おどろきの中国 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (384ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062881821

作品紹介・あらすじ

そもそも「国家」なのか?なぜ日本人の「常識」は彼らに通じないのか?日本を代表する三人の社会学者が対症療法ではない視座を求めて白熱の大討論。

感想・レビュー・書評

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  •  店頭での山積みに、本能的には気が進まなかったのですが、佐藤優さん曰くの「両論のバランスをとるのは大事」との理性で押し切って、手に取ってみた一冊。その佐藤さんが『読書の技法』で定義されていた速読でさらっと。お三方の対談集といった感じでとても読みやすかったのですが、、鵺のようないびつさが後味に残りました。

     なんというか、無意識のうちに「中国(大陸)」を礼賛している人々の思考様式を垣間見たような。いや、意識もしているのかもしれませんが、カエサル曰くの「人は見たいモノしか見ない」のいい実例だなぁ、、と。

     例えば、先の大戦への日本の参戦を、人権だの道義の観点で徹底的に断罪していながらも、文化大革命での大虐殺や、現在進行形のチベットやウイグルでの民族浄化を、単なる悲劇の一言ですませる不気味さ。

     例えば、「中国」の歴史は2000年以上連綿と続いていてひたすら偉大だと言い続けながらも、「元」はモンゴル政権のため今の中国との連続性はなく、日本を侵略しようとしたことは過去に一度もないと言い切る支離滅裂さ。

     極めつけは、北朝鮮の拉致なんて大した問題ではないと言い切っていることでしょうか、、うーん。その上で「中国大陸」は複数の民族を融和させた理想郷でマルクス主義の結実でもあり、それは「EU」と同質なのだとまでも、、うーん、悪い意味でのファンタジー?

     なにはともあれ、「中国」に取り込まれた人の思考を見てとれるとの意味で、目を通した価値はあったかなと。もしくは「事実との対話を忘れて」歴史をカタル人の典型的な思考パターンを把握できたとも言えましょうか。それにしても「民主主義」「自由」「人権」「法治」「市場経済」といった普遍的価値観そのものを否定する論調って本当にあるんだなぁ、、とあらためて。

     ん、彼らに問いかけてみたいところです、チベットやウイグルで今この瞬間も起こっている「民族浄化」をどう評価する気なのでしょうか、と。同じことが自分や家族の身に降りかかっても、「悲劇」の一言で済ますことができるのでしょうか、と。

  • なるほど、と納得するところも多かったし、
    自分が勉強不足だな、と感じるところも多かったのは確か。

    他方で、特に第3部ですが、事実の検証なしに(例えば南京大虐殺、例えば財務省の思惑)議論を進めていたり、簡単になるほど!と言えないところも多かったです。そして、そのことを指摘せず、その依拠するデータが真実であるかのように議論を進めていくことに少し違和感を覚える点もありました。本当にそうなのか?と疑いたくなる。
    どちらかと言えば中国の立場に立った歴史や現状について学ぶことができます。だけど、この本から学んだこともふまえつつ、ちょっと立ち止まって考えなくちゃいけないんじゃないかな、と思いました。なんとなく、鵜呑みにしてはいけない気がします。

    あくまで、自分の思考を深めるための一助とすべきではないか。
    さらさら読めてしまうけど、だからこそ丸々信じるべきではない。

    前回読んだ「ふしぎなキリスト教」は、自分と違う世界すぎてあまりそのようには思いませんでしたが、今回は少し、なんだかなぁと考え込んでしまいました。中立的に議論しているように見えてしまう、というのは自分の未熟さがなせる技なのかもしれませんが。

  • いろいろと「おどろき」ました。
    中国は3回旅行しましたが、その時に感じた疑問のいくつかが解決しました。
    2013年2月に出版されていますが、台湾問題なんかは、橋爪先生の予言通りに推移してますね。

