虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・マンガ (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784063106176

作品紹介・あらすじ

僕の妹は、僕の指から産まれた。妹への感情は兄妹愛のそれを超え、「ひとつになりたい」と願う。(『星の恋人』)
飛行機墜落事故で生存した大輪未来と天野すみれ。   
助け合う二人に、意外な形で別れの時は来る。(『ヴァイオライト』)
肩を壊した高校球児の雪輝。日々”成長”を続ける
ヒナとの出会いで、彼が見つけたものは――。(『日下兄妹』)
3人の兄妹が暮らす家に夜の闖入者、それは虫であり弟であった。
共同生活を始めた彼と兄妹たちの距離は縮まりーー。(『虫と歌』)

自分の指から生まれた妹への感情を綴る『星の恋人』。肩を壊した高校球児と成長を 続ける”ヒナ”との交流が胸を打つ『日下兄妹』。飛行機事故で遭難した二人の交流を描く『ヴァイオライト』。そして、衝撃の四季大賞受賞作『虫と歌』の計4編を収録。独特の世界観で様々な生命の繋がりを描き、月刊『アフタヌーン』にて掲載の度に反響拡大中の新鋭作家、待望の初単行本!!

感想・レビュー・書評

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  • 先に宝石の国で市川春子にはまって、既刊の作品集を二つ購入。まずは美しい装丁が目を惹きつける。作品集から入った人は短編がいいという人が多いようだが、長編にも十分な魅力は備えていると思う。

    収録作品の中では日下兄妹が一番好き。たぶんそれは、おまけの書き下ろしを除いた中で、コメディー的な要素が強い上に、最も理解しやすいストーリーであるからだろう。もちろん理解しやすいといっても単純なストーリーではない。そして読後には涙腺が決壊した。

    自分は高野文子作品を読んでおらず判断できないが、手塚治虫作品に似ているとは思う。それは、作品の根底に命を取り上げていること、人と人ではない知的生命体との物語であること、「人」が必ずしもすべて正しくはないこと、誰もが分かるようなハッピーエンドで物語が終わらないこと、といったような点が共通しているように思われる。

    収録の4話は、すべて登場人物(人ではなくとも)達が深く静かな孤独を抱えており、それと向き合う物語である。

    以下、各話考察。未読の方は、先にマンガを読むことを推奨。



    星の恋人

    さつきはつつじに一目ぼれをしたように見える。さつきとつつじは、植物としては似た者同士。同じように物事を考えている場面が描かれており、つつじはさつきが自分のことを好きなのがよくわかっていただろう。
    そして、その二人の思いを叔父さんもわかっていながら、ただ静かに見守っていたのだろう。

    また、つつじが自らの「枝」を切り落とした際、叔父さんが涙して口付けをしている場面が、さつきの視点で描かれている。
    真黒なトーンでこぼれた涙が白く抜かれている。さつきは叔父さんが泣いているということしか「理解」できないということ、なおかつ、叔父さんはこの先、いくばくかつつじが記憶を失うことを知っていたと読める。
    そういう事態となっても、叔父さんはさつきを責めず、ただ受け入れる。剃髪している叔父さんが「僧侶」の役割をも担っているからである。
    ただ、後につつじが「小さくなる」まで剪定したのは、
    自分との記憶を失っても、さつきとの記憶を持たせたくないという気持ちもあったのかもしれない。

    このマンガ、市川春子版のブラックジャックではないかと思う。
    叔父さんとつつじは、ブラックジャックとピノコの関係に相似しているといえる。命を生み出した(救った)点で親娘であり、最愛の恋人(妻)であり、常に寄り添う母でもある。そして、再婚する母に捨てられ、庇護を必要としているさつきは、ブラックジャックに助けを求めに来た患者である。

    そこで恋をして、失恋して、新たな家族を得て、新たな恋を見つけ、きっと幸せを手に入れられる…
    それは、叔父さんが剃髪した僧侶の姿をしていること、
    切り落とした「枝」の上に仏画が掛けられていること、
    水につけている器が、蓮華(仏の座)に似ていること、
    といったことから、枝は仏が救いを差し伸べる「手」であり、その手を取るのはさつきであると約束されているから、これは救われる物語と言えよう。

