- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062919661
作品紹介・あらすじ
近代国家への歩みを始めた日本に国民国家の理念をもたらしたものは、上からの法制度や統治機構ではなく、大衆の側の浪花節芸人が語る物語と、彼らのメロディアスな"声"だった。前時代の封建的秩序を破壊し、天皇制の精神的支柱となった義理人情のモラルをつまびらかに分析、声を媒介に政治と芸能とを架橋して日本近代の成立を探る、斬新な試み。
感想・レビュー・書評
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著者:兵藤裕己(1950-、愛知県、日本文学)
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こういう本こそ、電子書籍で読みたいのだ。とにかく、桃中軒雲右衛門を始め、ちょんがれ、デロレン祭文などが頭に思い浮かばない。
とはいえ、とても面白く読めた。論理展開や論証はやや強引な感もあるので、全面的には賛成できないが、他の芸能分野との比較などで、きちんと考えていくべき内容だと感じた。 -
回送先:八王子市立川口図書館
2000年に刊行された『<声>の国民国家・日本』の文庫化作品に当たる。なお、文庫化に当たっては、山本ひろ子氏の解説を新たに記して刊行されている。
近代国民国家の創生と維持を説明付けるための思想などは政治思想学の分野では散々出尽くした感があると思われるが、実際には『大衆の国民化』(ジョージ・L・モッセの同名の書籍から流用)、それも先行研究が往々にして注目しがちである中間層ではなく、貧困層にとっての国民化の問題についての言及はそうそうなされたとは言いがたいといえる(ブルデューの「文化資本」の概念を当てはめて説明を試みるのは、本書の場合、矛盾しかもたらさないので文化社会学専攻の学生さんは要注意)。
そうした意味でも、兵藤がまさに指摘した「浪花節」の存在は、貧困層から進出してきた一人の演者が浪花節にのせて<声>を媒介にした立身出世の形であると同時に、「伝統」と「大衆」と識別する芸能の見方、そしてなによりも「祭り」や「流行」とわれわれが認識しているものがどれほど脆く、そしてどれほど甘い認識なのかということを突きつけられてしまうのである。それほどまでに浪花節が結果として介在した影響は今の私たちの生活様式に鵺のように纏わりついているとすら言えてしまえるほどに。
山本の解説ではないが、この浪花節というメロディアスな<声>が、その後の浪曲や演歌のメロディラインや「こぶし」へと変化する中で何が残り、何が棄てられた(というよりかは着目されなくなった)のかという新たな疑問を、兵藤に期待するのと同時に、少なくとも自分でも確かめてみる必要があるのかもしれないと思っている。