物語ること、生きること (講談社文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062933384

作品紹介・あらすじ

『獣の奏者』、「守り人」シリーズ、『鹿の王』。作家・上橋菜穂子が生みだす唯一無二の物語世界の源泉は、その人生にあった。祖母の語るお話と、イギリス文学が大好きだった少女時代。研究者を志しながらも、常に小説が心にあった。「夢見る夢子さん」は、いかにして作家となったのか。愛読書リスト入り。

感想・レビュー・書評

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  • そろそろ小学校卒業の6年生向けの本を探して読んだ本の中の一冊。

    「守り人シリーズ」「獣の奏者シリーズ」の上橋さんが、「どうやったら作家になれますか」「物語はどのように生まれてくるのですか」という質問に回答する形でまとめられた1冊。
    私は上橋さん作品を読んだことがありません、すみません(^^;)
    そんな私でもこの1冊は非常に面白かった。
    人間がなぜ物語に惹かれるのかということが文言化され、言葉は少なく優しくともわかりやすく、さすがは作家さんだーーと感服すること然り。

    幼少期はおばあちゃんの物語に夢中になり、学校では飢えるように本を読み、大学院では文化人類学を学び世界の文化に直接触れた。それらが土台になり、物語への目線が(上橋さんなりに)できあがっていった。

     物語を聞くということは、その風景すべての目になるということ。
     伝統や文化は守るもの、違いは違いとして認める。しかし相手に良いところを見つけたら自分持っているものを頑なに守らずに手放してそっちを選ぶ自由性があってもよい。
     度を越した欠点こそがその人が道を開くときの他の誰にもない武器になっていく。
     どんなものにも魂がある。他のものの気持ちになり目線になり自分の生や死を見る。
      境界線の上に立つものが両方の世界を見られる。
     自分の背中をエイッと蹴っ飛ばして前に進む。

    上橋さんが物語ができるときの感覚を「まるでちがうメロディがあわさって、一つの合唱になるみたいに、ものすごいスピードでいっせいに走り出します」というのは、物を作る人ならではの”その瞬間”なのでしょうねえ。。

    上橋さんが実際に読んだ本とその本から得た影響も語られていますが、どれも「読んでみたい」と思うものばかりで、本の紹介の仕方もうまいなーーーと思い、自分のレビューの拙さには冷や汗もんです。
    巻末に上橋さんの読んできたブックリストも載っています。

  • 上橋さんと私は同い年生まれ。
    おそらくはそのためだと思うのですが
    彼女が読んだ本、目にしたもの、感じたことに
    私の経験の多くが重なります。

    人見知りで、できればずっと誰にも会わずに
    快適な家の中で、好きなものを食べて
    大好きな本に囲まれて暮らしたい…そんな
    性格も同じ。

    知的好奇心のベクトルもそっくり。
    いやこれは、上橋さんの方が変わってる。
    男の子はかなりの確率で、いっとき考古学に
    関心を持ちますから。

    …では私はなぜ、作家ではないのでしょう。

    私は「夢見る夢男くん」でいられる環境では
    成長しませんでした。
    両親は普通の人たちで
    私を公務員か教師にしたがった。
    現に…出版社を辞めて教師になった私は
    両親の敷いた見えない軌道から
    脱線することもはみ出すこともなく
    ここまで生きてしまったのですね。

    でも。

    あの当時、どこの家にも置いていたらしい
    ジャポニカなどの百科事典を
    隅から隅まで夢中で読んで、
    自分の知らないことを探しては
    頭に詰め込んでいた、あのあふれる好奇心は
    どこでどのようにして
    消えてしまったのでしょう。

    自分の中の炎を消さずにいられた人の軌跡が
    この本には書かれています。
    たくさんの偶然が上橋さんの周りで起こり
    作家への道が見えてゆきます。

    私は自分の背中を蹴らなかったんですね。
    上橋さん自身が上橋さんの生きる道を
    きちんとつないでいったのだと思います。

    今の私にはもうないものを、上橋さんは
    持ち続けてこられたのですね。

    上橋さんと私の子供時代は
    多くの点で重なります。
    有り体に言えば、そっくりです。
    私が作家になって、上橋さんが教員でも
    おかしくないくらい。

