わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

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著者 : 平田オリザ
  • 講談社 (2012年10月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881777

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わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

  • 感想をまとめようとして気づいたのだけど、ちょっと要約しにくい本だ。一貫した論旨があるわけではない。著者が前書きで述べている通り、あえて「ノイズ」の多い構成にしてあるからなんだろう。そしてそこに、そもそも「コミュニケーション」とはそういうものなのだという著者の考えを読み取ることができるように思った。私たちは、明快な要点のみを簡潔に伝え合って日々過ごしているわけではなく、むしろ言葉にされないこと、言葉にはならないものから、無意識に多くのことをやりとりしている。

    何よりも小気味いいのは、「コミュニケーション教育」の意義を認め、実践もしているオリザさん自らが、コミュニケーション能力と呼ばれるものの大半はスキルやマナーの問題であると断言していることだ。 

    「口べたな子供が人格に問題があるわけではない。少しだけはっきりとものが言えるようにしてあげればいい。コミュニケーション教育に過度な期待をしてはいけない。その程度のものだ。その程度のものであることが重要だ」

    だから、慣れればいいのだとオリザさんは言う。それだけのことなのだ、それ以上のものではないのだと。これにはまったく同感。なんだか大層なもののように思わせているのは誰だ。あいも変わらぬ若者バッシングの一つに「コミュニケーション能力がない」というのがあるけれど、そう言いつのる人(主に中高年男性)がいったいどれだけ豊かな表現を行っているのか?

    今の若者たちは、一方で自分の意見をはっきり言うことを求められ、一方で、空気を読み場を乱さないことを求められるダブルバインドの状況にある、という指摘にも深く頷く。就活に苦闘する若者たちに是非読んでほしいなあと思う。

    一番心に残ったのは、著者の日本語への思いの深さだ。

    「およそ、どの近代国家も、国民国家を作る過程で、言語を統一し、ただ統一するだけではなく、一つの言葉で政治を語り、哲学を語り、連隊を動かし、ラブレターを書き、裁判を起こし、大学の授業ができるようにその『国語』を育てていく」

    日本では非常に短期間でそれが行われたために、積み残してきてしまったものがあり、その一つが対等な「対話」の言葉だとオリザさんは言う。それは、私たち自身が時間と手間をかけて、小石を積むように、日々の言葉から築いていかなくてはならないものだ。あらためて、言葉を大事にしようと心に刻む。

    タイトルに込められた思いが最後のほうで述べられている。静かにかみしめる。

    「人びとはバラバラなままで生きていく。価値観は多様化する。ライフスタイルは様々になる。それは悪いことではないだろう。日本人はこれからどんどんと、バラバラになっていく。 この新しい時代には、『バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力』が求められている。 人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかして共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない」

  • 発売して間もなくAmazonのウィッシュリストに入れてそのままになっていた本。昨日、池袋のジュンク堂で見つけて、手に取ったらもう買わずにはいられなかった。

    私は、全部読み終わらない限り、本の良し悪しや評価を言わないことにしていて、それが礼儀だろうと思っている。
    でもこの本は「まえがき」の4ページから、もう既に、どう考えても、良すぎて、早く「いい本!」って言いたくて仕方なくて、急いで急いで急いで読んだ。
    書かれていることが、すっと刺さって、納得がいって、よく分からないけど、新書なのに読みながら涙が出て仕方なかった。

    平田オリザさんの方法論は、国語の教科書にも取り入れられている。
    本著は認知心理学の知見、演劇の経験、また大学での講義や小中高での出張コミュニケーション教育の体験などに根ざして書かれている。
    筆者の「話し言葉」、特に「対話」(「会話」とは異なる)の言葉への感覚の鋭さは、プロとしか言いようがない。
    たった230ページの平易な言葉で、これだけを語れることが、とにかく凄い。
    言葉の教育に携わるなら、読んでみる価値のある本だと思う。
    できるなら、高校生の自分に、この本を読ませてあげたかった。

    第一章 コミュニケーション能力とは何か
    第二章 喋らないという表現
    第三章 ランダムをプログラミングする
    第四章 冗長率を操作する
    第五章 「対話」の言葉を作る
    第六章 コンテクストの「ずれ」
    第七章 コミュニケーションデザインという視点
    第八章 協調性から社交性へ

