ヒロシマ ―壁に残された伝言 (集英社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087201925

作品紹介・あらすじ

広島市の小学校の、剥げ落ちた壁の奥に、白墨で書かれた伝言が見つかった。それはかつて原爆資料館にも展示されていた菊池俊吉氏撮影の「被爆の伝言」写真の、その原物が、二〇世紀の末になって再び人々の前に現れた奇跡の瞬間だった。著者はNHK広島放送局のディレクターとして取材を始める。一九四五年八月、辛うじて倒壊をまぬがれた袋町国民学校は、被災者の救護所として使用された。安否をたずね、消息をしらせる短い伝言。長い年月を凌いできた縁者が、初めて直に伝言に向き合う一瞬。半世紀を経て蘇る「あの日」。覇権とテロのせめぎあう時代に、改めてヒロシマを問う。

感想・レビュー・書評

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  • (2016.08.27読了)(2013.06.28購入)

    【目次】
    序章 重なった奇跡
    第一章 写真家が見たヒロシマ
    第二章 幻の姉に出会えた
    第三章 児童を探した教師たち
    第四章 新発見、迷路をたどるように
    第五章 親と子
    第六章 伝言との対面
    第七章 そして残されたもの
    終章 テロと戦争の時代に
    あとがき 三年後の出来事

    ☆関連図書(既読)
    「原爆の子(上)」長田新編、岩波文庫、1990.06.18
    「原爆の子(下)」長田新編、岩波文庫、1990.06.18
    「もはや高地なし」ニーベル・ベイリー著、カッパブックス、1960.10.15
    「ヒロシマ・ノート」大江健三郎著、岩波新書、1965.06.21
    「ヒロシマ日記」蜂谷道彦著、法政大学出版局、1975.06.30
    「空白の天気図」柳田邦男著、新潮文庫、1981.07.25
    「ひとりひとりの戦争・広島」北畠宏泰編、岩波新書、1984.08.20
    「新版1945年8月6日」伊東壮著、岩波ジュニア新書、1989.05.22
    「原爆投下は予告されていた」古川愛哲著、講談社、2011.07.27
    「黒い雨」井伏鱒二著、新潮文庫、1970.06.25
    「夏の花・心願の国」原民喜著、新潮文庫、1973.07.30
    「父と暮らせば」井上ひさし著、新潮文庫、2001.02.01
    「はだしのゲン(1)」中沢啓治著、汐文社、1984.02.01
    「夕凪の街 桜の国」こうの史代著、双葉文庫、2008.04.20
    (「BOOK」データベースより)amazon
    広島市の小学校の、剥げ落ちた壁の奥に、白墨で書かれた伝言が見つかった。それはかつて原爆資料館にも展示されていた菊池俊吉氏撮影の「被爆の伝言」写真の、その原物が、二〇世紀の末になって再び人々の前に現れた奇跡の瞬間だった。著者はNHK広島放送局のディレクターとして取材を始める。一九四五年八月、辛うじて倒壊をまぬがれた袋町国民学校は、被災者の救護所として使用された。安否をたずね、消息をしらせる短い伝言。長い年月を凌いできた縁者が、初めて直に伝言に向き合う一瞬。半世紀を経て蘇る「あの日」。覇権とテロのせめぎあう時代に、改めてヒロシマを問う。

