資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)

著者 :
  • 集英社
3.92
  • (175)
  • (266)
  • (145)
  • (30)
  • (7)
本棚登録 : 2282
感想 : 267
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087207323

作品紹介・あらすじ

資本主義の最終局面にいち早く立つ日本。ゼロ金利が示すのは資本を投資しても利潤の出ない資本主義の「死」の状態。国民国家をも解体させる「歴史の危機」だ。この危機を乗り越えるための提言の書!

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み

  • グローバリズムの進展による弊害について経済の面から論じられております。

  • 本書の主張はシンプル。資本主義は利潤の追求のために市場の拡大を望む。この市場の中で”周辺”から”中心”に富の偏在をもたらす。

    このメカニズムを維持するために、はるか過去には欧州からアジア、アフリカに市場の拡大を要求した。現代では地域的な拡大不能から、米国は金融空間という市場を形成してきた。

    資本主義が生み出す富の偏在が外部にあり容認できる間は、民主主義と資本主義は良き関係にあった。しかしながら、資本主義が自分の内部に富の偏在を必要とする段階に来た今、両者の主張は共存し得ない。

    アベノミクスの主張する成長戦略、局所的には富の偏在が再配置されて成功のように見えるかもしれない。新興国に投入され続けた資本が、実態経済規模から離れていくにつれ、世界規模でみれば利潤を生まない投資が増え続けていく。すなわちバブル。

    バブルの話を聞くたびに、生息エリアが限られた中で増えすぎたレミングが集団で自決し、群れの存続を維持していくという話を思い出す。レミングは果たして海を渡り、外の世界(宇宙?)に新天地を求められるか。

    全てが”成長主義”、”絶え間ない資本の利潤追求”からくる必然であるならば、悪ではない”0成長”がもたらす社会はどのような仕組みであるのか、この答えは提示されていない。

    今まさにアメリカではFRBが量的緩和の終了に向けて舵を切り、一方で日銀はアベノミクスの成長戦略のために量的緩和を継続するという対極の政策を取りつつある。答えを見ていきたい。

  • 文字通り、資本主義が勝利したわけではなく、今後崩壊していくことを描いた一冊。

    上位15%に富が集積し、先進国はその恩恵に授かってきたたが、発展途上国も同様に発達しつつある今後は厳しいということがよく分かった。

  • 水野和夫(1953年~)氏は、早大政経学部卒、早大大学院経済学研究科修士課程修了、三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミスト、民主党政権の内閣官房内閣審議官、国際投信投資顧問顧問、日大国際関係学部教授等を経て、法政大学法学部教授。
    本書は、2014年に出版され、経済書にもかかわらずベストセラーとなり、2015年の新書大賞第2位を獲得。
    2013年に発表(日本語訳は2014年出版)されたトマ・ピケティの『21世紀の資本』とともに、資本主義の問題・限界を明快なメッセージで指摘したことで、多くの人々に受け入れられた。
    近年、斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』をきっかけに「脱成長」に関わる議論が大いに注目されており、私も、あまりに不合理な格差を生む資本主義の限界を強く感じているのだが、先駆けて「資本主義の終焉」という警鐘を鳴らした本書を、今般改めて読んでみた。
    エコノミストの著書なので、少々経済学の基礎知識を要する記述はあるものの、論旨は以下の通り明快である。
    ◆近年、先進各国で超低金利の状態が続いているが、これは、16世紀末~17世紀初頭にジェノヴァで同様の現象が起こって以来のことである。利子率ゼロとは利潤率ゼロということ、即ち、利潤を得られる投資機会がなくなったということであり、そのときの経済システムが限界に突き当たったことを示している。16世紀においては、その結果、中世から近代への移行(中世封建システムから近代資本主義システムへの転換)が生じた。
    ◆資本主義とは、「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」即ちフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖(「成長」)を推進するシステムであり、その性格上、常にフロンティアを必要とする。しかし、20世紀後半のグローバリゼーションの進展は、発展途上国を「周辺」に留めることを許さず、地球上の「地理的・物的空間」のフロンティアを消滅させた。その後、資本主義は、金融自由化により新たに「電子・金融空間」というフロンティアを創り出して延命を図ったが、米国のサブプライム・ローン問題、ギリシャ危機、日本の非正規社員化問題などを引き起こし、2008年のリーマン・ショックでバブルは結局限界に達した(実体の伴わないバブルが崩壊した)。
    ◆このまま資本主義システム(=「成長」)の延命に拘れば、世界中の(地域を問わない)相対的弱者が「周辺」に成らざるを得ず、格差の拡大を生み、延いては国民国家の危機、民主主義の危機、地球持続可能性の危機を顕在化しかねない。よって、今こそ我々は近代(=資本主義)そのものを見直し、脱成長システム=ポスト近代システムを見据えなくてはならない。