  • ・コミュニケーション教育と、人格矯正は全然別物
    ・体験することの重要性
    ・無意識の「違い」を認識すること


    電車で「旅行ですか?」と話しかけるにも、日本とその他で文化の違いがあること、自分の当然は少数派である可能性があること。これを認識した上で意識的に行うこと、それがコミュニケーションと第一歩。
    演劇とコミュニケーションがどう関連していくのか、読んでいくうちに理解できた。

    ただ話し合わせて体験させても、学ぶこと向上することは少ない。いかにそれを伝え、教えていくか、だということに納得した。
    そんなに演劇でうまく良くなるのかよ、と思う部分もあるけれど、やはり目的を持った体験というのは違うと思う。この人は意味付けが上手いのだなぁと思う

  • なんせタイトル良い!!

    「わかりあえない」と言う言葉は、一般的にネガティブな語かもしれない。
    でも、みんな持っている背景(コンテクスト)が違うんだから、わかりあえなくて当たり前。
    そう思うと、少し楽になるし、次にやるべきことも見えてくる。

    話せば話すほど、接触すれば接触するほど、相手と自分との感覚のズレを感じる。
    その時に、相手に対して拒否反応が出るかもしれないし、今までの自分を否定したくなるかもしれない。
    答えは1つだと言う思いが、根底にあるからかもしれない。
    それでも最近は、「みんな違ってていいんだ。」と、理屈でわかるようになって来た。
    これからはその次の段階。
    みんな違う、それは悪いことでは無い、けれどみんなが違うと一緒に生きていくのは大変だし、それでも一緒に生きていかなくてはいけない。
    だから話し合って、意見をすり合わせて、共感できる点が見つかったら、そのことを喜ぼう!

    この本の主張はそんな感じ。
    教育関係で働くものとして、この本は本当に読んで良かったと思う。

  • 筆者が専門とする演劇の視点から論じられたコミュニケーション論。
    コミュニケーションや演劇におけるノイズの大切さや、学校の授業はメチャクチャに教えた方がいい、という筆者の主張通り、この本はかなりメチャクチャに書いてある。だから読み終わった後に何だか釈然としない感覚が残ったのだが、何か感想書こうと思って後ろから読み返したときに、やっと筋が通った。他の本にも同じことが言えるかもしれないが、この本は最後から最初に向かって読むと分かりやすい。

    「みんなちがって、たいへんだ」。日本は今、価値観や文化的な背景を異にする人々と、価値観はバラバラのままでどうにか上手くやらねばならない成熟社会であり、グローバル化のなかにある。
    そんなときに役に立つのが、シンパシーからエンパシーへ、という考え方。相手の「役になりきる」のではなく、相手と自分の共有できる部分を拡大することで相手を理解するという方法。そして互いのコンテクストの「ずれ」を正しく理解するということ。
    これを行う場が「対話」である。「会話」が「価値観や生活習慣なども近い親しい者同士のおしゃべり」であるのに対し、「対話」は「あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換」。そして、「対話」は「会話」に比べて冗長率(一つの段落、一つの文章に、どれくらい意味伝達とは関係のない無駄な言葉が含まれているかを数値で表したもの)が高い。
    結局、冗長率を時と場合によって操作している人(つまり会話と対話を使い分けられる人)こそが、コミュニケーション能力が高いとされる、というわけである。
    だがこうした異文化理解能力もコミュニケーション能力として認められていながら、日本企業は「空気を読む」「和を乱さない」能力も同時に求めている。今、このダブルバインドの苦しさに立ち向かわなければならない、と締められる。

    で、立ち向かうにはどうしたらいいのか。本書はここが弱い。「コミュニケーション能力」という便利ワードを解き明かそうとした努力はあるが、「グローバル」だの「権力」だの「価値観」だのとまた違う便利ワードで説明しようとして、結局答えから遠いところでウロウロしている印象がある。
    話が大きくなってくると「本当か?」と疑問に思う部分も多い。ダブル・バインドが統合失調症や引きこもりを生む、という論や、日本は成長が止まった社会だから限られた富をいかに分配して持続可能な社会を作るかを考えた方がいい、という部分はかなり説得力に欠ける。
    私は演劇についてはずぶの素人なので、小中学生、大学生対象のワークショップの話などは新鮮な驚きがあったが、全体としては物足りなさが残る。新書の限界か。

