ニッポンの思想 (講談社現代新書)

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著者 : 佐々木敦
  • 講談社 (2009年7月17日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062880091

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ニッポンの思想 (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

  • ニューアカって?というレベルなのでついていけない、頭に入ってこない。それでもなんとなくわかったような気に。80年代、浅田彰、中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人。90年代、福田和也、大塚英志、宮台真司。ゼロ年代、東浩紀。だけ覚えた。スキゾキッズ。

  • 私が投稿した論文が返却されてきていろんな要求があるなか,それの対応としてふと思いついて購入した本。著者の佐々木 敦氏は音楽批評家で以前から名前は知っていたし,講談社現代新書として出版された本書のことも知っていた。
    そんなことで,初めて佐々木 敦氏の著作を読んだわけだが,期待した以上の得るものがあった読書だった。

    プロローグ 「ゼロ年代の思想」の風景
    第一章 「ニューアカ」とは何だったのか?
    第二章 浅田彰と中沢新一――「差異化」の果て
    第三章 蓮實重彦と柄谷行人――「テクスト」と「作品」
    第四章 「ポストモダン」という「問題」
    第五章 「九○年代」の三人――福田和也,大塚英志,宮台真司
    第六章 ニッポンという「悪い場所」
    第七章 東浩紀の登場
    第八章 「動物化」する「ゼロ年代」

    講談社現代新書の帯は表紙の7割ほどを占める大きなものだが,その真ん中に大きく「この一冊で,思想と批評がわかる入門書」と書いてある。それはある意味正しくてある意味では間違っている。著者は本書で自分は思想の当事者ではなく,あくまで読者にすぎないというし,本書で検討されている作品群についても,場合によっては自分にはこれ以上理解できないと正直に書いている。本書は思想そのものを論じるものではなく,あくまでもそういう思想書が社会のなかでどのように生まれ,また受容されていったのかという,特定の時代に生まれた作品を出来事として捉えている。
    私は正直,本書で取り上げられる作品をほとんど読んでいない。地理学者のなかでは思想系にはまっている部類に入る私だが,翻訳ではあるがなるべく原著を読むようにしている。浅田彰と中沢新一は雑誌『現代思想』に掲載された論文を1,2本読んだだけ,蓮實重彦と柄谷行人に至っては全く読んだことはない。九○年代の重要人物として挙げられている福田和也は名前すら知らなかったし,宮台真司も翻訳のスペンサー=ブラウン『形式の法則』と雑誌論文をいくつか。むしろ,『形式の法則』を共訳している大澤真幸はけっこう読んだ。クリプキやジジェクについては彼の影響で読み始めたといってよい。本書で出てくる主要な本として読んだことがあるのは東浩紀『存在論的,郵便的』のみだ。
    私は本書を通して,本書で出てくる思想家の思想を知ることを目的としていないし,さらに進んで本書に登場する作品を読む気もない。知りたかったのは,彼らの作品が出版界を通して社会でどのような役割を果たし,どのように受け止められてきたのか,ということである。もちろん,それをきちんと調べるのは大変な作業だが,本書ではそれを可能な限り明らかにしている。
    浅田彰の『構造の力』が本人が驚くほど売れ,出版界がそれらに飛びついて「ニューアカデミズム」という流行をつくり出したこと。ニュー「アカデミズム」とは名付けられたが,学術界ではむしろ冷ややかな目でみられたこと(浅田彰と中沢新一の大学就職事情にまで言及している)。表面上はお互いが批判し合っているけど,内実はそんなに変わらないこと。そして,これは私の印象にすぎなかったが,当初は積極的にフランス等の思想を取り込むことで自説を組み立てていたように,外向きの力が働いていたが,それが徐々に内向きの力を持つようになり,日本国内で充足する思想になっていくということ。そんなことを明らかにしています。
    ただやっぱり気になるのは,あくまでも読者の視点で,冷めた目で本書が書かれているとはいえ,そういうものを読んでこなかった私とは違って,著者は好んで読んできたとう違いがある。そのせいか,あるいは新書であるが故の分かりやすさを重視したためか,八〇年代から始まって,九〇年代,そしてゼロ年代と,そういうように時代区分を明確に論じるのは,まさに内向きになったゼロ年代の研究者と同じやり方であ... 続きを読む