    では、ポスト近代システムとはどのようなものなのかについては、著者は正直に「その明確な解答を私は持ちあわせていません」と述べているのだが、この解答の一例が斎藤氏のいう「脱成長コミュニズム」と読むことは可能であろう。
    様々な意味で「大分岐」にある今、改めて読む意味のある一冊と思う。

  • なんで供給が飽和してる世界で、大人たちは精神削ってさらなる供給を目指すのか。高校生ぐらいから疑問に思っていた。

    それが資本主義という経済システムによるものだと理解したのは大学生の時。システムのロジックは理解したものの、やはり「物質的に十分豊かなのに、どこまで成長を目指すつもりなんだろう」と首を傾げていた。

    昔から資本主義に対してボヤッと感じていた疑念みたいなものの正体がこの本で分かった気がする。

    このまま成長路線を突き進んだら、将来産む予定の子どもは成長戦略のしわ寄せをかかえる日本で幸せになれるのかなと不安になった。

  • 過去の歴史と詳細なデータを分析し、資本主義の終焉について論理的に考察している。

    だが、現在の「資本主義」が終焉を迎えていることは、既に感覚的に予想できている人も多いのではないだろうか。

    問題は、その先のシステムをどう設計していくかである。
    次の社会システムが明確になり、ゴールに向けて人々が動き出さない限り、資本主義は、恐らくまだまだまだ対象を広げ、延命を続けていくだろう。

    原丈二氏が『21世紀の国富論』で唱える「公益資本主義」のように、まだ考察段階のシステムでもよいので、ポスト資本主義の姿を考えるためのヒントを提示して欲しかった。

    本書に「日本は新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界のなかでもっとも優位な立場にある」とあるとおり、ゼロ金利が長く続き、世界のなかでも資本主義の限界に近づいている日本は、ポスト資本主義にもっとも近づいているとも言える。

    ポスト資本主義の姿を考えるためのヒントとなるのかもしれない一冊。

  • ゼロ金利、ゼロ成長は経済の一時的な停滞ではなく資本主義がもはや正常に機能しなくなった結果だと説く。そのため、現状を打破するには従来型の成長戦略ではなく資本主義に代わる新たなシステムや価値観への転換が必要で、それは「脱成長という成長」を志向するものになる。

    民主主義と資本主義は必ずしもセットではない、ということに気付かされた。それどころか経済がグローバル化する過程で資本主義が最優先された結果、知らず知らずのうちに民主主義がなおざりにされつつあるという事実。資本主義は本質的に格差を生む性格を持っている。

    そんな資本主義ではあるが、私たちは成長という観念を捨ててそれに代わる価値観を持つことが出来るだろうか?

  • 先進国における金利の低下を根拠として、利潤率の減少、すなわち資本主義の終焉を論じでいる本。
    資本主義を延命するために金融市場にバブルを生成し、その崩壊によって労働者が割を食うという構図の解説はとても興味深く感じた。
    現状の資本主義の代替案に関しての記述が弱く感じたので(他書籍で詳しく解説なさっているのかもしれないが)星をマイナス1した。

  • 資本主義が永続不能なシステムであるということは今や衆庶の知るところであるが、金利の推移を見れば、その終焉は「いつか来る」程度のものではなく、もう我々の眼前に迫っていると言える段階まで来ていると警鐘を鳴らすのが本書である。水野によれば70年代には既に資本主義は有限性の隘路に逢着していたそうだ。そこでアメリカは電子・金融空間にフロンティアを見出した。そこさえ侵食し尽くした資本主義の次なる延命策は「中心の内部に周辺をつくり出す」というアクロバットである。これがネオリベの増長や格差拡大の主因だろう。

  • サヨク思想の特徴がよく表れている。

    問題点を指摘し、自説に都合の良い歴史を引用して変革がいかにも必然であるかのように説き、そして責任は回避する。

    代案らしきものはあるが、人間の本性であるエゴ、暴力性、ねたみそねみのような要素から目を背けているため、小学生が考える「ぼくのかんがえたりそうのしゃかい」程度の空想になっている。