    だからこそ、この本は尊いです。
    夢に向かって 最初の一歩を
    踏み出そうとしない自分の背中を
    「靴ふきマットの上でもそもそしてるな!
    うりゃっ!」
    と蹴り飛ばしてくれる自分を
    心に持ちさえすれば 作家にも医者にもなれる。

    現実世界で読むファンタジー作家の言葉は
    ファンタジーよりも多くの子供たちの夢を
    ふくらませてくれるものでした。

  • 実質的な著者の半自叙伝である。著者への私のイメージが変わった。私は文化人類学が本来彼女のやりたかったことで、著作業は趣味が発展したものだと思ってた。そうではなかった。小さい頃から、一貫して彼女は「作家」になりたくて、そのための準備作業としてやってきたことが発展して文化人類学者にもなったのである。

    世の作家志望の若者が通る道を、彼女は真っ直ぐに通る。例えば私などとは違っていたのは、大人になってもその夢を強く持ち続けていたことだろう。どこかで「いまのままの自分でいい理由」を探して逃げ道を見つけてしまった私などとは、結局そこが違っていたのである。

    人は誰でも「ものがたり」の魅力に取り憑かれて、直ぐにそれを自分でもつくってみたいと思う。私が小学生の時ショウワ学習ノートに幾つも連載マンガを始めたのもその例に倣ったものだし、ヒトはそもそも何千年も前から物語ってきたのである。そうでなければ、土器の形に意匠が出来るはずがない。

    著者のとっておきの話は、とても有意義だった。最初に書いた物語が千枚を超える大長編だったこと。細部にこだわること。古武術など自分で体験してみること(バルサの描写に大きく活かされた)。推敲を大事にする(なぜならば、たったひとつのシーンにじつに多くのものが眠っているから)こと。その他、著者の代表作の背景がたくさん指摘されていた。

    また、様々な愛読書を紹介してくれていたのも参考になった。宮部みゆきは「ペテロの葬列」でトールキン「指輪物語」を「悪は伝染する」という風に紹介していたが、上橋菜穂子は「多様な者たちが、ある一つのルールによってすべてが縛られてしまう世界に反抗して、その指輪を捨てに行く物語」だと説明している。思うに、宮部が「人」に視点を置くのに対して、上橋菜穂子は「人々」に視点を置いているのだろう。

    2016年4月読了

  • 上橋さんが、「どうやったらあんな物語が書けますか」「物語を作る為に何をしていますか」といった質問に答えるようなつもりで
    自分の生き方と、物語につながるエッセンスを紹介する一冊
    といった感じです

    上橋さんのもとには、そういった質問の手紙が大量に届くらしくて、不公平にならないように一切返してないんですって。
    そこで丁度よく、答えとなるようなこの本を出す運びとなったそうです
    かいつまんで言うと。

    上橋作品のファンとして、今までの作品のルーツを知るという意味でも
    物語の作り手になることへの憧れがある身として、憧れの作家の方が、作家になるまでの経緯を知るという意味でも
    とても価値のある一冊でした!


    あと、文におこしてる方が上手いのか、上橋さんの魅力的な語り口がストレートに伝わってきてました
    上橋さんの公演も何回か行ったことがある私が言うんだから間違いない(キリッ

    いくつか直接聞かせていただいたことのあるエピソードもあったり

    そのおかげか、すっごく読みやすくて、最近読書量が減って読書スピードの落ちた私でも2時間足らずで読めてしまった(^^)/

  • 2016年4月18日読了。

    P43「なぜ、知りたいと思うのか。なぜ自分が時の流れや、宇宙の果てしなさや、答えがすぐに出ないことを考え続けずにはいられないのか。
     この世界には、未知のこと、わからないことがたくさんあって、どうしてそうなっているのかをもっと知りたいと思う。どこから湧いてくるのかもわからないこの気持は、たぶん、理屈ではないのでしょう。」
    「その道を究めたら、どんな答えが待っているかもわからないまま、ただ、目の前の問いと一心に向き合い学ぼうとする人がいる。」

