ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)

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著者 : 辻村深月
  • 講談社 (2009年4月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (520ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062763301

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ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

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  • エピローグの衝撃。
    彼は本当に恐ろしい相手に立ち向かっていたのだと気付く。
    自身の「力」ひとつで。
    「ぼく」のメジャースプーンで。

    たとえば、それを「悪」と呼ぶのであれば、悪とは過剰なものではなく、むしろ欠落であるような気がする。
    愛や敬意や美意識、その他いろいろな生活や心を豊かにする感情。
    人間を人間足らしめているものの欠落。

    主義や主張、方向性の違いで衝突するのであれば理解できる。
    でも、何かが足りない人と向き合う自信はない。
    極道の親分は恐いとは思うが、まだ話せばわかる気がする。
    それよりも、たとえば花壇にカップラーメンの食べ残しを容器ごと捨てていく人間のほうが、僕は恐ろしい。

    小学校二年生にして、すでに心に「メジャースプーン」を持つ少女、ふみちゃん。
    もし僕が同級生であったとして、彼女のその魅力に気付くことができるかといえば怪しいところだが、いま身近にこんな娘がいたら確実に好きになっていただろう。
    それだけに「犯人」に、ふみちゃんのことを「萌える」「萌えない」といった尺度で判断された瞬間、煮えたぎった液体が胸までこみ上げてくるようだった。

    透明な石がついたキラキラに輝く三本のスプーンと、百円ショップで叩き売りされているような安物のスケール。
    大切なのは生きてきた時間の長さではない。
    その時間をどのように使ったかということだろう。

    哲学の基本は対話であるというが「秋先生」と「ぼく」の一週間のレッスンは、まさに師匠と弟子のそれである。
    罪と罰、生命とは、裁判と量刑など正解のない問答に、読んでいる僕まで深く考えさせられた。
    ミステリ、エンタテインメントとして単純に読んでも面白いのに、この趣向の中に深遠なテーマを織り込んで、尚かつどちらの魅力も損なわない辻村深月は本当に凄い。

    ふみちゃんからメジャースプーンを譲り受けていた「ぼく」は、すでに認められていたはずだ。
    それを持つ資格があると。

    料理の苦手な人ほど調味料を量らない。
    腕のいい料理人でも最初はきっちり計量カップやスプーンを使い、しっかりと基本を身体に染み込ませていく。
    そうして身体の中に自分なりの尺度を作り上げていった上で、はじめて「適当」や「いい加減」ができるのだ。

    僕のメジャースプーンは輝いているだろうか。
    欠けて狂ってはいないだろうか。

  • かなり前に読んだ本で、
    自分が初めて
    辻村さんの小説に触れた一冊。

    頭の中では
    読んでる間中ずっと
    the pillowsの
    「My girl」が流れてました。


    どんな言葉より
    どんな光より
    僕を救ってくれた女の子
    キミに会いたいな
    キミに触れたいな
    だけどたぶんもう
    別人みたいさ

    my girl
    come back to me…




    っていうやつ。



    若い作家だとは聞いてたけど
    丁寧に丁寧に心理描写を重ねた
    エモーショナルに胸を打つ構成に、
    駅のベンチであるにも関わらず
    込み上げてくるものを抑えられなかった。

    それくらい衝撃を受けた作品です。



    相手を縛る不思議な力を持った
    小学4年生の「ぼく」。

    「ぼく」の同級生で、
    分厚い眼鏡をかけ
    頭脳明晰でうさぎ好き、
    みんなから慕われるも
    凛とした一匹狼の
    ふみちゃん。


    ある日、
    学校のうさぎを
    バラバラにするという
    猟奇的事件が発生。
    誰よりもうさぎが好きで世話をしていた
    第一発見者のふみちゃんは、
    犯人の圧倒的な悪意に
    心を壊してしまう…。


    人は大事なものを
    失くしたり
    傷付けられた時、
    どう乗り越えていけばいいんだろう。

    既存のモラルなど通用しない
    圧倒的な悪の存在にどう立ち向かえばいいのか。


    たった一人の理解者である
    ふみちゃんを暗闇から救い出すために、
    ふみちゃんの宝物であるメジャースプーンを手に
    「ぼく」は犯人と
    戦うことを誓います。


    「ぼく」と同じ力を持つ秋先生とのやりとりや
    ぼくの葛藤が綴られた中盤は
    少しクドく感じられるけど、

    復讐というものの重さと
    それによって負うことになる責任を
    読む者に提示するためには、
    この長さは絶対に必要だったんだろうな。


    失ったものは取り戻せないけれど、
    やり直すことは出来る。

    誰かのために頑張ることは
    決して偽善なんかじゃなく、
    「好き」から始まる
    行動力だけが
    変わらない何かを
    変える
    唯一の力になるんだと自分は思います。


    果たして
    不思議な力を使う「ぼく」は
    圧倒的な「悪の王様」に
    罰を与えることができるのか。

    そして心が壊れてしまったふみちゃんに
    いつか光が射す日は来るのか。


    あまりに老成した
    「ぼく」のキャラ設定に若干の違和感は残るけど、

    間違いなく心に響いて、
    読む者の記憶に
    残り続けるであろう小説です。

  • メジャースプーン。
    調味料を丁寧に「量る」ためのこの道具を
    ふみちゃんの宝物としてランドセルにぶら下げ
    タイトルに持ってくる、辻村深月さんって、やっぱりすごい!

