ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

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著者 : 辻村深月
  • 講談社 (2009年4月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062763301

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ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

  • エピローグの衝撃。
    彼は本当に恐ろしい相手に立ち向かっていたのだと気付く。
    自身の「力」ひとつで。
    「ぼく」のメジャースプーンで。

    たとえば、それを「悪」と呼ぶのであれば、悪とは過剰なものではなく、むしろ欠落であるような気がする。
    愛や敬意や美意識、その他いろいろな生活や心を豊かにする感情。
    人間を人間足らしめているものの欠落。

    主義や主張、方向性の違いで衝突するのであれば理解できる。
    でも、何かが足りない人と向き合う自信はない。
    極道の親分は恐いとは思うが、まだ話せばわかる気がする。
    それよりも、たとえば花壇にカップラーメンの食べ残しを容器ごと捨てていく人間のほうが、僕は恐ろしい。

    小学校二年生にして、すでに心に「メジャースプーン」を持つ少女、ふみちゃん。
    もし僕が同級生であったとして、彼女のその魅力に気付くことができるかといえば怪しいところだが、いま身近にこんな娘がいたら確実に好きになっていただろう。
    それだけに「犯人」に、ふみちゃんのことを「萌える」「萌えない」といった尺度で判断された瞬間、煮えたぎった液体が胸までこみ上げてくるようだった。

    透明な石がついたキラキラに輝く三本のスプーンと、百円ショップで叩き売りされているような安物のスケール。
    大切なのは生きてきた時間の長さではない。
    その時間をどのように使ったかということだろう。

    哲学の基本は対話であるというが「秋先生」と「ぼく」の一週間のレッスンは、まさに師匠と弟子のそれである。
    罪と罰、生命とは、裁判と量刑など正解のない問答に、読んでいる僕まで深く考えさせられた。
    ミステリ、エンタテインメントとして単純に読んでも面白いのに、この趣向の中に深遠なテーマを織り込んで、尚かつどちらの魅力も損なわない辻村深月は本当に凄い。

    ふみちゃんからメジャースプーンを譲り受けていた「ぼく」は、すでに認められていたはずだ。
    それを持つ資格があると。

    料理の苦手な人ほど調味料を量らない。
    腕のいい料理人でも最初はきっちり計量カップやスプーンを使い、しっかりと基本を身体に染み込ませていく。
    そうして身体の中に自分なりの尺度を作り上げていった上で、はじめて「適当」や「いい加減」ができるのだ。

    僕のメジャースプーンは輝いているだろうか。
    欠けて狂ってはいないだろうか。

  • かなり前に読んだ本で、
    自分が初めて
    辻村さんの小説に触れた一冊。

    頭の中では
    読んでる間中ずっと
    the pillowsの
    「My girl」が流れてました。


    どんな言葉より
    どんな光より
    僕を救ってくれた女の子
    キミに会いたいな
    キミに触れたいな
    だけどたぶんもう
    別人みたいさ

    my girl
    come back to me…




    っていうやつ。



    若い作家だとは聞いてたけど
    丁寧に丁寧に心理描写を重ねた
    エモーショナルに胸を打つ構成に、
    駅のベンチであるにも関わらず
    込み上げてくるものを抑えられなかった。

    それくらい衝撃を受けた作品です。



    相手を縛る不思議な力を持った
    小学4年生の「ぼく」。

    「ぼく」の同級生で、
    分厚い眼鏡をかけ
    頭脳明晰でうさぎ好き、
    みんなから慕われるも
    凛とした一匹狼の
    ふみちゃん。


    ある日、
    学校のうさぎを
    バラバラにするという
    猟奇的事件が発生。
    誰よりもうさぎが好きで世話をしていた
    第一発見者のふみちゃんは、
    犯人の圧倒的な悪意に
    心を壊してしまう…。


    人は大事なものを
    失くしたり
    傷付けられた時、
    どう乗り越えていけばいいんだろう。

    既存のモラルなど通用しない
    圧倒的な悪の存在にどう立ち向かえばいいのか。


    たった一人の理解者である
    ふみちゃんを暗闇から救い出すために、
    ふみちゃんの宝物であるメジャースプーンを手に
    「ぼく」は犯人と
    戦うことを誓います。


