ヘヴン (講談社文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062772464

作品紹介・あらすじ

<わたしたちは仲間です>――十四歳のある日、同級生からの苛(いじ)めに耐える<僕>は、差出人不明の手紙を受け取る。苛められる者同士が育んだ密やかで無垢な関係はしかし、奇妙に変容していく。葛藤の末に選んだ世界で、僕が見たものとは。善悪や強弱といった価値観の根源を問い、圧倒的な反響を得た著者の新境地。

2009年に講談社から発売され、芸術選奨文部科学大臣新人賞・紫式部文学賞をダブル受賞した話題作の文庫版です。

感想・レビュー・書評

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  •  物語の中心に据えられる〝いじめ〟の所為か、精神的に辛い読書でした。ただ、その暴力的陰湿さに終始するだけではないのが、川上未映子さんの優れた文体・表現力であり、世界観とも感じました。

     中2でいじめを受けている斜視の「僕」。物語は「僕」の視点で描かれ、同級女子で同じくいじめを受ける「コジマ」、主にいじめる「二ノ宮」と付き従う「百瀬」を中心に展開します。

     4人の登場人物の個性が際立ち、いじめについて踏み込み、深掘りした内容です。特に、いじめる側といじめられる側の、切れ味鋭い心理描写が素晴らしいです。
     まともと思える「僕」が、「コジマ」や「百瀬」と関わることで、善か悪か、受け入れることは強さか弱さか、正しいとは、などの価値観が次第に揺さぶられていきます。2人の、悟り老成したような考えに、イラつくくらいそれぞれ一理あると感じるのでした。
     これは、読み手にとっても重い問いを投げかけられているようです。しかし、著者は特定の主義・主張を押し付けず、否が応にも「僕」に同調し当事者意識をもたされてしまいます。
     急転する終末、様々な解釈が可能な余白を残す表現は意図的なのでしょうね。

     今まで見えなかった、あるがままの、ただの美しさ‥これがヘヴンなのでしょうか‥。
     多くのことを考えさせてくれる本書、その価値が高いことに(以下の受賞歴も含めて)納得しました。

     本書『ヘヴン』は、2009年刊行、2012年文庫化。2010年に芸術選奨文部科学大臣新人賞・紫式部文学賞をW受賞しています。
     また、2021年に英訳され、2022年英国「ブッカー賞」翻訳部門にあたる「ブッカー国際賞」の最終候補6作品に選ばれました。(惜しくも受賞ならず)

  • 川上未映子さんの文章は、日本語として美しい。
    美しい文章で綴られた壮絶ないじめは、極めて鋭利なナイフのように、読み手の心を残酷に切り刻む。

    いじめの本質はここにある。
    そして、どういじめの地獄から抜け出せばいいかもここにある。

    誰もその人の魂までいじめることはできない。
    その人の一部(平野啓一郎さん的に言うとひとつの「分人」)しかいじめることはできない。
    他の部分には触れることすらできない。
    だから、いじめられている人はその一部にこだわる必要はない。捨てたかったら捨てればいい。
    その一部の捨て方を知らなかったら?

    それは、まわりのちゃんとした大人がしっかり教えてあげるべきだ。

    時には逃げることが生きていくということなんだと。

  • 〈わたしたちは仲間です〉と書かれた手紙の差出人は、同じクラスのコジマという女の子で、彼女もこの物語の主人公と同じように、クラスでいじめを受けていた。

    読んでいて胸が痛くなるような、目をそむけたくなるようないじめの描写が辛すぎるけれど、書き方が滑らかで、不思議なくらいにこの世界にどんどん引き込まれていく。

    彼らの手紙のやり取りや、話をしたことすべてがすごく清らかで尊いことに思える。
    受け入れることが正しいと言うが、本当にそうだろうか?

    この子たちの叫びは中途半端な訴え方じゃなかった。
    まるで暴風雨にでも打たれているような、言葉を全身で受け止めているような凄まじさを感じた。

    人は生まれ変われる。生きていれば、きっと生まれ変われる。
    自分の世界を、与えられた道を、これからも精一杯生きていこうと思う。

  •  悲しみや苦しみのただなかにあるとき、そしてそれが自分の力ではどうすることもできないとき、そこに意味づけを求めたくなる。後になって、こういう意味のことだったのかと思いたくなる。人を傷つけた人にも、程度の差はあっても、良心の呵責があると思いたい。なければ何らかの報いを受けるものと思いたい。

