- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062881883
作品紹介・あらすじ
初めて語った、父の背中に学んだこと。記者時代、コツコツ独学したこと。そして、いま大学で一般教養を教える立場になって考えること。いまの時代に自分らしく生きるための「学び」について考えるエッセイ。
感想・レビュー・書評
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この本の読了日は2013年11月25日と記録されているので、多分そうなのだろう。
ということは、約7年前に一度読んでいます。
今回は、拾い読みをし、更新版として登録しました。
まず、著者は1950年生まれなので、この本を書かれた時の年齢は、62歳位になります。
132頁。
最近の若い人が書いた小説を読んでいると、プロットばかりで描写がない。以前の小説なら、たとえばひとりの女性をどう表現するかというときに、「美人だった」とは書かずに、髪の毛がどうだとか、目やうなじがどうだとか、延々と描写を重ねることによって、読み手は何となくその人のイメージを頭に浮かべたものだ。
この辺は、確かにそんな感じはしています。
65~67頁。
「時代の空気」というのは興味深い。
1980年代のバブル。不動産や株が高騰した時代です。
多くの人が、不動産や株の評価額が上げ続けると信じた時代でした。
私の年齢は20代でしたので、人生経験が浅かったせいもあり、評価額が天井付近をつけた時期でも、まだまだと思ったものです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
池上彰さんの経験を踏まえて、学び続けることの意味を伝えてくださる1冊です。
東京工業大学のリベラルアーツセンターで教壇に立つ中で感じたことや、これまでの読書経験の中で培ってきたことが、わかりやすい言葉で書かれています。
印象的だったのは、池上さんの好奇心の強さです。
知りたい!学びたい!という気持ちの塊のような人なのだということが伝わってきます。
池上さんに敵わないのは百も承知ですが、何歳になっても知りたい気持ちを持ち続けたいなぁと思います。
今の池上さんがあるのは、お父様の影響が大きいのだということがわかりました。
米寿を過ぎ、寝たきりになってからの愛読書が『広辞苑』だったというお父様…すごい!
ショーペンハウエルの『読書について』で、私自身も頭をガツンとやられた経験があったので、池上さんに共感できたことがちょっと嬉しかったです。 -
システムに乗っかっていると、「なぜ自分はこれをしているのか」という疑問さえ生まれない、ある意味では平和な精神状態が揺蕩う。
考えなくとも、責めなくとも、ただあるがままの事態に身体を委ね、思考を浸していることは、ラクだ。
けれど、そのことに虚しさを感じる時があるのなら、こういう本を読んで勇気を持てば良いと思う。
東日本大震災の際、原発に関する専門的知見が、一般大衆には分かりにくい、不安を拭えないものであったという指摘は、以前にも誰かの本に書いてあり、多くの人はそう感じていたことを知った。
専門外の人に対しても、分かりやすく説明する使命を池上さんは感じたようだけど、受け取る側にも一定の姿勢が必要だと思う。
それが、この本にもある、謙虚さや批判だ。
この二つは真反対のことのようで、受け取り方と、受け取ってからの調理の仕方という一連の流れでもある。
謙虚に受けとめたからといって、いつもそのまま吞み下す必要はない。
また、的確な批判は、ていねいな聞き取りから始まるように思う。
話をする立場の人間から感心させられたことは、学生にどう話すかのくだりだ。
時代の空気感を伝えられるように。
見えない感覚を言葉で表現できるように。
その場の雰囲気から、話題を変えられるように。
より具体的な内容の話を交わすことで、相手からも具体的な内容の返答を得られる。