    「ぼく」と同じ力を持つ秋先生とのやりとりや
    ぼくの葛藤が綴られた中盤は
    少しクドく感じられるけど、

    復讐というものの重さと
    それによって負うことになる責任を
    読む者に提示するためには、
    この長さは絶対に必要だったんだろうな。


    失ったものは取り戻せないけれど、
    やり直すことは出来る。

    誰かのために頑張ることは
    決して偽善なんかじゃなく、
    「好き」から始まる
    行動力だけが
    変わらない何かを
    変える
    唯一の力になるんだと自分は思います。


    果たして
    不思議な力を使う「ぼく」は
    圧倒的な「悪の王様」に
    罰を与えることができるのか。

    そして心が壊れてしまったふみちゃんに
    いつか光が射す日は来るのか。


    あまりに老成した
    「ぼく」のキャラ設定に若干の違和感は残るけど、

    間違いなく心に響いて、
    読む者の記憶に
    残り続けるであろう小説です。

  • メジャースプーン。
    調味料を丁寧に「量る」ためのこの道具を
    ふみちゃんの宝物としてランドセルにぶら下げ
    タイトルに持ってくる、辻村深月さんって、やっぱりすごい!

    だってこれは、小学4年生の「ぼく」が
    好きで、憧れて、尊敬してやまないふみちゃんの心を
    くだらない自己顕示欲と悪意で踏みつけて壊した犯人の
    罪の重さを、生真面目にいろんな角度から「量ろう」とし、
    自分の特殊能力を使って、それに見合う罰を正しく与えようと
    その「匙加減」に悩みながら、闘う物語だから。

    それにしても、『凍りのくじら』のバス停で
    表情も言葉も失くして痛ましい姿を見せていたふみちゃんが
    もともとはあんなにおしゃべりで溌剌とした少女だったなんて。
    そんな彼女のために、犯人に「ぼく」が仕掛けた「ダブルバインド」は
    大人には無謀に思えても、子どもらしい真摯さに裏打ちされていて
    その想いの深さに、涙が溢れます。

    それでも、『子どもたちは夜と遊ぶ』で、
    ふみちゃんと同じように心に深い傷を負った月子が立ち直り、
    秋先生や恭司と共に「ぼく」とふみちゃんの支えになろうと
    心を砕いていることに救われて

    大・中・小と、ひとつのリングで繋がっていて
    それぞれにつけられた赤・青・白のうさぎ形の石がぶつかることなく
    三本重ねるとぴったりと一つに重なるという
    ふみちゃんの宝物のメジャースプーンのように

    人を赦すことの得意なふみちゃんと
    罪と罰の重さを量ることの難しさを知った「ぼく」は
    やさしく補い合い、あたたかく寄り添って、きっと生きていくのだと
    深い感動に浸りながら信じられる、すばらしい作品です。

  • 主人公の少年がもつ特殊な能力。
    それは現実世界の私たちも持っているものだと思います。

    私たちが口にする言葉や書き出す文字は、意識するしないに関わらず
    周りの誰かや時に自分を縛ることがあります。
    例えば夢を諦めさせたり、人間不信に陥らせたり、自己不信に陥らせたり。
    言葉は簡単に人を傷つけることが出来る。
    だからこそ大切にしなければいけない。
    そんなメッセージを感じたような気がしました。


    物語りとしては最後の意表をつく展開に驚き、そして改めて考えさせられました。

    「自分の中に何が正しいかをきちんと用意して持っている」かどうか。

    自分にとって大事なものは何なのか。目の前のことはどの程度大切なものなのか。
    分かれ道を目の前にしたときに、照らし合わせる信念(メジャースプーン)は
    大人になった今、決して失うことが出来ない、自分が自分である為に必要なもの。

    少年が突きつけるテーマに思わず考えさせられます。

  • うわー!!素敵な本と出会ってしまった!!