     学校でいじめを受けている、斜視である「僕」。不潔な容貌を理由に、同じくいじめを受けているコジマ。そして、いじめのグループの中で、いつも傍観者的な態度でいる百瀬。それぞれの考えには大きな隔たりがあることがわかる。
     コジマは言う。「なにもかもぜんぶ見てくれている神様がちゃんといて、最後にはちゃんと、そういう苦しかったこととか、乗り越えてきたものが、ちゃんと理解されるときがくるんじゃないかって…。」そしていじめに抵抗しないのは、目の前で起きていることを理解し、受け入れている、意味のある弱さだと言う。
     なぜこんなに自分を苦しめるのか、後ろめたい気持ちはないのかと問う「僕」に対して百瀬は言う。意味なんてなにもない。みんなただしたいことをやってるだけ。そして「『自分がされていやなことは、他人にしてはいけません』っていうのはあれ、インチキだよ。」そう言える理由を百瀬が言うのだが、そこには反論できないものがあった。自分に直接かかわりのない相手にどれだけ思いを巡らせることができるのか。「子どものころにさ、悪いことしたら地獄に落ちるとかそういうこと言われただろ」「そんなものないからわざわざ作ってるんじゃないか。なんだってそうさ。意味なんてどこにもないから、捏造する必要があるんじゃないか。」
     そして「地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。」

     当然のように考えていた道徳観のようなものに疑問を持たせられる言葉だった。いろいろな状況、立場の人がいるとは思うけれど、「いつか」どうにかなることを願う前に、まず「今」自分の力でできることをしてほしいというメッセージに思えた。逃げるのでもいいし、だれかを頼るでもいいし、自分で「今」「ここ」を大切にしてほしいということかなと思った。

     今までのいじめのことを話す「僕」へのお母さんの言葉がいいなと思った。「こういうのって、みんなすきなように違うこと言うからさ」「でもわたしはあなたの話しか聞かないから」「なんでも言って。でも言いたくないことは言わなくていい」。
     

  • 何かに追い立てられるように、1日で一気に読んでしまった。いじめに関する小説は数あれど、この物語の深さはレベルが違う、と思った。

    私も軽いいじめにあったことがあるけども、いじめっ子の「たとえばあの娘がさ、売春とかさ、ビデオとかで裸になってそのへんの男とやりまくる仕事につくって言えば(親は)かならず反対するだろうさ」「でもさ、こまかいことだけど、あいつ(親)も誰かの娘である女がでてるビデオ見たり誰かの娘である女が裸になってやってくれる店に行ったりしてるんだよ」「相手の立場になって考えるのが道理ならさ、足をひらいたり裸になったりして自分に色々やってくれる女の父親の気持ちになれるはずだろ」という理論で、「誰だって自分の都合でものを考えて、自分に都合よくふるまってるだけなんだよ」といじめを肯定するのは、一理ある気がしてしまった。 

    いじめについて「僕たちはいま、たまたまそれができる。君はいまたまたま、それができない」という発言は、いじめられるのが偶然だというのなら、そんなの防げない、という絶望であり、別に自分が悪くていじめられるわけじゃない、と思える希望でもある。
    本当にいじめる、いじめられるなんて、たまたまのタイミングと人の組み合わせだけで、誰しもどちらの立場になる可能性があるのかもしれない。

    くじら公園での、悲しすぎるのにあまりにも美しいラストが、脳裏に染み付いて離れない。

  • 芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞のダブル受賞。
    2022年「ブッカー国際賞」最終候補作。

    虐めの描写が辛かったです。今まで文章で読んだ中で一番心が痛い。こんなに容赦なく人を痛めつけられるのか。
    少し曖昧で哲学的な表現が多く海外文学を読んでいるようでしたが、作者が詩人でもあると知って納得。重いテーマの中でも美しい表現がたくさんありました。

    また、話が進むにつれて明らかになるのかと思った疑問のいくつかは解けないままでした。
    バレーボールの皮を被った僕を蹴り上げたのは誰だったのか、放課後に見た百瀬と女子との関係、なぜ百瀬は病院にいたのか、コジマが僕に見せたかった「ヘヴン」の絵とは。など。

    また、途中百瀬と僕で2人きりで会話をする場面がありましたが、百瀬の考えが全く理解できませんでした。
    「『自分がされて嫌なことは人にもしない』が理解できない」というセリフは特に。

    僕のお母さんが素敵な人でした。
    コジマが僕の斜視を、それが僕を僕たらしめる大切なものだと言ったのに対し、お母さんはただの目だと言いました。それで僕が変わるわけではないとも。
    僕が手術を受けることを決めたのはお母さんの後押しのおかげだと思いました。
    斜視の手術代が15,000円なのには、驚きながらも拍子抜けでした。

    この作品に限ったことではありませんが、一冊の本を書くのにかかった時間は作品によると思いますが、読者がその本を読むのにかかる時間は、本を書くより圧倒的に少ないはずです。
    作者が長い時間をかけて書いた本を、あっさり読んでしまうのは、とても贅沢なことのように感じました。