    記憶を失ったつつじがさつきに「はじめまして」と言った後、真黒な8ミリフィルムが描かれる。これによって過去が清算されて新しい生活が始まったことを示す。
    手術が終わったのである。


    話は変わるが、この「星の恋人」から「宝石の国」へ受け継がれているアイデアがいくつか見受けられる。
    主役たちを見守る僧侶役や「仏」の登場、失った体の分だけ記憶が失われる、といったこと等が挙げられる。



    ヴァイオライト

    最初は「静電気」かと思ったw
    収録されている中で、最も理解しがたい作品には違いない。読解のポイントは扉絵と、「ちょっと小指を引っかけただけだぜ?」のセリフ。


    未来は、名前に反して「命は」助からない。
    「早まるな」「左手が変だ」というセリフがそれを暗示している。怪我をした左腕が化膿したのか、高熱を出していたのだろう。最後にフラフラしてまともに歩けず転落してしまう。
    そして、すみれは「本来の姿」でとっさに手を差し伸べてしまうが、人間にとってそれは耐えられないほどのエネルギーであったため、未来は燃え尽きてしまった。

    すみれは「未来を失って」しまった。
    悲嘆にくれ、気持ちをかき乱され涙したため、それが嵐を呼び新たに船を沈めてしまった。すみれは、再び「崩れてない」人間を一人助けようとする。
    それは失った未来を求めるかのように。

    「でも灯台がちかくてよかった」というセリフが示すとおり、灯台に行けば助かるという設定となっているようだが、未来といた時は、「海だ」とは言っても「灯台」という言葉は出てこない。
    そして「灯台」にはそこだけ天から光が差し込んできており、まるで「教会」のようでもある。灯台は教会に見立てられており、そこは天から祝福された約束の地、
    救いがもたらされる安息の地であると示唆されている。

    未来は安息の地である灯台に至るまで、すみれと行動を共にした。すみれのことを当初は「相性悪いな」と言っていたが、その後「おまえいなかったらとっくに死んでたな」「おまえが言うならそうだろう」と変わり、すみれが仮の姿を失う時には「助けて 神さま すみれ」と、すみれを神と等しいものと認識した。

    すみれを見失った時の「先を見に行ったんだな」とは、
    安息の地の灯台に向かって行ったということとともに、未来がこれから訪れる「未来」を見に行ったという意味をも含ませている。
    転落時に本来の姿でのすみれの顔を見たときに、神に等しいすみれが実は「なんだそこにいたのか」「すぐ そば に」と未来が気付いたことで、未来には「神は常にそばにいる」と提示される。そしてまた、すみれの姿も神のような姿で描かれている。
    この時点で未来は命を失っても、神と共に、すなわちすみれが先に見に行っている天国へ行くことができた。
    未来は救われたのである。


    一方のすみれは、欲しいものを得ようともがいても、けして手に入らないと描かれているように思われる。
    すみれが求めていたものは、一人ぼっちの寂しさを埋めてくれるものであろう。

    それは、物語当初ではなんでもよかった。
    未来に対し、「これで二人のありがたみを教えてやるんだ」というスタンスであったことがそれを示す。
    しかし、それも未来の様に最後には「なんでも言えなんでもする」と変わっていく。すみれにとっても未来が大切な存在に変化していったことがわかるが、とうとう仮の姿を保つための材料が持たなくなり、本来の姿では手に入れようと触れれば燃えてしまう。まるでギリシャ神話のミダス王の様に。

    これはすみれに課された呪いといってもいいかもしれない。
    なぜ呪われたのか?
    「悪かったとは思ってるよ」とすみれはつぶやいているが、物語の発端が「わざと」した行為だったと考えるとつじつまが合う。未来をあそこまで助けたのも罪悪感が手伝ったのだろう。

    いつしか「あそこまで運ぶ」ことができれば、すみれにも幸せが訪れるのかもしれない。この物語の中では、すみれの願いはかなわないが、女の子が登場することで、
    いつか救われる可能性があることも示されているのである。

    最後に砂糖の絵で終わっているのも、二人の今後を暗示している。「Have a nice trip」の言葉は、二人のこれからにかけられている。
    遭難時の行動食になる砂糖を、独り占めできる状態にあったのにせず、すみれに託そうとした未来には、文字通り天国へのよい旅をと。「甘い」気持ちで「苦い」結末を招いたすみれには皮肉をと。


