イザベラ・バードの旅 『日本奥地紀行』を読む (講談社学術文庫)

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  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062922265

感想・レビュー・書評

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  • バードの『日本奥地紀行』を、つっかえながら、しかしもう半年以上、読み終えられず。
    今、青森あたりを、バードとともにうろうろしている(苦笑)。
    いや、読みはじめたら面白いと思うところもあるのだが、なかなか手が伸びない。
    これを打開するには、優れた先達あれ、と思い、本書を手にする。

    この本を読むと、バードの紀行文のどこを面白がっていいか、とてもよくわかる。
    自分だけでは、「へ~、当時はそうだったんだ」で終わってしまう。
    それが、博識の宮本さんから、次々と関連情報が示されるので、バードの記述が立体的に見えてくる。

    例えば。
    バードが宿屋で障子に穴をあけて覗かれることに閉口する記述は有名だ。
    彼女はお金が盗られるかも、とも心配しているのだが、宮本さんは昔の泥棒は放り出してあるものは盗らなかった、という証言を引っ張ってくる。
    昔は家に鍵をかけなくても平気だった、と祖父母の世代の人からよく聞いたものだ。
    これは狭い地域で限られた人間関係の中で暮らしていたから、と解釈してきたのだけど、泥棒の側にも今とは違う仁義の通し方があったのかも、と思わせられるエピソード。
    こんな風に、バードの記述を通して、現代の日本との違いに目を開かせられる。

    清潔度や健康の面で、本州にもずいぶん地域差があったことにもバードは触れているが、アイヌはこの点で高く評価されている。
    まだ北海道に入ってからの部分は読んでいないので、どんなことが書かれているか楽しみになってきた。

    やはり、この本を読むという判断は間違ってなかった、と自画自賛して、レビューを書き終えることにする(笑)。

  • イザベラ・バード著『日本奥地紀行』で描かれた各トピックに対して民俗学者である宮本常一さんが知見を語る。76年〜77年に行われた講義録。
    先に『日本奥地紀行』を読了していたため、大変興味深く読めた。同じ本の何気ない一節でも、民俗学のプロの目から見るとこのように読めるのだなと。勉強になりました。

  • イザベラバードの紀行の原文を読もうと思ったことがあるが、なかなか難しくて理解出来なかった。

    本著はそれをバードが感じた当時の日本文化や習俗について解説をおりまぜて触れているため、とてもわかりやすかった。

    日本人がある種醜い人種とされている一方で、アイヌ民族にバードが共感を得ているところが驚きだった。何より当時の日本の生活レベルの低さに正直驚かされた。

    ノミの大群。ある意味、今の時代に生きれてよかったと思う。

  • まだ「江戸」が生きる東北・北海道へのイザベラ・バードの旅である『日本奥地紀行』を解説する本だった。バードの著した部分は必要最小限に引用され、本著者である宮本博士の民俗学的な所見が講義録に良くまとめられている。関西地方の旅先で本書のほとんどを読めたことは、当時と現代の交通を比較する面白さを味わわせてくれた。旅先の大型書店で『日本奥地紀行』を入手できたというオマケ付き!

  • イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を、民俗学者の宮本常一氏が解説する作品。宮本氏が実際に行った講読会が、この作品のベースとなっている。

    本作を読む前は、イザベラ・バードと宮本常一と聞いて、チョット意外な組み合わせだなと思ってしまった。でも、何の先入観も偏見も無い外国人が描いた、開国直後の素の日本という背景を考えれば、実は民俗学的要素が満載なのである。

    昔の日本にはノミがたくさんいて、ノミによる寝不足解消を祈願したのが、ねぶた祭りの起源であった事。そして日本の警察官は元々士族階級だったため、一般の人々に対する態度がデカい事などなど、バードの描写に対する宮本氏の説明がとても面白い。

    バードの旅の途中によく登場する、好奇心旺盛でデリカシーの無い日本人の態度が印象に残っていたが、実はこの好奇心の強さこそが維新後の日本発展の一因であった、という考察には妙に納得してしまった。

  • 宮本常一『イザベラ・バードの旅』講談社学術文庫、読了。本書は副題「『日本奥地紀行』を読む」の通り碩学の手による購読講義録。英国人女性旅行者の眼差しの記録の中から、当時の人々の暮らしの有り様を読みとり、自身の膨大な知見とすり会わせていく。伝統は明治に創造というが襞に分け入る好著。

    解説(「差別とは何か、という問い」)は赤坂憲雄さん。バードも差別感覚とは無縁ではない。しかしその文明的記述は素直すぎる。より問題なのは、日本人社会内における(特にアイヌに対して。同行通訳者の伊藤は「犬」と呼ぶ)構造の方が錯綜している。

    バードの本文に寄り添いながら、現代の日本、そして近代化以前の日本を対比する宮本の視線は、日本という世界の貧しさ、そして多様さ、そして庶民の知恵を浮き上がらせる。昔は良くもあり悪い。江戸しぐさ的イデオロギー的歪曲の懐古趣味を退ける一冊。

  • 宮本の講演から起こされた本なので、とても読みやすいが、「日本奥地紀行」そのものを読むのと内容は変わらない。ただ、宮本が日本奥地紀行の「どこに着目したか」がわかる。
    バードが訪れた東北の盆地、港町、山中の集落の風俗で、特に当時の日本人の衣服、居住まい、大人しいさま、臭い、蚤の多さ、通訳である伊藤の蕃なとことと責任感、車夫、馬子、子供をいつくしむ様子、リベートの習慣など。

  • イザベラバードも歩いたが、宮本常一も歩いた。
    日本人の衛生観念は、割りと最近になって発達したことがよくわかる。

著者プロフィール

1907年(明治40)~1981年(昭和56)。山口県周防大島に生まれる。柳田國男の「旅と伝説」を手にしたことがきっかけとなり、柳田國男、澁澤敬三という生涯の師に出会い、民俗学者への道を歩み始める。1939年(昭和14)、澁澤の主宰するアチック・ミューゼアムの所員となり、五七歳で武蔵野美術大学に奉職するまで、在野の民俗学者として日本の津々浦々を歩き、離島や地方の農山漁村の生活を記録に残すと共に村々の生活向上に尽力した。1953年(昭和28)、全国離島振興協議会結成とともに無給事務局長に就任して以降、1981年1月に73歳で没するまで、全国の離島振興運動の指導者として運動の先頭に立ちつづけた。また、1966年(昭和41)に日本観光文化研究所を設立、後進の育成にも努めた。「忘れられた日本人」(岩波文庫)、「宮本常一著作集」(未來社)、「宮本常一離島論集」(みずのわ出版)他、多数の著作を遺した。宮本の遺品、著作・蔵書、写真類は遺族から山口県東和町(現周防大島町)に寄贈され、宮本常一記念館(周防大島文化交流センター)が所蔵している。

「2022年 『ふるさとを憶う 宮本常一ふるさと選書』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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