東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史)

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著者 : 羽田正
  • 講談社 (2007年12月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (406ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062807159

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東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史)の感想・レビュー・書評

  • 東インド会社隆盛前のイスラム世界がもう少し詳細にわかればよかったのだけれど・・・

  • 竜頭蛇尾??
    と言っちゃ悪いかな?
    前書きが長くて、とっても期待させるって却ってマイナスかも。
    いや、内容が悪かったというわけじゃ絶対にないんですよ。
    普段は見逃されている観点から歴史を見るという試みには大いに共感を持ちます。
    その観点とは、東インド会社を中心として、アジアの海の帝国を語ること。

    勿論、アジアの海には日本の長崎・平戸を介した貿易が含まれます。

    歴史というものは陸上を念頭において語られますが、海から見るというのはとてもチャレンジングな試みです。

    とても興味深く読めましたが、ヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰経由でアジアに至る海路を発見したときから、16世紀から18世紀までの200年間に絞って語られ、残念ながら植民地支配には踏み込みません。
    何故なら東インド会社はそれ以前に終わってしまうからです。
    もちろん東インド会社は植民地支配の先導役を果たします。
    しかしながら、海からの観点からは植民地支配は描けません。
    そこで終わるのは仕方ないことで、著者に対して竜頭蛇尾だと批判するのは的外れなことは分かっています。

    さらに著者に気の毒なのは、主役たちがろくでもない連中ばかりで品格に欠けることです。
    一攫千金を目論んで、命がけで海に乗り出す連中です。
    金儲けが総ての連中に、品格のある歴史が作れるはずがありません。

    でも、品格があろうがなかろうか、それは紛れもない歴史であり、彼らの活動によって歴史の大きな流れが確実に影響されたのは間違いのない事実です。

    人類の進歩というものは、実に多くの紆余曲折があったんだなぁと改めて思わされます。

  • 羽田正『東インド会社とアジアの海』講談社、2007年:イエズス会士のことを調べているが、カトリック系の本はどうも抹香臭くていかんと思い、ビジネス面も勉強してみることにして手に取った。最初はポルトガル人の活躍である。ヴァスコ・ダ・ガマは「キリスト教徒と香辛料」をもとめて、インドへ航海した。当時のポルトガルはレコンキスタの後で、イスラム教徒に被害妄想をもち、キリスト教徒だと知られたら殺されるんじゃないかと怯えていた。アフリカのモザンビークに寄ったとき、アラビア語を話す人たちがいると知ると、いきなり砲撃して水を奪い、案内人を連れだし、モンスーンをつかまえ、1498年5月20日にインドのカリカットに到着する。ガマは王に謁見し、ポルトガルの豊かさを力説したが、贈り物が貧相で王の側近らに失笑された。大航海時代、インドの綿織物・東南アジアの香辛料・中国の茶などヨーロッパ人が欲しがる品は多いが、ほかの地域が欲しがる産物がなかったのはヨーロッパだけである。ガマは香辛料を手に入れ、陰謀がめぐらされていると勘違いし、港の税を踏み倒して出航した。帰路、壊血病が発生し、船を一隻失いながらたどり着く。帰国後は大騒ぎ、東方貿易を握っていたヴェネチア人は「漁師をやらねばならない」と言われたが、そんなことにはならなかった。1500年にはカブラルが出発、途中ブラジルを発見するというめちゃくちゃな迷いかたをし、なんとかカリカットに到着したが、現地で紛争を起こし、帰国時には物産が足りず赤字がでて、航海は失敗といわれた。ガマは1502年に二度目の航海をする。はじめて立ち寄ったキルワの沖合で大砲を発砲、王をよびつけ「和平」を結ばせた。途中、船を略奪しながら航海をつづけ、カリカットでは前回バカにされたのが頭にきたのか、ムスリムの追放を主張、ムスリムを34人処刑しマストに吊るし、カブラルがうけた被害を賠償せよと、沖合から発砲、2日で400発も砲弾を撃ち込み、カリカットを破壊した。自らの武力が有効だと知ったポルトガル人は、1515年までに各地を攻略、「ポルトガルの鎖」をつくり、航路封鎖で香辛料の独占をねらった。アルプケルケによるインド・ゴアの征服(1510年)もこのころで、1515年以後はゴアに「副王」が駐在した。しかし、航路封鎖を破る方法がいろいろ案出され、結局、ヴェネチアに香辛料が流れ、独占はならなかった。ポルトガルはあちこちに築いた砦を維持するために移民をおこない。派遣された男が現地の女性と結婚し、ここに「ユーラシアン」が生まれる。彼らはアジアの海で勝手に交易を始め、私的なポルトガル人になっていく。要するに海賊兼商人である。1511年、アルブケルケがマラッカを陥れ、21年、インド洋と同じく広州で武力による貿易を試みたが、明はそんなに弱体ではなく失敗。42年、種子島漂着、50年、平戸到着、53年、マカオで濡れた荷物を乾かすため上陸し、そのまま居すわった。57年、明が居住を暫定的に認めた。地租は500両であった。イギリスではロンドンの商人たちが出資し、1601年「イギリス東インド会社」が成立した。ロンドンに本社があり、王に頼んで独占の特許をえた。ペルシャのホルムズや東インドのベンガル(マドラス)などに商館をおいた。オランダはイギリスより早く1590年あたりから東インドに進出、1591〜1602年まで46隻が出航している。アムステルダム・デルフトなど各都市の商人が船団を用意した。1602年、共和国が間に入り、各地の会社を合同して「オランダ東インド会社」が成立する。17人委員会による運営であった。資本の規模はイギリスの12倍、会社の消滅までアジアで最強の商社であった。オランダが拠点をおいたのはバタヴィア(ジャワ島)だが、オランダも東南アジアで蛮行をしている。1620年バンダ島で1500人の島民... 続きを読む

