- Amazon.co.jp ・本 (640ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062922425
作品紹介・あらすじ
イタリアの生んだ最高の詩人ダンテが14世紀初めに著した『神曲』は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の3篇からなり、さらに各篇は33歌からなりますが、「地獄篇」冒頭に置かれた三篇の全体の序歌を加えれば、合計100歌となります。詩型は三行一連で全体では1万4233行におよび、文学、美術、現実の政治等に多大な影響を与えた、キリスト教文学の最高峰とされる叙事詩です。
主題は生身の存在であるダンテが、地獄、煉獄、天国の三界、すなわち彼岸の世界を遍歴した末に、ついには神との出会いを果たすというところにあり、歴史的事実を死後の世界に投影した詩を通じて、人類に正しい道を指し示そうとした作品です。
『神曲』には主だったものだけを挙げても、すでに山川丙三郎(岩波書店)、平川祐弘(河出書房)、寿岳文章(集英社)らによる邦訳がありますが、あるものは翻訳の底本が不分明であったり、訳文が現代の読者には難解すぎたり、文章の流れに重きを置きすぎるがために原典に忠実でなかったり、キリスト教世界を描くのに仏教用語を多用して違和感を与えたりと、それぞれに難点がある。これらを克服するために、本訳ではテクストの安定性や信頼性で評価の高いペトロツキ版(1968年刊)を訳出の軸として、原典に忠実でありながら、平明な表現を心がけました。加えて読者の便宜を考慮し、訳注は可能な限り、当該の見開き内に収めました。訳注、各歌解説には、世界的ダンテ学者として名高い故ジョルジョ・パドアンに師事した訳者、『神曲』研究の最先端の成果を盛り込んでいます。
ダンテ『神曲』の訳本の決定版です。
感想・レビュー・書評
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映画「最高の人生の見つけ方(原題 The Bucket List)」は、一代で大病院経営者となったエドワード(ジャック・ニコルソン)と、終生自動車整備工として過ごしたがあらゆる雑学的知識を吸収して歩く辞典とまで言われるカーター(モーガン・フリーマン)とが、どちらも余命数か月の宣告を受けて偶然にも病室をともにするところから始まる。残りの人生でやりたいことのリストを2人で作り、エドワードの財力とカーターの知識とを掛け合わせて世界中を旅することで次々とリストを消していくのがこの映画の見せ場。だが旅の後半、カーターが気を利かせて、エドワードが諸々の理由から疎遠になっている彼の娘の家へと彼を連れていくと、エドワードの逆鱗に触れて喧嘩別れしてしまう。
エドワードも自覚がなかったが、実は死ぬまでに娘と会って仲直りしたいというのが彼の人生で最大の願いだったのだ。でも予想外にカーターに先手を打たれたので、自分の感情が弾けて制御ができなくなった。そして部屋に帰り一人になったエドワードは大泣きする。
次の日、病院の役員会議でもエドワードは上の空。そして会議の進行を断ち切るかのようにふいに彼は「神曲を読んだことがあるか?」と口にする。突然の発言に場はざわつくが、彼はかまわず「ダンテ・アリギエリが地獄を巡る旅の話だ」と続け、そして念を押すように力を込めて「神曲を読んだことがあるのか?」と再び問いかけた。
私は神曲を読んでいなかったので、このシーンで、なぜエドワードが神曲を持ち出したのかが全くわからなかった。本書は解説も含めると634ページもある分厚い本だが、これをきっかけに読んでみようと一念奮起した。
内容は恐ろしいものだった。だって生きている時に好き放題やっていた者が、それが原因で地獄に落とされ地上の何倍もの苦しみを背負っているのだから。つまり、私たち生きている者が何気なくする一挙手一投足が、生きているうちは楽しい思いによって欲や願いを満たすものであっても、死後に何倍もの苦しみへと転化されるのだ。これを恐怖と言わずになんと言うのだろうか。
だとしたらエドワードが神曲を持ち出した原因はおそらく、現世であるにもかかわらず、ダンテが遍歴した地獄に相当するような苦しみにはまったということだろうか?会いたい娘に会えないという苦しみが、会えるかもしれないのに会えない苦しみへと増幅され、今のままではその苦しみは生きている限り続く。想像の世界でしかないダンテの地獄をはるかに上回るリアルな地獄の苦しみだ。
