西郷隆盛と明治維新 (講談社現代新書)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062882026

作品紹介・あらすじ

日本近代史の第一人者が、日本を近代国家に導いた人物を描き出す!
征韓論、西南戦争……、「軍部独裁と侵略戦争の元祖」はつくられた虚像だった!幕末期に「議会制」を構想し、封建制の打破に尽力し、江華島事件を卑劣と非難した、幕末維新の巨人の実像に迫る一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 「攘夷」にあまり関心を持たない「国民議会」論者としての西郷を描く。特定の人物を取り上げるのは著者にしては珍しく、異色作にも思えるが、幕末から戦前昭和の80年の間に活躍した政治家の中で最も尊敬するのが西郷との事。近現代の大家である著者のこういう発言には少々イガイ感がある。内容的には新しいとまでは言えないが、通説というか俗説を修正する論考にはなっているように思える。
    ただし、やはり西南戦争は著者にとっても不可解らしく、歯切れが悪い。「大儀」が存在しない反乱ではあったが、それなりの勝算はあったと。ただし、川村純義と樺山資紀の裏切りに期待していたというのはあまりにも他力本願であり、時節を読み誤ったとしか言いようがない。

  • 【要約】
    ・西郷隆盛と言えば征韓論。しかし、彼は決して征韓論を支持していたわけではなかった。征韓論を声高に主張したのは板垣退助で、西郷隆盛は海軍の朝鮮挑発を卑劣な振る舞いだとして非難していた。だからと言って西郷が非戦論者だったというわけではないが、やるんだったら相手は中国という意識を持っていた。朝鮮には特使を派遣して交渉しようと考えていたのを、岩倉具視に歪曲されて天皇に上奏され、征韓論者的な立場に仕立て上げられてしまった。

     征韓論者ではなかった西郷が、なぜ最後に挙兵することになったのか、それこそが本書の重大トピックであると冒頭で著者によって宣言されている。しかし、彼の勝算への目配せまで検証しながら、肝心の動機の部分については、自身の力量不足として突き詰められないと告白して終わりになってしまっているのは、やはり消化不良感が残る。

    【ノート】
    ・幕末から明治にかけての薩長土肥、そして朝廷と幕府の重要人物の動きを書簡などからの引用を数多く見ながら著者と一緒に紐解いていく西郷隆盛の動きは予想以上に面白かった。

    ・西郷隆盛はもちろん、勝海舟、木戸孝允、岩倉具視などの書簡などからの原文引用が多い。読み慣れないので最初は一字一句ちゃんと追っていかないと意味が分からないので億劫だったが、慣れていくと当時の雰囲気が分かって面白くなってきた。

    ・著者は、何度か本文中で明言している通り、西郷隆盛萌えである。だから、例えば嶋津久光や大久保利通、岩倉具視の描き方は、西郷擁護の観点から描かれているが、逆からの見方もあるはずだ。

    ・未読の松岡正剛「日本という方法」の出だしは西郷さんから始まる。「『なぜ西郷隆盛が征韓論を唱えたのかの説明がつかないかぎり、日本の近現代史は何も解けないですよ』といったことを口走りました。(P7)」とのことだが、この時と今の松岡正剛さんの考えは、本書の見立てと通じているのだろうか。

    ・図書館の講談社アラートで知った。

  • 歴史学者の坂野潤治さんの本。
    西郷隆盛の生涯を史書をもとに描く。

    特に新しい発見も納得もなかったな。
    それ以上でもそれ以下でもない。
    それでいて史書の現代訳がないのでわかりにくい。

  •  本書を読んで、かつて司馬遼太郎は「翔ぶが如く」という小説のあとがきで、西郷隆盛という人物について「日本にはこの様な人物の類型がなくわかりにくい」という趣旨のことをつづっていたことを思い起こす。
     本書は、そのような「幕末から明治維新」という混迷と動乱のわかりにくい時期を、現代の政治の知識から考察している興味深い本であると思った。
     「尊王攘夷」という当時の政治スローガンを、「尊王」「攘夷」「開国」という思想内容にまで踏み込んで、当時の各藩におけるそれぞれの政治勢力の動向と変転を詳細に考察する本書の内容は、実にわかりやすい。
     混迷の時代には、常に「保守派」「革新派」と分かれて争うのは歴史の常であるが、当時は「幕府」や「各藩」がそれぞれ内部で多くの「派閥」が、くんずほぐれつの争闘を繰り広げていた。
     この混迷の時代の「西郷隆盛」を「攘夷なき尊王論者」と捉える本書は、説得力があるとともに時代状況も詳細に知ることができる。
     「安政の大獄」についても「開国派による開国派の弾圧」との視点は興味深い。
     なるほどこのようにみると理解しやすいが、この時代に現代の視点からのこのような分析が通用するのかとの思いも抱く。
     また本書は「西郷隆盛は征韓論者などではではなかった」とし、西南戦争についても「一時的な自力優勝の可能性は十分あった」と考察しているが、この内容は一般的な知見とは落差がある。
     以前「勝海舟」の詳細な本で「勝海舟は晩年になってから西郷隆盛は征韓論者ではないと語りだした」とあったが、当時の関係者の残した文書記録をより深く読み込めばまだまだ新しい知見が得られるのかもしれない。
     事実のみをつづる歴史書は、「教科書」のようで読んでもつまらないが、本書はいろいろ読者の思考を刺激する良書であると思った。

  • 西郷隆盛=征韓論という「虚像」が大いなる誤解に基づくものである、というポイントは理解できた。右翼にも左翼にもその「虚像」が利用されがちな人物だけに、彼らを論破する武器としても有用だ。最期に西南戦争に至ったのも、著者自身その目的は不明としながら、最終的にそうなってしまった理由は推測できる気がした。