  • 演劇を題材にして広く「コミュニケーション能力」について書かれている。
    演劇に関わると、とにかく人との関わりが濃密になる。ならざるを得ない。そこへ、人格的なものや、正誤という概念を持ち込むとややこしくなる。
    「人はわかりあえないものだ」という前提から出発することで初めて、「どうやったら伝わるか」を考えることができるのだ。
    コンテキストのずれなんて、芝居をやってたらしょっちゅうぶつかる。でもこの概念を知らないと単に相手を否定するだけになってしまう。人はみな、それぞれ、固有の意味で言葉を操っている。だから「わかりあえない」のがふつうなのだ。それをすりあわせ、照らし合わせる能力をコミュニケーション能力というのだろう。
    手元に置いて、何度でも読み返すべき1冊である。

  • 「コミュニケーションをデザインする」かなりの気づきだった。というよりも、あらためてこう明文化されると腹に落ちる。

    リーダーシップに必要なことは、弱者のコンテクストを理解する能力、と言い切る。"強いリーダー"待望の風潮高まるだけによく響く。長年演劇を通して培った豊富な経験があるからこそ、身をもってそう感じるのだろう。

    もう一致団結・ムラ社会で価値観一つにして成長目指す時代じゃない。「協調性より社交性」という主張に大きく頷いた。
    バラバラで多様な価値観の集まりだというのを前提に、異質なものと向き合っていきながら高いパフォーマンスを発揮する。そんな組織が勝ち残るのだろう。

    日常もっとも濫用されがちな言葉「コミュニケーション」を再定義する一冊。これは買い。

  • この本で一番印象に残ったのは、「対話」と「会話」を区別する事が大切。日本社会には「対話」という概念が希薄だという部分だ。対話とは対等な関係で話をすることである。
    つまり、立場が違う相手とどれだけ「対話」する能力があるかということだ。
    日本には上下関係には豊富な語彙がある。つまり、日本には上下関係を元に話が進められる。部下と上役、男と女。年齢が上か下か。少し前まで上下関係がはっきりしていた。しかし、女性が上役の場合どのように接したらいいのか男も女もとまどう。今までの社会では対等に対話する能力を獲得してこなかったからだ。だが、男女平等法などで女性の上役が増えるに従って今までの構造に変化があらわれてきたと筆者は書いている。

  • コミュ力とはマナー、という理論。

  •  現在、学校や職場において、「コミュニケーション」の重要性がしきりに言われる。しかし、自分を含め、コミュニケーションが苦手な人間も少なからずおり、彼らはそれについて劣等感を感じている。著者は、コミュニケーションの得手不得手は、「苦手教科がある」とか「慣れ」のレベルであり、過度に深刻に捉えない方がよいと言う。
     演劇が専門の著者によると、コミュニケーションは、役柄を演じることだと言う。本当の自分を晒す必要はない。タイトルにある「わかりえあない」ことを前提に、分かる部分を探る営みのことを、本書では「エンパシー」(共感)と呼んでいる。このアプローチでいけば、コミュニケーションはぐっとストレスが減ってくるだろう。

  • わかりあえないから対話しよう。

  • 劇作家の平田オリザ氏が、自身の演劇教育の体験を通じて、コミュニケーションの難しさや奥深さについて考察している。この著者の本は何冊か読んでいるし、講演を聞きに行ったこともあるのだが、この本を読んでようやく彼の立ち位置がハッキリ分かった。実にまっとうな考えの持ち主である(今までかなり誤解していた)。コミュニケーション能力とは、会話の「冗長率」を自在に操る能力であるとする著者の主張は、私にとって目からウロコであった。コミュニケーションの齟齬は、言葉には表れない背景知識の些細な違いから生じるというのも経験的に頷ける。
    さらに、著者は以下のように主張する。日本では、伝統的に、言葉を尽くさず「分かり合う」「察し合う」文化が育まれてきた。しかし、このようなコミュニケーションスタイルを持つ国は世界では少数派である。グローバル化が進行する世界において、自分たちが少数派であることは意識せざるを得ない。そもそも日本人の価値観も多様化しており、これまでのように察し合うようなことは難しくなりつつある。コミュニケーションのダブルバインドは、日本人の宿命である、と。
    私は、国語の授業で「この時の主人公の気持ちは?」と問われても「そんなこと分かるわけない」としか思えなかったし、先生が「人の気持ちの分かる優しい子に・・・」なんて言い出したら気分が悪くなるような子供だった。本書で展開された国語教育・学校教育批判は、このような画一性の強制を批判するものであり、素直に拍手を送りたいと思う。もっとも、著者が一部の小学校で実験的に行っている新しい「表現教育」も、あまり受けてみたい気はしないのだが…。