など。あ、これは考えに入れておきたいな、と感じるコツが幾つもあった。
何のために学ぶか、という問いに真正面から向き合っている人はどのくらいいるのだろう。
全ての国民が、義務としての教育を受けながら、学びのシステムの中で、満たされているのだろうか。
空虚さを感じてはいないだろうか。
システムとしての教育に満足出来るのであれば、その人にとって教養は意味を持たないものだと、私は思う。
ならばなぜ学ぶのか、を自分の内側に当てた時に、世の中にある目もくれなかったものに、光が当たるのかもしれない。 -
池上彰さんが記者時代に身に付けた知識で始めたNHKこどもニュース番組で、なぜ、そうなのか?という子供の素直な疑問から、「自分はまだまだ物事を知らない」とさらに50代で社会人コースに通い学び続ける池上さんに脱帽します。
そう思ったら、池上さんのお父様も働きながら英語を勉強し、通訳の資格で退職後のキャリアを磨き続けたと記載していて、すごいと思った。
最終的には東工大のリベラルアーツの教員として、現代世界の歩き方の授業から、教養の話、今後必要な力の話を語っている。
・現代世界の歩き方
社会がどうなっているか学ぶことの必要性。常識、他者と暮らすための認知、勉強、努力の仕方を学ぶことが人生で大事
→すぐに役に立つものはすぐに役に立たなくなる
→理系大学で専門を増やし、一般教養の授業を減らしたところ、知識はあるが常識がない学生が多いと企業からクレーム
・メモを取る力
パワポ・黒板の板書が多いと、ノートを取ることに必死になり、話を聞いてもらえない
→重要なキーワードを「聞き取り」「まとめる」力が低くなる
・当時の空気感を伝える難しさ
当時の学生運動について、当時生まれておらず、経験していない学生に当時の空気を伝えても自分事として認識しずらい
→歴史の追体験
→学生に縁のある人や場所にからめて想像しやすくする(卒業生の話やキャンパスの場所についてなど)
・批判力
話を真正面に受け止める素直な感じの学生が多い
→疑問をもっていちいち考えると受験戦争に勝てないので、先生の言った事を素早く吸収して試験で吐き出す能力や、先生の求める答えを察知する能力に長けてくる
・ノートの取り方
講義で聞いた一言一句メモ(キーボード入力)はおすすめしない
→ただの議事録になり、自分のものに消化する作業ができない。(リポーターではなくポーター(運び屋)になるな)
・紙の新聞や読書の重要性
読みながら他の情報が目に入る新聞は紙がおすすめ。また、出版本は編集や校閲、引用元の記載が入っているので、誤字脱字などが少なく良質な文書に触れられる。(ネット小説とかをそのまま出版しているものもあるので最近は一律そうとは言えないが)
→池上さんが影響を受けた本「読書について(ショーペンハウエル著)」で、「本を読むことは他人にものを考えてもらうことである。」とあり、他人が考えたことを追いかけているにすぎず、自分でものを考える行為が読書には必要。著者が何を言いたいか、自分は何を得たのかを考える。
→B5ノートの左に5W1Hを書くのは鉄則
・検索能力があればOK?
検索ワードですぐに答えを出せる時代だが、その引っ張った答えと、他の情報を重ねて新しい発想を生み出す能力まで展開しないと意味がない。
→前に読んだメモの魔力に書いてあった、物事を抽象化するスキルのことか!?
池上さんの著書を読むと、すぐには役に立たないこと、一般教養を学びたいと強く感じる。日本史や、宝石の知識、紅茶の知識、西洋美術の歴史…。昔もっとまじめに勉強しておけば…と後悔する気持ちもあるが、今学ぶことが楽しいと感じることが嬉しい。
できればこれで人の役に立てるスキルとして副業に紐づければいいなぁ。 -
東工大で行われた池上さんの一般教養の授業を収録した本は別に出版されているのですが、この本は、その授業での経験を通じて、池上さんが感じた、
・教養とはなにか?
・学ぶとはどういう事か?
