滝山コミューン一九七四 (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062766548

作品紹介・あらすじ

郊外のマンモス団地の小学校を舞台に、自由で民主的な教育を目指す試みがあった。しかし、ひとりの少年が抱いた違和感の正体は何なのか。「班競争」「代表児童委員会」「林間学校」、逃げ場のない息苦しさが少年を追いつめる。30年の時を経て矛盾と欺瞞の真実を問う渾身のドキュメンタリー。講談社ノンフィクション賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • p.23 最後 滝山コミューンの定義
    p.179 最後 筆者の違和感

    どこまでが事実で、どこからが自分の意見なのかということを明確に分けて書いているため、わかりやすい

    民主主義という名のもと、教師主体の権威主義が横行していた1974年の滝山団地を切り取り、筆者の問題意識を検証する形で進むノンフィクション。圧倒的な資料をもとに一つ一つ丁寧にその時代を形作っていくプロセスは、研究として素晴らしいと言わざるを得ない。また、過去の事実の中でも特に自己の関心がある部分に焦点を当て、議論を進めることに客観性の欠如があることは認めながらも、まさに当時を生きた自分こそ社会であるとしたスタンスにも共感する。
    自分が小学生の頃、このような民主主義という名のもと権威主義は横行していなかったか、もしそうだとしたら自分はそれに違和感を感じていたのか、改めて問いたくなる著書であった。
    また、改めて教育とは、生徒と教師だけでない、多くの人々の影響、時代背景を現実へ映すものであると実感した。

  • 私は著者よりもいくつか年下になるのだが、1970年代が小学生時代
    だったのは一緒だ。クラスに班分けもあったし、卒業式では卒業生に
    よる「呼びかけ」もあった。しかし、著者が経験したような集団主義
    教育ではなかったと思う。

    それは居住環境の違いなのかもしれない。住宅不足解消の為にと
    東京郊外に作られた団地住民の子供が多い小学校と、東京への通勤
    圏として発展しながら、昔ながらの地主さんなどもいたベッドタウンの
    小学校。確かに地元にはいわゆるマンモス団地はあったが、学区が
    違った。

    ひとりの若い教師が担任したクラスで始まったのが、日教組の教師が
    多く所属する全国生活指導研究協議会が提唱した集団教育主義で
    ある。

    そこでは個人は否定され、なによりも班だとか、クラスだとかの集団での
    成果の引き上げが大きな目標となる。ソ連式集団教育を日本に根付か
    せようとした試みだ。

    確かに学校生活は集団生活である。だが、ある集団を競わせることは
    当事者には相当なストレスをかけるものではないのか。事実、後年の
    著者のインタビューに問題のクラスに所属した女性は小学生であり
    ながら、体に変調をきたしていたと告白している。

    政治的には保革伯仲の時代だった。だからこそ、ソ連式の集団教育の
    実践も可能だったのだろうし、団地という画一化された空間に住んでいた
    子供たちが多かったからこそ、受け入れられたのかもしれない。

    児童の自主性を尊重するのも結構だが、林間学校も運動会も児童の
    代表が組織する実行委員会が取り仕切るってのは、民主的でもなんで
    もないんじゃないかと思ってしまったわ。

    そして一番怖いと思ったのが、小学生にして他の児童から著者が自己
    批判を求められたこと。読みながら「連合赤軍小学生版かよ」と呟いて
    しまった。

    息が詰まると思う。なんでも競争、なんでも連帯責任、なんでも減点制。
    挙句、減点が多いと「ボロ班」とか「ビリ班」と呼ばれるなんて。そりゃ、
    嫌だから懸命になるわなぁ。今考えれば集団によるいじめにしか思え
    ないけれど。

    この集団教育だけではない。子供は教育方法に振り回され続けている
    のじゃないかな。詰め込み教育がいけないと言われ、ゆとりをもった
    カリキュラムになったら「これだからゆとりは」なんて言われちゃう。

    どの世代も、その時々の教育を受けた子供に罪はないと思うのだ
    けれどね。

  • タイトルと装丁に魅かれたのと「文科系トークラジオLife」で紹介されていたのを微かに記憶しており、読んでみた。
    読んでみて、タイトルから想像したほどの大仰な集団が組織されたわけではないし、その集団が社会に強烈な影響を与えたというような物語があったわけでもなかったので、少し拍子抜けした。ただ当時の全生研が推し進めた「学級集団づくり」が排除の倫理に基づく危険な思想をベースに実践されていたことには素直に驚いた。また「追求」と称して体制に反する者に自己批判を要求する行為を小学生が自発的に行っていた事実は、イデオロギーを強制的に押し付ける教育の怖ろしさを痛感した。
    「学級集団づくり」の一つの要素であった「班競争」は現在流行しているゲーミフィケーションの問題点も提起していると思う。滝山コミューンの行った集団主義教育に対して批判的な立場で書かれた本ではあるが、その全てを否定するものではなく現在の教育がまた別の危険な思想を根底に持っている可能性があることも考えさせられる。
    教育関係者には現在の教育の位置を確認するためにも、ぜひ一度手にとってもらいたい一冊。

