下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書)

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著者 : 平田オリザ
  • 講談社 (2016年4月13日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062883634

下り坂をそろそろと下る (講談社現代新書)の感想・レビュー・書評

  • 劇作家であり演出家であり大学教授である平田オリザ氏の著書。演劇を創りながら、その立場から文化政策や地域振興を語る著者の視点はとても興味深い。

    1.もはや日本は、工業立国ではない。2.もはや、日本は、成長社会ではない。3.もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない。この3つの寂しさを見つめ受け入れる必要性を語っている。

    基本的には著者の地方での取組を紹介しており、どれも演劇や芸術が持つ力を改めて感じる。特に「小豆島」での挑戦や「豊岡」での事例はとてもおもしろく、こういった貢献を自分もしたいという気持ちになった。また、「善通寺」での「文化資本」の重要性も頷ける。

    筆者の考える「子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育所にあずけて芝居や映画を観に行っても、後ろ指を刺されない社会」「平日の昼間にどうしても見たい芝居やライブがあればいつでも気軽に休める社会」は実現できたらいいと思う。それだけ社会が豊かに成熟してほしい。

  • 勝たないまでも負けないようにする

  • 「まことに小さな国が、衰退期を迎えようとしている」という書き出しや、①もはや日本は、工業立国ではない②もはや日本は、成長社会ではない③もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない。という問題提起はいいのだが、内容が自身の活動紹介が殆どで参考にならない。
    「卑屈なほどのリアリズム」を持って現実を認識し、ここから長く続く後退戦を「勝てないまでも負けない」ように持っていくことは必要だが、「自分以外の誰かがウマイ汁を吸っている」と疑心暗鬼になる社会を変える事は容易ではないだろう。これは個人の心の問題だし、ネット社会は疑心暗鬼を加速するものだから。

  •  司馬遼太郎の「坂の上の雲」をモチーフにしながら、その真逆の世界観である衰退のための準備をするべきであると説く。
     我々は拡大こそ正義、そして生きる条件だと信じ込まされてきた。経済や社会のインフラは成長するものであり、それは止まらないものだと。しかし、筆者によれば日本の社会は円熟期を迎え、今後は衰退に向かう。そのことを冷静に受け止めるべきだというのだ。
     近年、いたずらに隣国を罵倒する風潮があるのは、この国の状況が分かっていないからであり、覚悟ができていないのだという指摘は一理ある。
     劇作家である筆者は経済的な豊かさよりも心の豊かさを求める国家への移行を考えているようだ。その理想もうべなるかなである。
     ただし、物質欲にどっぷりつかった我々の意識を変えるのはそれほど簡単なことではない。しんがり戦に敗れれば全滅というのが定石だが、日本がどのように今後を生きるべきなのかを考えらさせられた。

  • 文明は客観的合理性を持つ普遍的な物。文化は不合理で特定集団においてのみ通用する特殊な物。日本は文化は創ることができるが文明を創り出し輸出できるような国ではない(司馬遼太郎)。安倍政権の「誤謬」は日本が文明を輸出できる国という錯覚と日本は絶対負けないという不敗神話。妄想。安倍政権は日本がアジア唯一の先進国の座から滑り落ちたことを受け入れられない日本人の典型例。今の私たちにとって大事なことはリアリズムを持って現実(少子高齢化)を認識し、これから長く続く後退戦を勝てないまでも負けないよう持っていくこと。

  • 「子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育園に預けて芝居や映画を観に行っても、後ろ指をさされない社会を作ること。」母たちのサロンを開いていて感じたことは、日本人は自分を豊かにすること、文化への価値意識がとても低い。自分だけが楽しむことに罪悪感を感じる社会は、豊かさに欠け、彩りのないつまらない世界だ。子育て中の母だけでなく、失業者でも、仕事詰めの社会人でも同じで、文化を娯楽とだけ捉えずに、自分を豊かにしていく大切な意味を持つ時間と捉えること。それがお互い当たり前にできる社会にしていくことが、労働力人口最前線である私たちの役割なのだと思った。とても新鮮で、おもしろい。平田オリザさんがとても好きになった。
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    本当に、本当に、大事なことは、たとえば平日昼間に、どうしても観たい芝居やライブがあれば、職場に申し出て、いつでも気軽に休みが取れるようにすることだ。職場の誰もが、「あいつサボっている」などと感じずに、「なんだ、そんなことか、早く言ってくれよ。その仕事なら俺がやっておくよ。舞台を楽しんできな」と言い合える職場を作ることだ。それが、私の考えるコミュニケーションデザインであり、コミュニティデザインだ。そのためのコミュニケーション教育だ。競争と排除の論理から抜け出し、寛容と包摂の社会へ。道のりは長く厳しいが、私はこれ以外に、この下り坂を、ゆっくりと下っていく方法はないと思う。

  • 衰退期に入った日本のあり方、日本での生き方についていろいろ詰め込まれてはいる。ただ、当たり前だが端々に著者がやっている活動に引っ張られている感があって、そこに共感できなかった。帯や広告を見て期待した程の内容ではなかった。

