「日本人の神」入門 神道の歴史を読み解く (講談社現代新書)

著者 :
  • 講談社
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062883702

作品紹介・あらすじ

人間と宗教の歴史は長く深い。それは国民国家のレベルを超えて「人はどこで何のために生きるのか」という場所性や共同体に関わる問いでもある。日本人にとって、神道と天皇、また皇祖神との繋がりは重要であった。本書のサブタイトルである「神道の歴史を読み解く」は、今だからこそ我々が議論すべき主題である。そのために、古代の「神仏習合」から明治以降「神仏分離」の理解から始めようという現代人必読の入門書である。

感想・レビュー・書評

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  • 著者の「なぜ八幡神社が日本で一番多いのか」は読んだが、さほど記憶に残っていない。本書の方が古代史好きの僕には刺激的な本だった。

    でも皇祖神とは誰だったのか、という問いの前に皇祖神とは何かという定義が必要なのでは。
    素人考えを云わせて貰えば、元々男神アマテルが持統天皇の時に女神アマテラスに性転換しているぐらいだから、本来の皇祖神であるはずがない。
    本書では高御産巣日神が皇祖神ではと云う民俗学者や古代文学者、古代史家の説に触れている。

    恐らく、纏向で多数の氏族で出来上がった揺籃時期のクニで、共同で祀られたのが太陽神だったと思う。疫病をきっかけに土地の神、大物主が復活するが、この土地の神と太陽神は宮廷から排除される。土地の精霊、大物主が近くの三輪山に祀らわれたが、太陽神は永く流離の末に伊勢に安住の地を得る。天皇家は皇女を斎宮に出すが、天皇自身が参詣したことは殆どなかったという。
    素人考えでは纏向に集結した氏族共同の神を天皇家が皇祖神として乗っ取ったと思うのだが、この後、天皇家は荒ぶる神、アマテラスを怖れたらしい。
    海の荒れる時期の沖ノ島で行われたらしい祭祀は、アマテラスとスサノオのウケイの再現ではとの仮説に驚く。だけど、沖ノ島のウケイ劇がアマテラスとスサノオを主人公にしたものか判らない。ウケイは平和の誓いではなく、戦いだったのか。

    白川静先生の著書にあった、殷は宗教的な国でそれを滅ぼした周は抽象的な「天」を奉じる奇妙な国だったという話を思い出した。ミカドの氏族も始祖を持たない氏族だったのではないだろうか。それは、中臣(藤原)家でも同様で、鹿島神、香取神、天児屋命を祭神とする春日大社では強い始祖神を見出せない。
    八幡神は異色の神であり皇祖神に近いが、成りきれなかった不思議な存在。

    一番驚いたのは出雲大社の本殿の内部。横向きに並ぶ天之御中主、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯詞備比古神、等々。およそ素戔嗚にも大国主にも無関係と思われる。記紀の記述に僕はまだ騙されているのでは。

    250ページぐらいの新書で色んな事が判ったら苦労しない。むしろ、今までの知識を疑いだす契機になる本だと思う。

    「アマテラスの誕生」も是非、併読をお勧めします。
    アマテラスが太陽神だけでなく、沢山の顔を持つ荒ぶる神だったことがよく判ります。

  • 印象に残った文章
    柳田國男は、日本人は死後、仏教が説く西方極楽浄土のようなはるか遠くの世界に赴くのではなく、自らが住んでいた場所のすぐ近くにある山にとどまって山の神となり、春には里に下って田の神となり、子孫の生活を守護するのだという説を展開した。

    少し難しかった。
    葬式は要らないとどちらが先に出版されたのか?な

  • [評価]
    ★★★★☆ 星4つ

    [感想]
    知っているようで余り知らない日本人の神道の歴史
    日本の歴史の中で神がどのように扱われ、関わってきたのか。大陸から渡ってきた外来の宗教である仏教が日本の宗教に及ぼした影響等が書かれている。
    改めて気が付かされたこととしては日本の神は場所性をもっていること、八幡神が神仏習合による産物であること。現在のお参りのルールが比較的に最近に定まったということだ。
    知っていることでも改めて調べてみるといろいろな発見があって面白い。

