- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062903363
作品紹介・あらすじ
「教養といわれるのは単に専門的乃至職業的知識のことでなく、人間が真に人間らしくなるために必要な知識のことである。」
ファシズムが台頭する昭和初期の日本社会で、のびやかに思考し時代と共に息づく教養の重要性を説いた孤高の哲学者、三木清。
読書論・教養論・知性論の三部構成で、その思想の真髄に迫る。
感想・レビュー・書評
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初めて三木清の文章を読んだのだけれど、1930年前後とは思えない内容で驚いた。
現代にも通じるもので、至極真っ当なもの。読んで良かった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
◆5/24 シンポジウム「自由に生きるための知性とはなにか?」と並行開催した「【立命館大学×丸善ジュンク堂書店】わたしをアップグレードする“教養知”発見フェア」でご紹介しました。
http://www.ritsumei.ac.jp/liberalarts/symposium/
本の詳細
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211297 -
この本には冒頭の「読書論」のほかに「教養論」と「知性論」も収録されている。1945年、拘置所で亡くなったこの哲学者の言葉に触れると、思わず、現代の私たちはどう見えるだろうか?などと思われてくる。
「三木先生の時代にすでにあったことが今もより大きなうねりとなって続いているように思いますので、先生の言葉はこの時代の人にも理解されると思います」と伝えたい。だが、きっとそれをお喜びにはならないであろう。(コアラ) -
20200125 中央図書館
オールドスタイルの教養主義・・なのかな。僕は共感しきりだけど、鼻持ちならぬと思う人のほうが今は多いかも。 -
8月の読書会の副読本としてあげられていた一冊。三木清が雑誌や新聞へ寄稿した文章のうち「知性」や「教養」をテーマとされていると思われるものを、テーマ別・時系列にならべたアンソロジー本。編者の注が全くなく、少々わかりにくい部分があるのは、ちょっと残念な感じがした。