- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087206432
作品紹介・あらすじ
1910年、名もなきイギリス人女性が、満州と朝鮮を旅した。それはまさに大日本帝国による朝鮮併合の瞬間でもあった-。本邦未訳のそのE・G・ケンプの「幻の紀行文」を手にした著者は、一世紀後、彼女が辿ったルートを再訪する。そこで見えてきたものとは?英米圏を代表する日本研究者が、北朝鮮で生きる人々の日常を鮮やかに描出し、北東アジア地域が経験した100年間の意味に思いを馳せる。イザベラ・バードの古典的名著『朝鮮紀行』にも比すべき、貴重な歴史記録。
感想・レビュー・書評
-
朝鮮半島が日本に併合された頃、エミリー・ケンプという女性がこの大陸の玄関口のような地を訪ねて紀行文を残した。日本近代史専攻で、在日コリアンの帰国事業の著書があるテッサ・モーリス-スズキがケンプの足跡をたどった。
イザベラ・バードみたいな人が他にもいたわけで、この著者も含めて、いずれも女性なのが少し興味深い。
北朝鮮に入るとどうしてもガイドみたいな監視がつく。いや、監視のためのガイドか。いずれにしても、昨年出た柳美里の本もそうだが、そのガイドとの対話が、このよく知られていない国の扉になる。そのやりとりが、その扉の向こうは見えないまでも、「におい」を感じさせるようだ。
旅行記は、事実を踏まえながら北を極度に非難することなく、淡々と書かれている。同行者の北朝鮮でのスケッチもちょっとしたアクセント。
ソウル、釜山の旅も収録している。やはり北朝鮮では金剛山がメインのスポットみたいだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
入荷先:目黒区立大橋図書館(DT02)
お師匠の最新刊であると同時に、集英社新書のサイトで連載されていた企画の書籍化作品でもある。
日本による韓国「併合」の前後に朝鮮半島を旅したヨークシャーの女性の旅行記を基に、100年のときを超えてもう一度旅をしようと思い立ったことが前提となっているのだが、100年経た今もなお政治対立が横たわりながらの旅になり、かつ当時のルートをまったくたどることができない中での旅行を通しての思索である。基本的には旅行記の文体である。そこには思想もバイアスもない。あるとすれば、丹念に読み込まざるを得ないヨークシャーの女性の旅行記(テッサ曰くこの本は持ち込めなかったという)、姉が描いているスケッチの数々であろうか。
彼女は本書以前から「真摯さ」を重要なテーマに据え置いているが、本書においてもやはり同じような真摯さの必要性を問いかける(訴えているのではない)。「ならず者」と見なして安心するその姿勢こそ先送りの基本的なフォーマットにほかならず、そのフォーマットに安心しきっていることの危うさはあるまいかと。
だからこそ彼女はあとがきで、かくなる上はせいぜい長生きをして平壌からのツアー客が平和的に「TS02」の駅前商業施設(東武鉄道のタワー)のリフトに並ぶ日を、東京のバックパッカーがふもと在住の友人と金剛山を登山する日を見届けようではないかと、どことなくヤケクソのような語り口で決意を述べている、そう遠くはないのだからと。そしてこうも言う、そのとき日本人の見方も変わっているだろうか、と。
書を読みながら旅に出よ、想像力を携えて。 -
北朝鮮について知りたくて読書。
思い込みは怖い。日本人と結婚しているので、日本が好きな人かと思ったが、どうやら違うようだ。日本人でも日本が大嫌いでそれで飯の種を稼いでいる人も少なくないので仕方ないがちょっと残念。
韓国併合の4日後に中国東北部から朝鮮半島を旅したという英国のエミリー・ケンプ女史の経路を100年後に追うという内容。
著者の歴史観にはややゲンナリ。中国のハルピンスタートし始まり丹東からの鉄道入国、平壌、開城、板門店、元山、金剛山など旅行記として読むと面白い。その土地の人たちや風景が生き生きと読み取れる。
編集の問題か、本文に引用されている部分が分かりづらい。引用にさらに著者が意見をかぶせるので余計に読みづらかった。
読書時間:約1時間40分
本書は知人からいただいています。有り難うございます。 -
1910年に北朝鮮を回ったイギリス人女性の紀行文を頼りに、同じルートを再訪した著者による記録。未開の地、北朝鮮の生々しいリアルが伝わってきた。
①北朝鮮について考える意味(はじめに)
朝鮮半島はロシア、日本、中国などの国の間で関係の支点になり、重要な大陸である。例えば、中国は北朝鮮が崩壊すれば隣国が不安定になり、経済のバランスがおかしくなりかねないリスクを抱える。日本も朝鮮併合など歴史に深く関わっており、日中関係を考える際にも、北朝鮮を含めた朝鮮半島は大切である。
②現在を越えた真実(あとがき)
メディアのほとんどが語る北朝鮮は、「ミサイル発射」、「核実験」、「指導者の系譜」などに焦点が当てられるが、現実には海外NPOの萌芽や経済情勢の変容など様々なことが変化している。それに目を向け、本当の国の在り方を考えてみたい。
実際目で見て、色々考えてみたい国である。 -
東洋文化の女性研究者(イギリス人)が、100年前の「幻の紀行文」を手に、そのルートに沿って北朝鮮を訪ねた旅行記。
「去年読んだ随筆系で一番おもしろかった」とお勧めされて読んだんですが、おもしろかった。
が、意味ありげな言い回しや、比喩なんだろうなって部分、意味が分からないままで、文字面だけを追いかけてるむなしさが...
きっと知識があれば(東南アジアの近代史とか)おもしろさが違うと思うねんなー。んなー。 -
隣国の歴史について、何も知らないことを改めて気づかされた。何も知らずに何も語れない。
-
日本がアジアへ勢力拡大をすすめていた1910年、イギリス人女性エミリー・ケンプは、満州を経て、植民地とされたばかりの朝鮮を旅した。それから100年後、同じ旅路をたどろうとする女性歴史家の旅。
といっても、この100年の間に起きたいくつかの凄惨な戦争の結果、ケンプがたどったルートは、今なお紛争下にある2つの体制で分断されている。それでも両方の国を訪ねることができるのは、やはり特権には違いないのだけど。
北朝鮮体制の内実をのぞきみたい人には期待はずれかもしれないが、このエッセイの魅力は、北東アジア地域についての博覧な知識と深い理解が、人々や事物にむける暖かなまなざしと融け合うところにある。ゆったりとしたリズムの文章が、今なお国家によって引き裂かれているこの地域で、境界を越えて旅へ出るように読者を誘う。 -
■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
【書籍】
https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1000947773
-
もし、日本があのとき韓国併合をしなかったら、朝鮮半島は今どうなっていただろうと思う。
-
「(地名)で考えたこと」というのは書名としては平凡だ。紀行文というジャンルもありふれている。しかし、それが北朝鮮であると途端に奇妙なもののように思えてくるのが外界の大方の人間の反応だろう。しかし筆者は、北朝鮮では自由に旅行できないことや、体制に都合が悪いことは見せられないことは承知の上で、「どんなに注意深くガイドしても隠しきれないことがある」として人間の生活の営みを挙げ、ガイドや偶然出会った人々の人間らしさを描写している。
100年前の紀行文と自らの旅を重ね合わせる筆者の思い入れにはちょっとついて行きにくく感じられるかもしれない。しかし、北朝鮮は過去からずっと今のようであったわけではなく、その当時には平壌からソウル、釜山から元山に直行できたこと、当時も人々の生活があったことに改めて気づかされる。