ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

  • 講談社
3.90
  • (337)
  • (577)
  • (286)
  • (61)
  • (20)
本棚登録 : 4633
感想 : 578
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881005

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 190-H
    閲覧新書

  • 宗教、特に「神様を信じる」ということがどういうことなのか理解できないので、初歩的な質問も含んでいるというこの対談本を読んだが、いい意味で自分にはやはり宗教は理解できないと思った。
    聖書は矛盾に満ちていて、遥か昔からそれをどのように解釈するか論争を繰り広げてきたとあったが、その過程で西洋の近代化の手助けのような働きをしていたと考えるところが興味深かった。

  • 一回じゃ理解できませんでした

  • もしこの対話の間に入っていたら、ずっと話を聴いていられる感じがする。
    学校の授業で聴くには少し堅苦しく、かと言ってBarでお酒を飲みながら聴くにはお粗末な感じ。
    読書で読みくだき、一人で悶々としながら思考を巡らすのがちょうどいい、ふしぎな本です。

  • 某社会学の先生がキリスト教について対談し、
    解説する本です。

    過去に解釈違いや賛否云々あったようですが、
    そういうものを抜きに、未熟な私からすれば、
    例えが分かり易くて文章が面白かった。
    これはエンタメだった。

    ※信徒さん向けではないのでご注意

  • 聖書をわからないものととして遠ざけてしまってる人におすすめ。聖書に書かれている言葉は世の中にたくさんあるが、日本人の多くは勝手に解釈し間違ったまま広まっていることが多い。
    キリスト教との距離感がぐっと縮まった本です。

  • 映画や文学、ビジネス書などからぼんやりと描いていたキリスト教と一神教が、随分クリアになった。
    本文中大澤氏も書いておられる通り、実際に信仰を持つ方々には直接お尋ねし辛い疑問にもスッキリ回答を提示してくれる書籍。
    西洋発の様々なジャンルの作品に触れるたび、本書に立ち返って再読してみようと思う。

  • 宗教に関してほとんど教養がなく、ユダヤ教とキリスト教の違いすら分かっていなかったのですが、大変勉強になりました。

    本著の内容だけで見ると洗礼者ヨハネの立ち位置だけがいまいち分からなかったのですが、その他の人物に関しては対話を通して頭の中に相関図を作ることができ、わかりやすかったです。

    大澤氏による知的好奇心あふれる質問に対し、橋爪氏がズバリ回答しているものもあれば、なんとなく腑に落ちないものもありました。
    中でも東洋の宗教は自然科学を生み出さなかったが、なぜ西洋の、とりわけキリスト教プロテスタント派が自然科学を生み出すに至ったのかという質問が非常に興味深く、また分かりづらくもありました(結局自分は分かってない)。

    一神教における世界は神によって創られたとし、神は我々人間が生きている世界の外にいる一方で、多神教、例えば日本の神道では神は世界の中におり、世界の探究において神への配慮が生ずる。一方で配慮の対象である神が世界の外にいる一神教では、世界自体に対する主権は人間にあるため、そこから理性への信仰がはじまる。
    では一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)のなかでも、とりわけキリスト教プロテスタントに於いて自然科学が誕生したのは何故なのか。
    ユダヤ教、イスラム教では宗教法という形で、世界内にいる人間に対する神の配慮があるため、人間の知性のリソースは宗教法の解明に注がれる。対してキリスト教はそれがない分知性のリソースが自然科学誕生の流れに注がれた。
    ここまでは分かる。

    では(自然科学誕生という文脈における)カトリックとプロテスタントとの違いといえば、橋爪氏によれば神を絶対化するか否かと書いてあるが、
    「神を絶対化すれば、物質世界を目の前にしたとき、理性を備えた自分を絶対化できる」という記述がよく分からない。
    さらに大澤氏の補足説明では、中世と近代では自然科学における真理基準(神の真の意図)が違うことが挙げられており、前者は聖書をはじめとするテキスト、後者は自然そのものに真理の基準があるとしている。
    当段落の文脈に則ればプロテスタントは後者(近代の真理基準)を採用したことになるがしかし、聖書中心主義のプロテスタントが、聖書ではなく自然に神の意図を見出し自然科学を発展させたとするところがまたよく分からない。聖書があいまいだから。で良いのか?