  • 信仰とか、神様というものに無縁でした。
    でも、日本文化を知る上で「日本人と神」の関係を知ることが大事なのでは?という歴史的観点からこの本を手にしてみました。

    これまでは日本人は「無神教」「多神教」というイメージでひとくくりにしていましたが、それはあくまでも現代の話。昔は、日本独自の宗教観というものがちゃんと存在していました。

    その中でも「一神教」と「多神教」の違いについて言及してあるところが印象的でした。
    日本の神は「神社」や「寺」という『場所』に依存した神様。だから、その場所に行かないと拝むことができないし、その場所を離れて瞬間に忘れてしまう。

    一方、キリスト教やイスラム教などの「一神教」は場所には依存せず、自分が必要と思った瞬間に神を思い出して、祈ることができるという特徴があるそうです。

    こういう視点で、神というものを捉えてみると奥深いものがありますね。と、これはあくまでも一例!多面的に神という存在を捉えられる一冊です!(この流れから、天皇について興味が沸き、「古事記」と「日本書紀」に少し手を出してみることに。笑)

  • 八幡神はもともと渡来人が祀った神だと書いてあるのでびっくりした。それが急に伊勢神宮に次ぐ神社へと急成長していった。しかもはっきりとした理由がわからないときてる。

  • 新書で出版しており、入門と銘打っている以上、ドライで簡潔で血が流れていない研究書のようなものを考えていたら、その真面目さに驚くことでしょう。
    この本には日本の神々に対する、畏怖と愛が満ちており、非常に真剣に信仰と向き合っている。
    一度神社に足を踏み入れればわかることである。その空間は確かに清められ、大いなる存在がいることを感じるでしょう。

    さあ、神社に行こう。 そして平穏な日々に感謝を捧げ、明日の幸福を願おう。そしてまた報告に行こう。

  • 日本の宗教事情が複雑であることが改めて認識できました。元々は古事記に登場する、天照大神や大国主命などがルーツではあるが、歴史を辿ると、いろんな神が出てきて、あるいは仏教と結び付いて、更には政治的な思惑も入ってきて、しまいには人を神として祀ってしまう。やっぱり腑に落ちないです。
    ただ、明治以前はもっと神仏習合状態だったというのは意外でした。

  • 日本には多くの神様がいることは認識していたが,こんな沢山とは知らなかった.天照大神,八幡大菩薩が二大神様の由.外来の仏教と土着の神道が明治以前は神仏習合という形で融合されてきたが,明治になって神仏分離,廃仏毀釈が起こっている.明治天皇が1869年に伊勢神宮を参拝しているが,それまで天皇は参拝しておらず,記録が残るのは692年の持統天皇.これは明治政府が神道を国家宗教に祭り上げるために行ったようだ.個人を祀ることも菅原道真以降事例が多いが,一般の神社の場合,誰が祀られているかはほとんど知らないし,関知しないようだ.また神社の伝統と称するものが,意外に新しいものであることも随所に記載してある.日本の伝統を...とのたまう人はその辺りを本当に知っているのかな

  • 明治以前の天皇家が忌避していたように見える伊勢神宮と天照大神の性質。第二の皇祖神ともいえるようになった八幡大菩薩。出雲大社の祭神は素戔嗚尊から大国主命になった。大国主命とは。菅原道真と天神。明神、権現。神仏習合と明治以降の神仏分離。
    現代的な日本の神さま観が江戸期までは全然違ったことを教えてもらった。
    16-127