    「資本主義の本質は貧者からの収奪であり、収奪すべきものがなくなれば自壊する」という主張はわかる。

    「成長しすぎた強欲資本主義は、国民国家と民主主義を破壊し、特権富裕層による王政的な支配に行きつく」という主張もわかる。

    しかし、「もう成長はないのだから、あきらめてスローライフを生きよう」という主張には、「それは素敵だね。でもどうやって?」と問わざるをえない。

    「グローバル企業の規制はG20の連携が必要」という主張も「それはそうですね。で?」としか言えない。

    ピケティはグローバリズム企業の規制が容易ではないことを認識しており、「まずできそうなこと」として各国の情報交換を提唱している。また、経済格差を世代間で固定させないために教育の重要性を訴えている。

    ケインズは経済成長を促す原動力が単なる利益率だけではなく、人間の「アニマル・スピリッツ」にあることを理解し、一見無駄に見えるピラミッド建設や聖歌隊の維持にも価値を見出している。

    三橋貴明(ピケティやケインズと並べるのはどうかと思うが)は日本の各地を回ったうえで、災害対策、交通インフラ整備、少子化対策としての生産性向上、そして国家防衛のための「政府による投資」が必要であると説き、国家と企業・家計を同一視するプライマリーバランスによる投資抑制を批判している。

    過去20年で日本「だけ」が成長していないのは、日本が資本主義の最先端に到達したわけではなく、小泉改革と民主党の失政が原因であり、マスゴミと結託した民主の残党は中共による「日本停滞戦略」を忠実に実行している。

    資本主義の行き詰まりは第一次、第二次の世界大戦でリセットされたという非情な現実を考えると、今なすべきことはお花畑の空想に賛同するのではなく、「今度は」負け組に入らないことである。

    そのためには国内にはびこるサヨクと特アの一掃、これこそが最優先事項だ。

  • 大学の講義がきっかけで日銀のマイナス金利政策の勉強をしてから、経済への興味が出てきた。また、先進国の経済は持続可能なのか?という疑問が昔からあったため、本書のタイトルに惹かれて読んだ。もう一回読もうと思う。

    本書は、
    「20世紀後半のグローバリゼーションによって資本が国境を越えて行き来出来るようになったことで維持される近代資本主義の構造は、後進国が近代化した時点で崩壊し、ゼロ金利・ゼロ成長の世の中が訪れる」ことを、12世紀頃から始まる資本主義の歴史を検証することで、説得力のある形で主張している。

    成長を善とするシステムがこのまま続けばバブルの膨張と破裂が繰り返される不安定な社会になり、中間層が没落し、マルクスの言うような革命が起こりかねないという(これを筆者は資本主義の突然の終焉・・・ハード・ランディングと呼んでいる)。

    資本主義を穏やかに終わらせられれば(ソフト・ランディング)、人類は持続可能であるそうだ。

    筆者は、日本を世界で最も早い時期に資本主義が終焉を迎えた国とみなし、日本が資本主義の次にやってくる新しいシステムの提案者になることが出来るとしている。ただし、具体的なシステムについては言及せず、知識人が団結し知恵を絞る必要があるとだけ述べてある。

  • ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ
    →投資をしても利潤の出ない資本主義の死

    資本主義は中心と周辺を作りつだすことで中心だけが利益を得る。民主主義は中心内でのみ機能するシステム

    常に過剰を求める資本主義は、ゼロ成長下で限界を迎えている。

    日本は脱成長へと前進するべき。

    西欧は理念によって領土を蒐集する帝国。ヨーロッパの政治統合は古代から続く。

  • 資本主義は15%の人々が85%の人々を収奪することで成り立つと主張する本。そのロジックは私には分からないところが多かったけれど、感覚的には分かるような内容。以前は15%の先進国が85%の途上国を収奪していたが、現代ではグローバル化により、あらゆる国が15%の中流・富裕層と85%の貧困層に分かれるようになりつつある。世の中が貧困化すると民主主義が成り立たなくなるので、この状況は経済だけでなく政治的にも問題であり、本書によれば資本主義も民主主義も世界的にもはや「死に体」なのだそうだ。
    とはいっても、資本主義や民主主義に代わる方式が発明され、定着するには100年単位の時間がかかるので、現代に生きる我々としては、「ゼロ金利」「ゼロ成長」「ゼロインフレ」の3点セットによる定常状態(現状維持)により衰退を遅らせるのが良いとのこと。そして、これら3点セットを世界で一番早く実現しているのが、我らが日本。日本のチャンスはここにある。アベノミクスは駄目だ、と主張している。正直、内容の妥当性は私にはよく分からないけど、「ゼロ成長」という言葉には惹かれるし、これからの時代に経済成長を追い求めても駄目だろうということは直感的に理解できた。

