- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062883634
作品紹介・あらすじ
◆「これからの日本」をどうするか?◆
人口減少、待機児童、地方創生、大学入試改革…。
日本が直面する重大問題の「本質」に迫り、
あらためて日本人のあり方について論考した快著!
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反アベノミクス派の皆さんでさえも、あまり口にしない大切な事柄がある。
子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育所に預けて
芝居や映画を観に行っても、後ろ指をさされない社会を作ること。
私は、この視点が、いまの少子化対策に最も欠けている部分だと考える。
経済は重要だ。待機児童の解消は絶対的急務だ。
しかし、それだけでは、おそらく非婚化・晩婚化の傾向は変わらないし
少子化も解消されない。
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雇用保険受給者や生活保護世帯の方たちが
平日の昼間に劇場や映画館に来てくれたら、
「社会とつながっていてくれてありがとう」
と言える社会を作っていくべきなのではないか。
失業からくる閉塞感、社会に必要とされていないと感じてしまう疎外感。
中高年の引きこもりは、社会全体のリスクやコストを増大させる。(以上、本文より)
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◆私たちは、そろそろ価値観を転換しなければならないのではないか◆
他者の権利に嫉妬するのではなく、
「生活がたいへんなのに映画を観に来てくれてありがとう」と言える社会へ―。
若者たちが「戻りたい」と思える「まちづくり」とは?
日本が少子化問題を解決するための方策とは?
あたらしい「この国のかたち」を模索する。
◆絶賛の声、続々◆
内田樹氏:
日本は衰退期に入った。
だが、いまだ多くの人々はその現実から目をそらし、
妄想的な「富国強兵」路線にしがみついている。
その中にあって、背筋のきりっと通った「弱国」への軟着陸を提案する
“超リアリスト”平田オリザの「立国宣言」。
藻谷浩介氏:
避けてきた本質論を突きつけられた。
執筆中の本のシナリオも組み立て直さねば。
経済や人口に先立つのは、やはり「文化」なのだ。
感想・レビュー・書評
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人口減少と高齢化が進み、必然的に経済成長も低下していく日本は、衰退という坂道を下る途中である。せめて気楽に安全に下れないかという著者の思いが詰まっている。
著者が指摘する通り、地方には「文化資本」といって、人々が知的好奇心をもとに集まり交流できる空間、すなわち若者にとって偶然の出会いの場が無い。これは映画館とかロードサイド型ショッピングセンターではなく、大学とか趣味のサークルなんかを言うのだろう。そのうえで著者は、地方の人口減少の課題は、就労環境改善ではなく、「出会いの場を作る」ことであると指摘している。
私も地方出身だが、「若者どうしの知的・文化活動」という交流機会は一切無かった。街を歩く若者は通学する中高生、図書館も高齢者に交じって中高生がいる程度。スキー場も中高齢層とファミリーだけ。そして実家のある集落では排他的な雰囲気のムラ社会。これでは家に籠ってスマホでSNSかマッチングサイトを覗くしか無いのだろうか?
一方、著者の参画する豊岡市や四国の活動を知って、面白そうだと思った。最近は、田園地帯の中に国際交流の大学が進出したり、地方に移転した20代メンバー中心のスタートアップ企業もある。旅行がてら、こういったコミュニティを見学してみたいとも思った。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている。
――とは『坂の上の雲』の冒頭を引いての贋作だそうだけど、この本はこのフレーズで始まる。これから衰退していくしかない日本の、この先のいき方を示唆している。
「降りていく生き方」という言葉を聞いたのはほぼ10年前のこと。日本のあり方というよりは、身の丈に合った無理のない生き方をしていけばいいんだというような話だったという記憶があるんだけど、この本はそれを日本という国のあり方として考えようというもの。兵庫県の豊岡市とか四国学院大学とかオリザさんがかかわってきた好事例が紹介される。いずれも理想的で希望がもてるような感じ。ワクワクする未来がやってきそうな感じ。
「下り坂をそろそろと下る」ってタイトルはオリザさんが自分でつけたのだろうか。内容と合っていそうで合っていない。紹介されている事例は「そろそろ」でなく大胆に、しかも下っていない感じがするよ。むしろ上っている……いや、昇っている……っていうか閉塞した現代日本とは別の次元に昇っていると思う。下りか、上りか別次元かわからないけどまずは頭を切り替え一歩踏み出せ。そろそろとでもいいから。 -