  • 表現をする、伝える、コミュニケーションするということは、人間が生活していく以上、決して避けて通れない事柄である.
    そして多様化した社会を生きていく上で求められるコミュニケーション能力は同様に多様化している.
    そのような厳しい状況で、自分をしたたかに演じ分けられる人間を育てていくことが教育の目的だと著者は言う.
    表現者としてはもちろん、教育者としての使命感が全面に押し出されているが、この本の良さは決して強引に自説を押し付けずに軟らかい提案で色々なエッセンスを教えてくれているところだ.
    表現や伝えるということが演劇のプロの視点から語られているので、今までに考えたことがなかった視点も多く述べられており、知的刺激に満ちた作品であった.

    「コミュニケーション能力が低下しているのではなく、今の子どもたちは競争社会に生きていないのでコミュニケーションに対する欲求、必要性が低下しているのではないか.」
    「伝えたいという気持ちは、伝わらないという経験からしか起きてこない」
    「全体のコミュニケーション能力が上がっているから、一定数の口下手な人たちが目立っているだけではないか」
    「コミュニケーション教育は、ペラペラと口のうまい子どもを作る教育ではない.口べたなこでも、現代社会で生きていくための最低限の能力を身につけさせるための教育だ.・・・コミュニケーション教育に、過度な期待をしてはならない.その程度のものだ.その程度のものであることが重要だ.」
    「世間で言うコミュニケーション能力の大半は、たかだか慣れのレベルの問題だ.20歳過ぎたら、慣れも実力のうちなんだよ」

  • 先週読んだ『ていねいなのに伝わらない「話せばわかる」症候群 (日経ビジネス人文庫)』に続き、またまた平田オリザ氏のコミュニケーション論を読む。
    要旨としては、
    ①コミュニケーションとは、心からわかりあうこと(=シンパシー)がではなく、わかりあえないところからスタートして、「対話」を重ねることによって、わかりあえる部分、共有できる部分をみつけ、そして広げていくこと(=エンパシー)である。
    ②しかしその、粘り強く「対話」を重ねることは、歴史的に、そして環境的に日本人が備えてこなかった(対話の基礎体力がない)部分であり、今後国際化された社会の中で生きていく上で意識して強化していかねばならない部分である。
    ......ということを、劇作家、演出家の観点、また教科書やワークショップを通じた学校教育の現場を通した観点、また大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授として医学やロボット工学からの観点.....など、様々な視点から、わかりやすく、かつ興味深いコミュニケーション論を展開している。
    面白くて三度読みしたくらいであり、一言で言って、これを新書......740円で読めるのは、めちゃお買い得な「良書」だと思う。

  • 最近よくとりあげられる「コミュニケーション能力」
    劇作家の平田オリザ氏が、コミュニケーションの背景にある文化的なコンテクストを掘り下げながら、「コミュニケーション力を上げるにはどうしたらいいか」を考える。

    日本は、社会の中で暗黙の了解・共通の認識が多く、考えるまでもなく“わかって当然”とされることが多かった。
    しかし、経済構造・社会構造が変化し「黙っていたんじゃ進まない」ことが増えて、コトバで言わなければ伝わらないことが増えた。
    コミュニケーションは「わかりあえない者」「異質な者」と出会った時に、切実に必要となる。
    そこでコミュニケーション能力の開発が取りざたされるようになったわけだが、表面的な言語技術だけでナントカしようとしてもなかなかうまくいかない。
    とりわけ、日本は少子化が進み、豊かさゆえに過保護に育つ子も増えて、「わかりあえない者」に接して 自然とわかってもらう努力をする機会は減るばかりだ。

