尼僧とキューピッドの弓 (講談社文庫)

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著者 : 多和田葉子
  • 講談社 (2013年7月12日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062776011

尼僧とキューピッドの弓 (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

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  • とてもとても眠たいのであるが、いろいろあって投げ出すわけにもいかず、一気に、そしてようやっと、読みきったのである。ようやっと、というのには理由があって、読みかけては積み本に埋もれ、読みかけては積み本に、読みかけては積み本に、と計三回も一部(全二部構成)の途中まで読んだままになっていたのだ。だから、なのか、いや、もちろんたぶんそうなのだろうけど、この本の登場人物や舞台になにかしら見覚えがあって親しみがあって、それはもう楽しく読みすすめることができた。もう三度は会った(途中までだけど)仲である。ツーカーだもんよ、と思っていたらの、今回が初読みである二部での展開がもう魅力的で、ほんとうにどきどきしてしまった。

    しかしまあ、このひとの小説はほんとうに違和感を違和感として認めたままに小説と成立させることにおいて一級品であるなあ、と思う。この小説中に出てくる尼僧のひとりが「不調和」について語ってもいるけれど、舞台となっている修道院にはたくさんの不調和なものごとがあって、それでもなお、それぞれがわかりあいながら、わかりあえないながら、わかりあえないことをわかりあいながら、あるのだ、というようなそこかしこの描写は、白黒つけたくないお年頃の(そんな時期あるか)年中グレーゾーン愛好家のわたくしにとってはとてもここちよいものであった。いや、ここちよくはないんだけどね、違和感あるから。でもいいの、それくらいが。

    ということが言いたかったのかどうかはわからないけど、ほんとうにようやっと、ようやっと読み終わったよー!そしてそれは全然面白くなかったからだとかそんなんじゃないからね!そこ大事なとこだからね、すっごく面白いんだからね!

  • 舞台はドイツ。まずは二部構成の一部「遠方からの客」。由緒正しい尼僧修道院に取材目的で一時的に住み込むことになった作家の「わたし」(※日本人)が、共同生活を送る8人の尼僧たちと対話したり交流したりするだけの、淡々としたお話なのだけれど、なぜだかこれが面白い。ちょっとした会話の噛み合わなさに少し「くすっ」と笑えたり。

    尼僧たちは皆、中年~かなりの高齢で、独り身であることが条件ではあるものの、離婚歴はあってもOK。一応プロテスタントではあるようですが、それぞれの宗教観も来歴もさまざま。尼僧院といえども堅苦しい修行の場でも信仰の場でもなく、一種のシェアハウスみたいな印象。

    「わたし」がドイツ人の尼僧たちに勝手に漢字のニックネーム(透明美さんとか老桃さんとか)をつけているので(印象なのか音を変換しただけなのかは不明)、だんだんどこの国の話だかも曖昧になってゆき、前任の尼僧院長の不在にミステリーの予感が漂うあたり、なんだか日本の女子校ものミステリを読んでるような錯覚に陥りそうに(笑)。そのせいか、とっつきにくい印象のある多和田作品のわりに読みやすかったかも。

    二部「翼のない矢」は、一部で不在だった元尼僧院長の恋のお話。「尼僧」という固い言葉から受けるイメージを裏切って、けっこうグダグダ(笑)な恋愛遍歴で、そこで流されずに踏みとどまらないと!といろいろ突っ込みも入れたくなるのですが、そういうところも含めて彼女の人間味あふれるところが愛おしい。独立した短編としても十分読める完成度でした。

  • この本もまた、単行本で発売になったときに読みそびれ、このたび文庫化されたので手に取った。最近そういうのばっかり。

    もともと、ドイツ語翻訳者・松永美穂さんの随筆集『誤解でございます』の中に、多和田葉子さんとのドイツの修道院探訪のエピソードがあり、ちょっと驚いた逸話もあって、記憶にはっきりと残っていた。この作品のあらすじ紹介を見たときに、「あれっ、これってあのエピソード発展編ということ?」とあっさりつながったので、読むのを楽しみにしていた。

    大まかに分けて2章に分かれた構成。前半の『遠方からの客』は、とある修道院を尋ねた日本人に対して、住人である尼僧たちが入れ替わり立ち替わり、自分の現在の生活とバックグラウンドを語ってくれる。それが日本人とドイツ人、宗教をあまり意識しない者と宗教の中に(その信仰にも濃い薄いはあるけれど)生きる者の目線をそれぞれ持って描かれるので、単に自分の知らない世界をのぞく感覚で、語り手とともに修道院のや尼僧たちの周りをたどっていける。「透明美」「老桃」「火瀬」と漢字であだ名される尼僧たちや、漢字の名詞にドイツ語の振り仮名をあてながら、一見ゆったりと、実は日独ふたつの世界をまめに往復するさまには、多和田さんの言葉に関する随筆集『エクソフォニー』を思い返しながら読んでいた。

    第1章だけで終わっても十分面白いんだけど、第2章『翼のない矢』の冒頭の設定が鮮やかで驚いた。なるほど、そういうことがあったのは知っているが、そこで時間差を作ってそうくるか。そこまでのいきさつについては、登場人物のかつて体験した、わりない仲の迷いと生々しさがつづられており、ここだけ読めば高樹のぶ子的といえないこともない濃さもある。仏教的にいえば「煩悩」にとらわれた末の行動だろうが、「どうしてこうなった」「これは自分(たち)の望んだことか」とだらだら考えたり考えなかったりしつつここまで来てしまったという感覚には、ブッツァーティ『タタール人の砂漠』を思い出した。

