- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062924085
作品紹介・あらすじ
ソクラテス哲学の根本を伝える重要な対話篇、初の文庫版での新訳。
本書には二つの対話篇を収めた。
『アルキビアデス』は、古来この表題でプラトン集成に収録されてきた二つの作品のうち、より規模が大きく、『アルキビアデス大』や『第一アルキビアデス』と称されてきたものである。この対話篇は「人間の本性について」という副題が添えられてきたことが示しているように、一個人としての「自己」を認識し、その魂のありようを理解すること、さらには「人間」一般というものを認識することを目的としている。あらゆる人にとって重要な、その認識を実現する唯一の方法こそ、言葉を用いて対話すること、つまり相互主体性の実践としての対話であることが、まさにこの対話篇で実践され、証明されている。その意味で、本対話篇はソクラテス哲学に触れようとする人にとって、最良の入門となるものである。
続く短篇『クレイトポン』には、古来「徳の勧め」という副題がつけられてきた。その名のとおり、ここではソクラテスによる「徳の勧め」(プロトレプティコス)が説かれるが、のみならず、この対話篇でクレイトポンはそれが「勧め」以上のものではなく、どうすれば実際に徳を身につけることができるのかを問い、その方法を教えることはできないのではないか、という疑問を提示する。その意味で、これは『アルキビアデス』で提示された道を限界まで問いつめた作品であり、二つの対話篇を併せ読むことでソクラテス哲学の神髄に触れることができる。
練達の研究者による明快な訳文でソクラテスとともに対話する喜びが、ここにある。
感想・レビュー・書評
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昔、所属していたモデル事務所にとてもお世話になった1つ年上の先輩がいた。その頃のモデルはほとんどがお金持ちの子女が暇潰しにやっているような感じで、またそういう人間特有のガッつかないギラギラしてない雰囲気がないと売れない、という業界の不文律のようなものもあったように思う。でもその先輩は逆に仕事にもお金にも苦労して売れたタイプで、そのせいか後輩にもとてもやさしかった。先輩の恋人の彼女にもたくさんお世話になった。今もとても感謝している。
ある時、そんな先輩にお店を持ちたいと相談されたことがあった。しかしファッションモデルという仕事は、仕事のある日が不規則なうえ拘束時間も長いので、副業やアルバイト的なものは到底出来ない。もちろん実家からの援助も無いし、業界の人間やその繋がりから助けてもらったりするのも嫌だと。そしてその夢のために男に身体を売る仕事をしようかと思っているんだけど、どう思う?と相談された。話を聞いた限りでは売り専のようなものではなく、店舗に所属はするものの今で言うパパ活みたいな感じだった。その後聞いたところによると、お客さんは一部上場企業の役員クラスなどのかなりの富裕層で、必ずしも性行為をするわけでもなく、ホテルのハウスレストランで食事をしておこずかいを貰うだけ…のような事もよくあったらしい。世の中いろんな人がいていろんなシノギがあるんだなと思った。でもそもそもモデルの世界というのは汚いおじさんにも妖怪じみたおばさんにも抱かれろと言われればそこに選択肢などはなく、むしろ夢を叶える事と望まない性行為を天秤に掛けられる人間などは足を踏み入れない世界だった。枕営業?なにそれマジで言ってんの?あの頃のモデルは昨今のゴシップを読むたびに一人残らず全員そう思っているだろう。これは主体の話だ。そういう意味では、心と身体は別のものとして認識されていた時代のこの本を読んで先輩の話を思い出したのはただの偶然ではないのかもしれない…と、もっともらしく前置きが長くなってしまったけど、この本のソクラテスがその先輩から聞かされていたデートクラブの客のおじさんそっくりなのでとにかく気持ち悪かったんです。しつこく完全否定した後に宥めすかす、自分が否定しているものを相手が認めている事実を受け入れない、知っている知らないでマウントを取ってくる、そのくせ挙句には君の事が好きなのは自分だけだと言い始める…若い男に執着しているおじさんは今も昔もこうなのか、そう思うとどんなに興味深い内容もおじさんの口説き文句にしか聞こえなかった。
哲学書読んでこんなことある??
ただ一つだけ印象的だったのが、過ちを犯さない人は自分が知らないことは自分では行わず専門的な知識のある誰か他人に任せる、過ちを犯す人間はそもそも自分が知らないという事にすら無自覚で、そして知らないことを知っていると思い込んでいるが故に過ちを犯す、というソクラテスの言葉。なるほどなと刺さった、確かにSNSなどで声高に権利と正義を叫んで暴れているアレの類いはたいていそうだなと。こちらもいつの時代も変わらないのだなと思った。
ちなみに先輩はおじさま達の相手をしながらかなりの資金を貯めて、とても立派なお店をオープンさせました。アルキビアデスはスパルタの王妃を寝取って暗殺されました。僕がこの本を知ったきっかけである、この文献をテーマにした主体の解釈学という講義をコレージュ・ド・フランスで行ったミシェル・フーコーは1984年にHIVで亡くなりました。
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「アルギビアデス」は、フーコーのコレージュ・ド・フランスの晩年の講義「主体の解釈学」でくわしく分析されていて、気にはなっていたものの、全集でしかなかったので、これまで読まずにいた。
が、久しぶりにプラトンでアマゾンを検索してみると、「アルキビアデス」が文庫本ででていることを発見して、早速、読んでみた。(私は、基本、反プラトンなのだが、プラトンの対話篇はすごく好きで、いろいろ突っ込みをいれながら、楽しく読んでしまう)
さて、「アルキビアデス」。対話篇のなかでは、あまり有名ではないのだと思うが、それは、この作品が、プラトンの真作ではなくて、偽作なんじゃないかという議論が終結していないかからなのかな?
でも、訳者も指摘するように、「アルキビアデス」と「クレイトポン」は、「人間の本性」について、とても深い議論をしている感じがある。偽作が疑われるように議論の進行がやや行きつ戻りつでまどろっこしさはあるものの、とてもスリリング。
だれが書いたかということとは別に、面白いし、ある意味、ソクラテス、プラトンの思想の限界を示そうとしている、あるいは、その可能性の限界を定めようとするそんな作品。
なるほど、フーコー好みの作品だな〜、と思ったが、「主体の解釈学」でのフーコーの議論がなんだったかは、全く記憶にない(笑)。
そっちも再読しなきゃね。 -
2017年3月18日(土)紀伊國屋書店梅田本店にて購入。
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原書名:Alcibiades / Clitophon
アルキビアデス
クレイトポン
著者:プラトン(Πλάτων, 前427-前347、ギリシャ、哲学)
訳者:三嶋輝夫(1949-, 哲学者)