- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062770217
作品紹介・あらすじ
大阪・十三に戦前からある通称「骸骨ビル」。戦後の混乱期に住み着いて、オーナーの阿部轍正と茂木泰造に育てられた孤児たちを立ち退かせるために三人目の担当者として送り出まれた八木沢省三郎は、一筋縄ではいかなそうに見える彼らの話に耳を傾けるうちに、困難だったであろう日々を思い描くようになる。
感想・レビュー・書評
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大阪や日本中に骸骨ビルというものが実在していたのかもしれない。戦災孤児の証言を元に話が進められている。詳しい感想は下巻にて。
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通称「骸骨ビル」戦後の混乱期に住み着いてオーナーの阿部轍正と茂木泰三に育てられた戦争孤児たちを立ち退かせるために担当者として八木沢省三は送り込まれる。
阿部轍正の汚名をはらすまではでていかない。という茂木と子供たち。
終戦後、大人一人でも生きていくのが大変な時代に血のつながらない子供、それも一人や二人ではない子たちを育てる決意。
自分の人生より子供たちを育てることがなぜできたのか。
阿部と茂木、そして子供たちの絆が読んでいて胸にぐっとくる。 -
宮本輝はもう60を過ぎてしばらく経つはずだが、いまだにこういう彼の若いころのような小説が書けることがすごいと思う。ドヤっという落ちどころもないのだが、大阪十三や京都三千院などところどころの舞台描写が綿密、且つ食べ物の描写とボリュームが素晴らしい脇の花となっていて忘れがたい。鉄のフライパンが欲しくなった。
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いい場面、いいセリフもたくさんあって感動したけれど、かなり冗長で、水増し感ありすぎ。上下巻にするような話じゃないと思う。
たとえば、必要以上に細かい主人公の食事の描写や、長たらしいゴルフ談義や、ダッチワイフに関するどうでもいいウンチク(登場人物の1人がダッチワイフの製作者だという設定なのだ)とか、「ここ、バッサリ削除したほうがいいんじゃね?」と思わせる場面が多すぎるのである。
宮本輝はきっと毎日おいしいものを食べているのだろうし、ゴルフも大好きなのだろうけど、それを小説の水増しに使うなよ、と言いたい。
全盛期の宮本輝なら、そのへんの夾雑物は削ぎ落として、きっちり一冊で終わらせていたであろう。全編に満ちたダラダラ感に、宮本の老いを感じずにいられない。
……と、ケチをつけてしまったが、瑕疵はあってもなかなかいい小説には違いない。
とくに、随所にちりばめられた、「人間は~」「人生とは~」うんぬんという教訓的語りの深み。これはもう、余人の追随を許さない「宮本ワールド」なのである。
たとえば――。
《人間は変われない生き物なのだ。自分の人生を決める覚悟は、一度や二度の決意では定まり切れるものではない。何度も何度も、これでもかこれでもかと教えられ、叱咤され、励まされ、荒々しい力で原点にひきずり戻され、そのたびに決意を新たにしつづけて、やっと人間は自分の根底を変えていくことができるのだと思う。》
《「何か事を成した人っちゅうのは、みんな無謀っちゅう吊り橋を渡ってます」》
《「人間が抱く嫉妬のなかで最も暗くて陰湿なのは、対象となる人間の正しさや立派さに対してなの」》
《優れた師を持たない人生には無為な徒労が待っている。なぜなら、絶えず揺れ動く我儘で横着で臆病で傲慢な我が心を師とするしかないからだ。》 -
四十七歳でサラリーマンをやめ、第二の人生に向けてある仕事に就いた八木沢省三郎。その仕事は土地開発会社で、大阪に戦前からあるビルに住んでいる人々を荒立てず、穏やかに転居をさせると言うものであった。
そのビルは、妻のある男が建てその夫婦の死後、男の愛人の子・杉山轍正が相続したものであった。彼がフィリピン群島にて戦争を生き延び、ビルで住み始めた時、そこには戦争により孤児となった姉弟が入り込み、何とかその生を繋ぐように日々を生きていた。彼はパパちゃんと呼ばれながら、長短ありながらも四十人以上もの孤児を、病気で生家からでざるをえなかった茂木と共に育てていった。
だが、一人の孤児の裏切りにより、世間に批判される中で心筋梗塞で死亡する。パパちゃんにかけられた冤罪をとき、世間に知ってもらうべく、茂木やかつての孤児たちは動き、ビルに居住や仕事場を設けているのだった。彼らに対し、八木沢は…。
主人公が大学で師事した、中国古典文学の老教授の言葉。
「優れた師を持たない人生には無為な徒労が待っている。なぜなら、絶えず揺れ動く我儘で横着で臆病で倣慢な我が心を師とするしかないからだ。」
先生だけじゃなく、先輩とか友達、同僚にも当てはめられるなあと。様々な師によって、良い人生に導かれている。
骸骨ビルに住むナナちゃん(本名小田勇策、男、でも心は女の美人、43歳)が、おかまバーのママに言われた言葉。
「自分を磨け、磨くのは、見映えと脳味噌だ、…私たちお化けは頭を磨かなきゃどうにもならない。見映えってのは、目鼻のつき具合とは別の問題だ。」
私も感じ入る言葉でした。
パパちゃんが、孤児だった高校生の、人間は何のために生まれてきたのかと言う質問に対して即答・断言した言葉。
「自分と縁する人たちに歓びや幸福をもたらすために生まれてきたのだ」
ここに書いた文だけだと、ありふれたものだけど、そこまでの物語で描かれたパパちゃんや孤児を思うと、あらためて考えさせられる。
