- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062769396
作品紹介・あらすじ
ものさびしい気配がおしよせるムーミン谷の十一月。ムーミン一家に会いたくて、ムーミン谷へ行きたくて、集まってくる六人。
ムーミンママになぐさめてもらいたいホムサ、ひとりでいるのがこわくなったフィリフヨンカ、自分でないなにかになりたいヘムレンさん、養女にいった妹のミイに会いたくなったミムラねえさん、ずっと昔にいったムーミン谷の小川で気ままにすごしたくなったスクルッタおじさん、五つの音色をさがしにムーミン谷へもどったスナフキン。
ところが、ムーミン屋敷はもぬけのから。待てど暮らせどムーミン一家はもどってきません。六人の奇妙な共同生活がはじまります。
「ムーミン」シリーズ最終巻!
感想・レビュー・書評
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トーベ・ヤンソン著、鈴木徹郎訳『ムーミン谷の十一月』(講談社、1980年)はムーミンシリーズの小説最終巻である。ムーミン一家は旅に出ており、他のキャラクター中心の物語である。
ヘムレンはムーミン一家の家に行き、「警察のものだぞ。玄関をあけろ」と大声で怒鳴った(49頁)。からかうことを目的とするが、冗談にならない悪質な所業である。幸いなことにムーミン一家は不在であり、ヘムレンが雨に濡れただけでヘムレンの間抜けぶりが露呈したエピソードになる。
ムーミントロール達は過去に冤罪で逮捕され、牢屋に勾留された。ろうや番は「おまえらは、じぶんのおかした罪を白状するまでは、ここにはいっておらねばならん」と言う(トーベ・ヤンソン著、下村隆一訳『ムーミン谷の夏まつり』講談社文庫、1979年、164頁)。冤罪被害者のムーミントロールにとって悪質な嫌がらせになる。
ムーミンの世界では個人の名前と種族名が混在しており、ややこしい。例えばミムラは個人名としても使われるし、種族名としても使われる。ヘムレンも個人名と種族名がごっちゃになっている。警察官や牢屋番もヘムレンである。『ムーミン谷の十一月』のヘムレンが、そのヘムレンならば警察の権限悪用である。警察の権限を悪用した警察不祥事は現実世界でも起きている。
その後、スナフキンとヘムレンが出合う。スナフキンは心の中で「こんなヘムレンさんなんかと、ムーミンたちの話はしたくないや」と心の中で思う(105頁)。権威を利用して悪質嫌がらせをした人物への正しい意識になる。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まさかのまさかで、最後までムーミン一家が出てこないびっくりの一冊。しかも普段は脇役の更に脇役的な子たちが集まり特に何も起きないというなんともシュールな展開に戸惑いが隠せない。
どうも話自体を楽しむというよりは乏しい展開のなかで変化していく登場人物(妖精?)たちの心具合を読み解く哲学的なお話でした。最後は心が柔らかな灯りで燈されているような穏やかな最後に読みつがれるものにはやっぱり理由があることに気が付かされました。 -
「ムーミン谷」が表題となっているのは本作を入れて5冊。その中で本作はまごうことなくムーミン谷が主人公でした。ムーミン一家が不在のムーミン谷、しかし、本作の登場人物の思いや動きの隅々に、ムーミン一家を感じました。
登場人物が語る言葉にどこからか返事をしているムーミン一家の姿を思います。しかし、その返事がないので、これまでとは違う物語が展開していきます。それでもやはり、ムーミン谷での物語を支えているのはムーミン一家であったと思いました。
ミムラ姉さん、髪をほどくとこんな感じになるのか、と思いを新たにしました。リトルミイやスナフキンとの共通する何かを感じ、これまでにない納得をしました。
登場人物それぞれに心寄り添いましたが、フィリフヨンカの大掃除に、読者である私の心身も大掃除してもらったような気分です。
作者の「Varelser」の言葉にムーミンの物語の本質を感じました。「存在するもの」、それがすべてだと思います。
シリーズ全作を読み終えました。この後も何度も読むことでしょう。未読のものはコミックですが、そちらも読んでみようかと思います。 -
子供にぜひ読ませたいとか大人こそ読むべきとか、そんなことを言う必要もなく、いつ読んでも楽しめる。
お節介を焼いて回っても感謝されず、空回りしている自覚がありつつもやめられない。