    何が正しいか、何が間違っているのか。
    命の重さと軽さ。

    綺麗事だけではなく、つい目を背けたくなるようなグサっとくる事が書いてありました。


    周りの皆より少しだけ早く大人の心を持ってしまった、小さな2人の子。

    胸が締め付けられてしまって、何度も涙が落ちそうになってしまいました。



    この人の書くちょっと不思議な世界観。
    私、好きだなぁー!

  • 幼馴染のふみちゃんの心を壊した市川雄太。
    「ぼく」は「力」を使い、彼に復讐する。

    小学4年生だからと、舐めないほうがいい。
    「ぼく」はお母さんと先生などの周りの大人と、そして私たち読者が思っているよりずっと、賢くて、優しくて、傷ついている。
    「ぼく」は最初から、お母さんと、先生と、そして私たち読者を騙します。
    彼は、ふみちゃんの心が壊された日から、きっと犯人に与える条件を決めていたのでしょう。


    これは、「ぼく」の復讐と償いのお話だと思います。


    「ぼく」が持つ、声の力は恐ろしいものです。
    人を殺すことも、自分を殺させることもできるのだから。
    でも、果たしてその力は彼が特別に持っている力でしょうか。
    私たちも、弱い力だけど、少しは持っているのではないのでしょうか。
    「ぼく」は、初めてふみちゃんに対して力を使ったとき、彼の意志で力を使ったのではありません。彼の本心による言葉で、ふみちゃんはピアノを弾いたと思います。

    私たちの言葉も、時には人を生かしも殺しもします。
    この本は、なんだか、自分の発する言葉の重みを考えさせられました。


    とても、悲しくて、優しい本でした。

  • ファンタジーではないのに、ぼくはある”力”を使う。設定は現実離れしているのに胸にリアルに刺さる、そんな物語。文庫の解説者いわく、作者は「わずか10歳の登場人物に読者を感情移入させる並外れた才能の持ち主」。それは筆者がませたこどもを描いているのではなく、読者の誰もが10年前20年前を振り返った時に出会ったりすれ違ったりしてきたと感じられる経験を描き出しているからかなぁと思いました。やっぱり辻村さんの作品大好きです。

  • 最終章で涙がこぼれた。久しぶりに泣いた小説。

    正義って?復讐って?命の重さって?哲学的だけども、主人公が小学生だからとても読みやすい。まあこの主人公、10歳だとはとても思えない賢さだけれど...!

    サンタクロースのエピソードにじーんときたな。節目節目で読み返したい一冊になりました。

    「わかりあえない者同士は、無理に一緒にいる必要はない。正しいとか正しくないというのは、それを話すのが人間同士である以上、簡単に変化していくんです。けれど、そんな中でどうすることが自分の心に一番恥じないのか。何を一番いいと信じるのか。それだけはきちんと胸に置いておく必要があります」

  •  条件を満たせば、一度だけ相手に思い通りの行動をとらせることができる能力を持った小学4年生のぼく。そのぼくの小学校で、飼育室のウサギが惨殺される事件が起こり、その現場を見たぼくの幼馴染のふみちゃんは、事件のショックから口がきけなくなってしまう。ぼくは自分の能力を使い、犯人に対し罰を与えようと考え始めるのだが…。

     正直に書くと、小説ぽくない小説だったなあ、と思います。その理由は作品の中盤です。

     ぼくは、自身の能力をどうするべきか、ぼくと同じ能力を持つ親戚の大学教授に相談しに行くのですが、そこでの二人のやり取りは、小説というよりかは、道徳や倫理についての問答のよう。

     犯人の罪の重さはどれほどのものなのか、その罪はどう罰せれるべきなのか、なぜ、ぼくが犯人を罰するのか、その権利はあるのか、そんな答えのない問いと答えをひたすら探していくのです。

     これは、ある意味では辻村深月さん版の「罪と罰」なのかもしれません。こう書くと、難しく感じるかもしれませんが、辻村さんがすごいのは、そんな問いを小学生にさせ、彼に探せることで、問題をかみ砕き、読者とともに迷わせることだと思います。いつの間にか読者も、単なる感情論として犯人を罰したい、という気持ちから、何がふさわしい罰なんだろ、と主人公のぼくとともに迷いながらも、考えていっていると思います。