    最後に、タイトルの「ヴァイオライト」について。
    表面的には「命の光」とか「命ある光」というように思え、すみれのことを指しているのかと考える。
    だが、このタイトルは、ちょっとしたアナグラムかもしれない。
    すみれの英名「ヴィオラ」の文字がタイトルに含まれている。そして、ヴィオラを除く残りは「アイト」である。
    つまり、「愛とすみれ」の意味をも持たせているのではないか。
    このマンガは、すみれが愛を探す物語だったのだ。


    結論がBLにww
    ちなみに、「すみれ」と名乗ったのは、未来が名乗ったときにたまたますみれの花が目に入ったからで、「天野」は文字通り。



    日下兄妹

    読み返すたびに涙が溢れ出てしまう。とても外では読めない一話。

    ヒナは古道具屋に置かれるくらいの和箪笥のねじあてだったので、人型に変態していくにあたり、おそらく箪笥が作られた時代のからくり人形の構造を模しているようだ。服を着たばかりのころは脚が4本のままであったが、やがて2本となり外に出られるようになった。

    それから夜に流れ星の絵のボールで野球をしたことでヒナの正体の、またホームランを打つことで、返らない、帰らない、を暗示。
    図書館で宗教の本を読んだ最後には、すらりと手足が伸び、体つきも「幼女」から「少女」に変わっていた。

    「幼女」は、家族の誕生を表す「天使」の役割であった。一方「少女」の形をとることで、人を救うことができる「女神」となり、「永遠に お兄ちゃんのこと好きよ」という言葉に釣り合う「女」となってユキテルと一緒になれたのだ。

    ヒナにとっては、「とてもきゅうくつ」な場所から出してくれたユキテルに恩返しをすることが目的だったが、「妹のつきそいで」とユキテルがヒナのことを家族と認識し始めたことで、ユキテルを愛し始めたのだろう。

    恩返しにユキテルの願いを叶えることを選び、文字を覚えたり、服を着たり、料理をつくったりとヒナが感じた「願い」を叶えていった。
    だが、ユキテルの本当の願いは、「次は間違えない 全部捨てて ひとりきりではじめから」「いつも星に願った」将来有望なピッチャーであっても束縛の証である野球からのがれ、自由になることだった。
    そのために「必死でやれば」肩が壊れ束縛が「壊れて自由になれる」はずだった。特殊な家庭環境から来る「バーカ 俺はひとりがふつうなんだよ」という孤独感を埋めることだった。

    しかし、ヒナの成長に伴い、「妹のつきそいで」「ふたりか」「でも妹を捨てることはできない」「ひとのくずとほしのちりの兄妹」と、自らヒナの存在に家族を見出し、願いを叶えてしまっていた。
    図書館での「妹のつきそいで」という言葉でヒナはそのことに気付いたのだろう。同時に、そこで「うで」が壊れていることを知った。
    それから、ユキテルのおかずを持つ手がふるえたり、ヒナのあたまをなでる手がふるえたりと、ユキテルの調子が悪いことに気付いていく。

    だが、ユキテル自身は肩をなおしたいとは思っていない。肩を治したいのはヒナの願いである。
    ヒナの願いをユキテルの願いとするために、宗教の力を借りようとした。宗教の本を読んでからのヒナのセリフは「声」にはなっていない。
    それでもユキテルの願いは変わらず、結局ヒナは自分の願いとユキテルの願いを両方叶えるため、あのような形をとったに違いない。


    そして、最後におばさんに早く言えと怒られたことで、
    実はすでに気付かなかっただけでユキテルには家族がいたんだと、青い鳥のような終わりとなった。
    ユキテルは幸せに気付いたのである。



    虫と歌

    「居場所を失った昆虫が人にカモフラージュする可能性」という発想をする市川春子はすごいと思う。とても思いつかなかった。
    歌の視点で物語が進んでいくため、歌が主人公と思っていたが、実は晃兄の物語だった。
    ある意味、生産ラインから見た企画研究ラボの苦悩の物語でもある。

