喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062776813

感想・レビュー・書評

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  • 狭く見えていた外の世界は、実は無限に広がっていて、一方で内なる自己のセカイは、自分次第でいくらでも高くそびえさせることも、底へ底へ深化させることもできる。

    外の世界の広さに気づけた瞬間、そして、自分のセカイを高く、そして深くしていくことだけに集中できた時間は、限りなく幸せな時間だったんだと、この『喜嶋先生の静かな世界』を読み終えた時に思いました。

    『喜嶋先生の静かな世界』の語り手は幼い頃から本を読むのが苦手だった橋場。そんな彼ですが、数学と物理の才能を生かし無事大学に進学します。しかし、大学の講義は橋場にとっては、退屈だった高校の授業の延長にしか思えませんでした。

    そんな彼の転機は大学4年生の時。卒論のためゼミに所属することになった橋場は、徐々に研究の面白さに目覚め始めて……

    受け身だった高校までの授業、そして大学での講義。それから一転して、自らテーマを定め、目標に向かって邁進する日々。この楽しさは僕自身も知っている気がします。

    自分自身の卒論のテーマは、読書体験の共有と+α小説の中での、本と物語の位置づけというものでした。読書体験の共有は、まんまブクログの話ですが。

    読書の歴史や、文化的背景の変遷を追うことから始まり、ネットやブログの潮流を調べ、社会学や心理学の文献をあたり、なぜ個人的な体験であるはずの読書が、オープンな場所で語られるのか。その場所に人が集まるのはなぜか、ということを書きました。

    好きなこと、興味のあることを、自分自身の知恵で紐解いていくワクワク感。なんとなく感じていたことが、言葉に、文字になっていくことへの喜びと高揚。

    卒業論文は割と楽しくやった覚えがあるのですが、そのときの感覚が蘇ってるような描写と表現に、読んでいるこちらまでも楽しさと共に、懐かしさがこみ上げてきます。「ああ、あの時は面白かったなあ」と。

    卒論のテーマをより深めたいと、橋場は大学院への進学を決意。そしてそれまで、海外に留学していた喜嶋先生が帰国し、橋場はさらに研究の道を突き進んでいきます。

    作品全体を包むのは、橋場の研究に対するひたむきさと、誠実さ。そして喜嶋先生に対する憧憬です。

    初めての学会での研究発表。大学の計算機を使うための場所取り。そんな大学院での日常から、橋場と喜嶋先生の何気ない会話に到るまで。

    その全てに軸として、橋場の研究へのひたむきさや誠実さ、喜嶋先生への情景が宿っているように感じられます。

    だからこそ、橋場の一人称で語られる言葉というのは、瑞々しく、無垢な透明さに覆われ、そして光輝いているように思います。いわゆる凝った文章や詩的な文章という印象は、そこまで強くありません。

    ただただ語り手の無垢な思いが、言葉や文章に込められることで、表現技法や言葉の修飾の枠を越えて、それ以上の美しさと透明さを持った、そんなふうに思います。

    研究者は孤独であり、孤高の存在でもある気がします。実生活とは離れた位置にいて、一般の人には理解しがたい研究に没頭する。しかし、そうして没頭した研究が自分に返ってくる保障はない。

    後に別の理論で否定されるかもしれないし、別の研究者に先を越されるかもしれない。そもそも、満足のいく答えが見つからないかもしれない。そして気がつけば時間だけが過ぎていて、もう後戻りはできないかもしれない。

    そんな研究者の孤独や残酷な事実も、この小説では描かれます。それでも、彼らは高みを目指して、遠くにあるものをつかみたくて、自ら問題を設定し、自らが決めた山を登り続けます。

    何者も立ち入ることのできない、高くそして深遠で静謐な世界。尊敬する喜嶋先生の姿を通し、橋場が追いかけ続けた研究の世界。それこそがこの小説のタイトルでもある「静かな世界」なのかもしれないです。