  • 勝てば官軍。

    権力を握った側は、自身の出自を正当化しなければ、統治できない。

    所謂、征韓論なるものに敗れた西郷は、賊軍として処遇せざるを得ない。

    しかしながら、史実は史実として厳粛に残存する。

    西郷にまつわる史実を丁寧に読み解けば、新たな仮説を立てることができる。

    日本近代史の第一人者が近代国家に導いた人物の実像を解き明かしてくれた。

    若い時から慣れ親しんだ司馬史観を離れるてみるのも楽しいものである(笑)。

  • 史上の人物に関しては“有名”な“度合い”が高い程に色々な型で取上げられ、“多面的”に、換言すれば「好い面と同時に、その限りではない面も」含めて語られているように思える。他方、「○○でお馴染み」という“部分的なこと”の印象が余りに強い場合、色々な型で取上げられる他方で、“部分的なこと”に関連性が高い“一面”ばかりが注目される場合もある…

    そういうことに想いを巡らせながら考えてみて…例えば…“西郷隆盛”は如何であろうか?本書はそのような問題意識から出発して綴られたもののように見受けられる。

    なかなかに面白かった!!

  •  攘夷論、征韓論、西南戦争など一般的な西郷イメージを虚像と排し、モダニストとしての西郷像を手際よく実証しながら、尊王/攘夷、開幕/佐幕といった従来の幕末観を更新する。いつまで経っても曖昧だった幕末の状況認識がスッキリ整理された気分である。

     ただ、著者が「大義なき内戦」と評する西南戦争に西郷が踏み出す過程に紙幅が割かれなかったのは不満。桐野利秋ら私学校急進派の暴走は事実かもしれないが、自由民権運動、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱という一君万民と右翼思想の系譜と切り離して西南戦争は語れないのではないか。

    幕末から明治に至るモダニズムのプロセスと対を構成する、排除されたものとしての右派思想のエートスを腰を据えて汲み取る必要性を強く感じる。

  • 西郷隆盛は「攘夷」論にあまり関心を持たない「国民議会」論者であり、特に「征韓論者」として名を馳せているのだが、明治8年9月の江華島事件を朝鮮を弱国と侮って、長年の両国間の交流を無視した卑劣な挑発と非難しているのである。幕末から明治維新にかけてわれわれが漠然と抱いてきた西郷像はまったくの虚像だったのである。本書では実像に迫るのだが、私には渡辺京二著『維新の夢』で語られている西郷像のほうがおもしろく感じられた。

  • 著者の「日本近代史」が、時代の分類など、うまく整理がされている良著だったこともあり本著も読むことに。
    西郷隆盛に焦点を当てているとはいえ、基本的には「日本近代史」での論説に沿うもの。
    ・西郷は攘夷を唱えたことはなく、合従連衡により幕府に代わる新体制構築を考えていた。
    ・藩兵の合従連衡が先行し、武力のトップとしての存在が大きくなり、士族の不満を一手に引き受けざるを得なくなってしまった。
    ・西郷は必ずしも「征韓論」を唱えてたわけではない。

    司馬遼太郎曰く、「西郷隆盛ほど説明が難しい人物はない。それは、この時代でしか登場し得ない人物であるから」。
    本著を読んでも本当の「西郷隆盛」が明らかになるわけではないし、知れば知るほど謎が深まるところもある。
    それを考えながら幕末維新を深めることも意義あること。

    著者自身が西郷隆盛の大ファンであり、批判的な視点が欠けているところは却って消化不良。

    以下引用~
    ・1842年にアヘン戦争で清国がイギリスに敗れた時の幕府の対応も、ちぐはぐもいいところであった。本来なら「異国船打ち払い令」を強化して、それに加えて「大船建造の禁」を廃止するのが、幕府の採りうるべき途だったはずである。・・・しかるに幕府は正反対の処置に出た。
    ・西郷が久光の命令を知りながら、「尊王」論で有名な平野国臣と会談したのは、「尊王攘夷」論者をも味方につけるためであり、平野が西郷に会見を求めたのは、薩摩藩を嫌う彼ら「尊王攘夷」論者の間でも、西郷だけは別格扱いだったためである。
    ・西郷の新体制構想と勝の科学技術立国とが結びつかないかぎり、明治維新は実現しない。
    ・西郷は「義」を最重視する政治家でもあった。・・・そのような西郷には、将軍に大政奉還を迫る薩土盟約に調印したからといって、武力行使しても長州の冤罪を雪ぐと誓った薩長盟約の方を反故にする気はまったくなかった。
    ・旧薩摩藩兵が、いわゆる征韓論の急先鋒だったわけではない。征韓論の急先鋒は、旧土佐藩兵を率いる板垣退助であり、旧薩摩藩兵でも西郷隆盛でもなかった。

    以上

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著者プロフィール

一九三七年神奈川県生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程中退。東京大学社会科学研究所教授、千葉大学法経学部教授を経て、現在は東京大学名誉教授。専攻は日本近代政治史。主な著書に、『明治憲法体制の確立』『日本憲政史』(以上、東京大学出版会)、『帝国と立憲』(筑摩書房)、『昭和史の決定的瞬間』『未完の明治維新』『日本近代史』(以上、ちくま新書)、『近代日本の国家構想』(岩波現代文庫)、『〈階級〉の日本近代史』(講談社選書メチエ)、講談社現代新書に『明治維新1858-1881』(共著)、『西郷隆盛と明治維新』などがある。

「2018年 『近代日本の構造 同盟と格差』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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