  • 面白かった…‼️

  • 大人の日記。他人の小学校時代の班の活動をフルネームで語られているような印象。記録としては意義深いのかもしれないが、小説を期待してはいけなかった。

  • 筆者個人の体験に根ざした半自伝的な一冊。

    1970年代、都内の小学校で試みられた「自由で民主的」な教育。

    それは個人の自由よりも集団行動を優先させた極端な民主化の姿でもあった。

    集団行動に馴染まない筆者を追い詰めていく場の空気感が怖しい。

    原センセよりは少しあとの世代ですが、やはり同じような雰囲気が、当時の公立小中学校にはあって、異常なまでに児童、生徒による「自治」が推奨されてたんですよ。生徒総会とか、生徒会選挙の熱狂が凄かった。

    ただそれも、一部の先生方による強いられた「自治」だったのだなと、いまとなっては思う。

    係を選ぶときに立候補させ「ダメな方」を落選させる消去法選挙。ベルが鳴ったら席に着く「ベル席」の仕組み(座ってないと減点)。非協力的な児童を責め立てて「自己批判」させる謎の空気。

    当時はなんだかよくわからなかった「熱狂」の、思想的背景を知る意味で、ものすごく腑に落ちた一冊でした。

    集団行動に馴染めなくて疎外されていく、原センセなのですが、鉄道趣味や、中学受験による塾通いで「外の世界」を持っていることが救いとなっていく。

    学校や家庭以外に、第三の場所があることの大切さも教えてくれる一冊でした。

  • 東久留米市の団地、小学校を舞台に展開された
    組織運営の中で生活を送った著者による
    ドキュメント。

    とても興味深い内容だが、ちょっと読み辛かった。
    一部ではあれ、こんな事があったとは全然知らなかった。

  • 一気読み。「滝山団地」や「小平団地」行きのバスを見かけるたびにこの本のことが脳裏をよぎった。常々、読みたいと思っていた本。

    読後の第一印象として筆者が経験したシステムの裏にはまだまだ「立身出世」が生きていると感じた。
    「立身出世」なんて夏目漱石よろしく明治時代に富国強兵とともに作られた近代のシステムだ。そのシステムが巧妙に形を変え、無意識に社会のなかでさもあたりまえのこととして存在している。ちょっと怖い。
    そういう現在も、このシステムは行き詰まりながら存在する。ただ、この時代のように二項対立的な発想は顕在化していないのではないか。

    筆者は少し世代が上だし、「滝山コミューン」ほど、がちがちにシステムのなかにいなかったにせよ、「班活動」は「給食の班」「登校班」「移動教室の班」といろいろなところにあって、自分はそこに構成員としてピースのなかにおしこまれていたのはまちがいない。「班」というシステムは一見「平等」であるようで、全然「平等」ではない。「(リーダーに)選ばれる」ことによって「指導していく」「指導されていくもの」に二分されてしまう。「個」はなく「群れのなかの一員」にすぎないと筆者は感じたにちがいない。足並みがそろっていないとまずいのだ。

    筆者が四谷大塚へ行くことをプラスに感じたのはそこは誰の指導のもとでなく、「個」である自分の意志で動いてそれが結果に結びついたから(もちろん、乗り鉄の楽しみもあったと思うが)。

    「滝山コミューン」は閉じられた空間だったからこそできたのだろう。このころの小学校の先生はいわゆる師範学校出身の先生と新制の教育学部出身の先生が混在していたに違いない。

    「教研」「全生研」(などの熱意ある教員が参加するグループ)「親が学校にどうかかわるか(「PTA」)この本を読むと、古い時代の遺物のように思えるが現実には姿・形を変え、脈々と続いているように感じる。
    「教育」は「人を育てる」システムだからか?
    「国」の礎だからか?

    なんにせよ、読み始めたときはお化け屋敷に入る好奇心もあったが、読み終わったときには個人的に昔あったいやなことを思い出して少し背筋の寒い思いをした。

  • 【由来】
    ・図書館の新書アラートで、この著者の最新刊。「知の訓練」がイマイチだったので、どうかな〜と思ってamazonで検索したところ、ちょっと面白そうかなと。

    【期待したもの】
    ・この著者の見極め第一弾。

    【要約】


    【ノート】


    【目次】

  • 個人的にも暴力機構に関しては敬してこれを遠ざけたいが、「ひのきみwて馬鹿だし」
     とか言ひかねない先生方が、ナチス・ドイツもやったやうな暴力機構補完の儀礼を行ふといふ、すごいものが展開してゐた学校での地獄の生活を振り返る。
     かの鬼のパンツ販売促進歌、も暴力機構補完のために使はれた、と言ふのは、なんつうか。
     最近遠山啓先生の本が本屋さんで売ってたようわぁといふか、当時の教育界で問題があるつうたら遠山先生くらゐなんだよなぁと言ふか。

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著者プロフィール

1962年生まれ。早稻田大学政治経済学部卒業,東京大学大学院博士課程中退。放送大学教授,明治学院大学名誉教授。専攻は日本政治思想史。98年『「民都」大阪対「帝都」東京──思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ)でサントリー学芸賞、2001年『大正天皇』(朝日選書)で毎日出版文化賞、08年『滝山コミューン一九七四』(講談社)で講談社ノンフィクション賞、『昭和天皇』(岩波新書)で司馬遼太郎賞を受賞。他の著書に『皇后考』(講談社学術文庫)、『平成の終焉』(岩波新書)などがある。

「2023年 『地形の思想史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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