ご臨終メディア ―質問しないマスコミと一人で考えない日本人 (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087203141

作品紹介・あらすじ

政治家の番組制作現場への介入、およびディレクターの製作費着服等で浮き彫りになったNHKの腐敗。そして、日本テレビの視聴率操作問題や、過剰なまでの自主規制。堕落した大手メディアの根底には何があるのか。本書は、「質問しない」「見せない」「懲罰機関化」という3つのキーワードを中心に、新聞・テレビの機能不全を網羅的に検証しながら、抗議を恐れる優等生が垂れ流す報道と、一般市民の善意による共同正犯の関係に、鋭く切り込んでいく。不気味な「世間」に誘導されない想像力を養う、元気モリモリ画期的メディア練習帳。

感想・レビュー・書評

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  • テレビや新聞などで伝えられる情報。その裏には必ず伝えられていない情報があるということ、むしろそちらの方が重要である。
    力を持っているものと思われるものを、盲信してしまっている状態がご臨終と言える。
    かといって、Twitterやブログの情報を巧い利用の仕方を知らない自分、もっと勉強しなければいけません。

  • いろいろとメディアに対する考え方を変えられた一冊

    特に「情報の質を最終的に判断するのは客観的な論理ではなく、
    主観的な情動なのです」ってところ。
    この本を読むまでずっとニュースは客観的なものだ!
    って思い込んできたけど、
    そもそもそんなことは不可能なのだと気づかされた。
    確かに客観的を“めざす”ことはできる、
    しかし、実際はそのニュースを書いている記者の主観も、
    そのニュースを放送することを選択した放送事業者の主観も
    少なからず入っているのだ。
    そう考えたほうが、きっとニュースは読みやすい。

    そのほか、文章は全体的にマィノリティの視点から書かれていて、
    私たちは気づかないうちに少数派に対して
    傲慢な態度をとっていたりして、はっとさせられたり…
    あとはニュース価値は誰が決めるのかとかの話も興味深い!

    放送が“送りっ放し”にならないための提言がしっかりなされていて
    なおかつ痛快で読みやすい!本当にオススメの本です!

  • 帯にはこうある「抗議が怖い」「視聴率が欲しい」。まさにこれがTVを中心にした現状なのでしょう。その結果が今の面白くないどこの局も同じ内容のニュース、同じ映像そこに現れていると分からせてくれる一冊です。そして副題の「質問しないマスコミと一人で考えない日本人」であることを教えてくれます。
    情報過多の現在。無知でないと人は言うかもしれません。でも無知とは「疑問を発せられない状態」とも言います。そこに今の人々はそれこそ知らずになっているのでしょう。
    一人ひとりがそこに気付くだけで良い方向へ向かうんだと思うんです。共感しなくてもいいから読んで見て欲しいですね。著者の二人を毛嫌いする人も多いですが。
    特に1995年をリアルに経験していた世代には!

  • [2012.その17]マスコミの報道のあり方にグサグサと切り込んだ意見が書かれている。
    マスコミ側の「かれら」と「われわれ」という位置づけや線引きに、気づかないうちに社会がまとめられていると、はっと気づかされた気がする。
    思考停止していることにまず気づかなければ。

  • メディアが報じる一つ一つの事に、反論を試み、また自分がどう感じているか?注意深くしていかないといけないと感じた。

  • 07年に森さんがゲスト講師でされた話を思い出した。

    基本的に同じテーマの話が繰り返されている。
    ところどころ笑えて面白い。


    顔が「迷惑防止条例」違反でケンキョされてもおかしくない(笑)。
    顔だけで言えば、僕たちもぎりぎりかもしれない(笑)。

    とかふいた・・・

  • 「質問しない」「見せない」「懲罰機関化」。最近また大きな不祥事が発覚したみたいですが、このキーワードを軸にして物事を考えてみると、また違ったものが浮かび上がってくるのではなのでしょうか?

    あとでこちらのほうにもアップしますけれど、今僕は森達也の『A2』と『A3』を読んでいましてね。結構これが長くてなかなか進まないんですが、もう少ししたら読み終わりますんで、そのときはまたよろしくお願いします。ここに記録されている対談も自身のオウム(現在はアーレフ)への取材と、それを映像・書籍化した『A』を中心としたメディア論と日本人論なんですが、ここに書かれていることのほとんどは基本的にはマスメディアにのることはないでしょう。それくらいカゲキなことを言い合っています。

    彼らが忌避しているテーマばっかりですもの。でも、こういう本を読んでいると考えさせられますよね。何がタブーなのか? 規制している人たちは誰なのか?って。日頃漠然と見ていたテレビのバラエティやニュースの語り口や切り口が以下に『紋切り型』であるか、そんなこともつづられていますので、流されて生きるのがもし嫌で自分で考えるしかない、という方にはぜひ読んでいただきたいなと
    思っています。

    最近、また大きな不祥事が起こりましたが、この本を元に考察する、というのもなかなかオツなものです。

  • 世論とメディアの相互依存関係、無知とは疑問を発せられない状態を指す。わたしは情報の良い受け手であるだろうか?健全な批判精神を養いたいと思った。そして「虐待、拷問」「テロ、レジスタンス」の例に見られる、メディアの言葉に対する作為や意図の欠落、無自覚性は本当に罪だと改めて思う。言葉に最も敏感でなければならないはずなのに。
    「まず"われわれ"と"かれら"を分けた。あとは、簡単だった」のフレーズがとても心に残っている。他者への想像力の喪失が生む暴力、という仕組みをこれほど上手く言い表した言葉をわたしは他に知らない。