    4話に共通するテーマ「孤独」をカギとすると、この物語ではまずシロウが孤独に見える。
    深海深くに沈められて、一人でずっと海を見つめていたシロウは確かに孤独だった。
    しかし、うたが「すべての新作には」と気付いたように、帰巣本能に従って生まれた家に戻った結果、シロウの孤独は、うたと出会うことで救われた。バッタとカミキリムシという「草食」同志で惹かれあったのかもしれない。(一方のハナはカマキリで「肉食」なので怖かった。晃が「偏食は直んなかった」といっているのも、元の昆虫の食性が残ってしまったということを意味している。)
    物語の途中で寿命で亡くなってしまうものの、「ずっと海にいなくてよかった」という一言が、幸せな生を送れたことを示している。

    では、うたはというと、最初から最後まで晃兄がそばにおり、シロウやハナとも一緒の時を過ごしている。そんな中、自分も昆虫かもしれないと気付いたのはそう遅くはないはず。
    物語中では、シロウが家に来た時、2階に飛んで行ったシロウに対して、普通の人間ではなし得ない2階の高さのとび蹴りをみまったし、俊足をかわれ陸上部にスカウトされていたり、他の「人間」とどこか違うとわかるだろう。倒れた時に体温計の電池切れと自身の電池切れ、すなわち寿命が重なって見えたのだ。
    シロウとの出会いを経て、大学で昆虫の勉強をして兄を手伝いたいとまで考えていたのは、自ら最後に「生まれてよかった」と伝えたように、終始幸せであったからだろう。


    さて、そこで晃である。晃兄はいったい何者なのか?
    「新種の昆虫を生み出す」という「変わった仕事」をしている「人間」の様であるが、気になるのは「クライアント」との関係である。
    「クライアント」と呼んだ友さんとは何者か?

    シロウが亡くなる時に突然現れ、「今日だとは言わなかった」「お母さんよ」「特別だから迎えに来た」というセリフがあてがわれた上、シロウの死亡時刻の確認をしている。
    うたに対しては「今あなたが願っていることはなにひとつ叶えてあげられない」と、うたがどんな願いを持っているのか、まるですべてわかっているかのようである。
    そして、その言葉を伝える直前に、シロウは「消えてなくなっている」。
    また、晃兄がまだ名前が無いころのシロウの取り扱いについて、友さんのところに相談にいっているが、そこはまるで天国かの様に、雲間から太陽が見え隠れしている情景が描かれている。

    そのような言動や経緯から、友さんは「命を司るもの」であると推察される。
    そして、それは誕生のみではなく、死も司っている。
    シロウを消したときの友さんの影は、あたかも死神の影のようであるし、死の間際に訪れ足元に立ったのも死神を連想させる。
    ただし、友さんが訪れた時には、天から後光が差しており、友さんが天から降りてきた高貴な存在であることを示す。シロウが消えたのは友さんが「迎え」たからであろう。

    「白烏」と名をつけられた時点で、シロウは神使の性格をを帯びたのだ。うたが与えたジャージのマークが鳥であったのもそれを暗示している。
    倒れた時には凶兆を示す形でカラスが描かれているが、
    「特別だから迎えに来た」のは、シロウは他の新種の昆虫の様にはならないため「特別」だからだ。「子」として友さんの「世界」に迎えるのではないだろうか。
    友さんは「生と死」を両方司っている神の様な存在なのである。

    そんな友さんのことを、晃兄は「クライアント」と言っていた。しかし、顔を合わせた時には「友」「コーちゃん」と呼び合い、独白時には「おまえにとってはたかが昆虫実験」とおまえ呼ばわりもしている。
    つまり、この二人は対等な関係にあるといえる。
    晃は、特殊な仕事をしているただの人間ではない。神の様な存在の友と対等である存在、つまり晃も「新しい生命」のデザインをする神の様な存在なのだ。

    晃は「人間のいる世界」に釣り合ったデザインを作るために「人間のいる世界」に住んでいるのだ。そこで市場リサーチ、デザイン、実験研究、経過観察を行い、次の「新しい生命」作りにそれを生かしている。
    一方の友は「人間のいる世界」とは違う世界に住んでいる。晃のデザインした「新しい生命」を生産する工場、リサイクルする工場の役割を担っているからだろう。

    二人は対等な関係、補完しあう関係だからこそ、晃は友さんのいる場所に行くことができるのだ。そこは「特別な」場所で誰もが訪れることはできないだろう。
    (突然晃が顔に怪我しているように見えるが、この場面は過去の回想で、おそらく海に沈める前のシロウがあばれたのだろう)