     そして、犯人との対決とぼくが出した答え。辻村さんらしいサプライズも用意しつつも、それによってより深く、人間の弱さも、そして強さをも浮き彫りにします。読んでいて言葉にしがたい感情があふれてくるように思いました。

     個人的には、ぼくが犯人に課した条件は、なんだかとってもわかってしまうものでした。「何も失うものはない、自分は悪を成し遂げた」、とうそぶく人間に対し、「そんなことはありえない、お前だってただの人間なんだ」と認めさせ、その正体を自白のもとにさらし、自分が安心できるためには、こんな方法しかないのかなあ、と感じてしまったためです。

    「死刑にしてほしかったから、人を殺した」という殺人が起こることもありますが、そういう事件が起こるたびに、自分は、「あんたは、本当に死が怖くないのか?」と問いかけたくなります。どこかで生に執着する惨めな姿をさらすんじゃないか、と考えてしまいます。きっとそれは、自分の欲望のために、身勝手な犯罪を犯す人々に対し、自分はお前の正体を知っているぞ、と安心し、そして勝ったと思いたいからなんだと思います。

     この感情が、ぼくの思いとどこまで同じかは分かりませんが、ふとそんなことを考えてしまいました。

     いろんな思いが渦巻きつつも、それでもラストは救われます。それは、たとえ間違えたとしても、それでもふみちゃんのことを思い続けたぼくに対する、ご褒美だったと思えました。二人の今後の人生に幸あれ、と思わずにはいられません。それだけ、読み終えるころには、この二人が好きになっていたと思います。

     ちなみにぼくとともに、答えのない問いを探し続けた大学教授は『子供たちは夜と遊ぶ』にも登場しています。その作品を読んだときに、「この教授は、何かありそうだなあ」とモヤモヤしていたので、この作品を読んでようやく、そのモヤモヤに納得がいった気がします。

  • ふみちゃんが心を病んだことを、ぼくは自分の所為だとずっと責め続けていたんですね。最後の決断には驚いた。犯人も許せないけど、自分も許せない。彼の選んだことは、悲しむ人がいるから、正しいものとは言えないけれど、それほど追い詰められていたのかと思うと泣ける。ふみちゃんが悲しむのも苦しむのも嫌だ、は「愛」なんだと教えてくれた秋先生の言葉がちゃんとぼくの胸に響く日がくるといいな。

  • ★5の気分ですがこの作品単独の評価でと考えると、この一冊で全てを充分に楽しめないだろうと思いマイナス1です。なぜなら辻村さんの他の作品とリンクしているからです。
    『子供たちは夜と遊ぶ』で解明されなかった謎がここにきて判明!めちゃめちゃスッキリしました。

    小学校でうさぎがバラバラに切断されるという陰惨な事件が起きてしまい、第一発見者のふみちゃんがショックのあまり心を閉ざしてしまう。大好きなふみちゃんの為にぼくにできる唯一の事。犯人に対してある力を使う。

    そういえば、気が付かなかったけどこの『ぼく』は最後まで名前がでてこなかったな〜。なんか不思議、これも何か意味ありげですね。私はこの『ぼく』は『凍りのくじら』に出てくる松永郁也なのかなと思っていたのだけれど、解説を読むとどうやら違ってたみたい。すぐにでも読み返したかったけど凍りのくじらは図書館で借りて読んだものだったので出来ずに残念。

    不思議な力をもった少年が主人公という事でSFという事になるんでしょうが、かなり心理的にキツイ作品でした。まず、うさぎが殺される場面が…こういう動物ものには弱い私。
    相手の心を縛ってコントロールする、言い換えれば呪いを使う事の恐怖。復讐した後に残る虚しさ等、怒りと迷いがぐるぐる頭を巡るなんともいえない重たい気分。考えさせられるものが多かったです。
    秋先生が考えた「条件と罰」これがかなり恐かった。

