- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062901451
作品紹介・あらすじ
のちの芥川賞作家・日野啓三がベトナム戦争の特派員時代を書いた戦争報道の日常。米国の通信社へ反発し独自の記事を送っていた裏でどのようなことが起こり、どう感じていたのか-筆者の戦争を見つめる鋭い眼差しと人間関係が精緻な文章から浮かび上がってくる。その後の作家人生に大きな影響を与えた作品。
感想・レビュー・書評
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かつての特権階級たちの、腐敗した政権が南ベトナム
理想の新社会建設を掲げる若い政権が北ベトナム
ごく単純に言えばそうなるのだろうか
問題は、北のバックにソビエト共産党がついていること
そうなればアメリカは南を支援するしかあるまい
この時点で、民衆の支持が得られないことは決定的だった
最終的な落としどころとしては、敵を徹底的に叩いて屈服させるか
それができないなら
誰もがイヤになるまで泥沼を継続させるしかなかっただろう
それは、あるいはかつての日本の姿に重なるものだったかもしれない
しかし私情はどうあれ
アナリストが一方に肩入れするようなことがあってはならない
日野啓三は、少なくとも
アメリカからの発表をうのみにしない記事を書こうとしていたようだ
まあ現代的な目で見ればずいぶん牧歌的というか
あきらかに直感頼りじゃねえかと言いたくなるとこもあるんだが詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
日野啓三の新聞記者時代の日々が綴られている。『夢の島』や『砂丘が動くように』を過去に読んだことがあって、「理知的な作家」というイメージがあった。本書はその明晰さがとても前に出てきているように思う。
この本を一言で言うと、「正確な報道というものは不可能だ」ということではなかろうかと思う。どの断片をとらえれば「ベトナム戦争」を正確に捉えたことになるのか… 日野さんの逡巡が率直に、そしてロジカルに書かれている。
客観的な記述の中に、自分の観点が入ってしまっていることを認めながら、それをどの程度の濃度へコントロールしていくか。その手つきから、おぼろげにフィクションとノンフィクションの境のようなものが見えてくる。言葉を使って、他の人へ想いを伝えることについて考えている人なら避けて通れない問題なんだと思う。世間に流通しているもので、この揺れの意識のないノンフィクション作品はおそらく多いはずだ。正確ではなくても「伝えたい」という感情の方が勝れば、仕方がないことなのかもしれないけれど。それでもどこかで「これでよかったのか」「果たして伝わっているのか」と逡巡していてほしい、なんて思う。
自分の視点の純度を絶えず確認する日野さんの態度を見習いたい。 -
混沌とした動乱国で、政府や米軍の公式発表、街の噂、通信社の報ずるニュースなど、飛び交うさまざまな情報の氾濫の中から、どのように情報を取捨選択し、個々の事象の表層下に潜む真実を如何に読み取るか。
新聞社のベトナム特派員として現地に赴いた日野啓三氏が、もがく様にして嗅覚を身に着けていく過程が振り返られています。
インターネットが普及し、虚実入り乱れた情報が飛び交い、政府やマスメディアが国民の信頼を得ておらずデモが頻発する3.11後の現代日本において、この本に書かれていることは全く古びていないどころか、かえってヒリヒリとした実感を伴って読むことができました。