平田オリザ(1962年~)氏は、劇作家、演出家、劇団「青年団」主宰、こまばアゴラ劇場支配人、芸術文化観光専門職大学学長、東京藝大アートイノベーションセンター特任教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、大阪大学コミュニケーションデザインセンター客員教授等。読売演劇大賞優秀作品賞(2002年)、モンブラン国際文化賞(2006年)、フランスの芸術文化勲章シュヴァリエ(2011年)等を受賞・叙勲。高校2年の時に、自転車で世界一周旅行を行い、世界26ヶ国を放浪した。(高校は中退し、大学入学資格検定試験を経て、国際基督教大学卒) また、2009~11年に民主党政権(鳩山内閣・菅内閣)で内閣官房参与を務めた。
私は新書を含むノンフィクションを好んで読み、興味のある新刊はその時点で入手するようにしているが、今般、過去に評判になった新書で未読のものを、新・古書店でまとめて入手して読んでおり、本書はその中の一冊である。(本書は2016年出版、2017年新書大賞4位)
本書の内容は、一つ一つに難しさはないものの、タイトルや著者の(最も)言いたいこととの関連が少々わかりにくい(論理に飛躍がある)のだが、私なりにラフに整理をすると以下である。
◆「まことに小さな国が、衰退期をむかえようとしている。」(司馬遼太郎の『坂の上の雲』の冒頭の真似である。同書では「衰退期」が「開化期」) この現実に向き合い、我々は、①日本はもはや工業立国ではないこと、②日本はもはや成長社会ではないこと、③日本はもはや、アジア唯一の先進国ではないこと、を受け入れて、長い坂をゆっくりと下る方法を見出さなくてはならない。
◆そのために、我々は、地方創生や教育改革等に取り組まなければならないが、小豆島、兵庫県豊岡、香川県善通寺、東日本大震災からの復興途上の女川・双葉などでは、(分かり合うことを前提にした)「会話」型のコミュニケーションから、(分かり合えないことを前提にした)「対話」型のコミュニケーションに転換するような「空間・場」を作るという文化政策を進め、成功している。(著者はそれらの取り組みに参加しており、内容が具体的に説明されている)
◆文化政策に加えて、最も大事なことは、「競争と排除の論理」から抜け出し、「寛容と包摂の社会」を作ることであり、それが本当に求められるコミュニケーション・デザイン、コミュニティ・デザインである。そして、そのためにコミュニケーション教育が必要なのである。
◆(以下、本書の結びの文章)「子規が見た、あるいは秋山兄弟の見た坂の上の雲は、あくまで澄み切った抜けるような青空にぽかりと白く浮かんでいたことだろう。しかし、そろそろと下る坂道から見た夕焼け雲も、他の味わいがきっとある。夕暮れの寂しさに歯を食いしばりながら、「明日は晴れか」と小さく呟き、今日も、この坂を下りていこう。」
私は、途中から、なぜ日韓・日中関係や安倍政権のことにまで話が広がるのかと疑問に思いつつ読み進めたのだが、読了後、著者が民主党政権のブレーン的な役職に就いていたことを知り、合点がいった。
私は、以前より、世界を覆う、行き過ぎた資本主義に問題意識を持っているので、「競争と排除の論理」から「寛容と包摂の社会」へという、著者の基本的な考え方に共感するし、文化政策が大事という主張にも賛同する。ただ、そのことと、工業立国でも、成長社会でも、アジア唯一の先進国でもなくなった日本は、今後「下り坂を下りていく」しかないのだという認識・例えは、少々異なる気がする。(五木寛之のように、人生の後半を「下り坂」と例えるのはわかるが、著者は『坂の上の雲』を意識し過ぎているのではないだろうか。)
そうではなくて、我々日本は、限界を迎えつつある世界システムの中で、衰退する国家ではなく、成熟した国家・持続可能な国家として、世界やアジアの国々のモデルとなるような国を目指すと考えるべきなのではないかと思う。
また、既述の通り、全体の構成・論理展開が、一般読者には腹に落ちにくい点も少々残念である。
(2022年7月了) -
日本はもう成長しないのは薄々みんな感じているのに、目をつぶってみないことにしている。それに真っ向から向かって、いや、もう今までと同じではダメですよ、というところから始まる。
実に誠実な態度だと思う。そして、その認識に立った上で、どのような社会が考えられるのかを示唆する。
これからの社会についてしっかりと考えなくては本当にこの国は滅びるだろう。そうならないためにはどうしたら良いか、考える縁となる一冊。 -
日本の現在の姿に感じる寂しさを受け入れ、下り坂を降りていくメンタリティを学びました。
地方創生や、少子化問題などに対して、文化的な素養をもって選択していくことの大切さが紹介されていて、国際的に有名なアートセンターを立ち上げた城崎の話はとても印象に残りました。