    最後の晃の独白で、幸せそうに見えていた晃兄が、実は深い悲しみを背負っていることが分かる。
    きっと、生み出した生命を一つ一つちゃんと愛したことで、より深い悲しみを抱えていき、実験を繰り返すたびに愛したものを失う孤独感が再生産され続けているのだろう。
    デスクの上の窓が監獄にはめられた鉄格子を連想させ、
    晃はその悲しみ、孤独からは逃れることができないことを暗示している。だから電話がかかってきているのだ。
    晃の涙は、愛するものを失う前での「崇高な目的、大いなる目的」の虚しさを内包している。
    戦争で子を失った親を前にして、愛国心を叫ぶ行為に似ているのかもしれない。
    この作品の中で、ただ一人救われないのが晃なのだ。



    残念ながら、暖簾の模様の変化の意味と、「しらない ちがう うたは同じって」のセリフの意味するところが理解できなかった。
    読み返すたびに新しい発見ができる作家なので、いつかわかる日がくるだろうか。

  • 作品集としてはこちらが先で「25時のバカンス」が後になります。本来であれば古いものから読むのですが、訳あって今回は順番無視です。

    25時のバカンスに漂う雰囲気が「海」・「冬」・「月」なら、こちらは「大地」・「春&夏」・「太陽」といったところでしょうか。
    あちらは表紙の加工も海ぽかったのに、こっちは表紙をめくったらバッタとかカマキリとか見えて見なければよかったと思いました。
    4話おさめられていますので1話ずつ感想を書きます。

    「星の恋人」
    「宝石の国」ではわからなかった著者の世界観というか作品の方向性を「25時のバカンス」で悟ったので、こちらも間違いなく何か爆弾が仕込まれているに違いないと用心しましたが、突然の腕を鎌で切り落とすという展開にやはり思考が一瞬停止しました。
    パパが「宝石の国」の金剛先生みたい…!と思ってドキドキしたのですが、こちらは眠そうではありませんね。
    つつじがホットサングリアを飲んでるコマが好きです。

    「ヴァイオライト」
    このお話、何度読んでも意味がわからない…。何かの物質、鉱物の名前?と思ったのですが、造語なんでしょうか。すみれ(violet)と光(light)を混ぜたのかな?
    以下わたしなりの解釈です。
    MIRAI AIRLINEという航空会社を経営している両親の元に生まれた未来くん(会社名はもちろん息子の名前から付けた)は修学旅行のため、お父さんがパイロットで機長、お母さんがCAを務める飛行機に乗っていた。
    ところが人知を凌駕する存在が小指を引っかけたために雷が飛行機に直撃し、飛行機は空中で破裂。未来くんは空中に投げ出されてしまう。自責の念に囚われた人知を凌駕する存在は未来くんを救うべく、人に似せた偽物(天野すみれ
    )を作り出し未来くんと行動させる。
    未来くんを何とか灯台の近くへ導いたすみれは役目を終え限界がきたため、人としての姿を保てず消えてしまう。
    しかしもう力の残っていない未来くんはよろめいて崖から落ちかけてしまう。すみれは最後の力を振り絞って何とか未来くんを助けようとするが助けられなかった。
    …しばらくの後。
    またもや人知を凌駕する存在はくしゃみをしてしまったか何かで嵐を起こし船を難破させてしまった。そこで再び生き残った人間を導くべく同性の偽物を作り出すが、すみれとしての記憶が残っていた彼女は未来くんを探し始めるのだった。 おわり。
    お砂糖をこぼした理由は何だったのだろう。

    「日下兄妹」
    前半、男子高校生のやり取りが面白いですが、一転後半は切なくなって泣きそうになってしまいました。
    ヒナが肩を治すと言った時、ユキが「肩はいい。10年かかって壊した」と答えるのがなぜかとても好きです。
    きっと最後はこうなるとどこかでわかっていたのに、やっぱりヒナが消えてしまうのは悲しかったです。
    ヒナが何を考えているのか、きっとこういう顔をしているのだろうな、というのが表情がないのにわかるというのが不思議です。
    キティちゃんに口がないのは、口があると表情が決まってしまうので、人それぞれが好きに表情を解釈できるように敢えてつけていないと聞いたことがありますが、それと同じなのかもしれません。
    ハラと別れる時に自分が剃った頭にマキロンを塗ってあげるヒナ優しい。
    トイレに閉じこもったヒナを誘い出すシーンは天照大神が岩戸に隠れてしまった時と同じですね(笑)