  • とにかくいじめの表現が凄くて
    苦しくなる部分も多々あった。

    百瀬との話も、ここまでか…と思うほど
    心が苦しくなりました。

    でもこれって目を背けちゃいけないし
    色々と考えさせられるお話でした。

  • 「わたしたちは仲間です」

    同級生からの執拗ないじめに耐える、14歳の"僕"。
    そんな"僕"の元に届いた1枚の手紙。
    いじめる側、いじめられる側、それぞれの考え方。
    善悪や強弱といった価値観の根源を問う作品。

    ✼••┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈••✼

    いじめの話だから、読んでてしんどいのはそうなんだろうけど、読み終わってからもずっと頭の中でぐるぐる、、
    だいぶ体力?精神力?消耗した〜
    それだけ深く考えさせられる作品だった。

    いじめられる側の「僕」と「コジマ」。
    いじめる側の「二ノ宮」と「百瀬」。

    いじめは言うまでもなくいけない事なのに、百瀬の妙に説得力のある言葉には、どう返答していいのか悩むところもあった。
    まったく厄介な中学生だ〜
    彼らに道徳心が芽生える事はあるんだろうか?

    そしていじめを受け入れてしまってる僕とコジマ。
    コジマにいたっては、なんか色々超えちゃって、洗脳された人のようになってしまってるのが読んでて辛かった。

    多感で不安定な思春期の子供たち。
    僕はヘヴンを見つけてそこから逃げることが出来たんだと思う。
    この先、コジマや百瀬たちも自分のヘヴンを見つけられると信じたい。

    「いつかぜんぶわかるときが来るよ。あの子たちにも、きっとわかるときが来る。いつかぜったいに色んなことが大丈夫になるときが来るから。」
    このコジマの言葉が印象的だった。


  • 川上未映子さんの深淵を覗いてしまった感…
    苛めに苦しむ「僕」と、同じく苛められている女生徒「コジマ」との交流を描く。
    苛めのシーンは辛いけど、注目するのはそこじゃない。
    苛めている側「百瀬」と僕の対話が始まる。
    203ページからずっと、頭を殴られ続けているような衝撃。
    これ感想「凄かった」で終わらせられない…

    ◉辛ければ辛いほど美しい(コジマの世界)
    コジマという痛いほど真っ直ぐな個性の描き方にハッとする。
    嬉しい時に出る「うれぱみん」にほっこり(*´꒳`*)
    しかしその愚直さが自分を追い詰める。
    辛いこと・苦しいことに「意味」を求めるコジマ。この辛さを乗り越えた先にきっとある、幸せな未来を想う。
    彼女がエスカレートしていく様はとても見ていられない。そのうち世界中の辛さをも自分が背負うことに美徳を感じるようになる。
    でも、コジマのような考えは誰もが持ってるはずなのだ。悲劇のヒロインになりたい気持ち。
    だからこそ読んでいて辛かった。

    ◉人生に意味はない(百瀬の世界)
    しょっぱなから「え?え?」の連続。
    だって常識が通用しないんだもん。

    苛めをしてはいけないって、それなんで?
    正しさなんて関係ない。
    やりたい欲求があり、できることをやる。
    それだけだろう?
    逆に君は なんで苛めができないんだ?
    罪悪感はないよ。いいことも悪いことも、全てはたまたま起こることであり、意味なんかないからさ。

    周りと自分との完全な分断。
    圧倒的に周りに期待しない、依存しない。
    凄く冷たい世界のように感じるが、苛めを受けている僕に対して「変えたいなら行動しろ」というメッセージも感じられる。

    コジマと百瀬は正反対だけど、どちらも自身を強く納得させるだけの世界観を持っていて、僕は翻弄される。
    しかしその事を考えているおかげで本当に危ない、鬱々としたところからは抜け出せたように思う。

    ◉理不尽な人生に意味をこじつけて何が悪い
    百瀬は「人生の辛苦さえ意味がないという事を受け入れられないのは、弱い人間だ」とバッサリ言ってたけど、私は色々な事に意味を見つけ出して生きていきたいと思っている。
    仮にこの先、死んでしまいたいくらいの辛い出来事があっても、自分で何かしらの理由を見つけて先に進む気力が湧くなら絶対にそっちのほうがいい。
    やり過ぎたらコジマみたいになってしまうけど…

    最後のくじら公園のシーンは圧巻。
    自分の道徳観を強く揺るがせた作品だった。

  • H29.4.23 読了。

    終盤のコジマの行動は、尊敬しちゃいます。
    主人公のボクとその母親のその後が気になりますね。

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著者プロフィール

大阪府生まれ。2007年、デビュー小説『わたくし率イン 歯ー、または世界』で第1回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。2008年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。2009年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。2010年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。2013年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。2016年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。2019年、長編『夏物語』で第73回毎日出版文化賞受賞。他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など著書多数。その作品は世界40カ国以上で刊行されている。

「2021年 『水瓶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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