  • ー 我々は既に死んでいるのか ー
    永らく先進国の成長を支えてきた資本主義経済。しかしそれは常に先進国の周りに周辺地域(フロンティア)があり、そこからの収奪を前提とするシステムであった。

    既に完全に成熟した日本経済で成長を成し遂げようとするならば、中間層の没落を誘引せざるを得ない。
    規制緩和、財政出動、成長戦略を基軸とするアベノミクスは資本主義の延命策に過ぎず、より大きな破滅(バブル)を導く罠であると看破する。

    今まさに、資本主義に代わる社会・経済システムが求められているのかも知れない。しかしそれは筆者からも提案されず、私にも分からない。

  • 資本主義は「トン(獣偏に貪)」である。際限無い成長を要求し、実物空間を呑み込み終え、金融というimaginaryな虚空間さえも生み出し、食べ尽くした怪物。
    「脱成長」「ゼロ成長」と聞くと、人生を逃げ切った団塊の年寄りの妄言と断じたくなるが、現実的にもう不可能だという認識を持つところから今後のシステムを考えていく必要性。
    リーマンショックと3.11とを並列にして語る箇所がいくつかあるが、そこは大いに引っかかる。金融工学と原子力工学を同列に語らないでほしい。
    作者もわからないという「資本主義の次のシステム」、願望としては利子の無い世界が創出されてほしい。あるいは宇宙に実空間を拡張するか。

  • 資本主義はもう❌なのかな

  • ①先進国、中進国の需要が飽和したこと、②それにより資本が生み出す利潤=利子率がゼロになっていること、③これまでそうならなかったのは周辺から資源を簒奪してきたからに過ぎないが、それももう限界が近いこと、④地球上でエネルギーを好きに使えるのは全人口の15%であり、これ以上の成長はあり得ないこと、の4点については説得力があり納得できる。一方で陸の国→海の国への権勢移動とか、資本主義が蒐集に適したシステムであるとかは全く共感できなかった。
    仮に資本主義が終焉を迎えているとして、著者の示唆はその先のゼロ成長を前提とした停滞社会を考え方を変えることで乗り切ろう言っているだけに思える。これまでに預金したお金も出資金と捉え直して差し出せと言うのは到底実現できない政策で暴論である。
    こうなると古典的手法である戦争と革命でガラガラポンしか解決策はないか?

  • んー。なるほど。
    資本主義のその先の世界かあ。
    今の経済状況を踏まえ、そも限界とこれから先を見据えた本。
    確かに今のやり方が上手くいっているとは思わないし。
    脱成長路線ならとって代わることも可能かもしれない。
    意外と日本は世界で初の試みができるかもしれない。
    絶望ばかりではない。希望も少しはある。

  • 本の内容どおりの金融危機が起こっている。アフリカへの投資が先日ニュースとなっていた。周辺を巻き込んだ蒐集が行われ、資本主義の最終局面の様にも思われる。無限の成長は、理論的のありえない。考えさせられる内容であった。

  • グローバル化という周辺の拡大は、長い21世紀のやり方としての、ローマの没落以来繰り返されてきた資本主義による嵬集なのである。しかし、利子ゼロパーセントでの投資が繰り返されているという事実は、ほかならぬ周辺の消滅を証明している。
    より早く、より遠くに。その時代は、より遅く、より拠点を多く。そう変わるべき一点をむかえている。

全267件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

1953年愛媛県生まれ。埼玉大学大学院経済科学研究科博士課程修了。博士(経済学)。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、内閣府大臣官房審議官(経済財政分析担当)、内閣官房内閣審議官(国家戦略室)を歴任。現在、法政大学法学部教授。専門は、現代日本経済論。著書に『正義の政治経済学』古川元久との共著(朝日新書 2021)、『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』(集英社新書 2017)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書 2014)他

「2021年 『談 no.121』 で使われていた紹介文から引用しています。」

水野和夫の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×