    だってこれは、小学4年生の「ぼく」が
    好きで、憧れて、尊敬してやまないふみちゃんの心を
    くだらない自己顕示欲と悪意で踏みつけて壊した犯人の
    罪の重さを、生真面目にいろんな角度から「量ろう」とし、
    自分の特殊能力を使って、それに見合う罰を正しく与えようと
    その「匙加減」に悩みながら、闘う物語だから。

    それにしても、『凍りのくじら』のバス停で
    表情も言葉も失くして痛ましい姿を見せていたふみちゃんが
    もともとはあんなにおしゃべりで溌剌とした少女だったなんて。
    そんな彼女のために、犯人に「ぼく」が仕掛けた「ダブルバインド」は
    大人には無謀に思えても、子どもらしい真摯さに裏打ちされていて
    その想いの深さに、涙が溢れます。

    それでも、『子どもたちは夜と遊ぶ』で、
    ふみちゃんと同じように心に深い傷を負った月子が立ち直り、
    秋先生や恭司と共に「ぼく」とふみちゃんの支えになろうと
    心を砕いていることに救われて

    大・中・小と、ひとつのリングで繋がっていて
    それぞれにつけられた赤・青・白のうさぎ形の石がぶつかることなく
    三本重ねるとぴったりと一つに重なるという
    ふみちゃんの宝物のメジャースプーンのように

    人を赦すことの得意なふみちゃんと
    罪と罰の重さを量ることの難しさを知った「ぼく」は
    やさしく補い合い、あたたかく寄り添って、きっと生きていくのだと
    深い感動に浸りながら信じられる、すばらしい作品です。

  • 主人公の少年がもつ特殊な能力。
    それは現実世界の私たちも持っているものだと思います。

    私たちが口にする言葉や書き出す文字は、意識するしないに関わらず
    周りの誰かや時に自分を縛ることがあります。
    例えば夢を諦めさせたり、人間不信に陥らせたり、自己不信に陥らせたり。
    言葉は簡単に人を傷つけることが出来る。
    だからこそ大切にしなければいけない。
    そんなメッセージを感じたような気がしました。


    物語りとしては最後の意表をつく展開に驚き、そして改めて考えさせられました。

    「自分の中に何が正しいかをきちんと用意して持っている」かどうか。

    自分にとって大事なものは何なのか。目の前のことはどの程度大切なものなのか。
    分かれ道を目の前にしたときに、照らし合わせる信念(メジャースプーン)は
    大人になった今、決して失うことが出来ない、自分が自分である為に必要なもの。

    少年が突きつけるテーマに思わず考えさせられます。

  • うわー!!素敵な本と出会ってしまった!!

    何が正しいか、何が間違っているのか。
    命の重さと軽さ。

    綺麗事だけではなく、つい目を背けたくなるようなグサっとくる事が書いてありました。


    周りの皆より少しだけ早く大人の心を持ってしまった、小さな2人の子。

    胸が締め付けられてしまって、何度も涙が落ちそうになってしまいました。



    この人の書くちょっと不思議な世界観。
    私、好きだなぁー!

  • 幼馴染のふみちゃんの心を壊した市川雄太。
    「ぼく」は「力」を使い、彼に復讐する。

    小学4年生だからと、舐めないほうがいい。
    「ぼく」はお母さんと先生などの周りの大人と、そして私たち読者が思っているよりずっと、賢くて、優しくて、傷ついている。
    「ぼく」は最初から、お母さんと、先生と、そして私たち読者を騙します。
    彼は、ふみちゃんの心が壊された日から、きっと犯人に与える条件を決めていたのでしょう。


    これは、「ぼく」の復讐と償いのお話だと思います。


    「ぼく」が持つ、声の力は恐ろしいものです。
    人を殺すことも、自分を殺させることもできるのだから。
    でも、果たしてその力は彼が特別に持っている力でしょうか。
    私たちも、弱い力だけど、少しは持っているのではないのでしょうか。
    「ぼく」は、初めてふみちゃんに対して力を使ったとき、彼の意志で力を使ったのではありません。彼の本心による言葉で、ふみちゃんはピアノを弾いたと思います。

    私たちの言葉も、時には人を生かしも殺しもします。
    この本は、なんだか、自分の発する言葉の重みを考えさせられました。


    とても、悲しくて、優しい本でした。

  • ファンタジーではないのに、ぼくはある”力”を使う。設定は現実離れしているのに胸にリアルに刺さる、そんな物語。文庫の解説者いわく、作者は「わずか10歳の登場人物に読者を感情移入させる並外れた才能の持ち主」。それは筆者がませたこどもを描いているのではなく、読者の誰もが10年前20年前を振り返った時に出会ったりすれ違ったりしてきたと感じられる経験を描き出しているからかなぁと思いました。やっぱり辻村さんの作品大好きです。

  • 最終章で涙がこぼれた。久しぶりに泣いた小説。

    正義って?復讐って?命の重さって?哲学的だけども、主人公が小学生だからとても読みやすい。まあこの主人公、10歳だとはとても思えない賢さだけれど...!

