明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〔完全増補版〕 (講談社文庫)
- 講談社 (2017年6月15日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062936835
作品紹介・あらすじ
維新150年、偽りの歴史を斬る。共感と論争の問題作、ついに文庫化!
幕末動乱期ほど、いい加減な美談が歴史としてまかり通る時代はない。京都御所を砲撃し朝敵となった長州を筆頭に、暗殺者集団として日本を闇に陥れた薩長土肥。明治維新とは、日本を近代に導いた無条件の正義なのか? 明治維新そのものに疑義を申し立て、この国の「近代」の歩みを徹底的に検証する刮目の書。
本書が訴える明治維新の過ちの数々―
悪意に満ちた勝者による官軍教育。
坂本龍馬「薩長同盟」仲介の嘘。
吉田松陰が導いた大東亜戦争への道。
「維新」至上主義、司馬史観の功罪。
テロを正当化した「水戸学」の狂気。
二本松・会津での虐殺、非人道的行為。
感想・レビュー・書評
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著者曰く、〝明治維新は暗殺集団(薩長土肥)による流血革命である。勝てば官軍となった明治政府は、正義の旗をかざして歴史の美談をつくり上げ日本の近代化をすすめた〟と。立場が違えば政治的見解が異なるように、歴史観の多様化も有り得て当然のことだが、実証できない事例を断定した表現を用いるべきでない、ということを忘れてはならない。
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読み疲れた...
中高生の日本史の教科書が、割と史実と異なるいい加減な内容が散見されることは今更言うまでもない。
歯に絹着せぬ物言いが、なんとも痛烈な内容だ。
遡ること、関ヶ原の戦いから大東亜戦争まで、時系列で史実が示されるので、非常に捉えやすい。
が、本書冒頭で著者自身が述べられているが、極端な左右の方々から脅迫状が届いたというのも無理のない内容でした。
わかりやすいが、こきおろし方がエグい。
歴史に、もしや、たらればは通用しないが、もし江戸幕府が、慶喜が想定したような英国型公議政体を創り上げ、小栗上野介が実施しようとした郡県制を採り、優秀な官僚群がそれぞれの分を果たしていけば、日本はスイスや北欧諸国に類似した独自の自立した立憲君主国家になっていたのだろうか。 -
今まで常識だと思っていたことの逆の言葉がタイトルになっているので、気になって手にとりました。
賛否両論あるとのことでしたが、事実を別の視点から見ることの大切さを痛感すると同時に、知っているつもりでも知らないことがたくさんあり、自分自身の勉強不足を感じました。
もっと勉強したいと思いました。 -
明治維新の負の側面について。
以下、本書より。
私たちは、勘違いをしていないか。
「新時代」「近代」と、時代が下ることがより「正義」に近づくことだと錯覚していないか。
「近代」と「西欧文明」を、自分たちの「幸せ観」に照らして正しく見分けて位置づけているか。
そして、「近代」は「近世」=江戸時代より文明度の高い時代だと誤解していないか。
今、私たちは、長州・薩摩政権の書いた歴史を物差しとして時間軸を引いている。
そもそもこの物差しが狂っていることに、いい加減に気づくべきであろう。
そのためには、幕末動乱以降の出来事をすべてそのまま、飾り立てなく隠すこともなく、正直にテーブルの上に並べてみるべきであろう。 -
全力でおススメ
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薩長、水戸光圀をボロクソです。この論調の歴史は知らなかった。勝てば官軍。
内容は面白いが、読みづらいです。 -
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わかりますっ!!!!
会津人ではないけれど、福島出身の身としてとても複雑な思いにさせられます。
・・・・・そして・・・・今年のN...わかりますっ!!!!
会津人ではないけれど、福島出身の身としてとても複雑な思いにさせられます。
・・・・・そして・・・・今年のNHK大河は「西郷どん」という(苦笑)。2018/05/30
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新聞広告等で最近やたらと目にするので気にはなってたんですが
単行本で買うほどのものでも無かろうと思ってたところ
文庫で”完全増補版”が出ていたので購入。
政権の宣伝している「維新百五十年記念」には胡散臭さも感じますが、
この書の「明治維新断罪」にも頷けないところが多いです。
もちろん多様な見方があって面白い。
本書にも少し触れてあるように末期幕府もかなり優秀で頑張っていた事、
長州側もかなりヒドかった事等はもう少し認識されて良い事だと思います。
その意味でもキチンとした冷静な専門家の研究・反論を待ちたい(著者も言ってる)
読み物としてはこの作家のシリーズ、文庫本辺りでならもう少し追っかけてみたいと思っています。 -
本書は、明治維新を輝かしい近代の幕開けとするのは、薩長政権によって作られ、正当化・美化された偽りの歴史に過ぎず、その実態は、ごろつきにも似た過激主義者による軍事クーデターだった、と激しく断罪している。また、江戸期を陋習に満ちた前近代的で劣った時代とするのも、薩長政権によって意図的に刷り込まれたものである、とも。
明治維新を旧体制支持派や官軍に蹂躙された会津等から見れば、暴力テロそのものなんだから、このような見方も十分ありだと思う。
まあ、既に知っている事がほとんどではあったが、水戸徳川家が、光圀が見栄を張ってしまったために財政破綻し、貧困に喘いでいた事は知らなかった。極貧の水戸藩にこそ原理主義の極右思想が蔓延ったのだという。光圀って実は最低の領主だったのかも。 -
著者の原田伊織氏は、京都に生まれ、大阪外大を卒業し、広告代理店勤務、編集ライター等を経て、2005年に私小説『夏が逝く瞬間』で作家デビューした。本書は、2012年に発刊、2015年の改訂増補版がベストセラーとなり、2017年に文庫化されたもの。本作品発表後、幕末維新をテーマにした多数の本を執筆している。
本作品は、著者によれば、「私たちが子供の頃から教えられ、学んできた幕末維新に関わる歴史とは、「長州・薩摩の書いた歴史」である・・・本書は、「長州・薩摩の書いた歴史」のポイントには触れるものの、それを改めて克明になぞろうとするものではない。読者諸兄は、学校教育やその後に接した著作物などを通してそれは十分ご存知であるとの前提に立ち、それが御一新の史実とどういう、或いはどれほどのギャップをもっているかを整理しようと試みるものである。即ち、大仰にいえば世にいう明治維新を一度「総括」しようという試みである」
E.H.カーは歴史学の古典『歴史とは何か』の中で「歴史とは現在と過去との対話である」と述べているが、歴史とは、“史実(真実・事実)”を、その歴史を書いた時点において、書いた人間・集団にとって有用と考えられる視点から“解釈”した(因果関係を見出した)ものである。従って、幕末維新の歴史が、その後権力を握った長州・薩摩(・土佐・肥後)に都合よく書かれたとする、著者の主張に相応の納得性はあり、私も、石光真人の『ある明治人の記録』や大河ドラマ「八重の桜」などの様々な記録・作品に触れて、明治維新の表面的な記述に偏りがあると感じているのは事実である。
本書で取り上げられた個々の事柄の史実がどうであったかについて、現在の我々は残念ながら明確な判断材料を持ちえないが、多くのケースは一つの史実をどのように“解釈”するかに差異があり、結果として、その史実の(更には、多数の史実を包括した“明治維新”)の捉え方が肯定的であったり、否定的であったりするのではあるまいか。
過去を多角的に捉え、自らの歴史観(日本近代史観)を作り上げる上で、有用な一冊と言えるのではないだろうか。
(2017年7月了)