    すごいな、辻村深月。

  • 一ページ捲るたびに立ち止まって考えさせられるところの多い作品だったと思う。テンポもよく、軽い文体なのがかえって小説の重厚さを深めている。何が正しくて何が間違っている、なんて一概には言えない。そんな中でも、自分にとっての正義とは、『正しさ』とはなんなのか。そんな人生の本質を追求しようとする小学生が主人公で、感情移入させられるし、一緒になって考えこんでしまった。

    ************

    例えば,目の前で飼い犬が殺されたら。


    それを目撃して,心を閉ざしてしまった友人がいたら。


    犯人には器物損壊の罪しか問えないとすれば・・・


    あなたはどうやって罪を償わせますか?

  • 一緒に「正しさ」とは何かを考えていく物語。
    ちょっとだけ説教くさく感じてしまったけれど、考えさせられたし、エンターテイメントとしても楽しませてもらった。

  • 「責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、その人が悲しい事が嫌だから。そうやって『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです」


    読むたびに名言が出てくるし(前回名言は「現実を消費する」)、「なかみ(真相)」が分かってるだけに、ぼくの一挙一動に泣けた。

    辻村さんの作品はどれも好きだけど、この本が一番好き。
    何回でもレビュー書きたくなります。

    『子ども達は夜と遊ぶ』の後に読むと、色々思い出して更に泣けた。

  • 「ぼく」と「罪」の話

    すごい考えさせられた
    罪とはなにか
    罰とはなにか
    復讐とはなにか・・・

    結局、その基準は個人の主観によって決まる
    自分の納得できる基準をもたなくてはならない

    自分のなかに確固たる基準があると思っていても、
    秋山先生から語られる話しを聞くと、
    それが揺らいでしまう
    例えば、カラスの話は印象的だった(247ページ)
    はっとさせられた

    『子どもたちは夜と遊ぶ』を読んで、秋山先生好きだったので、
    再登場は嬉しかった

    本当にこの人の作品はすごい!!

  • ぼくのふみちゃんを思う純粋な気持ちに惹かれた。
    大切なひとのために ここまで必死にできるのだと・・。
    『罪と罰』、命についても考えさせられる。

    市川みたいな人物、実際にも居そうで怖い。

  • 大切な人が他人の悪意によって傷つけられたとき自分には何ができるのか。復讐しても、相手に反省を求めても、傷つけられた心が癒されるわけではない。だからといって、きれいさっぱり忘れ去って何も無かったことになんてできない。そんな不条理に悩み苦しみながら答えを探す「ぼく」と秋山先生の七日間のやりとりには学ぶところが多かった。

  • 辻村さんの小説の根底にある、「たった一冊の小説が、ときには誰かを救うことがある」という信念がたまらなく好き。
    それはスロウハイツの神様に色濃く顕れていたけれど、物語の持つ力を辻村さんが信じているからこそ、こんなに力のある小説が書けるんだろうなぁ。

    本作は間違いなく、「子どもたちは夜と遊ぶ」の後に読むのが楽しめると思う。
    こんなにたくさんのリンクをよく張り巡らすことができるなぁ。やはりすごいよ辻村さん。
    子どもたちは夜と遊ぶ、で謎のままになっていた秋先生の秘密がようやくわかったし、月子や恭二のその後を知ることができたし。他作品を描いてるときから、別のお話がもう頭のなかにあるのかなあ。同時進行なのかなぁ。
    本当に楽しい。思いがけない再会に、頬が緩んでばかりです。

    世界は繋がっている。続いていく。そう感じさせてくれる、辻村深月。好きだなあ、たまらない。

  • ふみちゃんの優しさと、ぼくの優しさ。
    そしてふみちゃんの強さと、ぼくの強さ。
    両方ともが物語の最初から最後まで
    胸にしみる作品でした。

    ぼくが持っている力は確かに恐ろしい。
    でも、ここまで強力な力ではないにしても
    私達が普段何気なく発する言葉だって
    相手の気持ちを縛ってしまう可能性が
    あるのだと感じます。


