成長から成熟へ ――さよなら経済大国 (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087207132

感想・レビュー・書評

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  • 2013年に無くなられた天野祐吉さんの自伝でもあり、今の日本の広告や政治・経済・社会へのささやかな提案の書。自然体で軽やかに、日本の将来のビジョンを説く語り口(文体)が鮮やかで、心に響いた。各章の扉の向かいに掲載されていた写真がちょっと意味不明だったけど。

  • 004

  • 受け止める側の大衆の力量が問われるのが広告であろう.そうでなければ,広告は広告主の思惑通りに大衆を誘導し,本質と異なるマジョリティを生成する.広告に面白さを感じない,或いは買え買えというに過ぎない現在のCMなどは大衆をバカにしていると感じるのだが,それを普通に受け取る大衆が居ることを示している.広告は,大衆の力量を測るリトマス紙だ.

  • 「広告批評」を創刊し、広告を通して日本経済を見通してきた筆者が、3.11後の社会をどう見るか。非常に興味深い視点でした。

    バブル全盛の頃、その中心にいて経済をドライブしていたのは紛れもなく「広告」でした。しかしその狂熱に浮かされて大事なものを見落として、広告はその輝きを失ってきているように思えます。

    もう日本は経済大国ではなくなった。そうしたときにどう生きるのか。
    誠実に、身の丈に合った生き方をしたい。そうしたときの思考のヒントになる一冊です。

  • 20131201 成長から成熟へ。作者から課題を提示されたような気がする。これからの日本が何処を目指すべきか。決まっているような気がするが人任せでは多分、回り道になってしまいそうだ。

  •  先日亡くなった天野祐吉さんの(おそらく)最後の著作。
    戦前戦後から高度経済成長、そして大震災までを生きた天野さん自身の人生史でもあり、その中でメディアや広告が果たした役割の変遷が並行して描かれる。
     そんな中で、大衆社会の「いま」と切実な関係を保ちながら、人々の暮らしに対する想像力を切り開いてきた広告が、その本来的な意味を失い、大量生産・大量消費を謳う資本主義の道具と変質していく時代に対抗すべく、「広告批評」を創刊するに至ったという背景はとてもリアルだ。30年後に「使命を終えて」廃刊となった同雑誌のコンセプトは、初期も僕が読んでいた末期も変わっていなかったように思う。
     翻って、ネットで誰もが批評家となることが可能になった現在、本当の「批評」とは何なのかということは改めて考えてみないといけないだろう。
     天野さんに言わせれば、「広告」=「いかがわしさも人間臭さも併せ持った人間の写し絵」であり、それがいつの頃からか「暴力的な力」を持った権力に利用される手段となってしまった。そんななかで、非主流ではあっても、俗流化した資本主義的なモノサシでは測れない「個性」=「別品」の存在価値を認めるために徹底して反権力の立場に立つことこそ、批評の役割なのだと言っているように思う。それは、天野さんがいかがわしさを含めて人間の多様性を愛していたからこそ、だと思う。「本当の批評とは、その対象に対する愛なくしては生まれない」のではないか。
     

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著者プロフィール

天野祐吉(あまの・ゆうきち)
コラムニスト。1933年東京生まれ。1979年に「広告批評」を創刊。2009年同誌終刊後、「天野祐吉作業室」を設立。主な著書に『広告論講義』(岩波書店)、『広告五千年史』(新潮選書)、共著に『広告も変わったねぇ。』(インプレスジャパン)、『可士和式』(天野祐吉作業室)など。

「2012年 『クリエイターズ・トーク』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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