    平田氏は演劇の研究の中で、外国語と日本語の構造の違いから外国語演劇を訳してもうまくいかないこと、演者がそのコトバを自身のコトバとして使うコンテクストでなければうまく「言えない」こと、などの課題に取り組んで来た。

    その研究が、上記の「コミュニケーション力」の育成に繋がるのではないか?と教育現場からの引きがあり、寸劇の教材を提供したり医療関係者の育成現場にプログラムを作ったりされている。

    欧米の教育では「演劇」の授業が多く盛り込まれている。
    長らく不思議に思っていたが、それが、コミュニケーション力=コミュニケーション技術の向上に役立つ、ということがよくわかる。

    演じるとは何か?
    日本人は演じるというと仮面をかぶり自己を偽るようなイメージを抱きがちだが、そういうものばかりではない。
    自分の考えていること感じていること思っていることを、できるだけ的確に相手が受け止めやすい形で発信する、その工夫も演じる ということではないか、と平田氏は言う。

    そういえば、大女優ストリープが言っていた。
    決して美貌の人ではない彼女だが「高校時代に人気者でいられたのは、私に演技の才能があったから。」

    “いざ行かむ 行きてまだ見ぬ 山を見む このさびしさに 君は耐ふるや”

  • ○この本を一言で表すと?
     演劇家の観点から見たコミュニケーションの考え方の本


    ○よかった点・考えた点
    ・タイトルから一般的なコミュニケーションの本(話の聞き方など)かと思っていましたが、コミュニケーションとはそもそも何かということ、コミュニケーション「能力」とは何か、足りないとすれば何が足りないのかなど、根本的なことに触れつつ、それを演劇や機械工学などを通した分かりやすい例で説明した本だなと思いました。

    ・若者が自分が普段接しない「他者」との会話に慣れていないこと、「伝える技術」より「伝えたいという気持ち」が最初に必要だということ、産業構造の変化で第二次産業から第三次産業に移行したことで、必要とされるコミュニケーション能力の中身が変わっているのに教育の場が対応できていないことなど、言われてみればなるほどなと思うことが書かれていました。(第一章 コミュニケーション能力とは何か?)

    ・「教えない勇気」は必要だと思っていても難しいことなのだろうなと思いました。学校の教師や会社の新人教育担当になれば、教えないことは仕事をしてないかのように周りに捉えられそうですし、また自分自身でもそう思ってしまいそうです。(第二章 喋らないという表現)

    ・今の教育制度で国語教育の中にコミュニケーションの授業が取り入れられているということを初めて知りましたが、国語の先生がコミュニケーションがうまいとは限らないという話は全くその通りだなと思いました。(第二章 喋らないという表現)

    ・「無駄な動き」が重要であるという考えは面白いなと思いました。合理的に「無駄な動き」を排除するという考え方の方が分かりやすくて一般的な気がしますが、単純作業や雑用以外の分野だと「無駄な動き」が重要という面もあるかもしれないなと思いました。(第三章 ランダムをプログラミングする)

    ・学校の教師が授業に偶然性を取り入れることで教育を向上するという話は、それができれば効果がありそうだと思いますが、それができる教師に対する教育などを考えるとかなり難しい話だろうなと思いました。(第三章 ランダムをプログラミングする)

    ・単語を強調するのではなく、強調したい単語を繰り返す、語順を変えるという日本語の特性は言われてみればそうだなと思いました。冗長率が高くなるのはよく知る者同士の「会話」ではなく、他人同士の「対話」だということは例を挙げて言われてみて初めてそうだなと気付けました。冗長率の高低を操作できる人間がコミュニケーション能力の高い人間という話はなるほどなと思いました。(第四章 冗長率を操作する)

    ・日本語には上下関係に応じた言葉はあっても対等な関係に応じた対話の言葉が少ないという話はなるほどなと思いました。日本語が諸言語の中でも性差の激しい言語だということはあまり自覚していませんでしたが、例を挙げて言われてみればなるほどなと思いました。(第五章 「対話」の言葉を作る)

    ・話しかけやすい、話しかけにくいの違いの原因にコンテクストの違いがあるというのは日頃から実感していることでもあるなと思いました。日本人同士でも同じ言葉を発しても発した人によって意味が大きく違ったりしますが、外国人との間ならよりそうだというのは納得できます。韓国人が年齢による序列を重視する文化だから初対面の挨拶で年齢を聞き、日本のおばちゃんがそれを失礼と思う話はありがちですが、面白いなと思いました。(第六章 コンテクストの「ずれ」)