  • 原子爆弾投下のあの日から、誰かが残した壁の伝言を辿る記録。恐ろしい熱戦と爆風で広島の街を一瞬にして地獄へと変えた一発の原子爆弾。人類史上最初で最後の核兵器による攻撃は、街とそこに住む人間の大半を消し去り、その後も何年も後遺症を残した。
    今ウクライナ戦争で核の使用をちらつかせたり、国民を疲弊させても実験を繰り返す指導者たちはこの広島の現実を知らない。いや、知らないことを願いたい。知ったうえでなおその様な考えを持っているなら、地球上から消えた方が良い。
    日本は非核三原則により、持たず作らず持ち込ませずを国家の念頭において守ってきた。一部持ち込ませずについては、時代の流れや情勢により無視されてきた事実はあっても、日本人の心にはこの三原則は破られない絶対的なルールとして深く根付いている。
    広島、長崎後の世界は二つの都市の悲しみを踏み躙るかの様に核開発を進めてきた。現在では、保有の疑いも含めると9つの国が核を兵器として保有している。勿論そこに第二次世界大戦敗戦国のドイツや唯一の被爆国日本は含まれない。現在もなお最大数を保有しているのは、アメリカとロシアだ。東西冷戦中の核対核の構造は、冷戦終結後もそのまま残っている。
    恐ろしいことに、それらは核弾頭という小型化などの技術進歩により、アメリカが日本に対して使用した戦略的な位置付けの核から、より「使いやすい」戦術的な側面を持ち始めた。こうなると単なる睨み合い・脅し合いから作戦内での実践利用の危険性は大きく高まる。万が一使用されれば、あとはこの広島や長崎と同じ状況になるだろう。指導者達はそれを、その現実を認識しているだろうか。
    昨日G7首脳が広島の平和公園で献花を捧げていた。バイデン大統領はオバマに続いて現職大統領としては2人目だそうだ。アメリカ大統領が献花する意味は、使用した当事者の意味合いでは非常に大きい事だと感じる。存命の被爆者達が許しているとは限らないし、肉親を失った人々が心の底から許せる日など永遠に来ないのかもしれない。だがそれでもなお、わかり合おうとする人々の行為には感動を覚える。
    本書は被爆直後の広島のある小学校内に描かれた、被災者達の声を辿っていくものだ。それは見つからない親族を探す言葉、家族の死を伝える言葉、生徒を探しにきた先生の言葉、自分自身の生存を伝える言葉など様々だ。その何れもが被爆に直面した人々の伝えたい・伝えなければならないという深く重たい悲しみを纏っている。
    筆者はNHKの番組ディレクターとして、それら一つ一つの言葉から、世の中に平和の大切さ、いやそれ以上に家族の愛を伝えようとする。鑑定やコンピュータ映像などの最新技術を以てしても解読の難しい文字をいとも簡単に読み解く家族。そこには目に見えるもの以上の、愛があるから伝わる・伝える何かがあるのだろう。
    本書執筆に際して、老朽化した建物取り壊しを前に、ヒロシマの伝言として有名な写真を発掘して遺したい筆者の強い想いが伝わってくる。これまでに見つからなかった言葉の発見や剥がされた塗装の下から甦ってくる言葉達。市民への呼びかけを通じて集まってくる情報。執筆当時はアメリカ同時多発テロから間もない時期であったため、それらテロと広島の違いと共通点。様々な角度から一つのメッセージに迫っていく過程に時に涙し、時に深く考えさせられる。
    本書が書かれてから10年以上が経過し、実際に体験した人も残念ながら徐々に減りつつある。私は戦後生まれで原爆も戦争の恐ろしさも実体験として理解する事はできない。今後も恐らくは平和のうちに生涯を終わるだろう。戦争の記憶を誰かが残す事も必要だし、それに触れて平和について考える事はもっと必要だ。
    今この瞬間広島に集まっている世界の首脳だけでなく、モスクワや平壌、テヘランに伝えたい。伝わってほしい。それをリアルに聴ける時間ももうあまり残されていない。

  • この伝言を取り上げたNHKの番組を見た記憶がある。

  • およそ10年前、広島で発見された小学校に残された原爆投下時、家族を捜す「伝言」の文字。
    それを取材した時のドキュメント。
    今、一緒に仕事をさせてしている上司の本ということで読んだのだが、戦争を知らない世代の私でも非常に感動した。
    同じディレクターとしていろんな意味で悔しさもあり・・・反省もした1冊。
    ただ純粋に内容には感動した。

  • 日本の歴史にはあまり深く触れてこなかったが、広島という街に根付くヒロシマを感じることができた。
    8月6日からも時間は進み、残された人々は悪夢のような時間を過ごしながら、人を探し、懸命に生きていた。
    その事実、現状は自分の想像をはるかに超える状況であった。
    過酷という言葉は全く表現するようのには足りない。

    しかし壁に残された伝言の言葉から人々の心の散らばったパズルのピースをはめ合わせるような力を持っていたことが衝撃であり、何も残らずに亡くなってしまった方の遺族の方々にとっては何にも変えがたい文字であったことが非常に印象に残った。

  • 戦争体験を伝え繋ぐ、平和を訴える被災者が減っていく。そういったもの以前に、戦争自体にすら若者は興味を持っていないという事。
    平和の国と掲げるには、あまりに私たちが無知であるという事。
    形あるものは姿を変え、形を失い、永遠にそこにある訳ではないという事。

