- Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062921138
作品紹介・あらすじ
天皇家・摂関家内部の権力抗争が武力衝突に発展し武士の政界進出の端緒となった保元の乱。そこに、乱世の機縁をみた慈円は、神武天皇以来の歴史をたどり、移り変わる世に内在する歴史の「道理」を明らかにしようとする。摂関家に生まれ、仏教界の中心にあって、政治の世界を対象化する眼をもった慈円だからこそ書きえた歴史書の、決定版全現代語訳。
感想・レビュー・書評
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源実朝には子どもがなく、将軍後継問題を抱えていた。北条政子は上洛して親王を後継将軍に迎える交渉を行った。この時は朝廷側に好意的に受け入れられた。これは実朝そっちのけで政子が動いたように考えられておいた。しかし、実朝に朝廷の権威を利用した政治構想があったとする立場からは、実朝の意を受けて政子が動いたとする。
政子は後鳥羽上皇の乳母の藤原兼子と交渉した。東西どちらも女性が代表者になった。慈円は『愚管抄』で女性同士が交渉して政治を動かす「女人入眼ノ日本国イヨイヨマコト也ケリト云ベキニヤ」と評価した。大仏の目を書き入れることは一番大切な最後の仕上げである。それを日本国では女性が行っていると好意的に評価する。
『愚管抄』では神功皇后が政治をとっていたことを踏まえて、「男女ニヨラズ天性ノ器量ヲサキトスベキ道理」(男女の性別よりも天性の才能を先とすべき)とも主張している。二一世紀人から見ると慈円は進歩的な人物に見える。
とはいえ二一世紀的な意味での男女同権思想家と言えるかは別問題である。慈円は藤原摂関家の出身である。摂関家は天皇の生母を出すことが権力基盤であった。故に女性を重視しており、女人入眼を正しい政治のあり方と評価する。
これに対して院政は天皇の父親であることが権力基盤になる。家父長制的な体制である。慈円は後鳥羽院の側近であったが、実は院政に批判的であった。逆に鎌倉の将軍家が天皇に仕える体制は、天皇と摂関家による統治体制を補完するものとして評価していた。このギャップは承久の乱における後鳥羽院とのギャップになる。『愚管抄』自体が鎌倉との戦争に傾斜する後鳥羽院を諫めるために書かれたものであった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
有名な歴史書で短歌もよく知っていたのですが改めて読んでびっくりするほど正確な情報が記載されています とっっても面白いです
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摂南大学図書館OPACへ⇒
https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99399065 -
戦国
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現代語訳なので原文と一緒に読むのがいいのかなーと思いつつ、持ち合わせていないので単独で読みました。
結果、原文参照したことがある部分の訳はやはり気になったので、一緒に読んだ方が良さそう…。 -
ふしぶしにいいんだけど藤原氏出身だけに
なんか道理が藤原氏によってる気がする。
政治を考える場合には、世の為に人の為に良いと
思われる方法を用いるのであるが、何事に付いても
究極の道理というものが存在するのである。
世というのは結局人の事なのである。
また人というのは何かというと公的な政治に
関わりを持たずにいっさいすべての人々が
私的な家のうちをおだやかに情趣深く治めていくことを
さしていうのである。したがってそういう人の中に
国王からはじまり賎しい民までさまざまな者があることに
なるだろう。
はいい文章だね。 -
今風に言うなら『そうだったのか! 日本の歴史と仏の教え』でしょうか? 仏教的見地から歴史を通じて国のあり方、人のあり方を説く説法の書。という印象でした。この時代一般的だった末法思想がそこかしこに見えるのが大変興味深いです。愚管抄のテーマは『道理』なのですが、この言葉、当時流行していた言葉で様々な意味を持ち、今で言う『ヤバい』(好きな表現ではありませんが)という単語のようにかなり便利な使われ方をしています。読み進める上で、場面場面の『道理』の意味合いをうまく汲み取れるかがポイントとなるかと思われます。
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携帯用に。しかし文庫で1300円は高いかにゃあ。