    山中伸弥「実験を繰り返しながら、みんながページをめくっていて、最後にページをめくったときに『あった!』と言ったのが自分だった、それだけのことです」

    P82 指輪物語「旅の目的が『何かを得ること』じゃなくて『何かをあきらめること』『捨てに行くこと』というのが画期的」「『指輪を捨てる』というのは、多分化の中で、己の領分だけをかたくなに守ろうとする考えを捨てること、時には諦めたり、譲ったりしながら、自らも変容して、互いの壁を乗り越えていこうとすることでもあるのでしょう。

  • 上橋菜穂子さんの、自伝と言うかエッセイかな。文化人類学を研究しながら小説も書いてる、と言うすごい人、って思ってたけど、そうなってしまった経緯や、それも執筆に活かしているところが、ブレてなくてやりたいことをやってるな〜、とうらやましくなりました。
    大変なことはたくさんあると思いますが、生き方として響くものがありました。

  • 上橋先生の書く作品が大好きなので、先生御本人にも興味があり読んでみました。

    先生の作品の魅力のひとつにリアリティがあげられると思うのですが
    やはり文化人類学をはじめとしてご自身の経験と知識を元にされていることが知れて
    作品に説得力がある理由を垣間見ることができました。
    また、言葉の選び方もひとつひとつが丁寧で真摯で大好きです。

    真摯に創作活動をしている人も、共感や参考になることが多いのではないかと思いますのでおすすめの本です。

    「物語にしないと、とても伝えきれないものを、人は、それぞれに抱えている。だからこそ、神話のむかしからたくさんの物語が語られてきたと思うのです」
    「作家になったいまでも、物語がひらめくときは、必ずひとつの光景が浮かびます。
    それは繭玉を一個与えられたようなもので、私は、それを解きほぐすようにして物語を書いてきたのです。」
    という表現がとても好きでした。

    のどに魚の小骨がつかえたら、食べかけの魚を頭の上にのせて
    おばあちゃんが気合をいれたら小骨が抜けるというエピソードもとても良かったです。
    魚が自分の小骨を引っ張るというのが面白いです。
    確かに、口伝ならではの真に迫ったところがあるというのはよくわかります。
    だからこそ、日常からは遠い話なのに、「もしかしたら」と思わせる生々しさがあるのです。
    普段小説を読むときジャンルを考えて読んでいないのですが、
    上橋先生の作品はハイ・ファンタジー(異世界ファンタジー)に分類されがちなようです。
    現実には存在しないから夢物語というわけではなく、
    本物のファンタジーは日常よりもっと深いところでもっと生々しい実感につながる瞬間がある気がする。
    本当にそのとおりだと思います。
    ラノベ系ではそれに当たらないこともありますすが、ファンタジーは
    非常に濃く深く、生々しさがあるものですしそれが好きです。
    バルサについて、父方の祖父母の影響が大きいというエピソードも聞けてよかったです。
    祖母の生家は江戸時代まで古流柔術の指南役としてお殿様のお馬廻りだったというのが
    なるほどと納得する部分でした。
    女の子なのに特撮ヒーローが好きで、
    お母さんがスカートをはかせたがってもズボンが好き、
    お父さんらも、まちがえるなおまえは女だぞと言われていたというお話も好きでした。
    私自身そういう子供でしたし、自分の周りにもそういう人が多いので
    親近感があります。
    アニミズムという言葉自体にはあまりピンとこないのですが
    八百万の神、精霊信仰というとやはりしっくりきます。