    ・全く知らない言葉より、自分でもわかるような言葉だからこそコンテクストがずれていることに気付きにくい、気付けないから対処できないという話は、コミュニケーションにおけるコンテクストを理解する能力の重要性に気付かされます。(第七章 コミュニケーションデザインという視点)

    ・「会議でだれも発言しないんだよ」という上司が会議に参加する新人を責めるより、自身の会議をデザインする能力不足を省みた方がいいという話は確かにそうだなと思いました。(第七章 コミュニケーションデザインという視点)

    ・「みんなちがって、たいへんだ」ということ、共通のコンテクストを前提とした協調性ではなく異なるコンテクストを前提とした社交性が大事になってきていることは、今の社会にとても合っている内容だなと思いました。この本の題名でもある「わかりあえないことから」始める、わかりあえないというところから歩き出すというのは、他人と関わっていく上で重要なことだと思いました。(第八章 協調性から社交性へ)

  • いざ行かむ行きてまだ見ぬ山を見むこのさびしさに君は耐【た】ふるや
      若山牧水

     「コミュニケーション能力って何ですか?」。就職活動中の学生から、そう尋ねられることが多くなった。企業側が求めるものの上位に、その言葉があるからだ。とはいえ、私も実のところ疑問符ばかり。劇作家・演出家である平田オリザの近著は、そんな問いにいくつかヒントを示してくれている。
     平田はまず、企業が求めるコミュニケーション能力は、ダブルバインド(二重拘束)の状態にあると指摘する。外国人や他世代と対話できる「異文化理解能力」を求めつつ、同時に、空気を読むという日本型「同調圧力」も求めているのだ。この矛盾する二つの要求に悩み、引きこもってしまう若者がいるのも、うなずける。
     そこで挙がってきたのが、コミュニケーション教育を工夫しようという声である。平田は、小中学校で演劇的手法を取り入れた授業を実践し、その具体的な手法と効果についても報告している。また、大阪大学では演劇によるコミュニケーション教育を行い、ロボットで演劇を作るという画期的なプログラムも展開している。
     掲出歌は、平田がロボット博士石黒浩と創作したアンドロイド演劇「さようなら」に登場する歌。若山牧水の明治末期の歌集「独り歌へる」からの1首で、死に向かう少女が、「励ます詩を読んで」とアンドロイドに頼み、この歌が朗読されるそうだ。
     まっすぐな若者には生きづらい社会とは思う。けれども、その「さびしさ」に耐え、まだ見ぬ世界を切りひらく力もほしい。

     (2013年1月13日掲載)

  • コミュニケション能力の定義と、それを高めるにはどうすればいいか、なにを教えれば良いか が分かりやすく書いてある
    日本語について 言葉についてもいろいろ発見がある

    適切に冗長であること
    理論的にしゃべれない人は弱者なので
    リーダーはそのコンテクストを理解する必要がある など
    なるほど と思うと同時に
    同意する事に怖さを感じる...過激さがある

  • 本書の「"バラバラな人間が、価値観はバラバラなままで、どうにかしてうまくやっていく能力"が今後日本でもいよいよ重要になってくるだろう」という見通しに深く同意する。日本の教育は”正解”を教え込む教育になることが多いため、その教育を受けて育った大人が議論をしていても、どうも”正解”を求めて議論をしているような節があるが、重要なのは”正解”を言い当てることではなく(そんなものはない)、議論を経て関係者の合意を形成することである。このことを忘れてはいけないと思う。
    著者の話に時折出てくるダブルバインドの話が非常に面白い。確かに日本の企業が学生に求める能力は、矛盾をしているというか、はっきりとしない側面がある。会社は表向き自分の意見をしっかり持っていることを学生に求める一方で、特に明言はしていないが、職場の調和を保つような協調性も学生に求めているのは間違いないだろう。学生からすれば「どちらが重要なの?」ということだろうが、会社の人間からすれば「どちらも重要である」としか答えようがない。全く平等に重要なのか、どちらがより重要なのかなどという議論はあまり有用であるようには思われない。これはささいな一例ではあるが、これに限らず、人間はあらゆる葛藤、ダブルバインドの状況を乗り越えながら、成熟していかなければならない。
    本著を素晴らしいと感じるのは、そのダブルバインドの状況を単純に悪とせず正面から向き合おうとしていること、また教育の観点から、どうすれば子供がその状況を乗り越えられるのかを誠実に考えてきた著者の姿勢が伝わってくるからだろう。内容、文章ともに平易に書かれてはいるが、とても大切なことを言っていると思う。コミュニケーションは、まさに「わかりあえない」という認識から始まるのである。いや、始めなければならない。