  • 大好評、講談社の『興亡の世界史』シリーズの第15巻「東インド会社とアジアの海」です。著者は羽田正先生、近年では岩波新書『新しい世界史へ』の著者でもあり、東大出版界『海から見た歴史1 東アジア海域に漕ぎだす』の編者でもあります。そんな先生が、インド洋海域世界を中心として東アジアからヨーロッパまで(アメリカ大陸までというべきか)をまたにかけて活躍した史上初の株式会社「東インド会社」を書くのですから面白くなかろうはずがありません。案の定、読者はそのスケールとの大きさと内容の濃さに圧倒されます。
    インド洋海域から東シナ海海域にかけ、ヨーロッパが入ってくる16世紀以前、すでに巨大な交易圏が誕生していました。インド洋海域世界では、陸上の政治権力は害さえなければ(自分たちに利益をもたらすのならば)貿易は基本的に自由であり、どこから来た人間だろうがとくに干渉はせず、とくにインド洋西部のいわゆる「イスラームの海」アラビア海は「ムスリムが一体となってインド洋海域の貿易を自分たちのやり方で完全に支配していたかのように思わせるが、そのような実態はない。異なった宗教を信じる多様なエスニック集団が、共存して競争しながら貿易を行うのが、この海域の商業活動の特徴だった。」(38頁)という状況でした。
    そこに15世紀末ポルトガル船のヴァスコ・ダ・ガマ一行がこの世界に出現してから状況が変化してきます。ガマは海賊以上の掠奪と暴力でキルワやカリカットなどを屈服(これらの地域はヨーロッパよりはるかに豊かであったが、火器が劣っていた)させて以降
    、この地域は「ポルトガル海上帝国(エスタード・ダ・インディア)」となっていきます。1503~15までにモザンビーク、ホルムズ、ゴア、マラッカなど高校世界史でも登場する交易都市が次々とポルトガル支配下に入り、この「ポルトガルの鎖」内で交易をするのならば、必ずポルトガルの許可(通行証=カルタス)を受けなければなりませんでした。
    しかし次第にこれらの都市とポルトガル本国との関係が疎遠になってくるとそこにはエリザベス女王のもと力をつけてきたイギリス(イングランド)や、そして新興国オランダがやってきます。
    スペイン領オランダは、16世紀後半のオランダ独立戦争によりポルトガル(当時はスペイン王が統治)経由でのアジア物産が手に入らなくなると、1590年代自力でアジアの海からの商品を手に入れようとします。これを見たイギリスは1601年1月10日(当時のイギリスの暦では1600年12月31日)イギリス東インド会社(East India Company略してEIC)を設立します。また遅れて1602年連合オランダ東インド会社(verenigde Oostindische Compagnie略してVOC)」が設立されます。オランダは東南アジアでのヨーロッパ勢力を駆逐し、香辛料交易を独占することになります。また同時に西アジアから南亜アジアにかけてはモカ(アラビア半島)、バンダレ・アッバース(ホルムズ島対岸)、スーラト(ボンベイの北)に、また東アジアには平戸やゼーランディア(台湾)などにも商館をも受け、ポルトガルに替わりアジアの海を席巻します。またイギリスも現地の王権と協力をしながら、コロンマデル海岸の綿織物産地マドラスや、ホルムズ島対岸のバンダレ・アッバースに商館を設けます。
    こうした彼らが運んだ品物はまず香辛料が挙げられます。これについては興味深い一文があります。例えば新課程版の高校世界史B教科書:山川出版社『詳説世界史』の202頁注には「西ヨーロッパでは14世紀以来肉食が普及し、胡椒などの香辛料の需要が高まった・・・」と書いていますが、氏は「ポルトガル人のインド洋への進出の理由として真っ先にあげられるのが、胡椒や香辛料の獲得である。ヨーロッパの人々は、食... 続きを読む