  •  80年代のニューアカから現在までの日本の思想の流れを追う。

     思想についてまとめられたこの本はやはり半分も分からない。ただ、こういう思想であるというだけでなく、当時にその中にいたからこそ分かる空気感がなるべく伝わるように書いてあるように思えた。

     何かの度に読み返したい一冊。

  • 日本の哲学家、思想家について軽くさらうことができる、読みやすくまとまっている入門書。各思想家の主張や偏り具合が上手く要約されている。この本で掲載されていない思想家もいるだろうし、そもそも思想家の選び方自体に筆者の主観が含まれておりはするものの、現代思想の初心者にとって読む価値はある。

  • 【速読】なんとなく現代思想界隈の雰囲気を受け入れられずにいるのは、本書序盤にあるようにそれらがパフォーマティブであり市場を無視できず、かつサブカルと密接な関係にあるためのようです、という愚痴っぽいことはさておき、そうした難解な80年代以降の思想についてキーワードを最小限に噛み砕いて書いてくれていると思います。以前適当に選んだ蓮實さんの本が意味不明に感じたのは、時代の請求というか、なるほどと納得しました。ぼくはこうした想の本編を読まずともこのくらいの理解でちょうどよさげです。許してん。

  • 1980年代からゼロ年代までの、日本の現代思想を分かりやすく整理した本です。

    「ニュー・アカデミズム」と呼ばれた、浅田彰と中沢新一の活躍から説き起こし、理論的な補強をおこなった蓮實重彦と柄谷行人、90年代をリードした福田和也、大塚英志、宮台真司、そしてゼロ年代に「一人勝ち」を収めた東浩紀の仕事を総覧しています。

    現代思想の担い手たちを、「思想市場」におけるパフォーマティヴな振舞いという面から、次々と主役が交代する一幕の劇のように描き出しており、たいへん分かりやすいのですが、同時にそうした現代思想という「場」に対するある程度の批評性も担保されているように思います。

    著者は、思想と呼ばれる営みには世界を変革しようとするものと、世界を記述しようとするものがあると言い、初発の動機としては前者であったはずのものが、「現代思想」という場におけるパフォーマンスがくり返される中で、いつのまにか後者へとすり替わってしまったことを、「ニューアカの悲喜劇」と呼んでいます。そして、椹木野衣が「悪い場所」と名づけたような閉域として、あるいは福田和也が「虚妄としての日本」と呼んでアイロニカルに肯定して見せたような場所として、「ニッポンの思想」を理解し、やがてそれが東浩紀のデータベース消費論と呼応するような、徹底的にベタな「思想市場」というゲームの上での戯れに帰結したことを論じています。

  • 「ニューアカ」から東浩紀の登場に至るまでをたどった解説本。ただ、思想史を淡々と語るのではなく、著者の意見もその都度差し挟まれるのがよかった。
    「コンスタティヴ」と「パフォーマティヴ」という概念を軸に、すっきりと整理されている。
    浅田彰はその明晰な頭脳に隙のないニヒリストだとすれば、東浩紀は、同じく明晰な頭脳を持ちながら、オタクを公言して憚らぬアクティヴィスト。
    本書を読むと、いかに東浩紀が小説を書くに至ったかがよくわかるし、浅田彰よりも彼のほうに賭け金を託したいという気にもなった。現実を明確に理解できたとしても、そのぶん絶望感が増す一方だから。

  • 平坂書房で購入する。読みやすい本でした。登場人物を絞ったことは、いいことです。前半の主人公は、浅田、中沢、柄谷、蓮実の4人です。後半の主人公は、福田、宮台、大塚、東の4人です。そんなに間違った人選ではないと思います。1980年代前半、浅田彰ブームがありました。僕のような思想に無縁な者ですら、その名前を知っていました。残念ながら、その本を読むことはありませんでした。別に、今も、昔も、分かりもしない難しい本を読むのは嫌いではありません。にもかかわらずです。正直、理由は分かりません。この本も、多くの読者がつくような本ではないと指摘しています。基本的に、読むことではなく、購入するだけで、多くの読者の知的スノビズムを満足させただけだと指摘しています。この指摘は、正しいと思います。同時に、悪い時代ではなかったような気がします。後半に登場する思想家は、前半に登場する思想家のように本を売ることが出来ませんでした。そのため、東さんだけが一人勝ちの状態になっています。思想家を育てるには、その思想家を理解できる読者だけではなく、僕のようなその思想家を理解する能力のない読者が必要なことが理解できました。そんなところでしょうか。

