人間の安全保障 (集英社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087203288

作品紹介・あらすじ

安全が脅かされる時代に、最も求められている「人間の安全保障」-紛争や災害、人権侵害や貧困など、さまざまな地球的規模の課題から、人々の生命、身体、安全、財産を守ることをいう。著者のセン博士は、二〇〇一年に設置された「人間の安全保障委員会」の議長を緒方貞子氏と共に務め、アジアで初めてのノーベル経済学賞受賞者である。本書は、今や流行語のようにもなっている「人間の安全保障」について、セン博士が、人間的発展、人権と対比しながら、その本質を語る小論集。グローバル化や、インドの核武装についての論考も必読。

感想・レビュー・書評

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  • 人間の安全保障、それは国家の安全保障のような平和等の観点ではなく、人間の生活を脅かすさまざまな不安を減らし、可能であればそれを排除することが目的である。 基礎的教育を受けられないこと、平和を脅かされること、人権を侵害されることなど。 環境問題に対して持続可能な社会が叫ばれていることと同様に、人間の自由も持続可能な社会を目指していかなければならない。 本書は大変に難解であり、容易に理解することはできない。 ただし、一人の人間として生きていく上では非常に重要な考えだ。

  • 小論文対策推薦図書 国際関係

  • 人権に関わる基本的な話(例:西洋が全てのスタンダードを作ってきたわけではない、環境の話云々、戦争が根本的に効率が悪い、核製造による抑制効果は期待できない、などなど)が広く浅く書かれているので一読の価値あり。
    ただ、話の軸になる話題というか一貫性が読み取りにくいので話が入ってきにくい。

  • 1.この本を一言で表すと?
    ・「人間の安全保障」についての種々の論考をまとめたエッセイ集

    2.よかった点を3〜5つ
    ・ 人間の安全保障についてのポイント
    1. 「個々の人間の生活」に、しっかり重点をおくこと。
    2. 人間が、より安全に暮らせるようにするうえで、「社会および社会的取り決めの果たす役割」を重視すること。
    3. 全般的な自由の拡大よりも、人間の生活が「不利益をこうむるリスク」に焦点を絞ること。
    4. 「より基本的な」人権(人権全般にではなく)を強調し、「不利益」に特に関心を向けること。 (p23)
     →通常の「人権論」や「自由論」よりも範囲を絞り込んだものとして考えている

    ・民主化が西洋化と同じではない理由
     →民主主義は単に公開選挙が実施されることをさすのではなく、「公共の理性の実施」こそが民主主義の本質。民主主義は決して万能ではなく欠陥があり、市民全体での議論を通じて更なる民主主義を求めるべきである。非寛容で曖昧な文化基準で他国や他地域を見てはならないという戒め。

    ・インドと核爆弾
     →インドとパキスタンの不和と核所持の関係について、両方核を保有しているが、核の抑止力は実際には働いていないことなどが印象に残った。

    2.参考にならなかった所(つっこみ所)
    ・ 環境が悪化して、未来の世代が新鮮な空気を呼吸する機会を奪われるとします。未来の世代はそれでも、他の面できわめて快適な環境にいるので、彼らの生活水準全般は十分に持続されていることになります。(p192)
     →生活水準(経済的指標)が低下しない場合でも倫理面からみて社会的選択に著しい欠陥がある場合、自由は損なわれているのと同意ということらしいが、あまり納得できない。持続可能な環境とは何?環境悪化は2000年前と比較すれば既に大幅悪化している。どのレベルを目指すのか?
    ・聖徳太子の17条の憲法はマグナカルタにも似た精神だというが、マグナカルタは17条の憲法を参考にしたのだろうか?