    でも一方でこの静かな世界というものは、研究者ではなくても誰もが入りうる世界なのかもしれない、とも思います。例えば何かに没頭している時間、集中力が研ぎ澄まされた瞬間。

    スポーツでいうならマラソン選手のランナーズハイや、プロ野球で打撃の神様と呼ばれた、川上哲治さんの名言にもある『ボールが止まって見える』といった、一種のゾーンに入ったり、集中力が限界まで高まった瞬間。

    ブクログのユーザーでいうなら、読んだ本の感想を書いている時間。感想を書いていて、ふと気がつけば一時間、二時間が過ぎていたとき。

    それは何者にも侵されない、神聖で「静かな世界」にいた時間なのかもしれないとも思います。

    『喜嶋先生の静かな世界』のもう一つのテーマは、モラトリアムだと思います。実生活に煩わされることなく、勉強にしろ、部活にしろ、趣味にしろ自分の好きなこと、やりたいことだけに没頭できた日々。

    その日々はかけがえのないものだったことが分かるのは、大抵子ども時代や学生時代でなく「大人」になってから。

    自由な時間が格段に減った多くの大人は、日常の喧噪の無かったもう戻らない「静かな世界」を懐かしみ、ときに切ない気持ちになりながらも、それでも日常を過ごす。

    この小説を一番読んでほしいのは学生さんなんだけど、内容が刺さるのはたぶん学生よりも「大人」だと思います。現に自分は刺さりまくってるし(苦笑)

    学生時分に読んだら読んだで、いい小説だと感じるとは思うけど、こんなに芯を喰った刺さり方はしなかっただろうなあ。

    もうあの頃のように居続けることはできない「静かな世界」
    その素晴らしさに改めて気づかされると共に、そのことが切なく感じられます。

    でも先に書いたように、静かな世界への扉は閉じてしまったわけではないとも思うのです。

    日常に忙殺されず、何か時間を忘れて夢中になれるものを持ち続けることができれば、きっと静かな世界への扉は、消えることなく開かれるのを待ち続けてくれるものだと自分は思います。

    そして自分にとってその扉の一つは、この場所で本の感想を書くことなのかもしれません。

  •  ずっと気になりながらも初読みの森博嗣さん。一気に好きになってしまいました。もう恋に落ちたように…

     理系男子の大学院、そのまた上の博士課程なんかのお話。理系も好きだけど、やっぱり文系な私なので、研究内容の話とかはさっぱりわからなかったけど、理系の院生の生活や青春、心から尊敬する喜嶋先生に出会えた幸せなんかを噛みしめるように感じられました。

     何がそんなに良かったのか、改めて考えると説明が難しいのですが、淡々として余計なものがない世界が、今の私には必要で、心地良かったみたいです。


    特に印象的だった部分です。

    ☆「そんな経験のためにここ(大学院)にいたのか」
     たまたま横に座っていた喜嶋先生が僕にささやいたことがある。良い経験になった、という言葉で、人は何でも肯定してしまうけれど、人間って、経験するために生きているのだろうか。
      (…略…)
     こういったことを真剣に考えると涙が出るほど悲しくなる。なるべく考えないほうがきっと良い。多分これは感情というものだと思うけれど、できるだけ自分をコントロールして、こういった気持ちを野放しにしない方が生きていくために必要だ、と思う。☆

    (改めて書いたら、ちょっとこの文章変な気がしますがまぁ、置いておいて…)


    ☆先生は「言葉はわかりやすい方が良い」という信念を通されているだけなのだ。飾ってしまうと、それだけわかりにくくなってしまう。
     
     普通の人間は、言葉の内容なんかそっちのけで、言葉に現れる感情を読み取ろうとする。社会ではそれは常識みたいだ。犬は、人の言葉の意味を理解しているんじゃない。その人が好意を持っているか敵意を持っているかを読み取る。それと同じだね。特に日本の社会は、言葉よりも態度を重んじる傾向が強い。☆