    ぼくを決して子供扱いしない先生の
    言葉の優しさ、教え諭す優しさは
    あたかも作品を越えて自分に語りかけて
    くるようで、何度も目頭が熱くなりました。

    うさぎを殺した犯人に突きつける
    ぼくの条件。まさか自分の身を挺する
    ものだったとは・・・

    ぼくにとっての、ふみちゃんの存在の大きさ、と
    思っていたけど、(きっとそれも真実なのだけど)
    ふみちゃんに対する罪悪感の大きさが
    まだ小学校4年生なのに・・・と号泣でした。
    ちがうな・・・小学校4年生だからかな。

    あまりに純粋で、真っ直ぐで、脆くて、
    触れたくても触れられないような、そんな
    もどかしさも感じました。

    ふみちゃんはきっと乗り越えていける。
    今は心を閉ざしていても、きっといつか、
    いや近いうちに戻ってくるのでしょう。

    私がもし、心から大切な誰かを傷つけられた時、
    この力が使えるとしたら何を言うのだろう。
    何を引き換えにし、何を求めるのだろう。
    ずっと考え続けています。

    先生が言った「人は誰かのためには泣けない。」
    という言葉が印象的です。

    リンクがかなりあるようで、
    凍りのくじらは読んでいるのに
    思い出せません・・・。
    これはしばらく辻村作品に
    ハマりそうです・・・。

  • 罪を犯した人間に、正しい、罰を。
    正しさを計る匙加減、なんて難しいんだろう。

    名前探しに繋がる話で、夜と遊ぶの裏側の話でもありました。

    条件提示の能力があってもなくても、強い想いから発した言葉は、良くも悪くも人を縛るんじゃないかな。
    それを愛と呼んだり、罰と呼んだり。

    余談ですが「お兄さん」はいつだってかっこいいんだよ。

    辻村深月作品は巡り巡って再読必至でもう困る。

  • ある言葉を言うことで、相手をゲームで縛る事のできる能力を持つ僕。クラスメイトで幼馴染のふみちゃんがある事件に巻き込まれ、心を閉ざしてしまう。
    ふみちゃんを救うため、そして犯人に復讐するために僕はその能力を使う事にした。

    初めて辻村深月の本を読んだけれど、結構面白くてぐいぐい吸い込まれていく感じだった。
    ふみちゃんと僕の将来が明るいものであって欲しいなぁと最後のエピローグを読んで思った。

  • とにかく濃密な一冊だった。人に罰を与えることについて深く掘り下げた肉厚なストーリー構築は時間をかけてじっくり読み込むのに適していると思う。作者自身が作品と真面目に向き合い、苦悩の末に世に送り出した自信作と聞いているが、彼女の強い意志のようなものを文章からも読み取ることができた。近年情報網の進化に伴い奇々怪々、その上をゆく猟奇的な事件が度々マスコミに取り上げられ全世界に発信されている。事件自体は確かに非人道的で許せないものかもしれない。だからといって人を殺した者に死刑宣告をすぐ突きつけることが果たして罪と吊りあっているのだろうか。罰金を支払うだけで彼らが罪を再び起こさない可能性はどれだけ高くなるだろうか?
    この本を読んで私が強く衝撃を受けたのが「消費される事件」という表現だった。このレビューを読んでいる人はほとんど犯罪が起きた時に常に傍観者であることが多いだろう。私たちはその事件が架空で起きたもののように錯覚してしまうこともある。SNSや掲示板で鼻高々に公開される若者の問題行動(アイスクリームの商品棚の上で寝転ぶ、食洗機で遊ぶなど)、政治家の資金横領などの汚職事件、次々に報告される原子力発電のデメリットなどの忌むべき内容なんかに同様の方法で軽率に残虐に批評する(あるいは楽しげに煽る)我々の方こそ、今一度彼らにとって何が罰であるのか、どんな処遇が相応しいのか等第三者の視点から論理的に物事を考える姿勢を考え直す必要があるのではないだろうか。それをしない限りは、どんなに優れた大人でさえも身勝手に「死ね」を連発する子供とさして何ら変わりないのである。