    3.実践してみようとおもうこと
    ・特になし

    5.全体の感想・その他
    ・「民主化が西洋化と同じではない理由」はアジア人でなければ書けない視点
    ・内容はかなり抽象的な話が多い
    ・サミュエル・ハンチントンを批判的に見ているのが面白い

  • 貧困の克服に続き、こちらも読破。
    原文がCollected Essaysというタイトルのようで、その名の通り、理論というよりは理想を語っているものか。非常に豊富な知識に裏付けられた話だと思うが、様々な事例から一般化された考え方に疑問を投げかけられている。学術としては、類似点を抜き出し、そこから一般化を測るものと認識していたが、どうなんだろうと思わなくもなかった。非常に高い理想を持っており、言葉の一つ一つは非常に染み入るが、残念ながら現実の人間はそこまで素晴らしくないようにも思える。

    P.37 <人間的発展>という考え方は、先見の明ある経済学者フーブブル・ハクが、国連開発計(UNDP)の後ろ盾を得て提唱したものであり、これまでに多くの文献を充実させてきました。この考え方はとりわけ、発展にたいする関心のもち方を変える上で役に立ちました。従来は利便性のあるモノをふやすことに、たとえば国内総生産や国民総生産に反映されるような商品の生産に偏りすぎていた人びとの目を、人間の生活の本質と豊かさに向けさせたのです。人間の生活はいくつもの要因から影響を受けていますし、商品の生産はそうしたものの一つにすぎないからです。
    <人間的発展>の目的は、人間の生活に制限や制約を加えたり、その開花をさまたげたりするさまざまな障害物を取り除くことです。

    P.75 アンソニー・アッピア [ガーナの哲学者]が述べたように、「植民地がイデオロギー面で自立するにあたって、内部の『伝統』と外部からの『西洋の思想』のいずれかを無視すれば、失敗に終わるはめになる」のです。

    P.101 強力な武器がはたして国力を高めるのか、あるいはどの程度その効果があるのか、という疑問は古くから存在します。それどころか、核武装の時代が到来するはるか以前から、ラビンドラナート・タゴール[インドの詩人・思想家。アジア初のノーベル文学賞受賞者]は、軍事力がもたらす効果を疑問視していました。一九一七年にタゴールはこう述べています。ある国民が「権力を求めるあまり、心を犠牲にして武器を増強させるなら、より危険な目におちいるのは敵ではなく自らである」、と。タゴールはマハトマ・ガンディ[インド独立の父]のように徹底した平和主義者ではありません。

    P.177 孤立した社会の中で、完全に「正常」で「良識ある」ものだと思われている慣習でも、幅広い根拠にもとづいて、あまり制約を受けないかたちで検証されると、生き残らないかもしれません。本能による偏狭な反応がひとたび批判的な精査に代わり、世界各地の慣習と規範にさまざまな違いがあることがよく認識されるようになった場合はそうなるでしょう。
    一定の「距離」をおいた精査は、さまざまな慣習を検討するうえで何かしら役立つのではないでしょうか。それは、たとえば、タリバン政権下のアフガニスタンで姦通女性にたいする石たたきの刑から、アメリカの一部の州で(ときに大衆に歓迎されながら)、死刑が頻繁に執行されていることまで、実に多様な慣習が対象となります。これこそ、アダム・スミスが「刑罰が確かに構成か」どうかを知るために、「他の人間の目」に照らしてみなければならないと主張したような問題なのです。結局、道徳面からの批判的な精査のためには、「他人の目で[私たちの感情と信念を]観察する、あるいは他人がそれらを眺めるであろう方法を心がける」必要があるのです。

    P.182 世界が協調して行動を起こす必要性については、一九八七年に力強くアピールされました。それは、グロ・ブルントラント[ノルウェー初の女性首相]の率いる、環境と開発に関する世界委員会[国連環境計画の特別委員会]が作成した、「われら共通の未来」という先駆的な宣言のなかでした。ブルントラント報告書は持続可能な発展を、こう定義づけています。
    「未来世代の要求に応える能力を損なうことなく現在世代の要求を満たす」ことだ、と。

