- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062881678
作品紹介・あらすじ
なぜ理想は対立するのか。荒畑寒村、山川均、大杉栄、丸山眞男等思想史を代表する知識人が、マルクス、レーニン等の影響下、どのように社会活動を議論したのか-。社会を変革しようとした男たちを全く斬新なアプローチでヴィヴィッドに描く痛快社会学。
感想・レビュー・書評
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政治
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1年ほど前に読んだ一冊です。
内容は面白いですがタイトルが悪いですね。著者自身が付けた訳ではないのですが、失敗だと思います。著者自身も、出版社側のネーミングには不満がある様でしたが、譲歩したそうな。
内容は、「日本左翼史」とでも言いましょうか、なかなか独特の分析で面白かったです。ただ、「労働運動史」でも「共産主義思想史」でも、「社会民主主義思想史」でもなく、あくまで左翼史ですので、深く思想史に入り込んで描かれることもなく、出てくる人物にも当然偏りがあり、出てくる論争も古き左翼独特の偏狭な論争なので、イマイチ物足りない気もします。あと、安保闘争について触れないのは、ページの都合とはいえあまりにも中途半端ではないかなと感じました。
その分、幸徳秋水や山川均、丸山眞男、大塚久雄などお馴染みの人物が登場するので、詳しく知りたい人にはオススメです。また、アナ・ボル論争や労農派vs講座派論争などについても詳しく知ることができます。今読むと、左翼って狭い視野、狭い世界で闘っていたのだなぁと思わされます。また一方で、当時の政府による思想弾圧も酷いものがあるなとも。
昔の左翼について知りたい人は読んでみてはいかがでしょう。 -
新書文庫
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近代日本の左翼の運動史を、簡潔に解説している本です。
著者は、NHKの大河ドラマ『獅子の時代』の主人公である苅谷嘉顕と平沼銑次について、嘉顕が理想や理念を抱いてそれに合わない現状を変えようとする道を選んだのに対し、銑次は抑圧された大衆の中に身を置いて戦う道を選んだと述べています。その上で、日本の左翼運動史を、「嘉顕の道」と「銑次の道」の相克として描き出しています。もちろん中心になるのは山川・福本論争から講座派と労農派の対立を経て、戦後の共産党と社会党の二つの流れが生まれるまでの流れで、もちろんこの一冊で左翼運動史の全貌を知ることはできませんが、大きな流れを把握できるようになっています。
「左翼」の人気が凋落して久しいのですが、ナショナリストでありながらマルクスを高く評価する佐藤優の本などを通して、改めて日本の近現代史における左翼思想に関心を抱く若い読者もいることだろうと思います。しかしそうした読者の多くが、それぞれの時代における一流の知性が結集して議論を積み重ねてきた左翼思想史を前にして、たじろいでしまうのではないでしょうか。そうした意味でも、左翼の歴史をとにもかくにも新書一冊で概観することができる本書は貴重だと思います。 -
「左翼入門」という名前がついているけれど、左翼の「入門書」というわけではまったくない。社会主義・共産主義に影響を受けた日本の社会運動や政治運動の歴史を、(1)理論的で理想的な、でも一方で上から目線になりがちな「嘉顕の道」と、(2)虐げられる人々の中に入り込んで、でも一方で排他的になりやすい「銑次の道」という二つの「道」に類型化して整理している。ちなみに、「嘉顕」「銑次」は、 NHKの大河ドラマ『獅子の時代』に出てきた登場人物からきている。
非常にクリアな整理で、わかりやすい。戦後の日本の社会党・共産党の動向のところは、二つの道の「ダメなところ」が当てはまって退潮していったという見方。言葉遣いも明瞭で痛快。理論に偏りすぎると現実の人々の生活を切り落としてしまうし(共産党はこれ)、実践に偏りすぎると大衆の気分に流されたり、グループが閉鎖的になって排他的になる(社会党、とくに左派)。
それから印象として持ったのは、本書が「普遍的な価値」をわりと信じているんじゃないかと思えるところ。一番よくあらわれているのは、文化相対主義に対して、「自分は人権を守られた先進国にいて、安楽椅子に座りながら「…その国にはその国のやり方がある」などと言って抑圧の犠牲者を見て見ぬ振りする姿勢は、当の犠牲者から見たら極めて身勝手な姿勢と映ることでしょう」 (p.207)と批判している箇所。むろん、真理の存在を前提にしているわけではないけれど、相対主義よりは普遍主義のほうが良いと考えているように読めた。
とはいえ、戦後日本の社会運動の歴史をこの「二つの道」に整理してしまうと、どうも歴史の豊かさを切り縮めてしまうんじゃないかという気がしなくもない。著者は経済学が専門なのでそうなってしまうのかもしれないけれど、社会運動のもつ懐の深さというか、多様性が失われて、一種のマネジメント論的になっているような印象も少しあった。とはいえ、タイトル以上に面白い本。 -
日本の政治思想(アナ・ボル論争)を始め
政治思想の流れを実力武闘派と広く浅くする流れの
二つに大別する。 -
明治維新以降の左翼運動を解説した本。話し言葉で読みやすい。
前半は明治~第二次世界大戦までで、『日本近代史』(http://booklog.jp/item/1/448006642X)で描かれた時代とほぼ一致する。しかし登場する人物は全く異なり、『日本近代史』では描かれなかった面を知ることが出来る。
後半は大戦以降からソ連崩壊あたりまでについて解説されている。
この本の柱は「理論に基づいて人を動かそうとする立場」と「集団の一部として人を動かそうとする立場」との対立構造にある。
本書の終盤では、その2つの欠点を補い合う形での組織発展を提唱していて、リーダー論や組織論としても読める。 -
まあ、なんか全体的に理論には納得できないけれど、多少の知識は付いたし、こういう考え方があるんだなあってしれたことはかなり有益になった。
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昨今課題となっている「「下から」の社会変革路線とその問題点の克服方法」(18頁)について,なぜ日本でうまくいかないのか,1世紀にわたる近代社会運動の歴史をサーベイした良書。右翼・左翼の概念的イメージとして,「世の中を横に切って「上」と「下」に分けて認識し,「下」に味方するのが左翼で,世の中を縦に切って「ウチ」と「ソト」に分けて認識し,「ウチ」に味方するのが右翼」(254頁)と定義したのは,実にわかりやすい。また冒頭において,日本の社会主義思想は,明治期における社会主義の誕生から日本資本主義論争に至るまで,常に2つの道(「理想や理論を抱いて,それに合わない現状を変えようとする道」と「抑圧された大衆の中に身をおいて立ち上がる道」)が相容れることなく対立し,結局は共倒れして自滅することを宿命としていた――と,筆者がフレームワークを示したのも興味深い。それだけに,第1刷では,誤字・脱字の多さ(たとえば,「すわ,天皇制の廃止問題が」(81頁),「エリートの党だってわけで」(95頁)など),あるいは主述関係の曖昧な文章が目立つのが,非常に悔やまれよう。
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「上からの啓蒙」と「下からの運動」に注目しながら左翼運動史を振り返り(1~8章)、それを受けて筆者が自らの運動論について述べる(9,10章)。
終章の主張は、私が考えていたものとかなり合致する記述があり、共感しながら読んだ。
これら9,10章の内容はちょっといきなりの感があるというか、若干説明が足りない。それについて理論的に詳しく説明されている書籍があればそれを読みたい。