  • オランダからインドへ、そしてマカオを超えて出島まで、やや物語的に過ぎるところもありますが、興亡の世界史シリーズでもっとも知的興奮を味わったのはこの本でした
    貿易を主軸に幅広いテーマにきっちり目を配られていて、是非とも読むべき一冊です

  • 世界史の視点で東インド会社を捉える意欲作。各国史に分かれず全体を眺めると、ここまでダイナミックな時代だったのか。技術はあるが商品競争力のないヨーロッパと、物量豊富なアジアとの交流、今の西洋文明の基礎をもたらした、など、目から鱗の連続。

  • 興亡の世界史シリーズは各国の歴史を「横断」して語ってくれるので面白い。今作はまさにそのパターン。ポルトガルから始まった欧州とアジアの貿易、そっから英仏蘭東インド会社の栄枯盛衰を描く。大変わかりやすい。
    しかし、バスコダガマの時代から西洋至上主義は存在してたんだなー。というか、西洋と非西洋の文化の違いが面白い。アジア~インド諸国の「非主権国家」っぷりというのは今後の世界の有様をみるうえでも大事なことなのではないだろうか。つまり、「西洋的な主権国家」という概念が行き詰まりをみせる昨今、それに代わる、というか、それよりもより有効な国家(?)の在り方が、そこにあるのではないか、など。ようは、今フツーに思ってるシステムがフツーじゃないって思うことって大事ですよね。という。

  • 世界史とってない私にも読める易しい本。大まかな流れが掴める。

    バスコダガマってやなやつだなー。歴史は勝者のものなんですね。

  • ●構成
    はじめに
    第一章 ポルトガルの「海の帝国」とアジアの海
    第二章 東インド会社の誕生
    第三章 東アジア海域の秩序と日本
    第四章 ダイナミックな移動の時代
    第五章 アジアの港町と商館
    第六章 多彩な人々の生き方
    第七章 東インド会社が運んだモノ
    第八章 東インド会社の変質
    第九章 東インド会社の終焉とアジアの海の変容
    おわりに
    --
     当初ヨーロッパにおいてのみ活動していた西洋人は、次第にその版図を広げ、また新たな産物を交易することで富を得るために、西インド諸島を皮切りに少しずつ活動範囲を広げていった。
     本書は、喜望峰を越えた東アフリカからペルシャ湾、インド海、東南アジアを経て極東の日本まで及ぶ広大な世界で活動した、オランダ・イギリス・フランス各国の東インド会社の誕生の背景から終焉までのおよそ2世紀にわたる、東アジアでの西洋と東洋の係わり合い――交易、政治、文化など様々な領域での接触――を概観する。各国それぞれの東インド会社だけを中心に、西洋から見た東アジアを捉えるだけでなく、もう一方の当事者である東アジア各国の視点から東インド会社や西洋世界についても詳述する。
     概観しているからといって広く浅く、薄まったような概説書ではない。関係する様々な先行研究を敷衍し、インド、東南アジア、日本などを「発見」した西洋人がどのようにこの世界で影響力を広げていったかを丹念に記している。ハードカバー390頁で文庫ほど気軽には買えないものの、東インド会社についての全体的な知識を得るためにはお勧めの一冊である。
    --
    【古本】

  • 田中さんのお勧め本!

  • まさしく「歴史観がかわる」本。従来みたく一国の東インド会社について見るのではなくすべての会社を取り上げ、そして地域もその航路になぞらえた「アジアの海」という広大な範囲を視野にいれる。そのことにより世界のダイナミックな広がりが見え、国民国家という観念にとらわれがちな考え方を改めさせられる。とても読みやすく面白いのでおすすめ!

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東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史)の作品紹介

喜望峰からバタヴィア、そして長崎にいたる海域を「商品」で結んだ東インド会社。ヨーロッパの商人とアジアの人々の接触と交流を軸に、海を舞台に展開した一七、一八世紀の世界と近代への胎動をダイナミックに描く異色作。

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