    P.188 「私たちの生活水準は、ニシアメリカフクロウがいてもいなくても、ほとんどーあるいは、まったくー影響されません。けれども、彼らを絶滅させるべきではないと、私は固く信じています。その理由は、人間の生活水準とは特に関係がありません」
    ゴータマ・ブッダ(釈迦)も『スッタニパータ』[仏教の聖典]で同様の指摘をしています。人間は他の生物よりはるかに能力があるので、この力の不均衡によるなんらかの責任を彼らにたいして負っている、というものです。ブッダはさらに、子にたいする母親の責任をたとえに引いてこの点を協調しています。それは母が子に生を授けたからではなく(今回の議論でこの点は引き合いにだされていませんが)、母親なら誰でも自分の子供のじんせいに、よい意味でも悪い意味でも影響を与えることができ、子供本人にはそれができないからだ、と説きました。この考え方からすれば、子供の面倒を見なければならない理由は、生活水準とは関係がなく(ほぼ間違いなくそれからも影響を受けますが)、むしろ、私たちの能力に応じた責任が関係しているのです。環境保護活動についてはさまざまな理由があります。しかし、そのすべてが生活水準に関連sひているわけではありません。なかにはまさに、私たちの価値観と受託者責任[他人の信頼を得て行動する者の責任]にかかわる理由もあるのです。

  • 「頭のいい人」って、答えではなく問いかけの質がちがう点がよくわかった一冊。

    あとインドってどちらかというと英語圏なので、インド文化と英語による教育のミックスな人というのも感じられる。

    例えば、グローバリズムの問題点は?という問いは、「賛成vs反対」という立場を軽々と乗り越えて新たな問いかけをする。そうした時に、物事を「わかりやすく説明する」のではなく、自身の考えを表明することを通して「伝える」行為に重点を置く。

    前半は『貧困の克服』の繰り返しに近いが、後半はベンサム、ハート、ロールズ、アダム・スミスから聖徳太子まで、様々な思想への自身の考えを「伝える」ことに専念しているので、先に『貧困の克服』を読んだ自分にとっては、後半が圧倒的におもしろかった。

  • 景気をよくすることよりも、景気が悪くなったときに悲惨な状況に追い込まれる人あるいはそこから抜け出す術をもたない人をつくらないようにすることに、人々は頭を使うべきではないか。様々な思い込みによって我々の議論が要となる事柄からはずれ流れていく中、アマルティア・センの姿勢はブレない。そして錯綜した議論を見事に整理し、何が大切かを示してみせる。「賢人」という言葉が思い浮かんだ。

  •  すげー本ですよ。「1+1=2」がなぜそうなるかというのが数学の根本にある問いだとしたら、「人権」というものがなぜなくてはならないものか。そーいうことを正面から、とつとつと語りかけてくるなんて本、そんなにナイですよ。
     だから、おもしろいかおもしろくないかは、どこまで「1+1」に関心があるかで決まるという当たり前の話。すみません、オレはそこまで心がけよくなかったっぽい。
     でも、個別の話としてはおもしろい話もいっぱい。民主化と西洋化は同じじゃない。民主主義の源泉がヨーロッパにしかないというのは間違いで、世界中の歴史にその萌芽があり、各国ではそれぞれ自国の「話し合って決めましょう」という伝統を大事にしなきゃいかんのよ、なんて話はすっごく面白かった。
     センという名前はよく聞くけどどーいう人なんだろうとか、人間の安全保障ってナニソレとか、そーいう興味で読み始めたものだったので、所期の目的は十分達したと思う。

  • すべてに同意できる。表だって否定できる人はいないだろう。だけど世界は放置されている。そこに切り込まねばならない。

  • 今後を考える上で標となる一冊

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著者プロフィール

1933年、インドのベンガル州シャンティニケタンに生まれる。カルカッタのプレジデンシー・カレッジからケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジに進み、1959年に経済学博士号を取得。デリー・スクール・オブ・エコノミクス、オックスフォード大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス、ハーバード大学などで教鞭をとり、1998年から2004年にかけて、トリニティ・カレッジの学寮長を務める。1998年には、厚生経済学と社会的選択の理論への多大な貢献によってノーベル経済学賞を受賞。2004年以降、ハーバード大学教授。主な邦訳書に、『福祉の経済学』(岩波書店、1988年)、『貧困と飢饉』(岩波書店、2000年)、『不平等の経済学』(東洋経済新報社、2000年)、『議論好きなインド人』(明石書店、2008年)、『正義のアイデア』(明石書店、2011年)、『アイデンティティと暴力』(勁草書房、2011年)などがある。

「2015年 『開発なき成長の限界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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