    かつてはほかの動物たちと同じように、野にある生き物だった人間というものが、いったいいつからそれとはかけ離れた道を歩みはじめたのか
    という疑問。
    境界線の上に立つという表現がシンプルでとても良いなと思いました。
    どちらか一方が正しいと信じこんではいけないし、
    人は影響を受けずにはいられないのだから、
    どんな人も「自分には関係ない」とは言えない。
    「私も、自然の代弁者になりたいと願いながら、実際には文明の恩恵を受けて暮らしていました。」
    「自然を守ろう、環境破壊はいけないことだというのは簡単で、まったく正しいことのように思えますが、電気を使い、文明がもたらす便利さを享受しているのは、ほかならぬ自分たちであることも、見逃すわけにはいきません。
    境界線の上に立つ、というのは、たとえば、そういうことです。どちらか一方が正しいと信じこんで、疑いもしない人間は、もう一方を、理解しがたい他者として糾弾して排斥しようとするかもしれない。理想を掲げて声高に自分の主張をする人間は、しばしば、そういう己の傲慢さに気づかないものです。」
    「自分は正しい。そう強く思うときほど、注意深くなろう。物事は、深く考えれば考えるほど、どちらとも言えなくなるのだから。・境界線の上に立っている人は、私に、そのことを教えてくれました。両側が見えるからこそ、どちらにも行けない哀しみがあるのです。」
    この考え方がとても先生らしく、物語から感じ取れる先生の考え方でもあるなと思いました。
    〈フロンティア〉という言葉は、最前線という意味であり、
    「フロンティアの消滅」とは、アメリカ人から見て、
    大陸の征服を完了した、という意味というのも、考えさせられます。
    「それぞれの生い立ちや境遇や、すごくいろんなものを抱えて、私たちは、いま、出会っている。誰もが自分の命の最前線に立っているのなら、それぞれに境界線を揺らす力、境界線の向こう側に越えてゆく力を持っているんじゃないか
    私の好きな物語に、もし共通点のようなものがあるとしたら、それは背景の異なる者同士がいかにして境界線を越えていくかを描いているところかもしれません。」
    ダイバーシティという言葉も浸透してきた現代ですが、
    度々多様性について考えさせられることがあります。
    「それぞれの価値を尊重した結果、埋めがたい溝が、溝のまま、放置されてしまう。それは、文化人類学で、「相対主義の罠」と言われていたものに似ている気がします。」
    という言葉になるほどと思うところがありました。
    「批判してはならないということは、とても大切な大前提ではあるのですが、その結果、ひとつひとつがバラバラのモザイクのように散らばって、わかり合えないことはわかり合えないままということが起こってくるわけです。
    文化や伝統は守るべきもの、尊重すべきものという考えかたを否定するつもりはありませんが、相手の中によいところを見つけたら「自分の持っているものより、こっちのほうがいいような気がする」と思うことができる自由、かたくなに守らなくてもいい、捨てたっていい、どちらを選んでもいいんだよという寛容さ、それこそが、本当の自由という気がするのです。」
    昔の日本は、それができる国だったような気がしますが、今はどうなのでしょうか。
    「国と国との戦いなら「戦争」と言ってもらえるけれど、国を失った人、国を持たせてもらえない人がそれをすると「テロリズム」と呼ばれます。」
    というのもなるほどと思いました。
    圧倒的な力の差があるとき、それでも自分たちは間違っていないということを証明するためには、他者を壊してもかまわないという論理がテロリズム。
    何かを守ろうとすることは、時に他者を破壊することをよしとしてしまうほどの強さを持ちうるからこそ、そこに至らない別の道、境界線を越える別のやりかたを見つけることが大事なのです。
    作家として生きている唯一の理由が、もうひとりの自分の声に背中を押されて「よし、行くぞ!」と、何度も「安らかな枠の外」へ出たからという表現も秀逸でした。
    確かに、「いまのままの自分でいい理由」を探してしまえば、容易に逃げ道は見つけられるものです。