    本著はその内容の真偽を巡ってかなり物議を醸した本であるらしく、本著に対する批判本、またそれに対するアンサー?本と出ているようですが、一連のbeef全てをやさしく包み込む「ふしぎなキリスト教と対話する」(来住英俊 著)なる本が出ているようで、本著で学んだ内容を深めるべくこちらも読んでみたいと思いました。

  • 2回目。前回はざっと読んだだけであまり覚えていなかった。
    『ゆかいな仏教』を読んで再度読んだ。
    間違っている箇所もあるとの指摘もあるそうだが、全体に読みやすく切り口も面白いので、自身含めキリスト教のことが全然わからないという人が最初に読む本としてはとても良いと思う。

    ●概要
    今当然にある世俗的な概念や制度(資本主義、自然・社会科学、民主主義、芸術)が出てきた背景や受け入れられた素地が実はキリスト教にある。日本人は一神教でもなく特にキリスト教への理解が薄い。キリスト教を知ればもっとその概念や制度、一神教の人々の通底する考え方が理解できるのではないか。
    キリスト教がベース・前提としているユダヤ教(我々日本人はそれを踏まえないのでキリスト教がなかなか理解できない)の概要から始まり、それに対してイエスがどうアプローチし、さらにどう現在のキリスト教になっていき、現在どのような所にその影響が見られるのかを質問者大澤さん、回答者橋爪さん、という問答で深めながら展開される。

    ●知らなかった/面白かった話
    第1部 ユダヤ教
    ・ユダヤ教もキリスト教も殆ど同じ。ちがうのはイエス・キリストがいるかどうか
    ・ユダヤ教では神との関係は「契約」による安全保障(よそよそしいもの)であったがイエス・キリストが「愛」を述べて大転換
    ・ユダヤ教にとっては律法(宗教法)が大事。ユダヤ民族の生活のルールを一つ残らず列挙して、ヤハウェの命令(神との契約)だとする。これを守っていれば国家が消滅してもまた再建できる。実際にイスラエルが建国されてその戦略の正しさを証明している。
    ・人間は神(ヤハウェ)に似ているが、神は人間似ていない。例えば、神を4次元の怪物みたいなものとし、それを三次元に射影したのが人間、というイメージ(橋爪さんの解釈)
    ・一般的に普遍宗教は王権と結びつき拡大していくものだがユダヤ教は権力を肯定しない。
    -ユダヤ人は元々移動する民であり、外国人扱いを受けてきた(寄留者;ゲーリーム)。それにより貨幣経済や土地所有、都市化が進んでも原始的な部族共同体の態度が保存されている。安息日、債務帳消し、寡婦や孤児の権利、外国人労働者への保護など社会福祉的な規定(カリテート)がある。
    -ユダヤ教では神と人間に絶対的な差別・差異があり、人間同士は平等である
    →一般市民(預言者、長老含む)による王権のコントロール。民主主義発達。cf .儒教では徳の高い天子と徳のない民衆という差異
    ・神が作った世界の合理的な自然法則の完全な例外が奇蹟
    ・大事なのは「神を信じているか」というような意識できる宗教性ではなく、マルクス主義や科学者にすら現れる無意識の態度や行動のレベルの信仰である

    第2部 キリスト教

    ・イエスは実在しているというのが大方の学者の共通見解
    ・キリスト教はイエスの死後パウロの書簡(イエスの十字架の受難を意味づける教理を考えたもの)によって成立し、その後イエスの原稿録として(書き手が複数であるがゆえ)内容が多少異なる4つの福音書作られた
    ・イエス自身は自分を「神の子」とは思っておらず、また新宗教を作るというよりはユダヤ教の内部の革新運動として行動していた
    ・イエスの振る舞いは預言者に似ていたが、神の言葉を伝えるのではなく、自身が話をしているようであったため、「神の子」と言われるようになった。神の子とは親である神とは独立した存在ではあるが、この完結した人間存在が100%神の意思と合致している状態。
    ・ユダヤ教にとっての神の国:異教の国々がのさばっている正しくないこの世界をヤハウェが直接管理下に置き、エルサレムを中心とするユダヤ国家が覇権を取り戻す。
    キリスト教にとっての神の国:神の国は地上にはない。またユダヤ人含め、すべての人が救われるわけではない。そしてその基準は明確にはされない。人間の行為(業(わざ))は神の行い(恩恵)に影響を与えない
    ・ユダヤ教においてはノアの洪水で一度神の直接介入があり、契約(モーセの律法)により人間に規範を与えた。しかしその規範をみんなが守れておらず、多くの人が救われない、という状況を打開するため、神が再度直接介入をした(契約の更新)というのがキリスト教:イエスが人間として現れ人間の罪を背負って死ぬ(リセット)→復活→再臨のため天へ昇る→(今ここ。神はその呼びかけに人間がどう反応するか待っている)→イエスが再臨する「主の日」に最後の審判を行う。
    ・新しいルール:「律法」→「愛」へ
    愛は律法が形を変えたもの。どちらも神と人間の応答であり、関係を設定する契約。神と人間の関係を正しくしようとする努力。たくさんあった律法のうち、大事なのは2つだけ。①主である神を愛すること②隣人を自身のように愛すること。隣人とは親しい人々ではなく、罪人や嫌いな人たち。
    ・隣人愛の一番大事な点は、人が人を裁いてはいけない、ということ
    ・人間にはわからない理由により神に愛されたり愛されなかったりする。それでもなお神をどう維持していくかというのが一神教の重要な課題となる。
    ・キリスト教はヘブライ語だけでなくヘレニズム世界の共通語であるギリシア語を話せたパウロによりヘレニズム世界へ広がるチャンスを得た

