- Amazon.co.jp ・本 (330ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062900324
作品紹介・あらすじ
個性主義芸術の時代あるいは生命主義芸術の時代と呼ばれた一九一〇年代に、彗星のごとく画壇にデビューし、二十二歳で早世した天才画家・村山槐多。彼は生得の詩的才能にも恵まれていた。人生と社会の矛盾に打ち拉がれながらも、野性の生命力の回復を希求する詩魂は、鮮烈な色彩感覚と結びつき独自の世界を構築した。放浪、デカダンスのうちに肺患により短い生を駆け抜けた槐多の詩、散文詩、短歌、小説、日記を精選収録。
感想・レビュー・書評
-
村山槐多:1896年(明治29年)9月15日 - 1919年(大正8年)2月20日没。享年22歳、夭折の画家。私が彼を知ったのは津原泰水の短編「赤假面傳」(『綺譚集』収録)から。その他、『男色の景色』(丹尾安典)や、Eテレの「日曜美術館」で去年やった「火だるま槐多~村山槐多の絵と詩~」など。
基本的に本業…というか一番評価が高いのは画家としてだけれど、個人的には、絵はさほど好みの系列ではないので、どちらかというと彼の書いた詩や小説のほうに興味が沸き。こちら初版は2008年ながら、今年(2020年)9月に「人間椅子が選ぶ講談社文芸文庫フェア(https://tree-novel.com/works/episode/fadc353afb95eeadb9ac838db25ca564.html)」の1冊として12年ぶりに第二刷、偶然店頭でフェアをみかけて入手。
槐多は中学卒業まではほとんど京都で過ごしており、詩は、京都弁を織り交ぜたものがリズムが独特で面白かった。絵と同様、詩も色彩豊かで、赤、紫、金色が頻出する。18歳で上京、本格的に画業にはげみつつも、酒、たばこ、恋愛、とさまざまな放蕩にも耽り、21歳のときには肺結核に。しかし死因は結核ではなくスペイン風邪だったようだ。
前述した槐多関連の作品からもわかるように、彼は両性愛者で、学生時代にある美少年の後輩(稲生)に恋着、彼にあてた詩作なども多々。本書に収録されている小説も「美少年サライノの首」は、レオナルド・ダ・ヴィンチの同性愛相手とされている弟子の通称サライを、自分の想う美少年に重ねあわせているし、「殺人行者」も、学生時代に想いあった先輩と再会した男が彼の悪魔的魅力と催眠術により殺人者の仲間になってしまう話。
早熟の天才、という言葉がぴったりで、没年が22だから本書に収録されているのもほとんど10代後半からの作品。一番読みたかった「悪魔の舌」は収録されていなくて残念だったけど、こちら今は青空文庫で読めるようなのでそちらで補完しようと思う。
余談だけれど、槐多の母親が森鴎外の家で働いていて、教師だった父との結婚は鴎外の紹介だったらしい。槐多の名付け親は鴎外説もあり、鴎外の長男・於菟とも交流があったそうだ。
※収録
遺書/詩/散文詩/短歌/小説(居合抜き/美少年サライノの首/殺人行者)/日記(大正二年-八年)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
停車場の汽車のひびきをききつつもわれらが恋のことばをもきけ
村山槐多
満22歳と5カ月。結核で早世したこの画家の魂は、残された絵画や詩歌を通して、今なお私たちに語りかけてくる。
1896年(明治29年)、横浜市生まれ。教員である父の赴任にともなって、少年期は四国や関西で過ごした。
絵画や外国文学を愛する早熟な槐多。その天与の画才を見出したのは、従兄の画家山本鼎だった。従兄の激励もあり、父の反対を押し切って18歳で上京。日本美術院の研究会員となり、水彩画や油絵を精力的に描く生活となった。
とはいえ、青年画家は経済的には「底」に陥るのが常だ。
底をゆくこの生活のおもしろさ底を極めむところまでゆけ
原稿料のために小説や論文なども手掛けたが、極度の近視で、視力喪失の不安はついてまわった。モデル嬢に失恋して酒に溺れ、警察のやっかいになるという退廃的な生活も、詩や日記に記されている。
「火だるま槐多」と称された絵画作品には、赤や青の原色遣いに圧倒的な迫力がある。生命力に満ちた異才の筆力だ。一方、詩歌には青春の切なさも見いだせる。掲出歌の「恋のことば」はじめ、次のような歌も。
さびしさのアルミニウムに蔽はれし心地ぞすなる今日此頃は
「さびしさ」というアルミ箔に包み込まれた、ひりひりとした青春の感覚。絵画とはまた違う叙情性が伝わってくる。結核発病後も絵筆を握り続け、命の火が絶えたのは、1919年(大正8)年だった。
(2012年9月2日掲載)