    本書で触れられる日中関係等の近代史の解釈は納得できない人もいるでしょうが、
    それ以外の中国についての話は誰しも一読の価値ありです。

    巷に溢れる中国評は、現在の利害だけを強調し、危機を煽るようなものばかりで辟易します。
    中国は反日教育をしてる、と言う。
    なら日本の教育はどうか。日本史を選択したら、世界史は選択しない…というのは常識ですしね。

    そのような論法に欠けているのは、現在を歴史の流れの中で捉える視点と、相手の立場に立って物事を捉える視点です。

    目先の利害に思考が居着いてしまっては、国益などは考え及ばなくなってしまうでしょう。

  • 経済面でみても、日本と中国は米国よりも強い関係がある。しかし、なまじ片言(漢字)が分かるだけに、隣国の性格までわかろうとしていなかったのではないか。そう思って読もうとした。図書館の順番を待つこと一年、やっと読むことが出来た。この本が人気を獲ったのは肯ける。古代から現代にかけて、中国がなぜ五代文明の中で唯一現代まで続いているのか、そもそも何を考えているのか、現代中国はそもそもどういう国で、何を望んでいるのか、そういう「そもそも論」をわかりやすく、古代から現代まで語った本はあまり見当たらなかったためだろう。隣国は外国だ。性格が違うのは当たり前だろう。

    対談という仕組みがそれを可能にした。専門の違う社会学者の2人が1人の専門家と議論する形で、本来もっと精査されなければならない課題を100も200もエイヤッと切った。お陰で、全体像がくっきりと浮かんだのだろう。

    しかし、それは諸刃の剣である。この本を読んで、いかにも分かった気になるのは極めて危険である。ここで断定的に述べられていることは、全て問題設定だと見た方がいい。また、橋爪大三郎はさすが専門家だけあって大きく的外れなことは言っていないが、大澤某の見識の低さには、終始いらいらした。

    問題設定なので、刺激的な部分は多々あるが、自分の問題意識に照らしてメモしておくのが1番有効な読み方だろう。私の興味はあくまでも「日本とは何か」である。合わせ鏡としての中国を語った部分をメモする。

    ●トップリーダーは有能でなければならない。しかし、秩序(安全保障)が優先されるから、世襲も認める。それを補助するために、ブレーンが有能であるために儒教を採用した。
    ●科挙でどうのように能力を測るか。古ければ古いほど、基準が変わらない。多民族国家では、漢字が共通言語になる。日本は同質性が高いので、この苦労はない。結局能力試験は発達しなかった。
    ●皇室の血統はカリスマ性の証明。よって宦官が出現。日本は天皇の血縁カリスマなんて誰も信じていない(源氏物語)。さらには、律令制の官職が世襲になった(藤原氏)。
    ●日本はその時代に最も実力があるもの(貴族、武士、役人)が権力を握った。しかし、中国ではなぜか行政官僚が常に権力を持っていた。つまり中国は大きすぎるので、政権交代時の戦争はあるが、終わると直ぐに非軍事的な方法で序列化される。
    ●政権の持続性や継承性の根拠として「天」という神でもないものを持って来たために、かえって政権を断絶させたり、変換させたりすることがときに必要になった。一方、日本には天皇が天皇であるための根拠というものが何もない。根拠がないから、逆に絶対つぶれることもなく、実権があったかどうかは別として、万世一系でいられた。その代わり日本人は「リーダーは有能でなくてよい」。いやむしろ、「リーダーは有能でない方がいい」と思っている。「リーダーは有能でない」のに、この社会は維持出来るのか。大丈夫。日本人は「自分が頑張るからいい」と思っている。でも、安全保障はそんなに甘いものじゃない。自分が努力したってダメなものはダメなんだけど、日本人の場合、なぜかそう思っている。平時と戦時、どちらに焦点をあわせるか、だ。これは農民の論理、ムラの論理だ。ムラはセキュリティに責任を持たないから、セキュリティに責任を持つ武士を必要とした。武士は自力救済で、刀を差していて、ムラを守り、いざとなれば相手を殺し、いざとなれば自分が死ぬ。中国人はこんなことをしない。政治で解決しようとする。戦前、武士は軍隊になり、戦後アメリカになった。これは、伝統日本としては異様な在り方だ。(宮台)でも、主観的にはアメリカを
    日本的なものの枠内に「武士」として包摂しているので、客観的に異様な在り方であることに気がつかない。(大澤)アメリカが有能ならばいい。
    ●なぜ中国はすぐに近代化できなかったのか。根本教典のようなテキストがあったから。翻って日本には規範となるテキストがない。そこで運命を分けた。
    ●天皇は神々の子孫であり、日本人も神々の子孫。よって日本人は天皇をシンボルにすれば、自分たちを日本民族だと意識出来る。このロジックを江戸時代の儒学や国学は苦労の末に編み出した。しかし、中国の皇帝は、天と血縁関係がない。そもそも天には神話がない。ゆえに人民と運命的なつながりを持たない。これでは民族主義になり様がない。民衆の間の連帯も弱い。人びとは儒教道徳に従って、自分を大きな血族集団の一員と考えており、そこに属する人びとの福祉を最大の目的に生きている。その集団の外の人びとには、よそ者だとして、冷淡な態度をとる。広範な範囲の民衆がまとまろうとしても、砂を炭団にするようで、まとまらない。
    ●台湾問題は、台湾の統合を中国&アメリカで合意したときに、日本が蚊帳の外になる可能性がある。この本を出版して一年間でそれはさらに大きくなった。
    2014年3月11日読了

