- Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062774413
感想・レビュー・書評
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罪を忘れずに背負っていく事とはどんな事なのかを教えてくれる本。でも人は生きていれば忘れてしまう時もあって、そうでなければ生きていけない。けれども忘れてしまう事も出来ない、そうして生きていく事も出来ない。憎まれるのも憎む事もずっと続けるのは辛い。
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いじめを苦に自殺した中学生と、遺された者の物語。
遺書に名前を記されていたのは、いじめの主犯格2人と想いを寄せていた女の子、そして"親友"である主人公の真田裕の4人だった。裕は思った。一方的に親友にされた挙句、十字架を背負わされた、と。
十字架を"背負わされた"から"背負う"まで意識が変わるには、どれだけの苦悩があっただろう。
いじめは無くなることがなく、今でもニュースになる。
遺された者がどれだけの十字架を背負って生きていくのか、想像力をはたらかせてほしい。親になった今だからこそそう思う。
「親は、学校で起きたことをこの目で見るわけにはいかないんだよ。だから信じるしかないんだ。ウチの子は元気でやってる、毎日を幸せに過ごしてる……。だから親はみんな子どもに訊くんだ。学校どうだ?毎日楽しいか?って」
「心配するのは、親の仕事だ。子どもを信じるのも親の仕事だ。だったら、子どもが、学校は毎日楽しいよ、って言ったら信じるしかないだろ」
「人間って、死にたくなるほどつらい目に遭ったときに絶望するのかな。それとも、死にたくなるほどつらい目に遭って、それを誰にも助けてもらえないときに、絶望するのかな」 -
古本屋で「あ。この重松作品まだ読んでないわ」と購入したけれど、いじめがテーマと知りひとりの子どもの親としては目を背けたくなるような話になかなか手が伸びず長い間積読であった。
ようやく手に取るも最初の数ページで心臓が大きく波打つ。
やめてやめて、死なないで。お願い話して。誰か、話を聞いてあげて。生きていれば、生きていれば!と。心で叫ぶ。
いじめと言えば1986年のお葬式ごっこ、として有名になってしまった事件がある。
私は当時はいなかの高校生で同じTeenagerとして衝撃的な事件だった。
それから四半世紀。その間にもメディアで取り上げられるいじめの事件もひとつやふたつじゃない、
きっとそれ以外にもふつうに日常的にこどもたちのあいだでは存在しているのであろう。
何も変わっちゃいない。むしろさらに陰湿でひどくなった。うそでしょ、と言いたくなるような凄惨な事件もある。
その間に私もひとりの子どもの親となった。この小説のユウくんのように。
こどもには、学校はどう?楽しい?友達はいる?そんな問いかけを毎日のようにしてきた。
『その答えを信じるしかないのだ、親は。』
フジシュンのお母さんのひとつひとつが胸にささる。
ユウとサユを歓待する。告訴のすすめを断る、少ない思い出話を繰り返し繰り返し。
何度も本から目を逸らしそうになる。苦しい。もうやめて。
小学生の父親となったユウくんが、息子と彼が憧れている友人との関係を妻から
聞き、自分とフジシュンに重ね合わせ慟哭するくだりで鈍い痛みが極限に達する。
ゆるしてなんかいない、ゆるせるわけなんかない、ゆるしてもらえなくていい・・
それぞれの思いが、当事者じゃないとわかるはずなんかないのに、私になんて
その苦しみ、わかるわけないのに、苦しくてでも読まなければ。
最後のサユのユウくんに宛てた手紙で少し救われる。
森の墓地のことは知らなかった。こんなにも美しい「旅のおわり」。
いつか訪ねてみたいと思う。
中学教師となった旧友がユウくんに「子どもと付き合いたいのはせいぜい小学校低学年まで。
あとは一気に大学生あたりになってくれればいい」というセリフに激しく共感。 -
いじめを苦に自殺した中学生。そのまわりの人間模様を描いた作品。とても重い内容で考えさせられることが多かったけれど読んでよかった。人の細かい感情の変化がすごくうまく書かれてて、流石重松清だなと思った。
この世界観に一気に引き込まれて、気づけば読み終ってた。読後感は意外と清々しい感じでした。 -
タイトルから予想はしていたけれど終始重く暗い。
とことんテンション下げたい人におすすめ(?)
自分に子供ができたらもう一度読み返したい。 -
十字架とナイフ
コメントありがとうございます♪四季子さんの本棚すてきなので、時々遊びに行きますね♪
コメントありがとうございます♪四季子さんの本棚すてきなので、時々遊びに行きますね♪