下り坂という表現がネガティブに聞こえるけど、この本に書いてあるように、文化芸術との距離が近くなって、例えば生活保護受給者が観劇しても「社会と繋がってくれてありがとう」とみんなが思う世の中が実現するなら自分はスキップで坂を下れるなと思います。
そんな未来に向けてまずは自分もアートに触れようと思わされました。
地方と対比して、東京は世界的な文化芸術に触れる機会が多いと書かれていましたが、自分はそこまで恵まれてる認識がなかったです。
子供のことを考えると宝を持ち腐らせてる場合じゃないなと思います。 -
猜疑心に満ちた社会を、寛容と包摂の社会へと変えていくためのコミュニティ・デザインを、事例を通して提唱していく。
もはや工業国でも成長社会でも、東アジア唯一の先進国でもなくなったことの「寂しさ」を抱えてしまった日本が、ゆっくりと「後退戦」を「勝たなくても負けない」ためにどうしたらよいのかを考えた著作である。
人口減による地方の衰退に対して、「おもしろい」と思われる地域を作ることを、著者が実際に関わった成功例(少なくとも成功しかけている事例)を通して提唱している。
「わかりあえないこと」を前提として、「対話」の空間としての「広場」をつくること、文化資本の一極集中を回避することへの試みの事例が挙げられている。
例えば、
失業してるのに劇場に来てくれてありがとう」「生活がたいへんなのに映画を観に来てくれてありがとう」「貧困の中でも孤立せず、社会とつながっていてくれてありがとう」と言える社会を作っていくべきなのではないか
という一節のように、猜疑心に満ちた社会を、寛容と包摂に満ちた社会へと変えていくための、文化立国宣言と思われた。
(Kindleで読了) -
面白かったーーー
読んだことをベースに語り合いたいって思わせてくれる本って良書だよね。
私は生まれた時からバブルが崩壊してて、好景気の時を知らない所謂、ゆとり世代、悟り世代、堅実主義、ミレニアル世代…だけど、
読んでいて団塊世代が抱える寂しさというか、そういう気持ち、あるんだ…って思った。
既に色んなことを諦めてる感はあって(私の友達も「幸せとは諦めること」って大学生の時に既に言ってる子いたし、それもそうだなって感じてた)、
でも寛容に幸せに楽しく暮らしたいし、ほどほどに夢も持って、それでも根を張って生活を築いていければって思ってる。
別にお金持ちになりたいとか成功者になりたいとかはない。
それでも、生きている限りは自分や家族のためだけじゃなくて誰かのため社会のために何かできればと思ってるし、でもどうしたら正解なのか分からない。
「創り出せる」ことが苦手なのかもしれない、というより、慣れていないだけなのかもと思う。
何でもいいから数打ちやってみて、失敗したら軌道修正すればいいよねって最近は思い地道に実践するけど、
やっぱりすぐ結果が出ないと「あー、向いてないのかも」「やっぱやーめた」って簡単に諦めちゃう。
それはある世界では(たとえば結果を求める短期的な世界では)賢明なのかもしれないけど、そうじゃないよね、っていう。
そういう例がたくさんあって、なんか、なんか、どうすればいいんだろう私、みたいな気持ちになりました。笑
長いものに巻かれない。自分が巻き込むものになる。そしてそれは楽しいもの、自信のあるもの、比べないもの、妬まないもの。
どうしたら作っていけるのかなぁ。 -
日本のように、成長ではなく衰退していく国で心豊かに過ごすには。
そのためには文化を育て、表現できる人を増やしていくこと。
すごくアーティストよりの人の意見なので、多少腰は引けるけど
納得できる部分も多い。 -
後半が特に面白かった。前半は筆者が関わった様々な地域の事例がメイン。
敵を作って良い気持ちになるのではなく、きちんと現実に起きていることを直視すること。
さびしいけど、その寂しさと一緒に歩いていくこと。
文化と文明のちがい。
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四国学園大学の入試、城崎国際アートセンター、日本では、失業者が映画館にいくと「なんでそんな余裕があるの」ってなる海外では失業者には、失業割引があって「そんな大変な状態なのに芸術を見に来てくれてありがとう」というカルチャー。引きこもらなくなるし、それがあるべき姿。子育てをするお母さんも、子供を預けて映画を見に行ったり、美術館に行ってもいいと思う。日本の固定概念を打ち破らないといけない。
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タイトルが秀逸。縮みゆく社会に合わせて、肥大するのではなくより豊かになっていくことを考えていく必要があるはずなのに、ということをたぶん、10年くらい思っている。年々、「成長神話」への傾斜はひどくなっている気がする。いいかげん諦めないと、あちらこちらに綻びが出ているのに、と、バリバリのゆとり世代はおもう。
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本物を知る、というキーワードは好きではない。
この本にもたくさん出てきて、うんざりする。そんな言葉で何を説明できるというのか?