その後、カーター危篤の連絡を受けたエドワードは、ベッドに横たわるカーターと会話を交わす。死の淵からかろうじて意識を戻したカーターは「思いっきり笑う」という願いをリストから消せるくらいの爆笑エピソードでエドワードを迎える。そして残していた手紙でエドワードにこう語りかけた-「人生の喜びを見つけてくれ。」と。意を決し、普段の強気さと正反対の不安に押しつぶされそうな顔で娘の家を訪れたエドワードは、“残りの人生でやるべきこと”リストのなかでもっとも実現困難だったものの1つを消すことが出来た。
エドワードはこう考えたのかもしれない――何をやったとしても結果的に地獄での苦役につながるのならば、死後の地獄での苦しみを受け入れるかわりに、現世では人生の喜びを見つける事だけを主眼に据えて生きたほうがいい。さもなくば今のままでは、現世にあってすでに地獄の苦しみを味わっていることになってしまう――と。
確かにダンテは私たちが生きるうえで無為に何かをした場合、それが誰かを結果的に傷つけることに結びつくという事実を、地獄の詳細な描写によって具体的に示してくれた。しかし、どの道そのリスクを負わなければ生きられないのならば、自分自身をありのままに開放し、自然体で相手に接することで、自分の苦しみを解き、その姿を見た相手の心の氷も溶かせるかもしれないという選択肢を選びたい。たとえその後に苦しみが待っているのだとしても。
エドワードが思い悩んだ挙句、疎遠になっていた娘へどういう態度を示したのかは映画を見てもらうとして、ダンテが描いた地獄模様をあらかじめ知るのと知らないのとでは、人生の岐路に立たされた時の選択肢の選び方も違ってくるのだという例を示してくれたのが、「最高の人生の見つけ方」だ。
私も今回神曲を読んで地獄の風景を知ったことだけで終わりとはしたくない。エドワードのように人生で最高の願いをかなえたい時、神曲で地獄の描写を見た経験を自然に応用できるようにしたいものだ。その後ならば、ほかの者と同じように私も地獄に連れられることになったとしても、覚悟を決められるとまで今では思える。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
一読だけでは全体像が把握できなかったのでまた読み直したい。
書かれた当時までの歴史、有名人、思想などが多く取り込まれており、大作オーラが半端ない。
地獄に落とされているのは、ダンテから見た罪人なのだろうと思う。 -
注釈に各歌解説にとても充実した内容。
これまでの邦訳との違いも姿勢が示されていて、日本語で「神曲」を読むならまずはこの原基晶版を読むべきなんだろうと思って読みました。
次は読みやすいという平川訳を読む予定。
「神曲」を読む前に「変身物語」を読んどいて良かった。
難しいと思って逃げてたけど、ダンテの思想巡り、地獄巡りはそこまで取っつきにくいものではなかった。
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有名な作品ではあるが、なんとなくとっつきにくい感じがしていままで食指が動いていなかった。じっさいに読んでみると、さすがに註釈も多く必要で、けっして読みやすいというわけではなかったが、筋書じたいはそこまで複雑ではなく、主人公とその案内人が地獄に行き、地獄の様子を見たり、罪人からその生前の罪状について直接告白を受けたりしながら各巣窟を進んでゆき、その最深部に辿り着くまでを描いたものとなっており、現在の社会派サスペンス作品のほうが、よほど構図としては難しいかもしれない。また、当然のことながらキリスト教の価値観――しかも12世紀当時――をもとに書かれているため、そのあたりを理解する難しさもあるが、当時の悪は現在でも悪であるものが大半で、そういう普遍性もじゅうぶんに感じられ、わりと身近に感じながら興味をもって罪人たちの様子や告白を読み進めることもできる。慣れないため読了には時間がかかってしまったが、ある程度のおもしろさがあることも理解したため、以後『煉獄篇』『天国篇』と連なってゆくが、そちらにかんしても順次読んでゆこうと思う。目標は、3篇とも年内に読み終えることである。