長い終わりが始まる (講談社文庫)

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感想 : 80
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062770705

感想・レビュー・書評

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  • この作家さんは、やはり右脳読書。言葉にできないものを表現してる。大学の頃の、もんもんうつうつとした感覚を思い出した。

  • 少しずつ失恋していく、話
    と言ったらいいのかな。

    サークルに恋に音楽に、
    いろんな葛藤があって
    いろんな思いがあって。


    この作者独特の雰囲気が漂う。
    何も変わっていないようで、
    何かが確実に変わっていく、
    そんなことを描くのがうまいなあと。

  • これ絶対國學院っしょと思って読んでたらそうだったからもう!しかもいま実習中だからちょうタイムリー!
    ナオコーラさん國學院て知らなかった。
    お話としては、サークルのぐるぐる感を見事に描き切っていて、おもしろい!じゃないんだけど、あるよねー、そうだよねー、うんうん。という感じ。サークルのめんどくささを適切に表現してるすごさ。

  • くそが。
    初体験を無下にすんな殺すぞ。
    彼女居んのに独り身の女抱いて「帰らせたくないなー」じゃねえよ殺すぞ。
    何が失恋だあほが。
    思いっきり感情移入して身体が熱いわ。
    田中の背中に飛び蹴りしたい。しね

    -----


    「形がきれい」
    と田中が言ったのが、他の女の子のを見たことがある人しか言わない科白だったため、小笠原はブルーになったのだった。どうして他の女の子と比べられながら、褒められなくてはならないのか、と頭の芯が冷えた。


    ぴょんと立っているものは可愛いが、枕に押しつけた跡が残って後頭部がペタッとなるタイプの寝ぐせは、見苦しいものだ。

  • 渋谷の大学で、マンドリンサークルに打ち込む小笠原。4年生ながら、就職活動をするでもなく、ただただ楽器を弾き続ける彼女。自分の「終わり」を感じつつ過ごす、青春最後の日々。

    ナオコーラさん2冊目。堂々めぐりのかんじ、逃げ場がないかんじはこの人ぽい、独特だなぁ。結論が出るわけではないから、あまり好きではないんだけれど、雰囲気をつくることは本当に上手。「誰にでも書ける言葉で、誰にも書けない小説を」という目標は既に達成しているように思う。

  • 思い警察小説の後は、山崎ナオコーラさんの大学生のサークル活動を舞台にした『長い終わりが始まる』を選んだ。
    文体は重くはないのだが、人とのコミュニケーションをとるのに得意でない主人公が、多くの事に流されて過ごしていて恋愛でさえもはっきり自分を主張できていない有様で、この先君はどうなるのと思わせるないようで、読後の気分は明るくない。いままで読んできたナオコーラさんの作品は人生のいく先にないしてポジティブな物が多かったが、この作品ではそうではない気がするなあ。若いうちにコミュニケーション能力って言うのはどうやったら磨けるのかを考えさせられた。

  • サークルに馴染めないけど、音楽が好きマンドリンが好き。指揮者が好き、田中が好き。頑固で一途な小笠原(女)が主人公。

    マイノリティの難しさ、青春のもどかしさを感じることができる一冊。また、クリエイター、アーティストなどモノづくりを経験している方であれば、同感できることがある。

    大人になった小笠原の今後を見てみたいと思う。

  • 大学四年生になっても就活もせずサークルに打ち込む小笠原と、彼女の失恋までのちょっと切ない物語。やらなきゃいけないこともなんだかんだと理由をつけて避けてしまったり、素直になれないために何もかもうまくいかない日々に苛立ったり寂しくなったり、そんな描写がまさに同じ頃の自分と重なって胸がキュッとなった。終わりを意識し始めた瞬間はいつもどこかセンチメンタルな気分にさせられる。

  • 即物的な日常を生きる精神の在りようとして、「長い終わり」は純粋さと同型だ。「長い終わり」という純粋さは、決して終わらない。それは、自らの純粋性それ自体をも否定しうるほどの徹底さによって、逆説的に「長い終わり」を終わらせる機制を自らの内に欠いているからだ。それが終わるとすれば、その純粋さが否定によって押し出した外部からの圧力によって終焉を迎えるしかない。その時、純粋さを生きてきたその人間の美的感性そのものが消滅する。

    ところで、「長い終わり」という純粋さが、その実、外部に対して自らの「弱さ」が精神に取らせる防衛的構えでないと、証明することはできるだろうか。できないだろう。この問いは、純粋さの内に於いては決定不可能な命題であり、それを決定する機制も自らの内に欠いているのであるからして。

    純粋さの強張った脆さが、淡々とした筆致の中に描き出されている。

    「人間も[水と]同じようなもので、この街に溢れる男女は、それぞれの肌が区別され、各々歩き回っているが、ひとりの指先がどこまでなのか実は曖昧であり、この人形[ひとがた]はいっときの仮の姿でしかなく、誰かと触り合えばすぐに境目が溶けてしまい、自分というものを意識するのが難しくなるのではないか・・・。自分の体がどこまで伸びるのかが分からない」

    「セックスって、いつが終わりなのか、分からない。小笠原が田中のことを好きな間は、日々を越えて続いていく行為なのだろうか。まだ終わっていない、と小笠原は感じる」

    「男の生理感覚に偏って成立しているセックス文化は、おかしい。射精でなんか、セックスは終わらない」

    なお、批評家による巻末の解説は、蛇足の典型。

  • 短い文の中に、たまにきらりとひかるフレーズがあってはっとさせられた。主人公の小笠原にちょっとだけ共感する。

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著者プロフィール

1978年生まれ。「人のセックスを笑うな」で2004年にデビュー。著書に『カツラ美容室別室』(河出書房新社)、『論理と感性は相反しない』(講談社)、『長い終わりが始まる』(講談社)、『この世は二人組ではできあがらない』(新潮社)、『昼田とハッコウ』(講談社)などがある。

「2019年 『ベランダ園芸で考えたこと』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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