花をたずねて吉野山 ―その歴史とエコロジー (集英社新書)

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  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087201826

作品紹介・あらすじ

今日、桜の名所として有名な吉野山だが、本来自然な山が、なぜ一面桜に覆われているのか?その理由を、吉野山が持つ意味から検証する。役小角が桜の木に刻んだと伝えられる蔵王権現。それを本尊とする金峯山寺蔵王堂は吉野山岳信仰の修験道の聖地である。他方、吉野山は、国政上の敗者が逃げ込んだ山でもあり、また天皇行幸の場、仏教修行の場としても重要な意味をもっていた。…いつ頃から、だれが、なんのために植えて、桜の山になったのか?お花見はいつ頃から始まったのか?『日本書紀』以来、桜とともに歩んできた日本の歴史、日本の文化の深層を探る。それらの分析を通じて、あわせて、日本の自然環境保護運動・環境NPOの原点を求める。

感想・レビュー・書評

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  • 昔は修験道のメッカ、信仰の山であり、政治的敗者(古人大兄皇子、大海人皇子、源義経、後醍醐天皇)が身を隠す場所だった。持統天皇は凄い頻度で吉野宮に行幸した記録がある。自然ではなく、人間の営為の美である吉野。吉野山が桜の名所になったのはいつからか?万葉・古今集の時代は桜とは結びつかなったというが。紀友則が初めてらしい。「みよし野の山辺に咲ける桜花雪かとのみぞあやまたれける」。そして、西行「身をわけて見ぬこずゑなく尽くさばやよろづの山の花の盛りを」続いて芭蕉へと辿っていく。芭蕉は「笈の小文」では一句も残さず、沈黙し、文を残したのみだという。過去の名歌の歴史の重みに見合う名句が詠めなかったということか。また、かつての花見の意味合いが今とは異なり、「見る」という行為にマジカルな、宗教色があったという。それが江戸時代から、都市の花見が「異性を見る」宴席になってきたと説く。花見を巡る日本の文化史の深さに驚き。

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著者プロフィール

鳥越 皓之(とりごえ・ひろゆき):1944年、沖縄県生まれ。東京教育大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。文学博士。関西学院大学教授、筑波大学教授、早稲田大学教授、大手前大学学長などを経て、現在は大手前大学大学院比較文化研究科教授。早稲田大学名誉教授。日本社会学会会長、日本村落研究学会会長を歴任。著書に、『水と日本人』(岩波書店)、『琉球国の滅亡とハワイ移民』(吉川弘文館)、『花をたずねて吉野山』(集英社新書)、『地域自治会の研究』(ミネルヴァ書房)などがある。

「2023年 『村の社会学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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