心に響く言葉や人物の生きざまが描かれていて、引き込まれる作品。
まだ、下巻が残っている。最後どうなるのか、楽しみ。 -
戦後の日本に溢れた孤児たちと、その孤児たちの、それぞれ「父親」と「母親」の担ってくれた二人の男の物語を主人公の目を通して辿っていく物語。大人になった孤児たちの個性が強くてすごく面白く、また心温まります。
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心に響くお話でした。
すべての登場人物に奥行があって、引き込まれました。
戦争によって、孤児とならざるを得なかった子供たち、
戦地での体験に、心縛られる大人たち、
誰もが必死で生きねばならなかった終戦直後の暮らし。
ただ生きるのではなく、人として崇高に生きる事の大切さ。
魂魄…魂は心だけではなく体にも宿るもの。
自分を変えようと思ったら、何度も何度も挫折を繰り返しながら、それでもなりたい自分を目指して、続けて行く事。
色んな事を考えさせられました。 -
孤児たちが住み着いた「骸骨ビル」、そこの住人を立ち退かせるため、主人公の八木沢三郎がやって来た。八木沢で三人目であるが、他の二人は何故、住人の立ち退きが出来なかったのか。上巻ではそこの住人と八木沢との出会い、住人の自分史などを混ぜながら物語は下巻へと続く。★閑話休題★阪急電車の十三(じゅうそう)駅は京都線、神戸線。高塚線の三線が交わる駅。小生がサラリーマン時代に神戸方面、大阪方面など日帰り出張時には、この十三駅で途中下車し、駅前の飲み屋で同僚と時間を潰した懐かしい場所。書き出しの風景で思い出した。
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戦災孤児たちの半生とそれを支えた復員兵の不思議な関係性。
主人公は元メーカーの営業マンで、彼の日記の書き方や行動、考え方は私が見習いたいと思う部分が多々あった。
大阪弁が人間らしさというか、登場人物の性格をよく表現していると思う。
不思議な筋書きなのに、あまり違和感なくどんどん読み進めてしまうのは、文体のなせる技か。 -
大阪の十三というところに戦前から建っていた堅牢でイワクありげな建物「骸骨ビル」の除却という業務に、ひょんなことから関わった主人公が、様々な人間模様、それも戦前戦後のどさくさで、好むと好まざるに関わらず、悲壮的な宿命を負った戦災孤児の人間模様を絡めながら、話は、読者を引き込んでしまいます。
人間置かれた環境で、様々な職業につかざるを得ない、インフォーマルな世界を作者独特のタッチで書き進む。
主要な登場人物がこのビルの歴史的に背負った背景を語っていくというスタイルだ。
そして、除却を請け負った主人公の心の動くも同時進行で描かれていく。
そして、下巻へと続いていこのである。 -
広い意味での戦災孤児と、それを育てた二人の男を巻き込んだ事件を、平成の世にヤギショウの聞き語りで進む物語は、初っ端から怪しい雰囲気を醸し出しながら進んでいく。ヤギショウは標準語、骸骨ビルの住人は大阪弁。彼らの語りを慣れない関西弁のイントネーションで読み進めるのは大変だ(笑)さて、ヤギショウと彼の親族は無事でいられるのか? 下巻へ突入だ!
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宮本輝は大好きな作家です。
この「骸骨ビルの庭」も、じわじわ感動がやってきて、いい作品です。 -
なんだか哲学的な内容やら、ひやひやする内容やらありつつも、魅力的な人達ばっかり出てくる。
それと美味しそうな食べ物が沢山出てきてお腹空く。 -
「早く、下巻を読みたい」そんな作品だ。
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日記形式。
骸骨ビルの管理人として過ごした数カ月間。
そこに住む人たち、そこで育った人たちと関わりながら、退居させることが求められている私。
さてさて、どうなるものか。
元々ことビルを所有していたオヤジが子供(戦災孤児)に伝えた言葉、人間は何のために生まれてきたのかの質問に、自分と縁する人達に歓びや幸福をもたらすために生まれてきたのだ。
こういう質問に、明確に答えることができる人間になる。 -
2016 4/4
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大阪・十三にあるビルに戦後の混乱期に住み着いた孤児たちの立ち退きにまつわる話。
そのなかに、料理の話あり、農業の話あり、本筋よりもそちらの方に興味が行ってしまった。京都のおいしい七味とごま油と醤油で食べるおうどんがなんとも
美味しそう。 -
心暖まる作品でした。
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純文学と大衆文学の明確な違いもよく分からないし、そもそも分ける自体がナンセンスなのかも知れないが本作品は純文学よりな気がする。損得を超えた無償の愛、使命感、嫉妬、生への執念等 人間臭さが滲み出ておりジワジワくる。終わりもスッキリ、すっと入ってくる。もう少し人生の経験を積んでから再読したい。
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レビューは下巻にて
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著者の「にぎやかな天地」でチラリと触れられた話が、ひとつの物語としてここに。
(気になっていた部分だったので、とってもコウフン!)
