ご臨終メディア ―質問しないマスコミと一人で考えない日本人 (集英社新書)
- 集英社 (2005年10月14日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087203141
作品紹介・あらすじ
政治家の番組制作現場への介入、およびディレクターの製作費着服等で浮き彫りになったNHKの腐敗。そして、日本テレビの視聴率操作問題や、過剰なまでの自主規制。堕落した大手メディアの根底には何があるのか。本書は、「質問しない」「見せない」「懲罰機関化」という3つのキーワードを中心に、新聞・テレビの機能不全を網羅的に検証しながら、抗議を恐れる優等生が垂れ流す報道と、一般市民の善意による共同正犯の関係に、鋭く切り込んでいく。不気味な「世間」に誘導されない想像力を養う、元気モリモリ画期的メディア練習帳。
感想・レビュー・書評
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テレビや新聞などで伝えられる情報。その裏には必ず伝えられていない情報があるということ、むしろそちらの方が重要である。
力を持っているものと思われるものを、盲信してしまっている状態がご臨終と言える。
かといって、Twitterやブログの情報を巧い利用の仕方を知らない自分、もっと勉強しなければいけません。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
いろいろとメディアに対する考え方を変えられた一冊
特に「情報の質を最終的に判断するのは客観的な論理ではなく、
主観的な情動なのです」ってところ。
この本を読むまでずっとニュースは客観的なものだ!
って思い込んできたけど、
そもそもそんなことは不可能なのだと気づかされた。
確かに客観的を“めざす”ことはできる、
しかし、実際はそのニュースを書いている記者の主観も、
そのニュースを放送することを選択した放送事業者の主観も
少なからず入っているのだ。
そう考えたほうが、きっとニュースは読みやすい。
そのほか、文章は全体的にマィノリティの視点から書かれていて、
私たちは気づかないうちに少数派に対して
傲慢な態度をとっていたりして、はっとさせられたり…
あとはニュース価値は誰が決めるのかとかの話も興味深い!
放送が“送りっ放し”にならないための提言がしっかりなされていて
なおかつ痛快で読みやすい!本当にオススメの本です! -
[2012.その17]マスコミの報道のあり方にグサグサと切り込んだ意見が書かれている。
マスコミ側の「かれら」と「われわれ」という位置づけや線引きに、気づかないうちに社会がまとめられていると、はっと気づかされた気がする。
思考停止していることにまず気づかなければ。 -
07年に森さんがゲスト講師でされた話を思い出した。
基本的に同じテーマの話が繰り返されている。
ところどころ笑えて面白い。
顔が「迷惑防止条例」違反でケンキョされてもおかしくない(笑)。
顔だけで言えば、僕たちもぎりぎりかもしれない(笑)。
とかふいた・・・ -
「質問しない」「見せない」「懲罰機関化」。最近また大きな不祥事が発覚したみたいですが、このキーワードを軸にして物事を考えてみると、また違ったものが浮かび上がってくるのではなのでしょうか?
あとでこちらのほうにもアップしますけれど、今僕は森達也の『A2』と『A3』を読んでいましてね。結構これが長くてなかなか進まないんですが、もう少ししたら読み終わりますんで、そのときはまたよろしくお願いします。ここに記録されている対談も自身のオウム(現在はアーレフ)への取材と、それを映像・書籍化した『A』を中心としたメディア論と日本人論なんですが、ここに書かれていることのほとんどは基本的にはマスメディアにのることはないでしょう。それくらいカゲキなことを言い合っています。
彼らが忌避しているテーマばっかりですもの。でも、こういう本を読んでいると考えさせられますよね。何がタブーなのか? 規制している人たちは誰なのか?って。日頃漠然と見ていたテレビのバラエティやニュースの語り口や切り口が以下に『紋切り型』であるか、そんなこともつづられていますので、流されて生きるのがもし嫌で自分で考えるしかない、という方にはぜひ読んでいただきたいなと
思っています。
最近、また大きな不祥事が起こりましたが、この本を元に考察する、というのもなかなかオツなものです。 -
世論とメディアの相互依存関係、無知とは疑問を発せられない状態を指す。わたしは情報の良い受け手であるだろうか?健全な批判精神を養いたいと思った。そして「虐待、拷問」「テロ、レジスタンス」の例に見られる、メディアの言葉に対する作為や意図の欠落、無自覚性は本当に罪だと改めて思う。言葉に最も敏感でなければならないはずなのに。
「まず"われわれ"と"かれら"を分けた。あとは、簡単だった」のフレーズがとても心に残っている。他者への想像力の喪失が生む暴力、という仕組みをこれほど上手く言い表した言葉をわたしは他に知らない。
森達也の主張は「戦争の世紀を超えて」で表されていたことと全く変わらない。読み物としては新鮮みを失うけど、ブレないなぁと感嘆する。
覚えておくべきだと思ったこと。
・国際法上認められた二つの戦争がある。弱い国が攻撃されたときの集団的自衛の戦争。自国を侵略された場合のレジスタンス。テロに屈しない、はおかしい。それはテロではなくレジスタンスだから。 -
オウム真理教を描いた映画『A』『A2』のドキュメンタリー作家である森氏と、博打打ち好きのジャンル横断的異色作家である森巣氏の対談をまとめたもの。
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出版から5年以上経過していますが、残念ながら現状の日本のマスメディアは、本書が語る当時(2005年)の状況からほとんど変わっていないと思います。
よって下記に引用した森巣氏による発言の一部:
「質問する能力を奪い、自己の保身しか考えていない権力。質問もしない、報道もしないメディア。」
これは今でも正しいかと。
ただ、その次の部分:
「考えない、抗議しない私たち。そこを崩すためにも、メディアには多様な情報を伝える義務がある。」
に関しては変化が見え始めているのではないでしょうか。
ここで森巣氏の言う「メディア」というのはマスメディアを指していますが、いずれにせよtwitterやUSTREAM、youtube、そしてニコニコ動画などの新しいメディアを通して、マスメディアに限定されない多様な情報に私たちが接触できる機会が生まれていることは確かです。と同時に、私たちも積極的に自分たちの考えなどを情報発信することが可能です。
今年もその流れは止まらない、というかむしろ加速しそうなので、その状況を受けてマスメディアはどう変わっていくのか?そして、私たちはマスメディアをどう変えていくのか?
是非このお二人にはまた対談して頂きたいです。