僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス (講談社文庫)

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著者 : 堀田純司
  • 講談社 (2015年2月13日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062779739

僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス (講談社文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 評判がまあまあ良かったため、小説としても期待してしまっていたのが間違いだった。

    ストーリーパートが終始、退屈。
    顕現化してる女の子としての名前を覚える気になれないから、あれ、いま言及されてるのどの哲学者だっけか、と不必要なもたつきがあった。

    入門の入門書ぐらいで、まとめ方はわかりやすく読めた。

  • 面白いかな、と軽い気持ちで読んだのだけれど、意外や意外、自分にとっては非常に良い入門書となった。
    ツンデレとかの要素は別になくてもいいんだけど、容易な言葉で概要が分かって、哲学者の思想を理解したい、という意欲がわく、入門書としての役割をすごくよく果たしてると感じた。
    160926

  • 哲学の入門の入門としては良いのではないでしょうか

  • *ルネ・デカルト
    ・ボクはこんな風に、ほんの少しでも偽である可能性があるものは排除していったんだ。いわゆる『方法的懐疑』と呼ばれるプロセスね。
    …そんな風に少しでも疑わしいものをどんどん排除していくと、たったひとつだけ、この世界に絶対に疑うことができないものがあることに、ボクは気がついたんだ。
    それはボクがこの世界に存在すること。
    ボクの感じるものがすべて偽であることはありうる。でも、この偽ではないかと疑っている自分が存在することだけは、否定できない。

    ・そこで問題なんだけど、ボクたちはいったいどうやってこんな、『完全なるもの』の概念を持つことができたのだろう。

    ・ボクたちは不完全な存在。それは、ボクたちが神と無の真ん中にいるためじゃないかな。完全な実体と、存在しないもののあいだ。それがボクたちだから。

    *ベネディクトゥス・スピノザ
    ・本当のことを言うと、ほとんどの人にとっては、善も悪も、真も美も、どんなことにせよ、どこかでしっかりと決められていることにしたほうが、居心地いいみたいなようです。

    ・そんな卑下は、高慢に一番近いですよ。能力がないというのは、なににくらべて能力がないといっているんでしょう。それは他人とくらべてでしょ?
    そうした考えかたは、”他人のダメなところを見つけて、よろこびたい”という心にも通じるんです。だから卑下は高慢と同じ。

    *イマヌエル・カント
    ・人間は、ただ自動的に情報が流れ込んでいるわけじゃない。自分から世界に向き合って自分で世界を解釈している。
    そこにはきちんとした原理(ルール)があって、その原理に従って経験が生まれているの。では”その原理とは何だ”という話しになってくる。
    それをわたしは、ずばり”『空間』と『時間』というふたつの形式があること”だと指摘した。

    ・あの人は晩年に、”人間は、真理よりも物語によって幸福になれる”といっていた。そして、もしも君主に、国民が”自分は自由だ”と感じられるように統治するだけの才能があれば、実は多くの義務があったとしても国民は幸福だろうと書いているの。
    そういうのを読むと、あの人は人間が自由であるためには、逆に神様のように、星空の向こうから自分たちを導いてくれる存在が必要だ、と感じていたんじゃないかなと思えるんだ。
    なんでデカルトさんや、カントさんたちは、あんなに一生懸命”世界には神様がいる”といって、がんばっていたんだろう。わたしにはわかる気がする。
    この残酷な世界にもし神様がいないとしたら、自分たちのやってきたことはぜんぶ無意味だということになる。水たまりに生まれた虫と同じ。
    自分たちの世界は価値がある。永遠だと思っていても、明日には干あがって、すべてが無意味になるかもしれない。そんな孤独に耐えられる?昔の人はそれではあまりに寂しいと思っていた。だから”この世界を創ってくれた神様”が必要だったの。

    ・繰り返して思うほど、そして長く思うほど、より強く新たな感嘆と畏敬を感じ続ける二つのものがある。それは私の上に広がる星空と、私のうちにある道徳の法則である。

    *マルティン・ハイデガー
    ・『現存在』は『共同現存在』なのだから、他者の死という形で『死』を経験できるかもしれない。だけどやっぱり、これではダメなの。わたしたちにできるのは『死』に”居合わせる”ことだけ。そこで経験する喪失は、自分のものじゃない。

    ・目をそむけるのをやめて、『死』に向き合うこと。これをわたしは『先駆』と呼んだ。そうして『死』を『先駆』することで、人は世間から切り離され、自分本来の可能性に目覚めることになる。なぜかって?
    それは『死』があなたのもっとも極端な可能性だからよ。『死』は人ごとではなく、追い越すこともできず、係累もない、自分だけの可能性。
    『死』に臨む自由において、人は自己を取り戻す。『死』は、自分だけのものだから。

  • 哲学に気軽に触れてもらう、という意味では成功なのかもしれないが、登場人物がずっと哲学について一方的に話しているだけなので途中で投げてしまった。

  • これは何度か読み返さねば。

  •  デカルトやニーチェなど8人の西洋の近代哲学者たちの教えをライトノベル風味で解説した小説。

     それぞれの章は長くないのと、哲学者の化身の美少女がそれぞれの考えを解説してくれる分読みにくさはないものの、短さと内容がギュッと詰められている分、少し分かりにくさはあったかな、という気がします。あくまでこの本は入り口で、そこから興味を持った哲学者のことを自分で色々調べてみる、というのがいいのかなと思います。

     昔からの価値観やルールが崩壊し、不安が渦巻き正解が見えない社会だからこそ、人々は正解と思われる方向に盲目的に突き進んでしまっているのかな、と思います。ちょうど自分は就職活動をしていますが、一つの会社にたくさんの学生が群がるのも、また数打ちゃ当たるとばかりに会社にエントリーしまくるのも、正規雇用が正解と思われているからなのだろうな、と思います。そして正解を求め、そことのかい離を感じてしまうあたり就職活動が嫌になったり就職鬱なんて言葉が出てくるのも当然だなと感じます。

     そんな自分にハイデガーのモーメントである「世界に正解などはない。それは与えられるものではなく自分自身の生を世界に投げかけることではじめて、それぞれにあらわれるのだ」という言葉は響きました。

     著者はこの言葉をあとがきで「正解がない、ということは逆に言うと間違いもないということでもあります」と言い換えます。そう考えると少しは生きやすくなるのかなあ、という気がしました。 

  • 最後のシーン 看護婦が三重野であるのにはとても多重のコードで現代思想を感じました 現代っぽい

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僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス (講談社文庫)の作品紹介

「ボク思う、ゆえにボクあり、なんだからね!」事故に遭った「僕」が目覚めると、美少女だらけの学園だった。不安の時代を生きる僕たちが失ってしまった人生の指針――それが哲学。デカルト、ヘーゲル、ニーチェ、ハイデガー。西洋近代哲学者の化身たる美少女たちが教えてくれる世界の真実、人のありかた。いつ、どこでも絶対に揺らがないもの、それが、哲学(と、萌え)。クールジャパンの極北を彩る小説が、大幅改稿で文庫化!

僕とツンデレとハイデガー ヴェルシオン・アドレサンス (講談社文庫)はこんな本です

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