相変わらず美しく巧みな文章ですね。
物語としても、宮本輝の中でかなり上位に食い込むであろう…という程好きです。
(前編なのにこんなこと言っていいのかしらん)
大坂は十三にある通称「骸骨ビル」
そこのオーナー・阿倍轍正と、その友人・茂木泰造に育てられた孤児達。
そして立ち退きを命じるためにやってきた、主人公の八木沢省三郎。
とにかく、登場人物皆がいとおしすぎる…。
(沢山出てくるので覚えるの大変ですが…誰か相関図とか作ってくれないものか!)
一人一人必死に生きてきた物語があり、ヤギショウさんに語ることで徐々に明らかにされ、それが人物としての立体感を出していて思わず感情移入してしまいます。
薄っぺらくないんですよねェ〜確かにそこに彼らの息遣いを感じるわけです。
避けて通れない戦争の記憶。
胸を抉り耳を塞ぎたくなるようなものばかりです。
(とくに、ヒロコ姉ちゃんの空襲の…拙い想像力ながら映像が頭に浮かび、吐き気がする…)
彼らがどうなっていくのか…どういった決着をみせるのか…
かなり好きなお話なので、下巻できれいに終わらせてくれることを願うばかり! -
大阪弁 人のぬくもり
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宮本輝、予備校生だった二十年前に出会った作家。模試の国語で『星々の悲しみ』が出題されて以来の付き合い。大学二年くらいまでの間に、当時出版されていた作品の、ほぼすべてを読んだと思う。
それからは数年に一冊、なんとなく手に取り、毎度のようにしっくりと身体に染み込んでくる感覚を味わってきた。
たぶん、森の中の海かなんかを数年前に読んだ、次がこれになった。 -
「わたしが畑仕事で知ったことは、どんなものでも手間暇をかけていないものはたちまちメッキが剥げるってことと、一日は二十四時間がたたないと一日にならないってことよ。その一日が十回重なって十日になり、十日が十回重なって百日になる。これだけは、どんなことをしても早めることができない。」ナナちゃんの話
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宮本輝は私が初めて好きになった作家なので、思い入れが強い。でも20年は彼の作品を読んでいない。本当に久しぶりに戻ってきた感じで、とても懐かしい。穏やかで美しい日本語を感じることができる数少ない作家だ。
終戦後に戦災孤児や親に捨てられた子供が集まって育ってきた大阪は十三にある杉山ビルディング。そこで育った人々や育ての親であるビルの所有者の秘められた過去や思い。立ち退きを求めるためにこのビルにやってきた管理人の目から彼らの美しいだけではない、裏の顔が漂ってくる。
人情味豊かに、なおかつミステリアスに進む物語にページをめくる手が止まらない。 -
教訓的であり、人が誰かのために生きることの尊厳を改めて考えさせられた作品だった。2度読んで2回ともおもしろかった
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日曜朝のFM、小川洋子さんのメロディアスライブラリーでこの本を取り上げていた。表紙のバロック風というか不気味なイメージにも惹かれ手に取った。
表紙のイメージとは違って、大阪十三のゴテゴテしたような、侘しいようなビル。かつての孤児達の職業は猥雑さが満載だが、スッキリ書かれているので、いやらしさが無い。そのシーンを想像すると、かなり珍妙な風景も多く、笑ってしまう。女性にはこの本お勧めし辛いな。
戦後捨てられた子供達と子供達を育てた2人の男の物語。主人公はビルの明け渡しのために乗り込んだ中年。肝が据わっているのか、いないのか、良く判らない。彼ら一人ひとりが語りだす話を聴きことが小説の眼目になっている。だから、物語は全然動かない。にもかかわらずジワジワ沁みてくる。
料理を作ったり、庭仕事をすることが、如何にも地に着いた仕事のようで、物語に深みを与えている。
この物語はどう収斂するのかと思いながら読み進める。何か起こったようでもあり、何もなかったような気もする。それでも深い満足を感じながら本を閉じた。
何が言いたいのか判らないレビューになったが、今年一番良かった本になると思う。
これから、茂木が何を求めていたのか、ゆっくり考えてみようと思う。