  • 劇作家平田オリザ氏の著書。
    氏が専門とする文化芸術からアプローチして、この国の大きな方向性とその国民の持つべきメンタリティをしっかりと示してくれている。文化芸術論から統治論まで昇華させることができるひとは平田オリザ氏以外いないと思う。読んだあと、「そうだよなー」と思うひとは多いのではないだろうか。

    氏は、身の程をしっかりと理解しよう。話はそこからしか始まらないと言っている。国も自治体も、誰も彼も。自治体職員としては、豊岡市の取組みはとても参考になった。城崎温泉で有名な豊岡市であるが、氏が関わった城崎国際アートセンターは今では力ある劇団が国内外から殺到しているとのことである。その話の流れで氏は「これまでの「まちづくり」「まちおこし」に決定的に欠けていたのは、この自己肯定感ではなかったか」と述べ、豊岡市長がいつも「豊岡でいいのだ」という口癖を引用して、問題提起している。まさにそのとおりだと思った。自分がいる香川県でも地元のひとほど地元の名所に行かないし、説明できない。当たり前すぎて関心がわかないのだろう。しかし、それでは自己肯定感にはつながらないし、そういった考えを持つ大人の子どもは自分の地元に対して自己肯定感をどうやって持つのだろうか。まずは、しっかりと大人が「香川でいいのだ」と心の奥から思うことが大切である。そのための、施策をしっかりと打っていくことが肝要であろう。

  • 誰人もみな芸術家たる感受をなせ
    宮沢賢治『農民芸術概論網要』

  • 何度も唸りながら読んだ。久々に心が震えた一冊。
    日本人が受け入れなければいけない三つの寂しさ。その寂しさに気付かない人、薄々感じているけど見ないふりしている人、そんなものはないと声を荒げる人。誰をも否定せず、柔軟な寛容な社会を育んでいこうと説く。そしてそのために必要なのは地域が自己を認め「文化の自己決定能力」を持って自らが施策を推し進めることであり、それは教育と環境による文化資本の向上から成せるものである。
    全てが日々感じている鬱々とした思いを見事に言語化されていたものだったし、単なる批判に留まらず常に現実的な展望とともに語られていて説得力があった。
    自分がどこでどういう風に生きていくべきか、初めて考えようと思った。

  • 日本は、現状分析して進む道を決める必要がありそう。瀬戸内の島の取り組み、城崎の取り組みは感心した。

  • 日本という国が「下り坂をそろそろと下る」方法を書いた本だと思ったし、実際「私が本当に書きたかったことは、さほど多くはない」で始まる最後の20ページを読む限り、それは間違っていないはずなのだが、本書の大部分が著者が自ら仕掛けた、あるいは見聞きした地方振興の具体例に割かれている。書き手としての著者の力量は相当なもので、興味深くは読めたのだが、話の行く末がよくわからなくて、何度も?となった。たとえば四国の小さい町の地方振興の手法が、日本という国の撤退戦の参考になるということのようだが、それがいまひとつつながらない。著者は劇作家だから、本書も思いがけない場面転換の演出が施してあるのだろうか? と邪推してしまった。
    戦後の焼け跡から出発して急な坂道を全力で登ってきた時代、そして世界第2位の経済大国というメダルを得てブイブイいわしてきた時代を経験しているベテランの日本人に、この国が下り坂に向かうというシナリオを受け入れるのは難しいだろう。だが駆け上る途中に振り捨ててきたものも多かった。きっと良い着地点があるだろうと思うのだが。

  • JAPAN AS No1と言われたのは30年前のこと、今の日本は、世界どころかアジアでも1番ではない。現実を認識して、新しい価値観でものを考える時代に来たことを考えさせられる本です。

  • 右肩あがりの高度経済成長から停滞期を経て、いま日本はそろそろと下り坂を降り始めている。

    産めよ増やせよ。
    人が生まれ、そしてまた子が生まれ、成長が加速していった時代から、子どもが生まれなくなり、引き伸ばされた人生を生きるひと、疲れた人生を生きる人がだんだん多くなっていく。そして、だんだん人が減っていく。

    モノが作られ、売れてお金になって、さらにモノが作られ海外にも売れていった時代から、製造業が離れていく時代へ。

    自分がいま下り坂に経っていることに、そろそろ気づいて坂道を下るということの意味を考えはじめる時期なんじゃないかという指摘。

  • 20160919 途中間が空いてしまったが読み終えた。自分でも意識してなかったが今の日本の状況にいちいち思い当たる。下り坂をどう降りていくか?自分の人生でも同じだ。文化的な生活をできるように中年以上が頑張ってみるのも良いかも。

  • 私の友達に
    西アフリカ(ブルキナファソ)のミュージシャンがいる。
    彼の国に寄せてもらった時に
    彼の村に着くや否や
    バラフォン(西アフリカの木琴)の演奏が始まり
    そこら辺で布を丸めたボールでサッカーをしていた
    子どもたちが、その音楽に合わせて
    踊り始めた
    後で聞くと
    外から来た旅人(お客さん)に対して
    「よく来たねぇ」の歓迎を
    そんな形であらわしてくれていたそうな