  • 著者の島田裕巳は、一般向けの書籍も多数発表している宗教学者。
    本書は、日本の神の性格、皇祖神、神仏習合、人を神に祀ること、神仏分離など、日本人にとっての「神」を、「神道」の歴史から網羅的に考察したもの。特に、最後段に示される、日本人(皇室を含め)の神とのかかわり方が明治に入った時点で根本的な変化を被ったという点は、その後の日本現代史に少なからぬ影響を与えたに違いなく、改めて注目すべきものとも言える。
    主な内容は以下。
    ◆日本の神は、遍在している一神教の神とは異なり、特定の場所にしか祀られることがない。古代の日本人は、特定の山や岩や石を神に出会うのに相応しい神聖な場所としたが、そこには元来社殿などは作られていなかったと考えられる。奈良の大神神社(三輪神社)は、現在も、三輪山を御神体とし、本殿は存在しない。
    ◆皇祖神の「天照大神」は、元来は倭大国魂神と共に宮中に祀られていたが、様々な禍の原因とされたため、宮廷から遠く離れた伊勢神宮に祀られることになった。天皇の伊勢参拝が明治以前に殆ど行われなかったのは、天照大神の放つ禍々しい力を怖れ、そこから距離をおこうとしてきたためと考えられる。
    ◆現在日本で最も多い八幡神社に祀られる「八幡神」は『古事記』や『日本書紀』に登場しない渡来神であったと考えられ、もともと大分の宇佐神宮に祀られていたが、応神天皇の霊とされると共に、奈良の大仏建立を守護する神とされ、更に京都の石清水八幡宮に勧請されたことにより、伊勢神宮に次ぐ皇祖神としての信仰を集めるようになった。また、東大寺を守護する役割も果たすようになり、「八幡大菩薩」として神仏習合の象徴的存在となった。更に、源氏、足利氏、徳川氏が氏神としたことで、武神として武士の崇敬を集めることにもなった。
    ◆中世においては神仏習合が基本で、仏教の仏が日本に現れたものが神であると考えられた(本地垂迹説)。天照大神の本地仏は大日如来、八幡神の本地仏は阿弥陀如来とされた。また、中世において別格とされた神は、伊勢、八幡、春日の三つであるが、それは朝廷(伊勢)、公家(貴族で最も権力のあった藤原氏は春日神を祀った)、武家(八幡)という日本的三位一体構造を表すものであった。
    ◆古代の神の多くは、朝廷や豪族、氏族などの集団を守護する存在として祀られてきたが、平安時代には、菅原道真がその怨霊を鎮めるために天神と習合して祀られ、神の祀り方が変化した。更に近世には、既存の神と習合することなく人が神として祀られるようになり、豊国大明神(豊臣秀吉)や日光東照宮(徳川家康)が造られた。
    ◆中世以来の神仏習合は、祭礼は神道、葬儀や法要は仏教と両者が棲み分けることにより定着化していたが、幕末期からは神仏分離が推し進められた。皇祖神である天照大神と天皇の系譜上の結びつきが強調され、天皇は自らの祖先としての神を祀る祭司、即ち神主の役割を果たすことになり、伊勢行幸も復活した。こうして神道は仏教を含む他の宗教と区別され、神社信仰が国民道徳として強制されるようになっていったが、これは、明治政府が国民全体を精神的に統合するために、積極的に神への信仰を利用した面が強い。
    “多神教・八百万の神々”と言われる“日本人の神”の世界を詳しく把握するために有意義な一冊である。
    (2016年6月了)

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著者プロフィール

島田裕巳(しまだ・ひろみ):1953年東京生まれ。宗教学者、作家。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程卒業、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員を歴任し、現在は東京女子大学非常勤講師。現代における日本、世界の宗教現象を幅広くテーマとし、盛んに著述活動を行っている。 著書に、『日本人の神道』『神も仏も大好きな日本人』『京都がなぜいちばんなのか』(ちくま新書)『戦後日本の宗教史――天皇制・祖先崇拝・新宗教』(筑摩選書)『神社崩壊』(新潮新書)『宗教にはなぜ金が集まるのか』(祥伝社新書)『教養としての世界宗教史』(宝島社)『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)等多数あり。

「2023年 『大還暦 人生に年齢の「壁」はない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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