わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

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著者 : 平田オリザ
  • 講談社 (2012年10月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881777

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

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  • 感想をまとめようとして気づいたのだけど、ちょっと要約しにくい本だ。一貫した論旨があるわけではない。著者が前書きで述べている通り、あえて「ノイズ」の多い構成にしてあるからなんだろう。そしてそこに、そもそも「コミュニケーション」とはそういうものなのだという著者の考えを読み取ることができるように思った。私たちは、明快な要点のみを簡潔に伝え合って日々過ごしているわけではなく、むしろ言葉にされないこと、言葉にはならないものから、無意識に多くのことをやりとりしている。

    何よりも小気味いいのは、「コミュニケーション教育」の意義を認め、実践もしているオリザさん自らが、コミュニケーション能力と呼ばれるものの大半はスキルやマナーの問題であると断言していることだ。 

    「口べたな子供が人格に問題があるわけではない。少しだけはっきりとものが言えるようにしてあげればいい。コミュニケーション教育に過度な期待をしてはいけない。その程度のものだ。その程度のものであることが重要だ」

    だから、慣れればいいのだとオリザさんは言う。それだけのことなのだ、それ以上のものではないのだと。これにはまったく同感。なんだか大層なもののように思わせているのは誰だ。あいも変わらぬ若者バッシングの一つに「コミュニケーション能力がない」というのがあるけれど、そう言いつのる人(主に中高年男性)がいったいどれだけ豊かな表現を行っているのか?

    今の若者たちは、一方で自分の意見をはっきり言うことを求められ、一方で、空気を読み場を乱さないことを求められるダブルバインドの状況にある、という指摘にも深く頷く。就活に苦闘する若者たちに是非読んでほしいなあと思う。

    一番心に残ったのは、著者の日本語への思いの深さだ。

    「およそ、どの近代国家も、国民国家を作る過程で、言語を統一し、ただ統一するだけではなく、一つの言葉で政治を語り、哲学を語り、連隊を動かし、ラブレターを書き、裁判を起こし、大学の授業ができるようにその『国語』を育てていく」

    日本では非常に短期間でそれが行われたために、積み残してきてしまったものがあり、その一つが対等な「対話」の言葉だとオリザさんは言う。それは、私たち自身が時間と手間をかけて、小石を積むように、日々の言葉から築いていかなくてはならないものだ。あらためて、言葉を大事にしようと心に刻む。

    タイトルに込められた思いが最後のほうで述べられている。静かにかみしめる。

    「人びとはバラバラなままで生きていく。価値観は多様化する。ライフスタイルは様々になる。それは悪いことではないだろう。日本人はこれからどんどんと、バラバラになっていく。 この新しい時代には、『バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力』が求められている。 人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」

  • 発売して間もなくAmazonのウィッシュリストに入れてそのままになっていた本。昨日、池袋のジュンク堂で見つけて、手に取ったらもう買わずにはいられなかった。

    私は、全部読み終わらない限り、本の良し悪しや評価を言わないことにしていて、それが礼儀だろうと思っている。
    でもこの本は「まえがき」の4ページから、もう既に、どう考えても、良すぎて、早く「いい本!」って言いたくて仕方なくて、急いで急いで急いで読んだ。
    書かれていることが、すっと刺さって、納得がいって、よく分からないけど、新書なのに読みながら涙が出て仕方なかった。

    平田オリザさんの方法論は、国語の教科書にも取り入れられている。
    本著は認知心理学の知見、演劇の経験、また大学での講義や小中高での出張コミュニケーション教育の体験などに根ざして書かれている。
    筆者の「話し言葉」、特に「対話」(「会話」とは異なる)の言葉への感覚の鋭さは、プロとしか言いようがない。
    たった230ページの平易な言葉で、これだけを語れることが、とにかく凄い。
    言葉の教育に携わるなら、読んでみる価値のある本だと思う。
    できるなら、高校生の自分に、この本を読ませてあげたかった。

    第一章 コミュニケーション能力とは何か
    第二章 喋らないという表現
    第三章 ランダムをプログラミングする
    第四章 冗長率を操作する
    第五章 「対話」の言葉を作る
    第六章 コンテクストの「ずれ」
    第七章 コミュニケーションデザインという視点
    第八章 協調性から社交性へ

  • ・コミュニケーション教育と、人格矯正は全然別物
    ・体験することの重要性
    ・無意識の「違い」を認識すること


    電車で「旅行ですか?」と話しかけるにも、日本とその他で文化の違いがあること、自分の当然は少数派である可能性があること。これを認識した上で意識的に行うこと、それがコミュニケーションと第一歩。
    演劇とコミュニケーションがどう関連していくのか、読んでいくうちに理解できた。

    ただ話し合わせて体験させても、学ぶこと向上することは少ない。いかにそれを伝え、教えていくか、だということに納得した。
    そんなに演劇でうまく良くなるのかよ、と思う部分もあるけれど、やはり目的を持った体験というのは違うと思う。この人は意味付けが上手いのだなぁと思う

  • なんせタイトル良い!!

    「わかりあえない」と言う言葉は、一般的にネガティブな語かもしれない。
    でも、みんな持っている背景(コンテクスト)が違うんだから、わかりあえなくて当たり前。
    そう思うと、少し楽になるし、次にやるべきことも見えてくる。

    話せば話すほど、接触すれば接触するほど、相手と自分との感覚のズレを感じる。
    その時に、相手に対して拒否反応が出るかもしれないし、今までの自分を否定したくなるかもしれない。
    答えは1つだと言う思いが、根底にあるからかもしれない。
    それでも最近は、「みんな違ってていいんだ。」と、理屈でわかるようになって来た。
    これからはその次の段階。
    みんな違う、それは悪いことでは無い、けれどみんなが違うと一緒に生きていくのは大変だし、それでも一緒に生きていかなくてはいけない。
    だから話し合って、意見をすり合わせて、共感できる点が見つかったら、そのことを喜ぼう!

