- Amazon.co.jp ・本 (648ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062921640
作品紹介・あらすじ
節ひとつない檜材で20年ごとに建て替えられてきた伊勢神宮。その清浄で質素で力強い姿は、日本人の魂の原風景である。伊勢神宮こそが、「日本古来」の建築の原型であるとの主張がなされてきた。明治以降、国家神道となったことにより、その言説はますます強くなった。現代でさえ、古代住居の復元時に伊勢神宮にその形を求めることもある。江戸から現代に書かれた資料を徹底的に読みとき、神宮の本当の姿を解明する。
感想・レビュー・書評
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150418 中央図書館
建築史のいいかげんなところを、圧倒的ボリュームかつ広範囲のエビデンスで暴こうというものか? 神社の社は、伊勢神宮のそれは簡潔で宇宙に直結する美学のように現代人には思われているが、それは宣長以降の大日本帝国までのバイアスが、タウトに助長されてまで枉げられていたものではないか。本当は、もっと土臭く粗野なものが本来の日本のヤシロではないか、など。
梅原猛流の京都学派スタイルだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
伊勢神宮の建築を「日本古来」のものとする説と、建築様式がベトナムやタイ、中国雲南地区のそれと類似点が多い点を取り上げた南洋説など、建築史上の位置づけを論じた1冊。どこでもそうだが、学会の学閥問題があるようで、そのあたりの文句というか愚痴も満載である。宗教的、儀式的な観点から離れて、純粋に建築物、建築史として伊勢神宮を捉えてみるのも面白い。
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644頁もあって、読み応え十分だ。作り替えることで保ってきた神宮という建築の原始の姿は分からない。本書はこれを探る長い旅だ。
著者は「式年造替が日本人の民族精神にねづいているとは、思えない」という。「平安期あたりまでは、たいていの神社が、式年造替をやっていた」。したがって、「式年造替は、日本人がすててきた伝統にほかならない」。最初からパンチが飛んできた。
話は京都の北郊の雲ヶ畑から始まる。屋根の上に千木(ちぎ)をのせた家が『近世畸人伝』(伴嵩蹊)の並河天民を論じた一文にあり、神社の成り立ちへの考察が示される。
詳しくは読んでもらうこととして、18世紀に千木や勝男木など神社建築で用いられるものが、京都郊外の民家に大量に採用されていたとしたら、神社の原始の姿に再考を迫るものがあるだろう。
じっくり読みたい。