  • 中国についての入門書。橋爪大三郎先生は何でも知っているのではないかと思った。中国の社会的がどういう仕組みなのか、歴史的な背景から説明される。そして、日本と中国の近代について比較、日中の歴史問題、最後に日本の未来について大変わかりやすく書かれています。

  • (「BOOK」データベースより)
    そもそも「国家」なのか?なぜ日本人の「常識」は彼らに通じないのか?日本を代表する三人の社会学者が対症療法ではない視座を求めて白熱の大討論。

  • ■読んだきっかけ
    ・中国出張するにあたり、行く土地の歴史・地理・文化・国民性を知っておきたかったから。
    ・ニュースや人の話で聞く、中国の悪いイメージ(自己中心的・反日)は、あくまで日本側の視点なので、中国側の視点も知りたかった。
    ■本の内容
    ・社会学者3人による、「中国」についての鼎談であり、どちらかと言うと親中で中国に詳しい橋爪氏が、他二人の疑問点(以下のようなこと)に答えていくかたち。
    ・中国のような大きな帝国が、二千二百年も前(秦の時代)にできたのは、どうしてなのか。いかにして、帝国としての統一性を実現し、維持することができたのか。
    ・中国人=アグレッシブで自己中心的なため、統一国家に不向きでは?
    ■印象に残った主張
    中国の車の運転の激しさについての以下の意見は、中国に行って深く納得できた。
    「中国には交通ルールはない。強いて言うと、事故を起こさないというのが交通ルール」
    ルールがないと見える一方で、彼ら相互の、行動の予測可能性はきわめて高い(究極の帰結主義による秩序)。
    ■感じたこと
    (1)疑問設定の重要性
    ・中国に関する、社会学者たちの鋭い疑問の数々を読み、何となく納得してしまいそうなことでも、良く考えたら不思議なことは深く追求する、ということが大事なんだと感じた。
    (2)知識の不足を知る
    ・近代中国についての章を読み、自分が毛沢東の時代についてあまり知らないことに気付かされた。今の中国を知るためにも、他の本を読んで知識を補強したい。