についてのまとめになっています。
本書を読んで初めて意識したのですが、教養「 liberal arts」って、直訳すると
「自由になるための技術」
ですよね。
本文からの引用
<blockquote>古代ギリシャでは、人は奴隷と、奴隷を使う自由人に分かれていました。リベラルアーツは自由人としての教養を身につけるための学問として発展しました。
ローマ時代にこれは「自由七科」として定義されます。
七科とは、文法、修辞学、論理学、算術、幾何、天文学、音楽です。
</blockquote>
僕は二十歳ぐらいまでに本がとても好きだったのですが、卒料して数年経過してから本をほとんど読まなくなりました。
社会に出て時間が取りにくくなった事もあるのですが、大人の「知識人」というものに懐疑的だったからです。
社会に出てから接した読書量を誇る人たちは、
「〜ぐらい読んでおかないと」
「〜を知らないの?」
という感じて、経験と知識は誇るのですが、そこからなにを学んだかという事をあまり語りません。
なので、いつしか、知識とは実地体験の中で獲得するもの、という考えになり、3年ぐらい前までは、紙の新聞すらほとんど読んでいませんでした。
僕のこの考えと近い人は多く、
・ビジネス書にビジネスはない。
・学ぶ事だけに力を注ぐのは、単なる自己満足だ。
・実践こそが生きた知識の拠り所だ。
という意見をよく聴きますし、僕も同じ意見でした。
本書の中で、池上さんが言われているポイントは
・本は他人の経験の追体験である。
・自分の経験だけでは得られない世界を体験する為に「知識」はある。
・そして、読む事だけでは、ザルで水を汲むのと同じ事である。
・読んで自分で考え、批評してこそ「知識」として定着する。
というものです。
僕が読書や新聞というものに、この年になって興味をもったのもまさにそこでした。
読んだ本に記録をつける方法が多種に渡ったことで、本からの知識を、かなりしっかりと補完できるようになったのです。
そして、以前、「〜ぐらいは読んでおかないと」と言っていた大人達に、なぜ違和感を感じたのかもわかりました。
彼らの意見では、知識は「降ってくるもの」で、お経のようなものだったのですね。
実践的知識(すぐに役立つ知識)というのは、
・提示された設問に対して、最大の効率で解答が出来る知識。
つまり、試験へ特化した能力といえます。
太平洋戦争の日本軍の失敗原因の一つとして、海軍のエリート層が、試験対策に特化した秀才で固められた事が別の本で挙げられていました。
戦場の状況は設問があるわけではなく、また唯一の正解があるわけでもありません。
設問の前提を疑い、時には自ら設問を作り、そして、正解ではなく、状況の中で最適な解答を選ばないといけません。
これは現代のビジネスシーンでも同じ事です。
今まで、この
・設問に対する最適解ではなく、設問自体を作っていく能力
を身につけるのは、アカデミックな活動よりも、プラクティカル(実践的)な活動だと思っていました。
この本を読んで初めて納得したのは、例え、自分の専門がITの世界だとしても、ITを使う人間はビジネスもすれば遊びもして。恋もして、そして感動して泣く、という事です。
専門ではない世界の知識が、今のIT世界を動かしている事から、リベラルアーツという「すぐに役に立つわけではない教養」の持つ意味の大きさが分かります。
その代表例が、スティーブ・ジョブズでしょうね。 -
読書とは、作者の思考をなぞる。それだけだ。だからこそ、読書の後には自分なりの思索、思考をしなければならない。ショーペンハウエルの言葉は目から鱗が、落ちた。知識は読書からしか得られないが、読書は賢くすることはできない。非常に耳が痛い言葉だ。
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著者の本は様々な観点から物事を捉えて、それをわかりやすく丁寧な解説をしているので、これまでいろいろ読んできました。
しかし、この本は具体的な方法論ではなく、学ぶことの意味を考えさせてくれるものでした。
『すぐ役立つことは、すぐ役に立たなくなる。すぐ役に立たないことは、ずっと役に立つ。』
社会に直結した専門的知識を養うのも勉強ですが、今後は様々な状況でも対応できる教養も身に付けたいと思います。 -
学生時代に読みたかった一冊。
ブックマークだけつけてここまで来てしまった…
主に大学生に向けて講義する際に留意している点などが記載されているので、大学生には特におすすめ。
学生じゃなくなっても学ぶ姿勢、学びとは何かを池上さんなりに説明しているので、とても参考になる。
何よりテレビの解説と同じくらいわかりやすい。
池上さんがショーペンハウエルの本から抜き出した、「読書は他人の思考を反復するだけ」、というのはなるほどと思い、学んでる気になってる身からすると、ぐさっと刺さりました。
たしかに読み終えてからこの感想を書くまでにも、すでにぽろぽろと内容は抜け落ちてる。
自分なりにインプット、アウトプットして定着させていこう。
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読むだけでなく考える
机上の理論ではなく自己の見解、いろんな角度からものをみること
すぐ役立つ知識はすぐに不要となる
自己を深めることが知恵となる -
とても読みやすかった。頭にストンと入ってくる文章だった。
大学生の頃に読んでおきたかったな。
池上さんの授業を受けたことがあるのでなおさら。
どのような意図であの授業をやっていたのか分かっていれば、もっとまじめに受けただろうな…
歴史とか文化とか色々なものに興味を持っていることは自覚してたけど、それに時間を割く意味を与えてもらえた。
これからもっと本を読んでいきたい。
内面を豊かにしていきたい。
以下見返したいこと
教養=リベラルアーツ
リベラルは様々な枠組みから自由になること
変化の激しい時代において、教養こそが次の解を出す
社会に対して傍観ではなくコミットメントする
すぐに役に立たないことは、あとから役に立つ