とはいえ、自分の仕事を愛し、その価値を信じて精力的に活動し、社会を良くしていきたいと思う作者の態度はとても説得力がある。
芸術分野から、停滞する社会で幸福に生きる提言という感じ。 -
筆者自身が述べているけれど、こういうことを書いた時点で怒り出す人がいる。
でも人口減少社会という、止めようのない、そして文字通り未曾有の事態を前にして、これまでと同様の方法論が通用すると考える方が明らかに理性的でないと思う。
だから私は、これからの日本が「下り坂」であることを認めようと思うし(厭だけれど)、下り坂に逆らって上ることができない以上(それができるのがタケコプター。出せるのはドラえもんだけ)、現実的にはその下り坂をいかに「負けしろ」を少なくして下るかという命題を立てざるを得ないと思う。
タケコプターを作りたい人がいてもいいし、そんな天才があらわれてくれることを切に、心の底から願うけれど(本当に私の老後はどうなっちゃんだろう?)、あくまで現実的な話としてタケコプターの出現に賭けるわけにはいかないだろう。
ただ思うにそれは「負け」ではない。筆者自身が末尾に記しているように、新しい景色に、新しい価値観を見出す作業が必要だということだろう。
パラダイムをシフトさせて、大きな混乱のないように、新しい地平に軟着陸していくこと。そういったことが求められているのだと、改めて感じた。 -
2017/11/20 下り坂をそろそろと下る 平田オリザ
日本は「文化立国」へ大きく舵を切らなければ、犠牲者が増えるだけ
体育会価値の時代は終焉、柔らかく・しなやかな社会を作りたい
しかし安倍政権は「復古」過去の栄光の時代に戻りたい
だがそれは時代に逆行する 社会の活力は生まれない
この五年の総括は「時代不適合の国家戦略」だった
次の時代を構想できないトップは総理の資格はない
国民が不幸になるだけ
堺屋太一さんの論であるが、20年経っても踏み出せない日本死屍累々
(1)工業立国ではない (サービス業が7割)
(2)成長無く、長い後退戦(撤退戦)
(3)アジア唯一の先進国ではない (中国の後塵を拝す)
不要なもの 原発 開発 オリンピック
1.地方創生
雇用を作れば若者がターンするというのは、コインの裏側
地方は人生を賭ける魅力に乏しい→人生の充実感を作る
東京を真似るのではなく、「世界レベルの魅力」を作り出す
2.女性の活躍
自己犠牲を強いるのではなく、自己実現を応援する
そもそも子供を作ることにマイナスが大きすぎる
お金ベースの人生設計上は子供がいない方が豊か
社会システムが現代に不適合 しかし誰も改革できない -
本物の芸術に触れ、そこから感性を豊かにし、それを表現へと結びつける。
文化に触れ、交流を生む。 -
日本は今後、成長ではなく下り坂に入る。坂を下りる際には、ぐいぐい先導するリーダーよりも、遅れている人がいないかを確認しながら、そろそろと慎重に下るリーダーが向いている。これがタイトルの由来だが、なかなか粋な表現だ。 また、情報化の進展に伴い領域横断型・活用型の能力が求められ、それに応じた教育改革が必要だという。その考えには同意するが、文化資本を身に着けることが正解なのかは非常に疑問。その議論が浅いと、新制度入試も「一芸入試」に陥りかねない。 著者の地方創生論についても言いたいことはあるが、紙幅が足りない。
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地方に若者が来ないのは雇用がないからではなく、楽しい事がないから来ない。日本人の優越心を徐々に解消し、寂しさが銃を担がせないように。子育て中のお母さんが昼にのんびり映画をみる事ができ、それを後ろ指刺されないような社会作り
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地方創生に文化・芸術が担う役割について書かれてあり、興味深く読めた。
豊岡・城崎での活動のことも詳細に書いてあり、自分が関わっている仕事にも近い部分を感じながら、こんな活動に何らかの形で携わることができたら楽しいなと考えていた。
やはりこれからの時代、この国には芸術・アートが必要なんだよな。
ということを後押しされているような感じがしたね。