    この本の主張はそんな感じ。
    教育関係で働くものとして、この本は本当に読んで良かったと思う。

  • 筆者が専門とする演劇の視点から論じられたコミュニケーション論。
    コミュニケーションや演劇におけるノイズの大切さや、学校の授業はメチャクチャに教えた方がいい、という筆者の主張通り、この本はかなりメチャクチャに書いてある。だから読み終わった後に何だか釈然としない感覚が残ったのだが、何か感想書こうと思って後ろから読み返したときに、やっと筋が通った。他の本にも同じことが言えるかもしれないが、この本は最後から最初に向かって読むと分かりやすい。

    「みんなちがって、たいへんだ」。日本は今、価値観や文化的な背景を異にする人々と、価値観はバラバラのままでどうにか上手くやらねばならない成熟社会であり、グローバル化のなかにある。
    そんなときに役に立つのが、シンパシーからエンパシーへ、という考え方。相手の「役になりきる」のではなく、相手と自分の共有できる部分を拡大することで相手を理解するという方法。そして互いのコンテクストの「ずれ」を正しく理解するということ。
    これを行う場が「対話」である。「会話」が「価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり」であるのに対し、「対話」は「あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換」。そして、「対話」は「会話」に比べて冗長率(一つの段落、一つの文章に、どれくらい意味伝達とは関係のない無駄な言葉が含まれているかを数値で表したもの)が高い。
    結局、冗長率を時と場合によって操作している人(つまり会話と対話を使い分けられる人)こそが、コミュニケーション能力が高いとされる、というわけである。
    だがこうした異文化理解能力もコミュニケーション能力として認められていながら、日本企業は「空気を読む」「和を乱さない」能力も同時に求めている。今、このダブルバインドの苦しさに立ち向かわなければならない、と締められる。

    で、立ち向かうにはどうしたらいいのか。本書はここが弱い。「コミュニケーション能力」という便利ワードを解き明かそうとした努力はあるが、「グローバル」だの「権力」だの「価値観」だのとまた違う便利ワードで説明しようとして、結局答えから遠いところでウロウロしている印象がある。
    話が大きくなってくると「本当か?」と疑問に思う部分も多い。ダブル・バインドが統合失調症や引きこもりを生む、という論や、日本は成長が止まった社会だから限られた富をいかに分配して持続可能な社会を作るかを考えた方がいい、という部分はかなり説得力に欠ける。
    私は演劇についてはずぶの素人なので、小中学生、大学生対象のワークショップの話などは新鮮な驚きがあったが、全体としては物足りなさが残る。新書の限界か。

  • 演劇を題材にして広く「コミュニケーション能力」について書かれている。
    演劇に関わると、とにかく人との関わりが濃密になる。ならざるを得ない。そこへ、人格的なものや、正誤という概念を持ち込むとややこしくなる。
    「人はわかりあえないものだ」という前提から出発することで初めて、「どうやったら伝わるか」を考えることができるのだ。
    コンテキストのずれなんて、芝居をやってたらしょっちゅうぶつかる。でもこの概念を知らないと単に相手を否定するだけになってしまう。人はみな、それぞれ、固有の意味で言葉を操っている。だから「わかりあえない」のがふつうなのだ。それをすりあわせ、照らし合わせる能力をコミュニケーション能力というのだろう。
    手元に置いて、何度でも読み返すべき1冊である。

  • 「コミュニケーションをデザインする」かなりの気づきだった。というよりも、あらためてこう明文化されると腹に落ちる。

    リーダーシップに必要なことは、弱者のコンテクストを理解する能力、と言い切る。"強いリーダー"待望の風潮高まるだけによく響く。長年演劇を通して培った豊富な経験があるからこそ、身をもってそう感じるのだろう。

    もう一致団結・ムラ社会で価値観一つにして成長目指す時代じゃない。「協調性より社交性」という主張に大きく頷いた。
    バラバラで多様な価値観の集まりだというのを前提に、異質なものと向き合っていきながら高いパフォーマンスを発揮する。そんな組織が勝ち残るのだろう。

    日常もっとも濫用されがちな言葉「コミュニケーション」を再定義する一冊。これは買い。

  • この本で一番印象に残ったのは、「対話」と「会話」を区別する事が大切。日本社会には「対話」という概念が希薄だという部分だ。対話とは対等な関係で話をすることである。
    つまり、立場が違う相手とどれだけ「対話」する能力があるかということだ。
    日本には上下関係には豊富な語彙がある。つまり、日本には上下関係を元に話が進められる。部下と上役、男と女。年齢が上か下か。少し前まで上下関係がはっきりしていた。しかし、女性が上役の場合どのように接したらいいのか男も女もとまどう。今までの社会では対等に対話する能力を獲得してこなかったからだ。だが、男女平等法などで女性の上役が増えるに従って今までの構造に変化があらわれてきたと筆者は書いている。

  • 20160530-15

  • コミュ力とはマナー、という理論。

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わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)の作品紹介

近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは、本当なのか。「子どもの気持ちがわからない」というのは、何が問題なのか。いま、本当に必要なこと。

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