    森達也の主張は「戦争の世紀を超えて」で表されていたことと全く変わらない。読み物としては新鮮みを失うけど、ブレないなぁと感嘆する。

    覚えておくべきだと思ったこと。
    ・国際法上認められた二つの戦争がある。弱い国が攻撃されたときの集団的自衛の戦争。自国を侵略された場合のレジスタンス。テロに屈しない、はおかしい。それはテロではなくレジスタンスだから。

  • オウム真理教を描いた映画『A』『A2』のドキュメンタリー作家である森氏と、博打打ち好きのジャンル横断的異色作家である森巣氏の対談をまとめたもの。

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    出版から5年以上経過していますが、残念ながら現状の日本のマスメディアは、本書が語る当時(2005年)の状況からほとんど変わっていないと思います。

    よって下記に引用した森巣氏による発言の一部:
    「質問する能力を奪い、自己の保身しか考えていない権力。質問もしない、報道もしないメディア。」
    これは今でも正しいかと。

    ただ、その次の部分:
    「考えない、抗議しない私たち。そこを崩すためにも、メディアには多様な情報を伝える義務がある。」
    に関しては変化が見え始めているのではないでしょうか。

    ここで森巣氏の言う「メディア」というのはマスメディアを指していますが、いずれにせよtwitterやUSTREAM、youtube、そしてニコニコ動画などの新しいメディアを通して、マスメディアに限定されない多様な情報に私たちが接触できる機会が生まれていることは確かです。と同時に、私たちも積極的に自分たちの考えなどを情報発信することが可能です。

    今年もその流れは止まらない、というかむしろ加速しそうなので、その状況を受けてマスメディアはどう変わっていくのか?そして、私たちはマスメディアをどう変えていくのか?

    是非このお二人にはまた対談して頂きたいです。

  • 友人から薦められ、読んだ本。
    自称映像作家 森達也と、
    自称博打打ち 森巣博の両名による対談、という構成。
    最初から最後まで、ぶーたらしゃべくってる感じです。

    森達也の代表作『A』を観たひとなら、きっとこの本も
    楽しく読めるかと思います。というのも、本書において
    報道の不健全性の象徴としてたびたび取り上げられる
    オウムをめぐるメディア観は、この映画を見ていないと
    なかなかイメージがつかないから。
    ほら僕ら、95年のことなんて、年齢的にサッパリ覚えちゃいないでしょ?

    いい言葉、いい指摘、いい考え方が、
    権力への恐れをしらぬ(?)両名からたくさん出てきたわけなんだけども、
    特にキーワードだと思ったのが「スタンピード」。
    「動物などの集団がささいなことをきっかけに、どっと同じ方向に走り出すこと」的な意味のこの言葉なんだけど、この言葉で、現代日本にはびこる「思考放棄」の傾向に警鐘を鳴らしているわけ。
    自戒を込めて思うのは、「世の中、他人に流されやすい人は多いんだろうなぁ」ということ。他人に流されることが魅力的に思えてしまうような、そんな世の中になりつつある、というふうにも言えると思う。こんなに情報が溢れている社会、「虎の威を借る狐」よろしく、他人のできあいの思想・言葉で表現したほうがよっぽど楽ですからね。(…ちなみにこのくだりも『日本辺境論』(内田樹=刊)からの拝借というアイロニー。でもこれは、熟慮した結果の記載って判断だということを注釈。)まぁでも、「アイデンティティなんてそんなことの繰り返しで出来上がっていくんじゃなかろうか」と思う自分もいて、そこはなかなか煮え切らぬ、線引きが難しい部分なんですが。

    権力とメディア、イデオロギーによる伝わり方、メディアの本来的なあるべき姿、等々。国内メディアと外国メディアの比較などを通し、メディアに関するあれこれを割と網羅的に学べる新書ではあったかと思います。

    刊行が5年前だから少し古いけど、内容から、
    「いまもむかしも、メディア体制は何も変わっちゃいないんだろな」という風に感じさせる、怖い本でした。

    なんか若干グダっている部分があったし、数字的な実証感は少ないので、その点がマイナス1★。

    【記】しみず
    【在処】自宅

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著者プロフィール

森 達也(もり・たつや)
1956年、広島県呉市生まれ。映画監督、作家。テレビ番組制作会社を経て独立。98年、オウム真理教を描いたドキュメンタリー映画『A』を公開。2001年、続編『A2』が山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。佐村河内守のゴーストライター問題を追った16年の映画『FAKE』、東京新聞の記者・望月衣塑子を密着取材した19年の映画『i-新聞記者ドキュメント-』が話題に。10年に刊行した『A3』で講談社ノンフィクション賞。著書に、『放送禁止歌』(光文社知恵の森文庫)、『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』『職業欄はエスパー』(角川文庫)、『A2』(現代書館)、『ご臨終メディア』(集英社)、『死刑』(朝日出版社)、『東京スタンピード』(毎日新聞社)、『マジョガリガリ』(エフエム東京)、『神さまってなに?』(河出書房新社)、『虐殺のスイッチ』(出版芸術社)、『フェイクニュースがあふれる世界に生きる君たちへ』(ミツイパブリッシング)、『U 相模原に現れた世界の憂鬱な断面』(講談社現代新書)、『千代田区一番一号のラビリンス』(現代書館)、『増補版 悪役レスラーは笑う』(岩波現代文庫)など多数。

「2023年 『あの公園のベンチには、なぜ仕切りがあるのか?』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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