織田信長 <天下人>の実像 (講談社現代新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062882781

作品紹介・あらすじ

「戦国大名は天下統一の為に競い合っていた」という戦国大名観は近年では否定されていますが、信長だけは例外と見做されてきました。しかし著者が発見した書簡を初めとする史料から見えてくる客観的な信長像は、他の戦国大名とさほど違ったものではありません。有名な「天下布武」の印章も、信長が「天下を取る」ことを宣言したものではありません。天下とは日本「全国」ではなく、京都を中心とした畿内のことに過ぎません。「天下布武」とは、畿内の秩序維持を、足利将軍をサポートして自分が執り行うという意味なのです。秀吉が行ったのはまさに「全国統一」でしたが、信長にはそういう意志はなかったのではないでしょうか。
 しかし『天下布武』の構想も信長の言うなれば「脳内」のものに過ぎず、「大義名分」として説得力のあるものではありません。信長が足利義昭になりかわって事実上の将軍の職務を担っているからといって、他大名には信長の「言い分」に従わなければならないいわれはないのです。結局、信長は武力で「言い分」を認めさせるしかなくなります。自称「天下をおおせつかっている」信長は、かくして諸大名との衝突を繰り返します。例えば上杉氏とは当初、良好な関係にありましたが、信長の版図が拡大し直接境を接するようになると両者は戦争になります。そのような行動が後世の目で見ると、着々と諸勢力を征服して「天下統一」へと邁進していたかのように見えたのです。そもそも信長は、組織的な「政権」は作りませんでした。征服した領土の経営も家臣に丸投げで、支配の方式に革新的な面はありません。その点でも秀吉に比べ信長の「権力」は中途半端な中世的な段階に止まっていたと見做した方がよいのです。
 しかし、そのような信長も、最後には「全国統一」という野望に目覚めたのではないかと思われる節もなくはありません。四国攻めなど最晩年の軍事行動には以前とは性質を異にした所があり、もしかしたら本気で全国制覇をする気になっていたのかも知れないと著者は考えます。光秀に殺されたために、その真意がどこにあったのかはわかりません。しかし光秀の謀反自体が、このような信長の豹変が惹起させたものである可能性さえ考えられないことはないのです。本書は一切の先入観を廃し、確実な史料だけに基づいて信長の行動を解釈すればどうなるかを解明し、最も新しい知見に基づいた最新の信長像を提示します

感想・レビュー・書評

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  • 金子先生の本を読むたび、信長のイメージが「物事の筋道にやたらとこだわる堅物の学級委員長(銀縁眼鏡装備」になってしまうw この本では信長と朝廷の関係を主に扱ってるんだけど、基本的に信長は朝廷のやることに口は出さず、朝廷の方がなにかとアプローチしてきたのに受け身で反応していただけとのこと。ただし筋の通らない話は、たとえ帝が相手でもきっちりツッコんでいた様子。

  • 史料に基づいて、信長は革新的かつ先進的な存在ではなかった、という視点で描かれていると知り、手に取った一冊。「天下」という言葉を日本全国と捉えるか畿内周辺と捉えるか。後者ととらえ、天下布武とは畿内周辺を静謐とし、それ以外の領域の勢力とは信長優位で友好関係を結べればそれでよしとしてたのではないか、と。領国支配も柴田、羽柴ら大身の家臣に分権的に領域支配を委ねる、さして目新しくなく(中央集権的ではなく)、行政制度、租税徴収制度では後進的という評価もあり。将軍義昭を担いでいた時期も、戦国期室町幕府の政治的枠組みから逸脱しようとしておらず、強い主導性の発揮には慎重。朝廷との関係も、将軍がいる際は将軍が、いなくなった後は信長自身が朝廷を支えるべきという素朴な考えから行動していることが伺える。官位に対しても、さほどどうあるべきかの知識もなく、思い入れもなかった。ゆえに朝廷と官位を巡って確執があったこともない、と。ただ、最晩年については、著者は、天正十年武田氏討滅から将軍推任に至る流れが、天下静謐すれば事足れり、としていた信長の意識に変化を生ぜしめたのではないか。中国四国攻めへとうつる動きがあまりにも性急だったため。また、長宗我部氏との断行の経緯は、天下静謐の考えからはみ出した、剥き出しの欲望、統一への志向が見られ、それも含め、天下静謐から全国統一という流れを感じ取り、阻止しようとしたのが光秀であり、その結果としての本能寺の変ではなかったか、と。興味深い説。また、参考文献としては、・金子拓「誠仁親王の立場」「織豊期研究」15,2013 ・等身大の姿を描いたと話題になった池上裕子「織田信長」吉川弘文館,2012 あたりにあたってみたく思った。

  • 信長が天下統一を目指した訳では無く、将軍や天皇といった旧体制を基本に、専制的ではなく穏当な政治手法をもって事に当たってたという説。
    比叡山焼き討ちとか、長島一向一揆の撫で斬り、朝倉征伐や毛利攻め考えると、あまり納得感はない。

  • 信長の歴史本で一番気に入りました

    中世の大名として、将軍を支え、朝廷の権威と天下(=機内)の静謐を守ろうとする行動を徹底したが故に、敵対勢力殲滅の繰り返しがほぼ天下統一につながっただけの、守旧的だけど、性格が狷介な武将が信長

  • 信長は天皇・朝廷を中心に京都を中心とする畿内を平穏にするのが自分の務めと考えて行動していた、という説。
    信長のすごさや革新性を説明したり、あるいはそれを否定するための説明はないため、信長像にインパクトはなかった。あくまで全国統一でなく畿内平定が天下布武の意、と認識できたくらいの読後感。
    将軍推位・四国平定から変わったのではないか、と最後で提起しているが、やはり信長が全国統一あるいは領国拡大を目指していなかった、とは思えなかった。

  • 池上本以降の信長論レビュー二冊目。こちらの方がより信長を「室町レジーム」の保守派と捉える視点が強調されているか。
     ただし、なぜ信長は室町時代のレジームを使いながら将軍を抜きにしようとしたのか。池上論だと「無計画・無分別」という感じに解釈できそうだが、この本はもう少し信長の新規性の萌芽を見ているのかな。
     いずれにせよ、俄然信長論に興味が湧いてきた。

  • 天下布武の「天下」ってそもそもどういう意味なのか?
    信長が上洛してから本能寺の変までの期間を、天皇・朝廷との関係を中心に検討するもの。公家の日記や朝廷に残された文書の資料的価値の検証次第なんだろうけど、けっこう斬新な視点だなぁ。
    冒頭の「天下」が五畿内でしかないという、その一点で、うなっちゃうな。

  • 12月新着

  • 従来の信長のイメージが覆される。信長は朝廷と対立し正親町天皇に譲位を迫る等、朝廷をないがしろにし、将来的には天皇に取って代わろうとしていたのではないかなどの説がこれまで提出されてきたが、実際はそうではないようです。少なくとも四国攻めを計画する以前は朝廷と上手くやっていたようです。この著書に引用されている神田千里氏の著作がちくま新書から最近出たので、そちらも是非読みたい。

  • 先に読んだ「本能寺の変431年目の真実」に触発されて、信長の実像に迫る本を連読。変えるべきものは徹底的に変革し、それ以外のことには拘泥しない人物だったのを、改めて確信できました。
    ただし、論考や文章が硬いので、読むのは難渋すると思います。

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著者プロフィール

かねこ・たく 1979年生。岩手医科大学附属病院岩手県高度救命救急センター。

「2022年 『DMAT看護師になりたい』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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