    知識と知識を単純につなぎ合わせるだけでは、過去に生きた人たちの、本当の現実には至れない。どこかに必ず、私の想像が入ってしまう。そこで歪んでしまうものと、どう向き合ったらいいのか
    というところで悩む作家は、実のところそんなに多くない印象です。
    平気で想像を入れてフィクションだからと言い訳し、
    あまつさえ歴史上の人物の子孫の方に対して「あんたのひいじいさんはこんな人だったよ」と自分の想像を押し付けるような作家もいます。
    そういう方にずっと違和感を持ってきたので、
    改めて上橋先生はきちんとした方だなと感じました。
    別火の話も興味深かったです。
    穢れを忌むという考え方が、最近歪んで捉えられていることが多いように感じます。
    たとえば生理は汚くないし恥ずかしくないと言う人がいますし
    特別生理が汚いとは私も言いませんが、
    用を足すことを花摘みというように、敢えて直接言うのを避けるのは
    美徳のひとつであるとも思います。
    その意味で、隠す必要はなくてもあけっぴろげに言う必要はないし
    文化的な話で言えば血が出る以上穢れではあると思うのです。
    伝統文化に関わっていると、遺すことと変容すること、
    取捨選択の境界線によく悩まされます。
    「人の歴史というのは、その先を生きるために、それまで守ってきたものをあきらめたり、捨てたりすることを繰り返してきたのではないか」。

    「生まれながらに背負わされたものと、人は無縁ではいられません。
    それでも、他者を傷つけないかぎり、誰もが「こう生きたい」と願ったように生きる権利があるはずです」
    こうした信念から、あのような素晴らしい物語が紡がれるのだなと再認識しました。
    「フィクションだから好きに書けばいいじゃないか、と思われるかもしれませんが、私は、それが嘘だと思うと書けないのです。もちろん嘘をついていいところも、たくさんあるのだけれど、いちばん大切なところだけは嘘をつきたくない。それをしたら、その物語は、世に出す意味のない絵空事になってしまう気がするのです。
    もちろん、物語に書くことすべてを体験するわけにはいきませんが、私は、肝心なところは、できるだけ自分の経験に裏打ちされた言葉で書きたいなあ、と思っています。
    そうすることで、物語の中に本物の風が吹く。そんな気がするからです。」
    これについては、自分は寧ろフィクションだからこそ
    嘘をついてはいけない箇所があると思っており、
    それを大切にしてくれないフィクションを浅いと感じてしまうくらいなので
    うなずくところばかりでした。


    たったひとつのシーンに、じつは多くのものが眠っているというのも本当にそのとおりです。
    「そこにいる女の子の表情、着ているもの、窓から差しこんでくる光......生まれ落ちようとする世界がそこにすでにあるのです。それが見えるかどうかに、物語が書けるかどうかが、かかっているのだと思います。」
    最近の人は何か問いかけても、返ってくる言葉が、すごく短いといのは先ひと言じゃ伝わらないたくさんのものを、本当は後ろにいっぱい抱えているだろうに。たとえば「悲しい」と答えても、そのひと言では伝えきれないもやもやしたものが本当はいっぱいあって、物語を書くことは、そのひと言では言えなかったこと、うまく言葉にできなくて、捨ててしまったことを、全部、ひとつひとつ掬い上げることというのもなるほどと思いました。
    読んで良かった一冊です。

  • 上橋さんの作家になるまでの物語。

    こうして夢見る夢子ちゃんは文化人類学者となり、作家となった。

    “大丈夫、大丈夫、きっと私は、今、上手に歩いている”
    よい言葉、凛とした生き方。

    うん、かっこいいなあ。

  • インタビューした瀧 晴巳さんが文章にした本。上橋さんが "書いた" のではないけれど、インタビュアーの眼差しと一体になった作家の姿がここにある。たくさんの同意とほんの少しの違和感、そこにこそ作品を読む面白さがあるのだと思う。思いもよらない見方を見つけることや、一生経験しないであろう体験をしたように感じること、本当に、読むことは楽しい♪♪

  • 一歩踏み出すのを躊躇っている時にそっと背中を押してくれるような本。

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著者プロフィール

作家、川村学園女子大学特任教授。1989年『精霊の木』でデビュー。著書に野間児童文芸新人賞、産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞した『精霊の守り人』をはじめとする「守り人」シリーズ、野間児童文芸賞を受賞した『狐笛のかなた』、「獣の奏者」シリーズなどがある。海外での評価も高く、2009年に英語版『精霊の守り人』で米国バチェルダー賞を受賞。14年には「小さなノーベル賞」ともいわれる国際アンデルセン賞〈作家賞〉を受賞。2015年『鹿の王』で本屋大賞、第四回日本医療小説大賞を受賞。

「2020年 『鹿の王 4』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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