     
      研究者は、自分で問題を提示してそれを研究していく。その問題は、与えられたものではない。自分で問題という山の頂を作り、慎重に下りながら研究を進めていく。
    人生において自分で山を作っていく。楽な方に行かずに、自ら高さをわざわざ作る。この繰り返しができる人のパワーはすごいですね。

     また、人に何かを教えるとなると、師自体が、その存在が、その生き様が、教え子に何を伝えているのかが大切ということを痛感しました。

     大好きな本がまた一冊増えました。他の作品も読んでみたいです。

     

  • 素晴らしい。兎に角素晴らしかった——。こんな楽しい読み物がこの世にあったなんて信じられない、嗚呼…。研究の素晴らしさ、喜嶋先生という存在、橋場くんとその仲間たち?。帯の文句は正しい。本当に“圧倒的な読後感に包まれ”ました!もしかしたら、森作品で最高傑作では?

  • 自分がこの歳まで生きてきて…抱えたものや失ったもの、悲哀も歓喜もすべてがこの本の中にあった。

    読み終えてしまった時の寂しさといったら…言葉にするのは下品だとすら思うくらいの深さだった。

    大学というものの本当の姿、研究というものの真の価値。それが森さんらしい論理的かつ明快な筆運びで語られている前半部。

    人間存在の不思議や矛盾、人としての幸せ、それと引き換えに失われてしまった自己の本質…この本にはあまりにも多くの真実がまっすぐに語られていて、心の芯まで揺さぶられ、私の中で何かが変わっていくのを実感しながら読むことになってしまった。

    このくらいの厚みの文庫本なら、ゆっくり読んでも3時間はかからない私が、何度も同じところを読み返し、ため息やら吐息やらの形を借りて、自分の中で今までごまかしてきたものを排出しながら…読み終えるのにかけた時間は実に倍の6時間。

    濃厚で切なく、輝きに満ちた本。若い時に出会いたかった。いい本でした。

  • 橋場君が、研究を通して、研究者になるだけじゃなく、しっかりとした人間になっていく物語。静かな世界の中で確かに熱い魂は燃え続けている。今までに読んだことのない小説でしたが、読んでよかったと心から思っています。

  • 作者の自伝的小説と言われるが、「研究一筋」の清らかさというかひたむきさというのかが清々しい。
    最後、静かな哀しみが漂うのがまた心に残る。好きな作品だ。

  • 研究というものの淵源。その深さ。その孤独さ。研究者という立場を描いた本でありながら、それ以外の立場の人にも通じる、つまり人の生き方一般についてあてはまる価値観が示されていると、僕は感じました。
    読了後、しばらく動けないほど、心が揺さぶられました。

  • 「(気持ちが疲れたとき)(人生に疲れたとき)心を整えてくれる小説」
    大学生活を思い出した。私は橋場さんにも喜嶋先生にもなれなかった。

  • 再読。私は修士までで研究の道を挫折してしまったけれど、もしもっと気持ちを強く持てていたらきっと橋場さんみたいになっていたかもしれない。でもきっと喜嶋先生にはなれない。
    私には焦燥と羨望の本だったけれど、そうでないにしても買った文庫の帯にあった「(気持ちが疲れているとき)(人生に迷っているとき)心を整えてくれる小説」というのは最後の1ページを無視しすぎているのでは。

  • まず、タイトルが素敵。好き。
    淡々とした文章で面白いことを言おうとしていないのに、クスッとしてしまう可笑しさがある。
    大学生、修士課程、博士課程についてや教授、助教授、助手のことなど内部からの視点があって興味深かった。
    最後の数ページは胸が押しつぶされそうな感覚。ずっと低温(表に出にくいつくり)だったのに、思いがけず感情が現れていて苦しかった。
    ラストも想定外で驚きのまま終わる。
    小学生のときに夜空の星を眺めることが大好きだった主人公が、大人になって空を見ることもなくなってしまったのが悲しい。

著者プロフィール

工学博士。1996年『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、エッセィ、新書も多数刊行。

「2023年 『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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