    サンタクロースのエピソードにじーんときたな。節目節目で読み返したい一冊になりました。

    「わかりあえない者同士は、無理に一緒にいる必要はない。正しいとか正しくないというのは、それを話すのが人間同士である以上、簡単に変化していくんです。けれど、そんな中でどうすることが自分の心に一番恥じないのか。何を一番いいと信じるのか。それだけはきちんと胸に置いておく必要があります」

  •  条件を満たせば、一度だけ相手に思い通りの行動をとらせることができる能力を持った小学4年生のぼく。そのぼくの小学校で、飼育室のウサギが惨殺される事件が起こり、その現場を見たぼくの幼馴染のふみちゃんは、事件のショックから口がきけなくなってしまう。ぼくは自分の能力を使い、犯人に対し罰を与えようと考え始めるのだが…。

     正直に書くと、小説ぽくない小説だったなあ、と思います。その理由は作品の中盤です。

     ぼくは、自身の能力をどうするべきか、ぼくと同じ能力を持つ親戚の大学教授に相談しに行くのですが、そこでの二人のやり取りは、小説というよりかは、道徳や倫理についての問答のよう。

     犯人の罪の重さはどれほどのものなのか、その罪はどう罰せれるべきなのか、なぜ、ぼくが犯人を罰するのか、その権利はあるのか、そんな答えのない問いと答えをひたすら探していくのです。

     これは、ある意味では辻村深月さん版の「罪と罰」なのかもしれません。こう書くと、難しく感じるかもしれませんが、辻村さんがすごいのは、そんな問いを小学生にさせ、彼に探せることで、問題をかみ砕き、読者とともに迷わせることだと思います。いつの間にか読者も、単なる感情論として犯人を罰したい、という気持ちから、何がふさわしい罰なんだろ、と主人公のぼくとともに迷いながらも、考えていっていると思います。

     そして、犯人との対決とぼくが出した答え。辻村さんらしいサプライズも用意しつつも、それによってより深く、人間の弱さも、そして強さをも浮き彫りにします。読んでいて言葉にしがたい感情があふれてくるように思いました。

     個人的には、ぼくが犯人に課した条件は、なんだかとってもわかってしまうものでした。「何も失うものはない、自分は悪を成し遂げた」、とうそぶく人間に対し、「そんなことはありえない、お前だってただの人間なんだ」と認めさせ、その正体を自白のもとにさらし、自分が安心できるためには、こんな方法しかないのかなあ、と感じてしまったためです。

    「死刑にしてほしかったから、人を殺した」という殺人が起こることもありますが、そういう事件が起こるたびに、自分は、「あんたは、本当に死が怖くないのか?」と問いかけたくなります。どこかで生に執着する惨めな姿をさらすんじゃないか、と考えてしまいます。きっとそれは、自分の欲望のために、身勝手な犯罪を犯す人々に対し、自分はお前の正体を知っているぞ、と安心し、そして勝ったと思いたいからなんだと思います。

     この感情が、ぼくの思いとどこまで同じかは分かりませんが、ふとそんなことを考えてしまいました。

     いろんな思いが渦巻きつつも、それでもラストは救われます。それは、たとえ間違えたとしても、それでもふみちゃんのことを思い続けたぼくに対する、ご褒美だったと思えました。二人の今後の人生に幸あれ、と思わずにはいられません。それだけ、読み終えるころには、この二人が好きになっていたと思います。

     ちなみにぼくとともに、答えのない問いを探し続けた大学教授は『子供たちは夜と遊ぶ』にも登場しています。その作品を読んだときに、「この教授は、何かありそうだなあ」とモヤモヤしていたので、この作品を読んでようやく、そのモヤモヤに納得がいった気がします。

  • ふみちゃんが心を病んだことを、ぼくは自分の所為だとずっと責め続けていたんですね。最後の決断には驚いた。犯人も許せないけど、自分も許せない。彼の選んだことは、悲しむ人がいるから、正しいものとは言えないけれど、それほど追い詰められていたのかと思うと泣ける。ふみちゃんが悲しむのも苦しむのも嫌だ、は「愛」なんだと教えてくれた秋先生の言葉がちゃんとぼくの胸に響く日がくるといいな。

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ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)の作品紹介

ぼくらを襲った事件はテレビのニュースよりもっとずっとどうしようもなくひどかった-。ある日、学校で起きた陰惨な事件。ぼくの幼なじみ、ふみちゃんはショックのあまり心を閉ざし、言葉を失った。彼女のため、犯人に対してぼくだけにできることがある。チャンスは本当に一度だけ。これはぼくの闘いだ。

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ぼくのメジャースプーン (講談社文庫)のKindle版

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