集英社版 日本の歴史 (1) 日本史誕生

著者 :
制作 : 児玉 幸多  林屋 辰三郎  永原 慶二 
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784081950010

作品紹介・あらすじ

旧石器時代から縄文時代をへて稲作文化の伝来に至る日本列島における歴史誕生の謎をすべてわかりやすく解説。隣接諸科学の最新のデータを駆使し、国際的視野から日本文化形成のプロセスを克明に追求した話題の書。

感想・レビュー・書評

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  • 地域史

  • 著者は植生を基盤とした文化の研究者。東日本のナラ林帯では糖質が豊富な堅果類が豊かな生活をもたらした一方で、木の実に乏しい西日本の照葉樹林帯では、縄文後期〜晩期に雑穀・根栽型の焼畑農耕が始まり、後に伝わる水田稲作を短期間で受け入れる基盤となった。

    縄文文化
    ・堅果類やイモ類はデンプンの含有量が多いが、熱と水でβデンプンの結晶を破壊してαデンプンに変える必要がある。アク抜きをするためにも、土器が必要だった。
    ・深鉢の煮炊き用土器は北方の食料採集民の土器の特徴。
    ・縄文人の摂取するカロリーの80%を植物性の食料から得ていた。堅果類の出土量が多いのは、クルミ、ドングリ、クリ、トチ。ドングリ、トチは糖質が多く、穀類に近い。
    ・食肉の9割以上はイノシシとシカが占める。
    ・水さらしによるアク抜きは、東アジアの照葉樹林帯に広く分布し、ワラビ、クズ、ヒガンバナなどを利用してきた。野生のイモ類は、東日本よりも西日本で重要だった(木の実の劣勢を補うものとして)。九州のサトイモの自生種は、中国江南地区のものと同一群に属する。
    ・照葉樹林帯では、縄文時代の前期〜中期にエゴマなどを小規模に栽培する原初的農耕が行われた。後期〜晩期には雑穀・根栽型の焼畑農耕が行われ、近世以前まで続いていた。

    ヒトとしての日本人
    ・北海道と沖縄に南方の特徴が見られ、畿内を中心に新しい特徴が広がる分布は、頭蓋計測値、耳垢の湿乾性、歯、指紋、掌紋、ATLウイルス、B型肝炎ウイルスなど多い。
    ・縄文前期以降、皮なめしによる歯の摩耗がほとんど見られなくなり、虫歯の数が増えた。堅果類のアク抜き技術が完成したことにより、タンニンを用いた皮なめしができるようになり、炭水化物の割合が増えたためと考えられる。
    ・土井ヶ浜など北九州の弥生人の頭骨計測値は、北アジアのモンゴル人や東シベリアの諸民族と酷似している。
    ・北アジア系の長身・高顔の渡来者のほかに、低顔型の渡来者による稲作文化の伝来が考えられる。

    稲作の伝来
    ・長江流域では、良渚文化につづく前期印文陶文化の時代に水田稲作農耕技術がほぼ完成した。
    ・朝鮮半島の稲作遺跡は、漢江中流の欣岩里(きんがんり/フンアムリ)遺跡と松菊里遺跡がある。欣岩里遺跡ではナラ林文化系の雑穀農耕が、松菊里遺跡では中国からの水稲稲作農耕が見られる。年代は紀元前7〜6世紀で、紀元前5〜4世紀の呉越の動乱の時期より早い。
    ・西日本の照葉樹林文化圏では、雑穀類の栽培などが定着していたため、弥生時代前期の文化は半世紀ほどの短期間で広がった。

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著者プロフィール

出席者
佐々木高明(前・国立民族学博物館館長/財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長)
野村義一(北海道ウタリ協会前理事長)
榎森 進(東北学院大学教授)
加藤一夫(静岡精華短期大学教授)
常本照樹(北海道大学教授)
大塚和義(国立民族学博物館教授)
尾本惠市(国際日本文化研究センター教授)
吉崎昌一(静修女子大学教授)

「1997年 『アイヌ語が国会に響く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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