    別に、この「事件」には明確な解決を求めても仕方がないと思うものの、最後の文には、愁いといくばくかの許しが含まれていて、しかも締めとしてきりりと効いていて好き。なので、この☆の数です。

  • ドイツの尼僧修道院で暮す女性たちを「わたし」が観察する第一部、第一部でいなくなった修道院長が半生を回想する第二部。どちらもオチというほどのオチはついてないのだけれど、ああこうやって人が生きていて、なんだかんだありながら生が続いていくんだなというライブ感を感じる小説だった。

    若くても四十代、上のほうは九十代のそれぞれに個性的な女性たちの暮しを好奇心いっぱいな「わたし」の眼とユニークな言葉遣いの文章を通して眺めるのがとにかく面白い。中年以降の個性は「避けがたくこうなってしまった」というようなものであり、そういうものがぶつかり合う様になにやら元気づけられた。

    第二部で語られる、いなくなった修道院長の男性に対する異物感。理解できるけどこんな風に思われてるってわかったら傷つくなあ、とベルンハルトが気の毒になった。なんかしっくりこないって感じながら四十になってしまうって、恐ろしいけれどよくありそうなことのような気もする。どうなんだろう。

  • ドイツの修道院にて。

    修道院での生活に興味のある日本人女性の滞在記。

    優秀なまとめ役だったにもかかわらず、わずかな期間で恋人と去ってしまった元尼僧院長のこと。

    複数の修道院で暮らす尼僧たちのそれぞれの考えと交差する思い。

    元尼僧院長のそれまでの人生と弓の先生であり恋人のベンハルトとのこと。

    苦悩を経て、修道院にたどり着いた人たち。
    異国を感じた。

  • 尼僧と恋、ということで、ある一人の尼僧の中での信仰心と恋愛感情の絡まりをすごく踏み込んで書いたものなのかなと思っていましたが、そうでもなかったです。第2部では、話の中心にはもう修道院はなくて、自身のあり方を模索する女性の来し方が、息苦しいながらも割と手短かに語られていました。第1部ではたくさんの尼僧がそれぞれの修道院生活の意味をぽつぽつと語ってはいますが、別に、〝アイデンティティーと信仰〟みたいな内容でもないので、全体的に、なんとなくフワフワ読むのがいいのかなと思いました。

  • 唯一幻が出てこない小説であった。ドイツの修道院が舞台ということで珍しい小説である。

  • ドイツの田舎町の歴史ある尼僧修道院を訪れた日本人のわたし。そこには様々な人生を送ってきた女性たちが共同生活をしていた。そんな尼僧たちの生活を観察するわたし。しかしわたしに滞在許可を与えた尼僧院長が不在だった。
    透明美、陰休、老桃、火瀬、貴岸。わたしが尼僧たちにつけた呼び名は、その読みを示されておらず非現実感を高めます。しかし彼女たちはしっかりと現実に足を下ろしてそこにいます。
    修道院の尼僧というと人生の全てを宗教に(神に)捧げた人たちなのかと思いましたが、そうとは限らず彼女らの宗教観も様々なものだったのです。それよりは自分の人生をどこかの段階で振り返り、少し方向を変えてみよう高さを変えてみよう歩む速度を変えてみよう、そう思った先に修道院があったのかも知れません。そこで共同生活をすることにより己の考えが純粋化することもあるでしょうし、より複雑化することもあるでしょう。わたしはそんな尼僧たちに彼女らの枠の外から声を投げ掛け、様子を観察します。静的なのに、いや静的だからこそ映像的なそんな面白い感覚がそこにありました。
    そして第二部では失踪した尼僧院長の自伝。いかにして修道院へ入り尼僧院長となったのか。そして何故失踪することになったのかが語られます。第一部では尼僧たちはわたしに語りかけ、わたしがそれを文章化しましたが、ここでは己の言葉で表されています。そこにあるのはひとりの人間の意志。他者に流されたのか自分で選んだのか。自分の意志とは何なのか。さて。

  • 尼僧につけられた呼び名の瑞々しさ、僧院内で交わされる言葉の生々しさ。俗世から隔絶された場所という僧院のイメージを覆してくれる。

  • ドイツにある尼僧修道院に、取材のため長期滞在している日本人の”わたし”の目を通して描かれる共同生活のようすと、”元尼僧院長の独白”の2部構成になっている。
    フェアな人には皆、すこし心を許すものであり、外国人ということもそこに加味されるものである。
    第二の人生をこの修道院に捧げる尼僧たちは、離婚経験もあれば子供もいたりする。男性との関わりに疲弊した過去をもっていても、豊かな記憶や想いと一緒に生きている。
    最後のほうで、わたし が修道院のことを執筆する(物語る)モードになっていく感覚が面白い。
    なにか液体が土に滲んでいくようだった。
    そして突然、平面的なものが立ち上がる。

    元尼僧院長の独白は、自由意思を求めながら40歳になってしまう、このままではいけないと思ったところから修道院の生活に落ち着いたが、結局は元の夫に絡めとられてしまう。今までの生き方について、自分が選んできた道はないと思ってきたが、すべて自分が選んだことなんだということがわかった彼女は、(カラスになって)修道院を出ていこうとする。

    多和田さん凄いです。

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尼僧とキューピッドの弓 (講談社文庫)の作品紹介

官能の矢に射られたわたしは修道女――。俗世から隔離された修道院で、かしいましい尼僧たちが噂をするのは……。紫式部賞受賞作。

尼僧とキューピッドの弓 (講談社文庫)はこんな本です

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