    「文化」とは そのようなものだろう
    「人が生きている」とは そのようなことだろう

    「おもてなし」とはわさわざ取り繕うものではなく
    自ずと あらわれてしまうモノであってほしい

    この国(日本)の「文化」とはどんなことだろう
    この国の「文化」とは 誰が担っていくものなのだろう
    いまこそ 私たちが 取り戻したい
    いまこそ 私たちが 身に着けたい
    そんな「文化」への提言が
    易しい言葉で綴られている

  • 某読書会の課題図書.「本」で読んでいたが,記憶のない部分も多かった.成長を望めない状況をいかに取り入れて,ある意味でのんびりやっていくことを提唱している.ただ,政治家がそういう発想ができるかが問題で,今まで通り公共事業へ金をつぎ込んでいる.なんとかしなくてはならないと痛感する.

  • 著者は、「いま、先を急ぐのではなく、ここに踏みとどまって、三つの種類の寂しさを、がっちりと受け止め、受け入れ無ければならい」と考えている。
    その三つとは、
    1.もはや日本は、工業立国ではない。
    2.もはや、日本は、成長社会ではない。
    3.もはやこの国は、アジア唯一の先進国ではない。
    東京からの押しつけでない、真の地方再生の取り組みが、日本全体で必要されていると感じた。

  • さちに勧められてはじめて平田オリザの本を手に取る。
    ”文化”を中心にした地域復興の事例が報告されており
    いずれも知らないものだったので興味深く読みました。
    劇作家らしい着眼点だし主張されてることも共感できます。
    日本はこれまで”文化”というものを粗雑に扱ってきたにもかかわらず
    『クールジャパン』等でもてはやす。
    「うちの文化いけてるんです」って言うならやり方あるやろうに。
    『小さい頃から本物の芸術と触れ合う』必要性を説くのはよくわかるのですが、『だから田舎は不利である』とするのは少し違うかと。
    自然との触れ合いの中で磨かれる感性、気づきは当然あって、都会の中で得られるそれとは大きな隔たりがあると思っています。
    オリザさんのおっしゃる”芸術との触れ合い”は磨かれたセンス等の”土台”の上に置かれるものであってその土台がなければいくら触れ合ったところで意味がないと思うんですよね。
    その点を強く強調されていたので、「あれっ?」と思った点でした。
    全体的にとてもおもしろかったです。

  • 衰退していく日本でどうしていくかということが書かれているのだが、なんとも著者のプロジェクトの紹介が多くて、各論的には色々と論じられているが、全体としてというビジョンが見えにくく感じた。

  • 過去の栄光,あるいは成功体験にしがみついて脱却できない,幻想に取り憑かれた現状の日本を物静かに観察し,戒める.いい加減目を覚まして現実を見なさい,と諭されるが,目を覚ましても下りの勾配が緩やかになるだけで現状維持すら困難であることにどう向き合うべきか.

  • ご本人の活動はよくわかるが、もう少し話を広げてほしい、具体的に。

  •  作者名とタイトルで手に取ったので、最初は「人間が年を取りピークを越え、長い老後の過ごし方」的な本かと思ったけど、開いてみたら主は人間じゃなくて日本だった。
     ゆるゆると衰退していく日本が、凋落するのではなく「下り坂をそろそろと下る」についての本。
     「日本語が亡びるとき」の次に読むにはタイミングが良すぎるチョイスだった。

     しかしながら、衰退する日本というものを次世代に受け継ぐというよりは、衰退の時代には、演劇をはじめとする文化的な教養が必要であるという趣旨である。
     おそらく、著者にとっての「日本」とはトランプの「ハートA」か何かのようである。好みであり、協力であるけれどもそれがなくともゲームを楽しむ手段はある、というような。
     教養があり、豊かな社会とはどのようなものなのだろうか。そういうものに出会いたい。

     そうして、最後まで読むと、やはり著者も「日本語が亡びるとき」を読んでいるのだろうし、日本語というのは文化でしかない。
     なんというか、文明ではなく文化だからといって日本をないがしろにするのではなく、外を見て、そして自らを見る。知る。それらが可能となるとすれば、こころの豊かさと自分があってこそなのだろうな、と感じる。
     予想外にいろいろと切なくなる本だった。

  • 劇作家「なのに」何故社会を語るのかと最初思いましたが、読み終わると劇作家「だから」社会を語るんだなと思いました。

    正直 、文化・芸術でコミュニケーションや教育を何とかするなどと考えたことがなかったので、なるほどなぁと思いましたね。
    確かに、文化・芸術をおろそかにする自治体は廃れる・衰退する、とは常々思ってましたが(それでいてスポーツ振興には力を入れていたりする…)そんなに前向き、と言いますか重要性を感じたことはなかったですね。

    いろいろ考えさせられましたが、4章が特に心を揺さぶりました。

    それはどうだろう、と思うようなことも書かれていますが、確かに「下り坂をそろそろと下る」態度はこれからの日本人には必要かも知れませんね。

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