  • [ 内容 ]
    広島市の小学校の、剥げ落ちた壁の奥に、白墨で書かれた伝言が見つかった。
    それはかつて原爆資料館にも展示されていた菊池俊吉氏撮影の「被爆の伝言」写真の、その原物が、二〇世紀の末になって再び人々の前に現れた奇跡の瞬間だった。
    著者はNHK広島放送局のディレクターとして取材を始める。
    一九四五年八月、辛うじて倒壊をまぬがれた袋町国民学校は、被災者の救護所として使用された。
    安否をたずね、消息をしらせる短い伝言。
    長い年月を凌いできた縁者が、初めて直に伝言に向き合う一瞬。
    半世紀を経て蘇る「あの日」。
    覇権とテロのせめぎあう時代に、改めてヒロシマを問う。

    [ 目次 ]
    序章 重なった奇跡
    第1章 写真家が見たヒロシマ
    第2章 幻の姉に出会えた
    第3章 児童を殺した教師たち
    第4章 新発見、迷路をたどるように
    第5章 親と子
    第6章 伝言との対面
    第7章 そして残されたもの
    終章 テロと戦争の時代に
    あとがき 三年後の出来事

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 2011/8/24読了。

    原爆投下直後に書かれ、いくつもの偶然が重なったことで長期間を経て再び我々の眼前に姿を現した伝言の数々は、単なる伝言としての意味の何十倍もの意味を持ったものとなっていた。広島の原爆資料館を訪れた直後に読んだことで、2つの視点から8/6の出来事を見ることができた。
    広島で幼少期を過ごし、平和教育を受けて育った身ということもあるが、その地で起こったことを日本中・世界中の人に知ってもらいたい、そして考えてもらいたいと強く感じる。

  • 広島市内の小学校の建て替え工事中に偶然見つかった文字痕。それは原爆が落とされ、混乱の渦の中で書き残された多くの伝言だった。小学校の壁にチョークで記されたその痕に壮絶な時の姿が目に浮かぶ。残された一つ一つの伝言には家族を探し彷徨った悲痛な叫びが聞こえてくる。

  • amazonで1円で手に入れたら、またまた著者のサイン入り本だった。

    著者はNHKのディレクターで井上恭介さん。2000年NHKスペシャル「オ願ヒ オ知ラセ下サイ~ヒロシマ・あの日の伝言~」、2001年ハイビジョンスペシャル「オ願ヒ オ知ラセ下サイ~ヒロシマ『被爆の伝言』」と言う番組を構成された方で、本書はその取材で知りえたことをまとめたものである。

    1999年に広島の小学校の剥げ落ちた壁から、チョークで書かれた伝言が見つかった。その伝言に書かれた名前から本人を探し出していく過程で出会った様々人たちのことが書かれている。

    その小学校は爆心地から460m離れた場所にあり、当時建てられたばかりのコンクリート校舎で地下室から水洗トイレまであったらしい。頑丈に作られていたので、このあたりでこのコンクリート校舎だけが残ったそうだ。被爆した人たちが雨露をしのぐためにこの校舎に集まり、病院代わりにもなっていたと言う。当然電話も何もないので、肉親を捜し求めてきた人たちは、散らばっていたチョークで壁に伝言を書き残した。それが20世紀の終わりに、剥がれ落ちた壁の下から出てきたのだ。

    伝言を書かれた当事者や、そこに書かれている名前の方はもう鬼籍に入っている方がほとんどだったが、家族の方がその文字を見て、「出会えた」と言って涙する場面では、そんな文字にさえ家族の愛を感じる不憫さに胸がかきむしられる思いだ。

    NHKで再放送があれば是非観たい番組だ。

    しかし、平和式典に参加するやつは左翼ばかりで、被爆者はいないだとか、そんな発言する輩がいるが、こんなことに右翼だとか左翼だとか関係あるのだろうか・・・。

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著者プロフィール

1964年北海道生まれ。東京大学法学部第2類卒。87年NHK入局。静岡局放送部、報道局特報部、NHKクリエイティブ、NEP21、報道局番組部などを経て、現在はコンテンツ開発センター。NHKスペシャル『故宮・第6集、第12集』の制作・執筆のほか、NHKスペシャル『資本主義はどこへ行くのか~マネーの時代の選択』『ポル・ポトの悪夢』『オ願ヒオ知ラセ下サイ~ヒロシマ・あの日の伝言』などを制作。

「2022年 『ポル・ポトの悪夢』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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