    第3部 キリスト教と西洋社会との関わり、世俗的概念へどう繋がっていったか
    ・キリスト教はローマ帝国の東西分裂(395年)によって、東方教会(ギリシア正教)と西方教会(ローマ・カトリック)に分かれた
    ・西方教会は弱小王権に服属したくないので政治権力と結びつかず、教会の統一と独立を保つことに全力を挙げた(戦略例:典礼言語をラテン語に統一、政治権力を上回る人間の救済に関する権限の主張、結婚=王位継承や封建制度に大事な土地相続に介入、封建領主層から聖職者リクルート) →西ローマ帝国エリアがキリスト教を基盤とし、[政治的には統廃合を繰り返しながらも]EUに見出されるように独特の文化的・文明的な統一性を持っていて、影響を残し続けている
    ・宗教的な守備一貫性が高く信者の数も多いイスラム教よりキリスト教が近代化以降主導権を握れるようになった理由:宗教改革(聖書にない慣習は無意味→近代合理精神)、新大陸発見(宗教改革の負け組が外へ)、科学技術発展、産業革命、資本主義、最も大事なのは自由に法律を作れる点
    ・キリスト教はギリシア哲学からある「理性」を宗教的な意味で再解釈。神の法のうち、人間の理性によって理解することができる部分(自然法)がある。理性は、人間の精神能力のうち神と同型である部分、数学・論理学のこと。信仰を持ち、理性を働かせることが正しい態度となる。→哲学、自然科学、社会科学は信仰が理性を正しいものと是認したことでスタートし、キリスト教に反対することになってでも理性的に振る舞う理性主義を生み出した。cf. フランス革命
    ・宗教改革はの主題は神からのものと人間からのものを分けること。聖書中心主義。解釈の中で三位一体説まではプロテスタントも認めるが、聖書になく根拠の曖昧な聖人崇拝、煉獄、免罪符、告解、7つの秘蹟などは認めない。個人と神との関係が一番大切であり、教会は必ずしも必要ではない。
    ・プロテスタントのうち、カルヴァン派の教義:最後の審判で神の国に行けるかどうかは予め決められており、人間の行動によっては変えられないという予定説。これが行動により変えられはしないが神の恩寵を受けていると信じたい人々の勤勉さを促し、資本主義の発展に寄与したというのがマックス・ウェーバーの『プロ倫』
    ・自然科学がキリスト教、とりわけプロテスタントの中から出てきた理由は、①理性への信頼②神がこの世界を作ったと信じ、そこに神の痕跡を見出したかったから。聖書が曖昧であるがゆえ、神の意図を自然から汲み取ろうとした。
    ・近代国家の立法権は神のアナロジー、人権は神が与えた権利
    ・音楽は教会音楽から始まり、本来偶像崇拝禁止だがキリスト教徒はあまり聖書を読まなかったたため宗教美術が発展。カントの定言命法は宗教を全く前提にしていないにも関わらず、結果的にきわめてキリスト教的なものになる、カント流の隣人愛と見てとれる。ヘーゲルの弁証法も、マルクス主義もキリスト教的。
    ・日本人は主体性、努力が大好きで神に支配されたくない →カミが大勢いて一人一人のカミの勢力が弱い
    ・日本人がモノづくりに長けているのアミニズム(物神)と関連。中国やインドはモノを作る人より、何か考える人の方が偉い。イスラムは偶像崇拝禁止の精神で製造業見劣り?
    ・日本人は法律を作ることには抵抗がないが、自分の同意しない法律には従う必要がないと心底思っている。法の支配を実行できない。[理解不足、今後課題]

  • 不思議なキリスト教

    東方正教会
    布教には現地の言葉でよかった
    カトリック ローマ教会は、あくまで聖なる語のラテン語で教えたい
    けど学がない民衆には伝わらない
    から、宗教画が許された
     だれでもどこでも伝わる語だと、一神教の神の超越性、権威が弱まる、特別性なくなる



    カトリック プロテスタント
    カトリックはラテン語
    読めんやつもいた
    プロテスタントは俗語訳OK ドイツ語とかでも
    カトリックは雰囲気神聖だが、プロテスタントはあくまで聖書の内容を読めることが重要なので、誰でも読めるように訳した
    カトリックは逆に聖書至上主義ではなくて、教会とか聖職者に重きを置いた
    これ宗教画に関係ある?
    カトリックの方がより派手で分かりやすそう

    キリスト教において、聖書は曖昧(律法なし、だけど自然は真実、だから自然科学の追求がトレンドになった
    イスラム、ユダヤは確固たる法があったからそこに依存?

    キリスト教はいろんな意味でガバガバでゆるゆる
    だから西洋からいろんなものが発展した

    やっぱ対談は読みやすい〜!

全578件中 51 - 60件を表示

著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

橋爪大三郎の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×