    「虫と歌」
    表題作です。いちばん好きかもしれない。
    シロウが死んでしまったときも悲しかったのですが、やっぱり歌が死ぬと分かった時が悲しかった。いや、歌も人間ではないのだとわかった時がショックでした。
    詩が大学に行きたいと言った時、晃はどういう思いでやってみろと答えたのでしょうか。本当にそうなったらいいな、という気持ちだったのかたぶん無理だろうなという気持ちだったのか…。
    気になるのが晃のことですが、彼は本当に人間なんでしょうか。最後、机の突っ伏していたのは泣いていたから?寿命で死んでしまった?絶望して自殺してしまった?
    恐ろしいと感じるのは決して暴力的なものに対してだけでないのだと思い知らされた感じです。
    ずっとあると思っていた日常が、その先の未来がないとわかったときに感じる絶望とそれらを実際失った後の余韻に漂う虚無を描くのがこの人は巧すぎる。

  • 話はサクサク進んで読みやすいのですが、理解が難しいです。。。でも何度も読み返すうちに慣れていき、理解できた時の嬉しいさは言葉にできません

  • 日下兄妹の話がとても気に入っています。この話なら子供に読み聞かせれるかと挑戦しましたがまだ少し早かったようです。市川さんの作品はどれも好きですが個人的には虫と歌がお気に入りです。

  • 性を介さない生殖。セックスが介在しない愛。もしかしたら人間というものが存在しない世界なのだろうか。それでも、人を思う心や切なさ、悲しみの感情はリアルである。悲しく厳しい現実から逃避し、しばしそこに漂いたくなるような愛しい世界たちが、この作品集にある。

  • もしかしたら、私は博物館に来ているのかもしれない。
    繊細な愛に、魅了される。
    これは、見ないと損をしてしまう。

  • 博物図鑑のような短編集。作者のフェチがつまっていた。良い。
    万物の父と植物・昆虫系愛玩子たちの、自然の摂理を伴う交流が静かなタッチで描かれる。
    基本、ラストの伏線回収がスピーディーであざやか。

  • 各話、優しさを感じる面があるが、草花や虫等、小さな生物の営み、海や星それらが持つ美しさに人間が組み合わされた数々の物語に生命の儚さや脆さを感じ、胸が締め付けられるような読後感があった。

  • 人のまねの出来ない科学的発想と軽やかな描線、人を喰ったキャラ、そして真面目な生命の謎に対する探求である。社会性がほとんどない分、その射程は遠くまで届くだろう。

  • 登場人物たちが見せる潔すぎる自己犠牲に圧倒された。
    彼らは自分を犠牲にすることにまるで迷いがない。
    悲しくなる前に呆然としてしまう。
    あっけにとられつつ何か物哀しい気持ちになる、そんな短篇集。
    表題作でもある「虫と歌」は、ただただ圧倒されたくて、どっぷりと余韻に浸かりたくて、何回も読み返してしまった。

    物語にはギクッとするようなシーンが必ずあってそれがまた癖になる。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「自己犠牲に圧倒された。」
      ジャケ買いした一冊。
      何かに届かない感じが切なくて、華奢なラインなのに頑固なストーリーに魅せられました。
      「自己犠牲に圧倒された。」
      ジャケ買いした一冊。
      何かに届かない感じが切なくて、華奢なラインなのに頑固なストーリーに魅せられました。
      2013/05/23
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著者プロフィール

投稿作『虫と歌』でアフタヌーン2006年夏の四季大賞受賞後、『星の恋人』でデビュー。初の作品集『虫と歌 市川春子作品集』が第14回手塚治虫文化賞 新生賞受賞。2作目の『25時のバカンス 市川春子作品集 2』がマンガ大賞2012の5位に選ばれる。両作品ともに、市川氏本人が単行本の装丁を手がけている。

「2022年 『宝石の国(12)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

市川春子の作品

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