  • 浅田彰と中沢新一の対比は凄く分かりやすかった。日本の現代思想を俯瞰するにはとても有用な一冊。

  • 最近、SNSの発達もあり、マスコミで見ない日は殆どない批評家の方々(宇野さんとかびっくりするくらい露出してますよね)。どういった変移があって現在の言説が為されているか、その歴史を80年代=ポストモダン以降から遡って説明しています。さくっと概要掴むには良いと思います。

    個人的には、柄谷行人と東浩紀の繋がりを知りたかったので、3、7章が興味深かったです。これらを踏まえて、もう一度「探究」を再読し、「存在論的、郵便的」に手を出してみたいと思います(全く読める自信が無いけれど…)

  • 日本の現代思想を読むうえで道しるべとなってくれるものが欲しい、日本の現代思想を概観した教科書が読みたい、とおもって手に取りました。その目的は達成されたと思います。現時点でのわたしは、佐々木敦による各々の評価が妥当なのか判断し得ないのでなんとも言えないのですが、まあとりあえず今後読むべき本をリストアップできてよかった。ニューアカによってあぶり出された「わかりたいあなた」は、そのままわたしにも当て嵌まる、と自戒を込めて。というわけで今後原典にあたります。以下メモ書き。


    ・日本の思想と文芸批評は深い関係を持ってきたが(小林秀雄、吉本隆明、江藤淳、蓮實重彦、柄谷行人など)、ニューアカはそうではない。だからこそ文芸批評=思想が持ち得なかったポピュラリティを得た。テクストを読む行為の軽視。

    ・「馬鹿でくだらない現実=世界」は論じるに値しないとする「80年代の思想」と、いや、それこそ論じるべきなのだという「90年代の思想」、この違いが歴然としたのが、「オウム事件」だった。

    ・「大きな物語」が終わって、「歴史」が終わって、「マルクス主義」が終わって、「右翼と左翼」という二項対立が終わって、相対主義や多元主義が極められてしまったとき、確固とした尺度になり得るものとして残されていたのは、もはや「値段」だけだった

  • とてもわかりやすく論点整理されていて面白かったです。
    続編(?)の「未知との遭遇」も読むのが楽しみ。

  • 503番乗り。リブロLIVIN錦糸町店にて発見。気になる。(2012/10/20)

  • ニューアカ以降の日本の思想の歴史についてスーパー理解できた

    気がする
    ありがとうございました

  • 自分たち以外の者は思考していないと宣言するかのような「思想家」という単語。
    お互いにきちんと相互理解しているとは思われない、上滑りした、科学から剽窃した造語の羅列。
    少なくともこの辺りの人たちが記す「思想」ってものは、自慰行為なんじゃないかと思ってしまう。

  • 入門書としては最適。

  • 西洋思想も面白いけれど、そういうのに影響をうけても結局日本人なわけだからこういうのも面白いと思った。

  • ここに登場する人たちについて、聞いたことはあるけどちゃんと書物を読んだことはありませんでした。(一部の人はそれなりにかじってた程度。)

    けれど、彼らが「何を語ったか」というよりも「どうやって語ったか」というパフォーマティブに注目して書いた、と前述にある通り、ディティールや文脈を面白くなぞってくれているおかげで、それなりに楽しんで読めました。

    ただ、知っている人にとっては物足りないし、知らない人にとっては省略されすぎている&盛りすぎているのでちょっと疲れる形になってるかも。
    丁度良い前提知識量が難しい本。

