科学の危機 (集英社新書)

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  • 集英社
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感想 : 10
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087207828

作品紹介・あらすじ

職業人としての科学者が誕生した19世紀前半以降の科学史をひも解くことで、科学がいかに変質し、その中で研究者の規範がどう変化したかを解明。〈科学批判〉を通して、暴走する科学へ警鐘を鳴らす。

感想・レビュー・書評

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  • コロナ騒動で科学と社会(国家)のあり方が世界中で問われている。両者の関係はどうあるべきなのか?本書は311を契機として書かれたようであるが、コロナの件は311とは違った形で科学と社会(国家)のあり方が問われているように思える。
    構成としては前半が科学史、後半が科学批判となっている。一般的に科学史と言うと、大概はギリシャ哲学に始まり、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートンという人物紹介になるのが通例だが、本書は科学哲学史となっており、シモン、コント、ルナン等の概説に始まり、古典規範とCUDOSとPLACEの対比や、ギボンズのモード1とモード2の紹介がされており、類著とは違ったテイストになってこの辺は概説ながら結構勉強になった。(シモンは政治思想では出てくるが、科学哲学の側面があるのは気がつかなかった)
    後半は科学批判であり、戦後日本の科学批判史の紹介の後(著者は柴谷篤弘推し)、自論の展開となるわけだが、最後の自論部分が主観的で説教臭く、イデオロギッシュで説得力に欠けるのが残念である。(著者は執筆中に大病を患い、本書上梓後間も無く亡くなったようで、著者なりの危機感があったのだろうと推察するが)
    科学者も人間であり、カネや名誉や功名心で動く人もあれば、純粋な探究心で動く人もあるだろう。ただし、歴史的には民主主義の発展と共に、科学者個人→科学者共同体→社会(国家)へと、科学の評価者が変化しており、そこに資本の論理も関係してくるので、科学政策のあり方は非常に複雑になっているし、トランスサイエンスの問題も関わってくる。そこにカント以来の事実と価値の二元論が加わってくるわけだが、原発事故の場合はこの二元論が見えやすかったものの、今回のコロナ騒動においてはこの二元論をどう考えたらよいのか整理がつかないでいる。騒動が収まった後にコロナ騒動とは何だったのか?という問いが科学哲学的な視点で検証される事に期待したい。

  • SCの問題点にも触れられているが、ほぼ科学者側からのSCにしか言及されていないように見える。著者が危機と思う状況が全ての人にとって本当に危機なのか議論の余地がある。

  • 「一七世紀イギリスにおける科学・技術・社会」(一九三八、ロバート・K・マートン」
    『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(一九〇四-〇五年、ウェーバー)
    『ニュートン力学の形成:『ブリンキピア』の社会的経済的根源』
    P87 『背信の科学者たち』(一九八二、W・ブロード、N・ウェイド』
    『科学者の不正行為』(二〇〇二、山崎茂明)
    『論文捏造』(二〇〇六、村松秀)

  • 貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
    http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784087207828

  • 哲学者の考える科学の話だが,教えさせられる点が多い.科学者の仕事が個人で完結した時代から,次第に社会との接触が始まり,さらに社会から規制される過程を克明に描写している.「古典的規範」がCUDOS,さらにはPLACEになっていく.多くの科学者の事例を取り上げていることも理解しやすい構成だ.国家が主導する不適切な科学政策への抵抗として,P211に挙げている次のパラグラフが良い.「国家の中枢でなされる決定に参加できる成功した大科学者が,審議会や学術会議などの発言機会を利用して,自分の優雅な老後や帰属領域のことだけを考えるのではなく,科学の古典的規範に照らした上で少しでも健全な知識生産体制を整備するための提言を,たゆまず行っていくべきだ.」

  • 日経サイエンス8月号青野透氏評
    東京新聞6/14 野家啓一氏評
    著者は哲学者
    タリク

  • 読み進めるうちにどんどん説得力を失っていく残念な読書だった。最終章での「御用学者」というワーディングや小出裕章,金子勝,東京新聞への支持の表明に至って,科学社会論ってやっぱダメなのかと落胆。
    フリッツ・ハーバーの人生や,原爆の非人道性を扱った前半部分はそれなりにちゃんとしていたのだが,そこから現代の科学を「体制化科学」と糾弾し,原発や遺伝子組み換えを悪だと決めつける姿勢は,あまりにも短絡的すぎないだろうか。冷静な筆致のようでいて,科学や科学者に対する敵意がひしひしと感じられる。
    現代科学が多くの問題を抱えていることは事実だろうが,著者が提唱している「科学批判学」によって事態が良い方に向かうとはちょっと考えにくい。

  • 書店で見つけて買うかどうか迷った。けれど、あとがきを読んで買うことにした。読者には抽象的で分かりにくいかも、と書かれていたが、そんなことはなかった。CUDOSとPLACEということばは初めてだったが、考え方としてはしっくりいった。マンハッタン計画のこと、STAP細胞のこと、原発のこと、はたまた広重徹や柴谷篤弘、高木任三郎などについての記述もあり、具体的な内容でいっぱいだった。とくにハーバーについては、アンモニアを生成するハーバー・ボッシュ法というものがあるということを知っていただけで、どういう人物かは全く知らなかったので、大きな収穫であった。毒ガス使用を推進していたということ、そしてそれがおそらく直接の原因でやはり化学者であった妻が自殺するということ。科学者が戦争という状況の中、国家とどう付き合っていくのか、難しい問題だ。私なんかは気軽に、科学研究の中で得られた知識などは先取権争いをするのではなく、世界で共有すればいいのに、などと思ったりもするが、そういうわけにもいかないのだろうなあ。土地にしても何にしても、知識までも個人での所有欲というのが強くなってしまっているのだろう。そうは言うものの、昨今のフリーソフトウエアとか、YouTubeなんかに流れる音楽や映像などはどうなんだろう。どこかで、誰かが利益を得ているのだろうか。どうもそのあたりが分からない。さて、あとがきに著者自身の病についての記述がある。それが、本書購入の動機であった。なんとか病に打ち勝って、いや、病とうまく付き合ってだろうか、次の科学文化論の書物も上梓されることを願っております。

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著者プロフィール

東京大学大学院教育学研究科教授

「2016年 『談 no.106』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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