  • 人と人は分かりあえない。国際化が進む中で、異文化間で分かりあえるよう求められる一方で、空気を読みながら内側での統制を図ろうとする日本社会や企業。なるほど。自分と違う考えや文化に出会わないと自分のことは分からない。そういう意味では、日本や自分の事がよく分かる時代に生きてるのかも知れない。

  • こういう本が良書だと思います。新書ながら、現代において多くのひとが共感できる内容なのではないかな。
    タイトル通り、人間同士「わかりあえないことから」はじまる。そんなコミュニケーションを提唱している。
    「伝わらない」からこそ、それでも必死に「伝えようと」する。なんて本質的なんやろうかー。
    平田オリザさんの著書はとても興味深い内容が多いです。個人的には、かなりいいことを言うてます。
    「みんなちがって、たいへんだ」がめちゃくちゃ印象的。

  • 芝居に必要なのは、適度なゆらぎと再現性そして体力!

  • 劇作家、演出家でありながら、大阪大学のコミュニケーションデザインセンターで教授を務め、世界の津々浦々で一般の人向けの演劇ワークショップを開催し…と、色々と手掛けている著者がコミュニケーション能力について論じた本。
    語り口が何だか不思議で、文章がふんわりと頭の中に入ってきて、そしてふと気付きが生まれてハッとするような、難しいことばを全く使っていないのに、どこか深いところに辿り着くような感覚を味わいました。この本の後だと、ビジネス書の言葉遣いをどこか攻撃的に感じてしまいます(笑

    レビューを書こうとして困ったのは、朝起きた後の夢かのように内容が揮発して「結局何が要点なんだったっけ?」となってしまったこと。
    まえがきに「まさに、メチャクチャに、ノイズを含んで、この本は構成されている」と書かれているのは伊達ではなく、電車の中や仕事の昼休みで読んだりしていたせいもあって、個人的にはノイズを含んだ勢いのある流れに呑み込まれてしまった感さえあります。。
    ただ、まえがきの内容を改めて読み直して、ノイズも含んだ全てを浴びた上で、自分が感じたことを備忘的に残させていただこうかと。。

    日常生活では自分も様々な立場があって、それぞれに演じる役柄があって、言葉遣いも違えばたまに普段使わないような気を遣ったりしてちょっと疲れたりもするのですが、そんなコトも含めて「演じるコト」を少し楽しんでみては?というのが本著の提案で、楽しむためのヒントがノイズとともに詰まっているのが本著の内容かなと感じました。
    ある意味では「匠の目」のようなモノで、気心の知れた居酒屋で鰯なんかが出てきて、あぁ旬だったよねと気付いて面白がるようなことと同じことが、コミュニケーションにおいても言えるということ。
    本著の内容からすると、きっとこれからは、何にでも「かわいい」を連発する人も面白いと思えるようになるかもしれないし、文化の違いも意識して、違うことを理解できるようになるかもしれない。

    一朝一夕で身につくようなコトじゃないとは思うのですが、本著を読んでいて思ったのは当たり前に思われがちな一つ一つの振る舞いについても著者が考え抜いていること。
    当たり前だと思っていることも、実は理解できていないかもしれない。考えることで気付いて、面白がりながら理解して、乗り越えていけるようになりたい次第です。

  • 演劇論だけれども、「わかりあうとは?」、「伝えるとは?」という事をわかりやすく考えさせてくれる

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わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)の作品紹介

近頃の若者に「コミュニケーション能力がない」というのは、本当なのか。「子どもの気持ちがわからない」というのは、何が問題なのか。いま、本当に必要なこと。

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)はこんな本です

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)のKindle版

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