  • 80年以降この三十年を総括してみたいという欲求があって、良いテキストをさがしているが、まずこれは十分に期待にこたえてくれるものだ。浅田、中沢、ニューアカブームは横目で眺めていたし、蓮実本も途中で投げ出しているので、ここに登場する思想家たちの本は一つも読んでいない。というのは非常に私的だけれど、まあこの時代をもろに生活人、社会人として何とか適応して生きてきた平均的日本人にとって「思想」とは何だったのかということを考える。直接彼らの本にふれていないものにとってもどこかを経由して何らかの意味があったものなのだろうか?
    歴史的な記述も、個別の思想家の読み解きも著者の力量をうかがわせるもので「思想家」のような言い切りがないところにも好感をもった。あとがきでも触れられていたが次はこの人の「思想」を見たくなる。

  • 思想の説明はよく分からない。社会学的な部分はまあ面白い。

  •  東浩紀は、震災後に発行した思想地図β2で、「思想は一部の人の趣味としてしか生き残ることができない状況にある」と述べていた。これは所謂「大きな物語の凋落」と「島宇宙化」の問題と関係がある一方で、思想の凋落には極めて日本固有の事情があった。本書の問題意識は一つそこにある。
     この本は80年代以降の日本の思想の流れを追っている。はっきり言って、内容はかなり難解であると言っていい。それもそのはず本書では、ニューアカの浅田彰、中澤新一、文芸批評家の柄谷行人、同時代の蓮實重彦、90年代の宮台真司、大塚英志、福田和也、そしてゼロ年代の東浩紀まで相当な数の思想家を扱っている。専門用語も多い。構造主義、ポスト構造主義の知識を膨大に必要とする。事前知識があったとしても、この本が一人一人の思想をしっかり説明できているかどうかについて、私はかなり疑問がある。とてもではないが評価し難い。柄谷行人と蓮實重彦の芸術批評の文脈、東浩紀のデリダ論には、文学に携わる人間として非常に興味をそそられはしたが。
     この本で評価できる部分は、思想の内容ではなく、パフォーマンスとしての思想の歴史、流れが、はっきりとしてはいないものの描けていることではないかと考える(本書のメインコンセプトであると著者は明言している)。
     ニューアカの時代において思想は、ファッションとして消費された。それは現代の消費社会によるものであり、椹木野衣の言う「悪い場所」としての日本によるものでもあった。外国から輸入して来た思想を日本はどういう形で受容して来たかについては、学術的な世界と俗世の乖離を考えても、様々な問題を孕んでいることは明らかだ。柄谷は、アメリカのポストモダン論の受容が、プラグマティズムというアメリカに元々あった思想と照らし合わせてなされたために、しっかりと消化されたのに対し、日本のポストモダン受容は、ヨーロッパと日本の差異を考えずあまりに安易になされたことを批判している。
     しかしそういった批判意識も思想の動きも結局は空転する。著者はニッポンの思想の流れをそう見ている。ファッション化に対する思想家のリアクションは、日本に巣食う問題をまっすぐに見つめようとする姿勢であったものの、そこに見いだされた日本の独自性は、問題意識を作り出すのではなく、逆に積極的に肯定された。そういった流れが勝手にできてしまう、それが日本という場所なのだと著者は見ている。そしてそれは思想のアクチュアリティを消し去ってしまう。だからこそ東浩紀はパフォーマンスに、売れることにこだわっている。思想がどういう形であれ、とにかく存在感を持っていることが今は大事なのだと踏んで、趣味の一つとしてでも思想の生き残りを目指している。
     大雑把に言えば、これが著者のニッポンの思想の見方だ。この本で描かれる「日本観」がどの程度妥当性を持った物なのか、私には判断しかねる。しかし、日本の思想の展開を掴むには悪くない一冊であると思う。

  • 80年代以降の日本の思想(ニューアカデミズム以降)について解説を試みた本。
    現代思想について誤解している部分が多かったので、知識確認のためにも読んでみた。

  • 最近の?日本の思想の流れをたどれる。
    小林秀雄から東浩紀まで。
    名前は知ってるけど・・・というレベルの私にはとても分かりやすかったです。

  • 2011/9/4購入
    2017/9/14読了

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