」の正体に気づいている人が多いのだが、私は最後までわからなかった。種明かしの一文を読んできょとんとしてしまったくらいだ。え、そこだけはそういうテイストなんですか?って感じ。
    人に対する関わり方がとても素敵で、いいなあと思っていただけに、ちょっとショックだった。
    まあしかし、「スコシフシギ」だからそれでいいのか。
    ラストは、天空から一筋の光が差し込んできているような雰囲気で、とてもよかった。

  • 読んだ。やっと読めた。
    読みにくい訳でも、つまらない訳でもないのに、なかなか最後まで読めなかった。
    季節はほとんど夏の設定なのに、重い、冬のような重さのストーリーだった。

    私は辻村さんの本を読む時、主人公の女の子に共感できないことが多い。自分とはタイプが違う。でも、リアリティーがあるから、話に惹かれる。

    序盤の若尾が登場する場面でも、「そんなに嫌なら別れればいいのに」とすごくもやもやした。結局、必要としてるから、若尾にとっての勉強のように、甘えがあるから、よりどころのような存在だから、一緒にいるのだと思う。
    そしてそれがわかっていても、離れられないのだろう。似たもの同士の理帆子と若尾。


    すこし・不在か。私自身も、よく状況を客観的に見る癖があって、自分の身に起きたこともどこか自分のことではないような、他人事のように思うことがあるので、よく分かる。それを抜け出したいと、ずっと思っている。ちゃんと自分のことだと、自分がこの人生の主役なのだと、思いたい。


    私が一番好きなのは、郁也。賢くて、とても我慢強い子。理帆子には郁也がいてよかった。
    別所が芦沢光ではないか、というのはずっと思っていたので意外ではなかったけれど、光=あきらだとは。

    強く美しい光を放つテキオー灯を浴びた理帆子は、もう不在ではない。

    とても良いSFだった。
    (20130818)

  • ようやく私のところに「凍りのくじら」が!ふみちゃん!郁也くん!この時期を乗り越えて「名前探しの放課後」では素敵な高校生になったのね。

    本を読むことは私にとって生活の一部だし本に教えてもらったこともたくさんあります。

    高校生ぐらいって理帆子みたいに自分をある意味で特別だと思ってみたりするよね…本を読まない皆よりも色んなことを知っている自分を大人のように錯覚したり。実際はそんなことないのに。

    著名な写真家である父の自殺とも言える失踪、母も癌に冒され余命僅か…自らを「少し、不在」と感じている芦沢理帆子は、新聞部の別所あきらと交流するうちに心を開くようになり…

    父や母、大好きな藤子先生のことも、ドラえもんのことも話せる、この新しい友人の正体は…。

    カワイソメダルと先取り約束機を持った理帆子の元彼若尾の狂気が怖い。
    ここまでじゃないけどこの手のタイプに執着されて怖かったこと、あったなぁ。

    どくさいスイッチを「鈍臭い どんくさい どくさい(関西弁?)」と勘違いして

    ドジっ子になるスイッチだと思ってた…ドラえもん、観たくなりました。

    個人的にはどこでもドアとあんきパンが欲しいです!

  • さすが、ドラえもんファン。各章は、ドラえもんの出す道具の名前になっていました。
    それだけではなく、ドラえもん、そして、藤子・F・不二雄さんは、物語の鍵になってます。
    こんな風に、物語に絡ませることができるんだなぁ~と、ちょっと感動。
    自分の知っている道具が出てくると、なんだか嬉しくなりました。

    藤子・F・不二雄さんが言ったという、「SF」=「S(少し)F(ふしぎ)」という言葉から、主人公の理帆子は、「少し・○○」という表現をよく使うのですが、
    その言い方を借りるなら、この作品は俺にとって「S(少し)F(フリージング)」、そして「S(少し)F(不意打ち)」です。
    (フリージングはぞっとするとか、凍るほど冷たいとか、そんな意味の英単語です)

    「少し・フリージング」と思ったのは、氷海に迷い込んでしまったクジラや、母との関係、友達、元彼、話せない少年など、
    それぞれのエピソードの芯となる部分に触れるたびに、何だか背筋が凍るような感覚になったから。
    普段人があまり踏み込むことのできない、奥底へ迷い込んでしまったような、
    見つけた芯があまりにも繊細で、触れたら壊れてしまいそうな、
    そんな気がしたからでしょうか。
    でも、不思議なことに、どれだけひやっとしても、最後には必ずあったかくなる。
    いいな、あったかいなって思えることが、散りばめられている。
    だから「少し・フリージング」=「結構あったかい」ってことです。

    それから、「少し・不意打ち」だと思ったのは、こう、ハッとさせられたから。
    そこまで突然というわけではないけど、ちょっと心臓に悪い。
    しれっと、ポロっと、つづられているその文章に、ドキッとしました。
    (どんな文章かというと、いろいろ(笑) 読んだ人によって違うと思います)
    それと、ある人の正体がわかった時、ずっと薄々と違和感はあって、いろんな可能性を考えていたけど、やっぱり少し不意打ち。
    嗚呼、やられたなぁって感じ。

    あれはどうなったんだろう、これはどういうことだったんだろうと、明確な答えが示されていない事柄もありましたが、
    何となく想像ができるし、ヒントもある。
    自分なりの答えを、そして、結末を考えたいと思います。

    基本的に電車での移動中に読んでいたので、途中泣きそうになったのをこらえるのが大変でした。
    これ以上はもう無理・・・!!!!!ってところで、慌ててそのページ飛ばしてしまった(笑)
    家に帰ってから読んで、一人じっくり泣いたけど何か・・・?(笑)

