はじめての言語ゲーム (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880046

感想・レビュー・書評

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  • ヴィトゲンシュタインの生涯とその思想を追い、後期の「哲学探究」に現れる言語ゲームを紹介する。言語はそれ自体だけでは存立し得ず、言語を使用する人間のふるまいと共に一元化された言語ゲームとなる。言語ゲームがメタシステムであるならば、言語ゲームを語ることもまた言語ゲームとなる。著者は社会学者なので、前著「はじめての構造主義」と同じく、言語ゲームを社会システム解読の方法論として捉えている。このアプローチは大変判り易いのだが、人間存在を超えた世界認識には至らないように思う。拡張する言語ゲームと云えば、山田正紀の「神狩り」をちょっと思い出した。

  • 主にウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」、「哲学探究」についての紹介。
    言葉が意味や価値を持つのは「言葉と世界が一対一対応しているから」。言葉と世界が対応するのは「人々が言語ゲーム(人々のふるまいの一致)を行っているから」。
    「言語ゲーム」は人間の初源的な行動様式である・・・。
    構造主義や、小林秀雄・茂木健一郎の考え方にも通じていると思う。

    個人的には、集合論の応用から、「世界が、正しい言語の使い方(論理哲学論考のこと。)に押し込まれる。」という結論に至るところが面白いと思う。

  • なぜ言語は「言語」としての一般受容性を備えているのか。
    その疑問点を「言語は物事のふるまいをきじゅつするものである」という点によって解決したのがヴィトゲンシュタインの「言語ゲーム」という考え方である。
    言語を使って◯◯が◯◯であると分かる、というごくごくありふれて感じ取ることができる事自体が言語ゲームであるということを身近な例を用いて説明している良書。
    思想というものを少々敬遠していたが、本書はよき入門書となると信じている。

  • ウィトゲンシュタイン思想の入門書。彼の人生と思想と言語ゲームの考え方を述べている。後半部の言語ゲームを様々な場面に適用させることによって、思想をただ理解するのではなく、実際に現実に応用する手助けを与えてくれている。

  • ヴィトゲンシュタイン本。むずかしい・・

    前期:論理哲学論考→世界と言語は1対1に対応している。

    後期:言語ゲーム→「そうではないのかもしれない・・」
    ある規則に従った、人々の振る舞いのことを言語ゲームと呼ぶ。
    言語は私的ではなくパブリックであり、人々の間の振る舞いの一致を司る。
    机を指さして、「これが机だ!(直示的定義)」と世界が決まっているわけではなく、
    一定の特徴を持った群を「これを机と呼ぶことにしよう」として、そのように振る舞うこと。
    その「環世界」を傍からみる、エイリアン的または幼い子供は、最初何をしているのか理解できない。
    そのうちに、あぁ、彼らはあれをツクエと呼ぶのだな。その言語を発すると、そのように行動するのだ、などを理解し、同様にそのゲームに加わる、つまり環世界に参加する。

    理解することと、記述されていることはイコールではない。これは草野球とプロ野球の違いのようなもので、明確なルールブックがない草野球にも当然にルールがある、から成立する。参加者はみなそのように振る舞い、そこからよりルールを明確にするためにルールブックが出来、プロ野球が生まれた。


    「解釈」という不思議な行為。
    例えば裁判などで法律を解釈するというシーンが有る。不思議な話で、人間が作った法律を人間が解釈するのだ。やはり変である。
    解釈者は、何を拠り所に解釈をするのだろうか。これを特定の言語ゲームから外れて見ないといけないのではないだろうか。
    言語ゲームに参加しながら、その言語を解釈すると言う矛盾は成立しない。仮にそうした場合、裁判における被告・原告・裁判官はすべてが異なる環世界に置いて、同時共有する法律をそれぞれの言語ゲームに則って解釈するということか。うーんすっきりしない。

    逆スペクトルの懐疑


    仏教
     悟りがあるから、悟りを求めるのではなく、悟りを求めるから悟りが存在する。

  • 今まで取っ付きにくいと思っていたヴィトゲンシュタインの言語ゲームがわかりやすく、おもしろく解説されていた。加えて、言語ゲームの考え方を応用して現代社会を紐解いている。
    橋爪さんの四大文明を解説している本のバックグラウンドとなるアイデアを学べた。

  • 言語ゲームでは、人々はふるまいの解釈で言葉を理解する、としている
    そして先駆ける論考で、私の言語の限界が私の世界の限界を意味する、とも語っている
    これらに基づくと、世界の枠(構造)を拡げるには、多くの[ふるまい→解釈]に触れる事が必要と考えられる
    その手段のひとつに読書もあるだろうが、自身の枠(あたりまえ)を把握していないと、他の枠も把握し得ない
    自戒しながら読書に臨もうと思った次第

    以前、週刊プレイボーイのグラビア担当編集の方のインタビューでこんな事を言っていた
    数多ある写真からグラビアを選んでいると自分の好みの傾向が分かってくる
    読者を惹きつけるには直感的な良さが必要だが、自分の好みを理解していないと、直感が単なる好みなのか、別の良さなのかを区別できない
    卑近だが枠の解釈の一例かと思う

  • これまでに読んだヴィトゲンシュタインに関する本の中で、1番分かりやすく、面白かった。

  • ウィトゲンシュタインの思想を挫折させることなくいかに理解させるか、という課題に全力で取り組んだ作品だと思う。伝記的にたどりながら思想に対する理解を深めていくという構成で読みやすいが、第2章「数学の基礎」のような章がそこに挟み込まれているのもありがたい。ただ9章以降は著者自身の考え方や関心事項に引き付けすぎのような気がする。

  • 前期と後期でわかりやすく分けてくれている。当時の時代背景含めて教えてくれるので非常にわかりやすい

著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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