  • 著名な社会学者達の対談だけあって視点が多岐に渡っていて面白い。

    人類史の中で、他の文明とか他の文化の真似や影響なしで独自に文字をつくったところは4つしかない。メソポタミア、エジプト、マヤ、中国。
    頭の中が漢字でフォーマットされた中国人が日本を理解することは難しいという指摘は興味深い。
    また一方で、日本には行動規範となるテキストが存在しない。イスラムのコーラン、インドのヴェーダ聖典、中国の経典。特に戦後の日本は何をよりどころにしてきたかといえば米国であろう。パックス・アメリカーナの中で平和を享受してきたわけだ。

    経済の視点では、西側陣営で起きている資本主義の社会主義化と中国に代表される社会主義という名のもとでの資本主義化が議論されている。
    中国の社会主義市場経済は、長期ビジョンに基づく発明であるとも言えるが、中国への富の集中を米英が簡単に許すとも思えないため、政治問題へ発展していくことは十分に考えられる。

    何れにしても、小国日本が主導権を握ることはできない状況にある。米中関係のなかで日本がどの様な役割を演じるかに過ぎない。

  • 中国は帮(ホウ)の世界だ、三国志の劉備の関羽・張飛の関係だ。 その中に入れば親密で親しいがその外では完全な敵となる

  • 「おどろきの中国」は講談社現代新書「ふしぎなキリスト教」の著者である橋爪大三郎と大澤真幸に宮台真司が加わった二匹目のドジョウを狙った本ですが、1作目がやたら面白かったので、敢えてその講談社の商法に乗っかりこの本を読みました。
    サブタイトルの「そもそも国家なのか?」にも魅かれた面もあります。

    中国とは何ぞやという本題もさることながら、特に私の中では過去から、燻ぶっていたのが、
    ・日本は何故日中戦争のようなあんな馬鹿げた戦争をやったのか?
    ・上記に対する日本の謝罪の問題
    ですが、この解とも言える箇所が幾つかあり、胸のつかえが取れた感じがしました。

    特に宮台氏の以下の発言が印象に残っています。
    「東京裁判という虚構図式式の踏襲が合理的だと考えています。日本が謝罪するというあいまいさを避け、『A級戦犯が指揮した作戦行為や戦闘行為は悪かったし、それらの行為が悪かったことを政府や国民は理解しているし、A級戦犯を自力で取り除けなかった事を悔やんでいる』と言えばいい。現にそれが『日本国民は悪くなかった』と語った周恩来首相が望んでいたことでしょう。・・・略・・・ふつうは橋本さんがおっしゃるような心からの謝罪が重要だとは思うけれど、戦争世代から遠く離れた世代が心からの謝罪の気持ちを継続出来ないことが自明である以上、後続世代は東京裁判図式がもつ意味をよく理解し、かつ未来志向的な信頼醸成が最終的には得になることをわきまえ・・・」

    東京裁判については、現在では勝利者の敗者に対する一方的な裁判という意見が多いなかで、この解釈は、まさに目から鱗の解釈と映りました。
    また、今回改めて1972年の「日中共同声明」を読んでみました。先人は後世の為に色々と苦労しているのだなという印象を強く感じた次第です。

    この問題は非常にデリケートな政治問題なので、人それぞれの考え方があり、この考えに同調してくれなんて事は言えませんが、私の中では非常に有意義な本でした。

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著者プロフィール

橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう):1948年生まれ。社会学者。大学院大学至善館教授。東京大学大学院社会学部究科博士課程単位取得退学。1989-2013年、東京工業大学で勤務。著書に『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、『教養としての聖書』(光文社新書)、『死の講義』(ダイヤモンド社)、『中国 vs アメリカ』(河出新書)、『人間にとって教養とはなにか』(SB新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)など、共著に『ふしぎなキリスト教』『おどろきの中国』『おどろきのウクライナ』(以上、講談社現代新書)、『中国共産党帝国とウイグル』(集英社新書)などがある。

「2023年 『核戦争、どうする日本?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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