  • ここしばらくは辻村深月さんを読み続けよう!と決意させてくれた作品。

    本を読むことで自分が構築されたと自負し、思考に特化することで、いつも遥か高みから周りのみんなを見下している理帆子。

    自分の頭の良さを自覚している早熟な少女にありがちな自意識過剰ぶりには目をつぶるとして、目上の人やお世話になっている人までも心の中では呼び捨てにしている彼女に、前半はなかなか感情移入できなくて苦しみました。

    でも、素直に語りあえる相手となる別所あきらに出逢い、母との別れや自分の不遜さが招いた事件を通して、「ほんとうは誰かと繋がりたい自分」に目覚めていく後半は、どんどん理帆子がいとおしくなってきて・・・

    考えてみたら、小難しい本をいっぱい読んでいても、愛読書ベスト1に「ドラえもん」を挙げる理帆子が、根っこに泣きたくなるような純粋さを抱えているのは当然といえば当然だったんですね。

    おとうさんと、敬愛する藤子先生と、ドラえもんの愛に満ちた「テキオー灯」に照らされた理帆子が、写真を通して同じようにあたたかい光を、少しでも多くの人に届けられますように。

  • 自分自身、漫画の「ドラえもん」を読んで育った世代だし
    そこに流れる哲学や
    優しい世界観が好きなので、
    かなりハマりました(^_^)


    人を見下しているような理帆子の性格には
    最初好感が持てなかったけど、
    読み進めるうちに
    殻に閉じ籠っていた
    10代の頃の自分を見ているようで(汗)
    自然と物語に引き込まれていきました。

    ミステリーとしての要素を上手く盛り込みながら、
    母から父や娘に贈った
    最後のラブレターや、
    ラスト近くに明かされる衝撃的な展開には
    かなり込み上げるものが…(ToT)?


    物語は新進気鋭のカメラマンである
    25歳の主人公・理帆子の回想から始まり、
    高校2年生だった頃の
    彼女の日常が描かれていきます。


    父は失踪し
    理帆子は病気の母と二人暮らし。


    父が大好きだった
    「ドラえもん」を愛し、
    漫画や小説を読むことにしか
    夢中になれない。


    誰といても
    そこを自分の居場所だと思えない、
    どこにいても
    どこか不在な女の子。

    きちんとその場に存在して、
    そこで生きてる人たちが
    羨ましくて怖くて
    いつも気後れしている。

    そんな彼女が
    写真を趣味とする不思議な青年や、
    言葉を話せない少年と出会い、
    今までの対人関係や
    家族との関係を見つめ直し、
    少しずつ癒されていきます。


    しかしその影で同時進行する
    ストーカー的な元カレの存在が
    本当に怖くて痛くて、
    やがて理帆子は
    どうしようもない事態に追い詰められていきます。


    しかしこの作者は
    心理描写が抜群で
    人間を描くのが本当に上手いですね。


    本当は一人が怖くて
    誰かと生きていきたい。
    必要とされたいし、必要としたいと願う
    理帆子の叫びが
    丁寧に描かれた行間から聞こえてきそう。



    本当に大事なものを失くして
    どうしようもなくなって初めて
    人は後悔する。


    大切なものをなくした時
    人はどう乗り越えて行けばいいのか、

    自分を好きになれない全ての人に
    読んで欲しい小説です。



    『誰かと繋がりたいときは、すがりついたっていいんだよ。相手の事情なんか無視して、
    一緒にいたいって、それを口にしても…

    痛かったら泣いて、
    苦しかったら、助けてって言っちゃえばいい。
    きっと誰かが力を貸してくれる。

    もう嫌だって、逃げちゃえばいいんだよ。
    そうすることだって、できるんだよ』

  • 『ぼくにとっての「SF」は、サイエンス・フィクションではなくて、
    「少し不思議な物語」のSF(すこし・ふしぎ)なのです』

    5年前に失踪した父が敬愛していた藤子・F・不二雄先生の言葉に習って、自分や他人に「すこし・ナントカ」という「個性」を与える主人公、芦沢理帆子。高校生にしては達観した考えを持ち、周りを馬鹿だと見下す癖があり、本人もそれを自覚している。誰に対しても本音を言わない、どこにいてもそこを自分の居場所だと思えない、だから理帆子が自分に与えた個性は「Sukoshi Fuzai(すこし・不在)」

    そんな息苦しい生活の中、写真を撮らせてほしいという一人の青年と出会い、理帆子は誰にも見せたことのない一面を見せていく。


    もうすでに辻村作品いくつか読んじゃったんですけど、読むならこれが一番最初だと今さら知って慌てて手にとりました。
    正直、理帆子の女子くささに辟易する場面がいくつもあるのですが、そこがまた怖いもの見たさというか(笑) 若尾が堕ちていくのを見ていたいという理帆子と同じ心理なのかなと思ったり。
    隠された「仕掛け」には早い段階で気づいていました。
    辻村作品を読むのがこれが最初だったら気付かなかったかもしれないけど、わりとわかりやすいのではないかなと思います。

    汐子さんの遺したメッセージに鼻の奥がツンときました。

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凍りのくじら (講談社文庫)の作品紹介

藤子・F・不二雄を「先生」と呼び、その作品を愛する父が失踪して5年。高校生の理帆子は、夏の図書館で「写真を撮らせてほしい」と言う一人の青年に出会う。戸惑いつつも、他とは違う内面を見せていく理帆子。そして同じ頃に始まった不思議な警告。皆が愛する素敵な"道具"が私たちを照らすとき-。

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