  • ★★★★★ 君がいるだけで僕の小さな世界は救われる。眩しいくらい目を細めた君の笑顔があればそれでいい。それだけでいい。頭が良くて負けず嫌い、ちょっと大人で心の優しいふみちゃん。風邪をひいた朝に「喉が痛いならどうぞ」っていちごみるくの飴を届けてくれたふみちゃん。『条件ゲーム提示能力』という不思議なチカラでぼくはふみちゃんのために悪意と立ち向かう‼︎正義のココロで最後にある無茶な賭けに出るぼく。その優しさに涙する。ふみちゃんのことを考えるだけで…何度も涙が溢れてしまう。終盤は涙が止まらなかった。

  • 借りて読み。冒頭こそ「あれっ、面白いのかなこれ」と戸惑ったが、ふみちゃんが出てきてすぐに釣り込まれた。
    ふみちゃんの「ちょっと早く大人になってしまった女の子」の姿は私にとっていやにリアルで、読み進めながらなんでもない場所で自然に涙が出てくるのに困った。
    ピアノの発表会で、自分には才能がなく、ただ背伸びをしてみんなに称賛されたいのだと言うふみちゃん。天才は別にいて、その才能をちゃんと認めるふみちゃん。ズルはしないふみちゃん。

    私も、ふみちゃんのようでありたかった。小学校2年の頃。ちょうどふみちゃんと同い年の頃。よその子よりは絵が描けるほうだった私は、クラスの女の子たちの自由帳にお姫様を描いてあげては褒められて悦に入っていた。
    でも、ちゃんと天才はいた。サインペンで幾何学のような繰り返しの模様を繊細に描き、ひとつの世界を作り上げていたお絵かき教室のあの子。私は、となりでその絵を見てそっと真似して描いて、母に見せて褒められた。
    小学校高学年。演劇部員であり、少し学校の中で顔が売れた私はそれを鼻にかけていたが、私のおままごとみたいな舞台の称賛と、全校生徒の中から合唱のうまい子を集めて猛練習した発表会で、タクトを振るあの子への称賛はまるで質が違っていた。彼女は中学を卒業するまでどの合唱大会でもタクトを振り続け、新聞にも載った。どちらの女の子も、物静かで、決して自己主張をしないはにかみ屋さんだった。ふみちゃんに出逢って、鮮明に思い出した。

    話がそれた。この話は、オカルトなのかミステリーなのか、成長小説なのかはっきりしない。「力」というものがなんなのかは充分すぎるほど伝わってきたし、このひとつのテーマでまさか一冊揺らがずに書き通すとは。
    ラストへの流れは、物音が気にならないほど入り込んで読んだ。頭が痛くなるほど泣いた。最後に兎好きがなにも言わないのもいい。ガムですべてが伝わってくる。兎好きは決してリアルではなかったが、そんなことはどうでもいい。ここまで救いのあるラストを描ききってくれてありがとうという気持ちしかない。久々に、小説を読んで幸せな気持ちになった。

  • 一度傷ついた心は、なかなか元には戻らない。

    自分のために一生懸命になってくれる人がいること。
    自分が誰かにとってのかけがえのない人間であるということ。

    その事実は、どんな言葉よりも暖かい光に満ちている。

    「自分のため」の気持ちで結びつき、相手に執着する。
    自分の存在が、誰かにとっての大きな支えとなり、自分がいない人生に涙を流してくれる・・・。

    それほどまでに、誰かに必要とされるのは、当たり前ではないのだろうと思う。

    人と人は「愛」でつながっている。
    「愛」って一言で言うのは、簡単だけれど、すごく深い、いとおしい想いの事なんだなと、改めて思った小説でした。

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ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)の作品紹介

ぼくらを襲った事件はテレビのニュースよりもっとずっとどうしようもなくひどかった-。ある日、学校で起きた陰惨な事件。ぼくの幼なじみ、ふみちゃんはショックのあまり心を閉ざし、言葉を失った。彼女のため、犯人に対してぼくだけにできることがある。チャンスは本当に一度だけ。これはぼくの闘いだ。

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)の新書

ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)のKindle版

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