みんなに好かれるヘムレンになってみようと思ったり、みんなに嫌われる可哀想なヘムレンになってみようと苦心しても、自分はやっぱりいつもと同じヘムレンでしかないことが憂鬱で自己嫌悪。
“なんだか自分は、朝から晩まであれこれ、ものの置き場所を変えたり、人にそれはどこに置く方がいいなんて言ってばかりいるように思えてきました。”
そんなダメで迷惑なはずのヘムレンさんにどっぷり感情移入してしまうのは、ちょっと自分も疲れていたかな。
ラストになって変わり映えしない自分自身と和解するヘムレンさんが、意外と好きになれる。
やっぱりいつ読んでも心がほっとするよいお話。
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ムーミン一家が島で悪戦苦闘していたと同時に、ムーミン屋敷を訪れたキャラたち。最後に残ったトフトの目に、船の灯りが見えたラストが忘れられません。帰還した一家との感動の対面が、書かれてなくても目に浮かぶようです。
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ムーミン一家が出てこない最終回、ちょっと寂しいけど、何かを求めている人々が、ムーミン一家に会いに来る。共同生活を送りながら、何かを感じ、考える。淡々とした生活の中だけど、新たな発見があるのです。
最終回にムーミン一家がいないのは寂しい。そんな寂しさを全編抱えながら進んでいくお話。
ちょっと大人になったかな -
ものさびしい気配がおしよせるムーミン谷の十一月。ムーミン一家に会いたくて、ムーミン谷へ行きたくて、集まってくる六人。ムーミンママになぐさめてもらいたいホムサ、ひとりでいるのがこわくなったフィリフヨンカ、自分でないなにかになりたいヘムレンさん、養女にいった妹のミイに会いたくなったミムラねえさん、ずっと昔にいったムーミン谷の小川で気ままにすごしたくなったスクルッタおじさん、五つの音色をさがしにムーミン谷へもどったスナフキン。ところが、ムーミン屋敷はもぬけのから。待てど暮らせどムーミン一家はもどってきません。六人の奇妙な共同生活がはじまります。「ムーミン」シリーズ最終巻!
ムーミンの再読・初読をしてようやく全9巻読み終わりました。最終巻の本書は初めて読んだ一冊です。前作『ムーミンパパ海へいく』でムーミン親子とミイがムーミン谷を去ってしまったため、最終巻なのにムーミン一家は登場しません(これにはビックリしました)。でも、スナフキンたち6人がムーミン一家を思い出すと、不思議とムーミンたちの姿が頭に浮かんできます。全編を通して冬の訪れと夜の雰囲気をまとったお話しですが、ラストシーンは決してムーミン物語の終わりではなく、これからもムーミンたちの楽しい生活が続いていくことを予感させてくれました。 -
この巻は前の巻と対になっているなと感じた。新たな生活と驚きとを求めてムーミン谷から灯台の島へと移住したムーミンパパとフィリフヨンカ、ヘムレンは、皆普段の生活にうんざりし、今の自分とは違う立派な者になりたいと望む。無茶したりイライラしたりを繰り返す内に、何か他の者になるのでなしに、自分が本当にやりたいこと、やらずにいられないことを再発見してまた自分の家へと帰って行く。彼らはすごく大人気がなくて、時々イラっとするけど、どこか身近な感じもする。空想(妄想?)を大きく膨らませ過ぎホムサも少し怖いけれど可愛らしい。
対するミムラ姉さんとスナフキンには大人というかどっか悟っているとこに100%好感持てたけど、実際にはいないよなこんな人…じいさんは、ただただめっちゃ怖かった。 -
シリーズ8冊通しての感想です。
今読むと、ムーミン谷って天災多いですね(苦笑)。よって大別すると、天災から逃れて漂流する系の長編と、ムーミン谷周辺のさまざまなキャラクターにスポットを当てたホームドラマ系の2種に分けられると思います。個人的に好きなのは、後者のキャラもの短編のほう。登場人物はみんな人間ではありませんが、なんか身近に「あるある」「いるいる」系の、ちょっと一癖ある変なキャラが面白い。妙に理屈っぽかったりネガティブなキャラも多いし、こういうとこ、大人むけですよねえ。
好きなキャラは昔から変わらずスナフキンで、次点でミムラ姉さん、ミイ、ムーミンママも大好き。キライなのもこれまた変わらずムーミンパパ。ムーミンパパものの2作は何度読んでもイラっとする(苦笑)。ずらっとまとめて読んだトータルの感想としては、翻訳者がまちまちなので、各キャラクターの言葉遣いが安定しないのがちょっと気になりました。言葉遣いってイコールキャラの印象に直結しちゃうと思うので、もうちょっと繊細に扱ってほしかったなあ。